『大人の為のお題』より【月光】

―――あの夜の最後の笑顔が、俺の心にずっと残っているんだ―――


**LOVERS**
忘れられない笑顔 〜彼の物語〜



月の美しい夜には彼女を思い出す。

幸せになって…。

蒼白い月光の陰影を受け微笑むと、彼女は静かにそう言った。
彼女の最後の笑みは、今にも月の光に溶け込んでしまいそうな儚さで、月に還るかぐや姫は彼女のような表情で別れを告げたのかもしれないと思った。

何故、俺は彼女を哀しませてしまったのだろう。


彼女と出逢ったのは大学2年の春。
一つ年上の彼女はしっかりした優等生タイプだった。
ミスキャンパスにだって負けない美貌とスタイル。おまけに優しくて明るくて人気もあったら、誰もが密かに憧れるマドンナのような存在だった。
そんな彼女が、一つ年下で勉強だって並の俺なんかの告白に頷いてくれた。
本当に付き合ってもらえるなんて思ってもみなかったのに、サークル仲間と来た居酒屋で、たまたま友達と来ていた彼女に酒の勢いを借りて告白してしまったんだ。
あの時は、頷いてくれたことが信じられなくて、翌朝、自分の携帯に彼女の番号を確認して、初めて昨夜の事が夢ではなかったのだと、大喜びをしたっけ。

彼女の父親は地元では名の知れた会社社長で、彼女は大切に育てられた箱入り娘だった。
門限が厳しく、ピアノやお茶、お花など、お嬢様にはお約束の習い事もしていた為、バイトをしている俺とはなかなか時間が合わずデートもゆっくりは出来なかったが、それでも彼女が俺の傍で笑っていてくれることが嬉しかった。

彼女はいつも優しくて、自分の事より俺の事を優先して考えてくれた。
バイトでミスをして落ち込んだ時、門限が厳しい事を承知で「今夜は傍にいて欲しい」と我が儘を言った俺に見せた戸惑った表情は、今も忘れられない。
あの日、彼女は初めて無断外泊をした。
「勘当されたら拾ってよ?」と冗談のように言って笑っていたが、本当は父親に酷く叱られることを覚悟しての、かなり本気の台詞だったらしいと、随分後になってから知った。
その夜、初めて抱いた彼女は生まれたての子猫のように柔らかくて、強く抱きしめると壊れてしまいそうだった。
俺を酔わす甘い声が心地良くて、抱きしめてくれたしなやかな腕が温かくて、本当に彼女が俺のものになったのだと実感できた。
彼女が俺の腕の中で笑っていることが、ただ嬉しくて…
徐々に自分の色に染まっていくことが幸せだった。

だが俺より年上で人気もあった彼女は、俺なんかより相応しいと思える男からしょっちゅう告白をされていた。
それは俺の嫉妬心を煽り、彼女への激しい想いはやがて鎖となり、徐々に彼女を束縛し心を蝕んでいった。

彼女には俺だけが居ればいい。
彼女は俺だけを見ていればいい。
他の男と話すことも無く、誰とも接する事無く、俺だけを見て、俺だけのために生きて欲しいと望むようになっていった。

やがて彼女は俺が嫌いな色の服を着なくなった。
俺のバイトが休みの日とピアノのレッスンが重なるのを嫌がると、彼女は17年習っていたピアノをやめた。
サークルの男に告白されたと聞いて、サークルへいくことを禁じたら、サークルもやめた。
彼女の世界がどんどん狭くなり、友達も少なくなっていくことを、心配するどころかむしろ、全て俺の為であるという事実を喜んでいた。
彼女をがんじがらめに束縛しすることで満足し、俺だけを見てくれることで安心していた。

今思えば最低な男だ。

それなのに彼女は、こうした歪んだ愛情にも必死に応えてくれた。

俺だけを見つめ、俺のためにだけ生きる。

俺が望んだことだったはずなのに、気がついたら、彼女らしさも輝きも薄れ、従順に飼いならされたペットのようになった姿が痛々しく見えてきて、徐々に苦しくなっていった。

俺と付き合ったから、彼女は美しさを失ったのか?
俺を愛したから、彼女は不幸になったのか?
他の誰かと付き合っていたなら、彼女は今でもあの日のまま、誰もが憧れるマドンナだったかもしれない。

彼女に会うたびに、自分が犯した罪を見せ付けられるようだった。
彼女が従順であろうとすればするほど、俺は罪悪感に苦しめられていった。


そんな時、サークルで出逢った、ちょっと我が儘な後輩が可愛く見えた。
従順な彼女と違い、思い通りにならないことが新鮮だった。
何もかもを受け入れてくれる彼女と違い、簡単に頷かないから欲しくなった。

そうして気持ちが少しずつ彼女から遠のいていくと、俺を中心に生きていこうとする彼女の気持ちが、重くなっていった。
あれほど求めたくせに、今度はその真っ直ぐな気持ちが重すぎて、怖くなった。


俺は卑怯者だ…。



たった一つしか違わないのに、俺はいつも甘えてばかりだった。

そして最後のときも、俺が言うべき言葉を唇で塞いで、先に別れを口にしたのは彼女だった。

最後まで彼女に頼りっぱなしだった自分を卑怯だと認めたくなくて、彼女は強い女だったのだと思った馬鹿な俺。

それが彼女の精一杯の強がりだったと、どうしてあの時気付かなかったのだろう。

最後の最後まで彼女は大人でいようとした。

俺から苦しみを持ち去り、優しさだけを残して去っていった。


彼女の最後の強がりが、今も胸の奥で疼く。


――幸せになって――


彼女はどんな気持ちであの言葉を言ったのだろう。





あれから5年…。

それなりに恋はしたが、どれも長くは続かなかった。
一つの恋が終わるたび、より鮮やかに蘇るのは最後の夜の彼女の笑顔。
痛みを押し付けてしまった俺を、彼女は憎んでいるだろうか。
それとも俺の事など、とうに忘れてしまっているだろうか。

どうして重いと感じたのだろう。

彼女に我慢を強いていたのは俺自身だったのに。

彼女は羽を切られ鳥篭に閉じ込められた鳥だった。
俺は自由の無い彼女を愛でるだけ愛でて、最後には飛べないことを責めて捨てたのだ。
彼女の自由を奪い、縛りつけていたのは自分だったことから目を逸らして…。

俺は彼女の寂しさを、不安を、感じてやったことはあっただろうか?
彼女の微笑みの裏に隠された本音を、考えてやったことはあっただろうか?
彼女は一度でも俺に甘えたことはあっただろうか?

俺は彼女の事を何も見ていなかった。

傷つけるだけ傷つけて、最後まで甘えたまま終わった余りにも幼い恋。

彼女はあの頃の俺をどう思っているだろう。

馬鹿な男だったと呆れているだろうか。

新しい恋をして、二度と思い出したくないと思っているだろうか。

それとも今夜のように月の蒼い夜は、少しでも懐かしいと思い出してくれることがあるだろうか。



失って初めてその存在の大きさを知り、あの日の事をどれだけ後悔しただろう。

いつかまた会えたら、きっと伝えよう。

護ってもらってばかりだったのに、気づきもしなかった事をごめん…と。

ひたむきに愛してくれてありがとう…と。


星の美しい夜は、胸の奥底で疼く甘い痛みを抱きしめる。


許されるものならば、もう一度あの日に戻って抱きしめたい。


忘れられない笑顔を。




+++ Fin +++


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