雪うさぎ

*** Side 雅(みやび)***


それは幼い頃の懐かしい記憶

私のことを「うさぎ」とよんだ男の子の記憶

なぜ彼が私をそう呼んでいたのかは忘れてしまったけれど
冷たい冬の夜でも寒さを感じさせなかった彼の小さな手の温もりは今もはっきり覚えている。

彼と一緒なら不思議と寒さも不安も感じなかった。



世界を無色に染め上げたその日の雪はその年の一番の降雪だったらしい。

臨月の母が、産気付き父さんと病院へ向かったのはその日の夕方だった。

降りしきる雪で大渋滞なか、父はタクシーを捨て母を背負って病院へ駆け込んだそうだ。

隣の家に預けられていた私はおばさんから無事生まれたのが妹だったと知って飛び跳ねて喜んだのを覚えている。

私が5才の2月のことだ。


けれど・・・その日、父はなかなか帰ってこなかった。

時間を追うごとに激しくなる吹雪で父は帰宅することが出来なくなったのだ。

私は隣の家に一晩預けられる事になった。


いつも遊びに来ている家なのに、心細く感じたのは、普段訪れない時間帯だったからだろうか。

それとも父も母も隣の我が家に居ない不安からだったのだろうか。

私は猫のように窓辺に張り付いて、居間の窓の結露を何度も拭きながら視界を作り外を見続けていた。


「いつまでそんなトコに張り付いてんの?」

突然声をかけられ振り返ると、見慣れた少年が立っていた。

短く刈り上げられた漆黒の髪、意志の強い光を放つ切れ長の漆黒の瞳には少年らしい悪戯めいた表情が宿っている。

私とあまり変わらない身長を気にしている一つ年上の幼なじみだ。

「ゆうちゃん」

「妹うまれたんだって?おめでとう。おねえちゃんじゃんか」

一つ年上のゆうちゃんの声を聞いたとたん、私の不安は吹き飛んだ。

「うん、おねえちゃんになった。」にっこりわらって答える。

うさぎがお姉ちゃんかあ・・・とゆうちゃんは呟きながら、「おねえちゃんは泣いちゃダメなんだぞ。」といった。

私は不安で泣きそうな顔をしていたらしい。

「泣いちゃダメなの?何で?ゆうちゃんはおにいちゃんだから泣かないの?」

「うん、弘樹が泣いてるのに俺が泣いたらお母さん困るだろ?だからおにいちゃんは泣いちゃダメなんだ。」

ゆうちゃんの足元でコタツに入って眠っている五つ下の弟を見つめながら、少し寂しそうにつぶやいた。

「ゆうちゃんは泣きたいとき無いの?」

「ン・・・そりゃあるけど、誰も居ないところでこっそり泣く。」

「さびしくないの?」

「・・・・・。」

ゆうちゃんは答えなかった。私は何故かとても悲しくなってゆうちゃんに抱きついた。

「――――っ?うさぎ?」

「ゆうちゃん一人で泣かないで。私が一緒に泣いてあげるから。」

ゆうちゃんがどんな顔をしていたのかは見えなかったけれど、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。

「じゃあ、うさぎが泣きたい時は俺のところにきて。こうしててあげるから。」

うん、と私はうなずきゆうちゃんから身を離すと、ゆうちゃんは窓の外を見て言った。

「雪うさぎつくらないか?」

「雪うさぎ?こんな夜に?」

「大丈夫、玄関先なら雪も入らないし・・・、それに、うさぎのお父さんが帰ってきたらすぐに分かるだろう?」

ゆうちゃんは私が父の帰りを待ちたがっているのを分かっていたのだろう。

「うん。つくる」

私はこのとき、この日一番の笑顔だったと思う。



外へ出ると吹雪はもうやんでいて、辺り一面真っ白だった。

重そうに雪をかぶった街灯がおぼつかない明かりで私たちの手元を照らしてくれる。

時々、電線や屋根から落ちる雪の音以外は音が存在しないかのように、
真っ暗な夜空と真っ白な雪の中に私たちの息使いさえもが吸い込まれていく。

ゆうちゃんは全部で4つの雪うさぎを作った。

6才と5才の小さな手ではなかなかうまく形にならなかったけれども、
それでもなんとか大きさのちがう4つの雪うさぎを作ることが出来た。

「この一番大きいのがうさぎのおとうさんだよ。次に大きいのがおかあさん。」

できあがった雪うさぎを大きい順番に指差しながら私に言った。

「じゃあ、この少し小さいのがわたしで、いちばんちいさいのが赤ちゃん?」

ゆうちゃんは優しくうなずいて、そうだよと笑ってくれた。

そして・・・と私の雪うさぎの横にもう一つ同じくらいの雪うさぎを置く。

「これが俺。ずっとそばにいるからね。」

ゆうちゃんの優しさがうれしくて、何故だか急に涙があふれて、止まらなかった。

「どうしたの?手冷たかった?」

少し赤くなった手を握り締めてゆうちゃんは困ったように問い掛けた。

「ううん、わかんないけど涙がでるの。」



ゆうちゃんはゆっくり私を抱きしめてくれた。

私と身長がほとんど変わらないゆうちゃんのちょうど肩の辺りに顔を埋めて涙を流す。

今思えば、母が妊娠してからの孤独感や、両親の不在による不安、お姉ちゃんとなった喜びと重圧、 様々な不安が私を包んでいたのだと思う。

そんな複雑な想いをその時の私には理解できるはずも無かったが、 ただ、ゆうちゃんの腕の中はすごく心地よくて、髪をなでてくれる小さな手がとてもうれしかった。

「うさぎ。約束して」

「うん?」ゆっくりとゆうちゃんをみると、真剣な顔で私を見る彼が居た。

「約束して。俺の前以外では絶対に泣かないで。」

「え?う・・・うん」

「絶対に、うさぎの事護るから。だから泣かないで。泣くのは俺のそばだけにして。」

「うん。約束する。ゆうちゃんの前以外では泣かない。」

ゆうちゃんがあまりに真剣な顔をして言うのと、
『おねえちゃんになったら泣いちゃダメなんだよ』といったゆうちゃんの言葉を思い出して、私は頷いていた。

「そのかわり、ゆうちゃんも約束して。泣きたい時は私のところに来て。絶対に一人で泣かないで。」

ゆうちゃんは少し驚いたように目を見開いた後、とても綺麗に微笑んだ。


「うん――――約束する。」


今も忘れない、あの時のゆうちゃんの笑顔を・・・。

街灯のおぼろげな光の中、暗闇で光を反射して浮かび上がる雪景色に
彼の笑顔はとても美しく幻想的で、まるで天使のようだった。


それから2週間後ゆうちゃんの家族は転勤で外国に旅立っていった。

「約束守るよ。きっと帰ってきてうさぎを護るね。絶対に泣いちゃだめだよ。」

別れの時ゆうちゃんは泣かずに私の手を取ってそういった。

私も泣きたい気持ちを押さえて精一杯の笑顔で待っているといった。

ゆうちゃんの乗った車がゆっくりと私から離れてスピードをあげてゆく。

窓から身を乗り出して私の瞳を追うゆうちゃんが、目を開いている事が痛いくらいの銀世界の中に 吸い込まれて消えていくのを私は見つめることしか出来なかった。



柔らかな冬の日差しが、降り積もったあの日の雪を溶かしている。


ふたりで作った雪うさぎも今は形すら留めていないのが悲しかった。



それは懐かしい記憶

私の中の淡く切ない思い出

私だけが知っているゆうちゃんの最高の笑顔

私たちだけの大切な約束

ゆうちゃんあなたは覚えていますか?

私は今もあの時の約束を守ったまま・・・泣く事が出来ずにいます。


今どこにいるのですか?

今も約束を守っているのですか?

今も一人で泣いているのですか?



あなたの雪うさぎは今も私のそばにありますか?




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