楽園(3)
ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ






翌日。惰眠をむさぼっていた瑞垣を起こしに来たのは、母親ではなく門脇だった。
「おーい、俊。遊びに行こう。俺、買い物行きたいんじゃけど」
 眠気に覆われた頭は門脇を認識出来ない。何がなんだかわからなくてぼんやりしている瑞垣がかけていたタオルケットをひっぺがし、門脇は激しく瑞垣の体を揺さぶった。
「おばさん達、もう出てしもうたぞ。早く起きんと、朝ご飯作ってくれとるのに」
「……なんで、お前がおるんじゃ、秀吾」
「俺、昨日、こっちに帰省したんじゃ。夜会っとるじゃろ? 相変わらず、寝起きが悪ぃんじゃから」
 タンクトップに短パン姿の門脇が、ベッドの端に座って瑞垣を呼ぶ。
「はよう。俺、明後日までしかおられんのじゃから。時間がもったいないで」
 ようやく事態が飲み込めてきた瑞垣は、以前もこんな風に起こされていた事を思い出し、不機嫌極まりない顔をして門脇に背を向けた。
「……お前、高校生じゃろ。眠い友人はそっとしとくのが大人の態度じゃないんか?」
「もう十時じゃが。大人じゃったらはよう起きんと」
 馬鹿力で無理やり引きずり起こされる。エアコンのタイマーが切れた時に暑さで上着を無意識に脱いでしまっていたらしく、着ていたTシャツがずるりと滑り落ちた。
「……オレはお前みたいに体力ないんじゃ。寮でもこんな風にしとるんか?」
「俺はマイペースにやっとるから。お前も体力維持のためになんか部活すればええのに。それに、タバコの吸いすぎじゃ」
 体育会系らしいごもっともな事をおっしゃる。起こされた事もあって機嫌最悪の瑞垣は、門脇を押しのけるようにして立ち上がり、適当に服をつかんだ。
 それから、不機嫌な表情を隠さずに門脇を睨み付ける。
「なに、秀吾ちゃん、オレのストリップショーでも見たい?」
「……は?」
門脇はきょとんとした目で瑞垣を見ている。
「先に台所に行けよ。メシ、ついだりしてないじゃろ? それくらいは気ぃ利かせろ。お前が起こしたんじゃからな」
 ああ、と言って門脇は部屋を出ていく。夕べ自分がしていた事を思うと、ほんの少しだけ後ろめたい気分になった。あの後シャワーを浴びて服は全て着替えている。けれども、まだ体に残滓が付いているような気がする。
 瑞垣は伸びてしまった髪をくしゃくしゃとかき回し、気持ちを切り替えて新しいTシャツを被った。
 ああ、もううんざりだ。早く、月曜日になればいいのに。
のろのろと着替えて台所へ向かうと、門脇は勝手がわからない、という風情で瑞垣を待っていた。これまではメシをつがせるような事はした事がない。瑞垣は無言で座るよう促し、さっさと準備をしてやった。
のんびり過ごすつもりだった休日を何の予告もなしにいきなり邪魔されたのだ。これくらいの嫌がらせはしても構わないだろう。
 門脇は美味そうにメシをかき込み始める。相変わらず、楽しそうにメシを食うやつだ。そういう所は半年前と変わらない。
「……こっちに帰るなら帰るで、先に連絡してくれればよかったのに。お前、何のために 電話があると思っとるんじゃ」
 苛立ちのあまりに本音をぶつけてみる。事前にわかっていれば、予定を入れまくってこいつと会わないように出来たのに。
「急に練習が休みになったんじゃ。甲子園関係の事が一段落したから、全員リフレッシュ 休暇じゃと。それをオフクロに伝えたら、顔が見たいから帰って来い、って」
 確かに、今は夏の大会と春の大会の丁度あいだの時期だ。休みを取るんだったら今しかないだろうが。
「甲子園のアイドルはスケジュールが詰まっとるからな」
 旧友の口から飛び出した明らかに皮肉としか取れない口調に、門脇は顔をしかめる。
「俊……そんな事言わんでくれ。もう、大概の事は言われ尽くしとるが、幼馴染のお前に言われるのは、こたえる」
 門脇は性格的に、人から嫌われる事はまずない。ただ、全国から優秀な人材が集まる強豪校で、1年からレギュラー入りしているとなれば、当然のように風当たりは強いだろう。
新田の原田みたいに自分から敵を作るようなのは論外だが、それでも降りかかるであろう嫌がらせの数々は予想がつく。もしかしたら、今の時期に休みを取るという事自体、何らかの隠れた意図あっての事なのかもしれない。
 原田の入部当初どんな事が起きていたのか、瑞垣は海音寺から聞く事になった。野球というスポーツが孕む闇は案外深い。だからこそ、自分もそこから離れる事を決めたのだが。
「球場のグラウンドの中には、魔物が住んどる。オレはもう、囚われるのはまっぴらじゃ から、あそこで活躍するのはお前に任せとるんじゃ。弱気になると、食われるぞ」
 囚われる。何に囚われていたんだろう。野球に? 自分に? それとも、こいつに?
 頭をかすめる疑問。それをかき消すように、門脇が元気に求めた。
「俊、メシのおかわり、ついでくれよ」
 ……朝からようこんなに食う気になるな。へいへい、とぞんざいに答えて、瑞垣は茶碗を受け取った。