神社には1時前に着いた。
境内の隅にある自転車置き場に向かうと、一足先に着いていたらしい春菜が、先に自転車を置いている所だった。
「豪くん」
春菜はにっこりと笑ってみせる。
「あけましておめでとう、今年もよろしくね」
「おめでとう」
こういう時、気の利いた奴なら色々と話しかけられるのかもしれないけれど。
思うように言葉の出てこない豪には、オウム返しのように挨拶を返すしか出来ない。
「屋台いっぱい出とるね。わたし、りんご飴買おうっと」
神社へ続く参道沿いに色々な屋台が出ている。イカ焼きや焼き鳥、お面やわたあめ。
美味しそうな匂いと子供達の騒ぐ声、それからあちこちで新年の挨拶を交わす人々。
新しい年を迎えた慶びに満ちた人々の中で、豪は一人、自分がこの場所にいるのにはふさわしくないのではないかと思ってしまう。
「ちょっとごめんね」
りんご飴の屋台で小さなサイズのものを買い込むと、お嬢ちゃん、かわいいからもう一つおまけじゃ、と威勢のいい屋台の親父が一緒に売っていたイチゴ飴も差し出した。
「わあ、ありがとう! 豪くん、どっちか食べて」
デートか、楽しそうじゃの〜、という親父の冷やかしを聞きながら、春菜は二つの飴を豪の前に差し出した。
じゃあ、とおまけに貰ったイチゴ飴を受け取る。
「ありがとな」
ううん、と言って、春菜は嬉しそうに笑った。
「デートか、じゃて。そんな風に見えるんかな」
花がほころぶような可愛らしい笑顔に、豪もつられて僅かに笑う。
何気ない時間にほっとした。
豪と巧の関係が、こんな風に、気楽なものであったなら。
あり得ない想像をしてしまう。巧が巧である限り、絶対に出来ない事だ。
あの自信と自尊心の塊に、豪はついて行くので精一杯だった。
その結果が、横手との試合。
粉々になったのは豪の魂。
痛くて苦しい関係に終止符が打てたら、どれだけ幸せな事だろう。
勉強して、女の子と優しい時間を過ごして、楽しい友人達と大騒ぎして。
参拝を待つ人々の並ぶ列について順番を待つ。
春菜は色々な事を楽しげに話しかけてきて、豪はそれにじっと耳を傾けた。
話題は尽きず、また話もうまくて感心してしまう。
あと少しで自分達の番が来る、という時に、春菜が不意に問いかけた。
「豪くんは何をお願いする?」
何気ない一言だった。
それなのに、豪の心が何故か凍り付いたような気がした。
俺の、願いは。
心の平穏。波風の立たない毎日。静かな生活。
「……そうじゃな」
豪はそれきり絶句する。
俺の望みは?
そうして、去年の初詣の事を思い出す。
去年は新田スターズのみんなとワイワイ騒ぎながら神社に来た。
ぎゃあぎゃあ言いながら屋台を冷やかし、くじ引きをしてはまた大騒ぎし。
その時、手を合わせて願った事は何だったか。
「野球をやめる前に、ホワイトタイガースの原田みたいな投手の相手をしてみてぇな」
春には野球をやめる約束を母としていた。
みんなと初詣に来られる正月はこれで最後。
中学に入ったら勉強付けの毎日が待っている。
その予想は揺らぎのない事だったのだ。巧が、新田にやってくるまでは。
新田神社の神様は、願いを叶えてくれたのだ。
豪は今になって悟った。
叶った願いのその先がこんなにも茨の道だなんて教えてもくれずに。
答えを言えないままに二人の順番が来た。
礼をした後に春菜は無言で鈴を鳴らす。
賽銭を投げ、豪は自失したまま手を合わせた。
俺の望むものは……。
喉の乾きを酷く感じた。無理矢理唾を飲み込むようにする。
俺が欲しいのは。……手に入れてからもなお、飢えているものは。
列から離れて社務所の前まで来た時、春菜が心配そうな、けれどもどこか豪を責めるような口調で問うた。
「豪くん」
心の底まで見透かすような春菜の瞳から目をそらすことも出来ず、豪はただ春菜を見つめるしかない。
「ねえ、うちの話、聞いてる? 何か別の事考えてた?」
こんなに一途に自分を見つめる女の子が側にいるのに、どうして巧の事ばかり考えてしまうのだろう。
全く春菜の言う通りだから、いいや、と誤魔化すことも、冗談めかして茶化す事も出来ない。
「……ごめんな」
掠れた声しか出て来なかった。
春菜は一瞬目を丸くしたが、長い睫毛を伏せた後苦笑した。
「ううん、豪くん、ずっと悩んでたじゃろ? 様子が変じゃったから……野球部で何かあったって、聞いたし」
豪は握っていたイチゴ飴に目線を移した。
赤い果実が琥珀色の水飴に包まれて、艶やかに光を弾いている。
あの時の巧の傷のようだ、と思った。
「うち、野球やってる豪くん、かっこええと思うよ。だから……無理せんで、頑張ってね」
もう一度屋台を見て回ってから春菜と別れた。
自転車をゆっくり漕ぎながら、豪はイチゴ飴を囓ってみる。
べったりと甘い砂糖の味に混じって、身震いするほど酸っぱいイチゴの香りが口の中に広がった。
顔をしかめながら舐め続けている内に、程良い甘さに変わるけれど、噛み進めるとまた強烈な酸味に襲われる。
まるで巧のようだと思った。
どこを噛んでもすっぱいのならば、こちらが慣れてゆくしかないんだろうか。
……いや。
この飴みたいに、無理矢理閉じ込めてしまうしかないのかもしれない。
欲しいものを手に入れるために。
…俺の、俺だけの投手を。
俺しか捕まえる事の出来ない、荒ぶる一球を。
自分の心の深い所で、これまで知らなかった感情が頭をもたげる。
明日の朝は巧に会いに行こう。
心に決めた豪の口の中で、イチゴの種がぷち、とはぜた。
境内の隅にある自転車置き場に向かうと、一足先に着いていたらしい春菜が、先に自転車を置いている所だった。
「豪くん」
春菜はにっこりと笑ってみせる。
「あけましておめでとう、今年もよろしくね」
「おめでとう」
こういう時、気の利いた奴なら色々と話しかけられるのかもしれないけれど。
思うように言葉の出てこない豪には、オウム返しのように挨拶を返すしか出来ない。
「屋台いっぱい出とるね。わたし、りんご飴買おうっと」
神社へ続く参道沿いに色々な屋台が出ている。イカ焼きや焼き鳥、お面やわたあめ。
美味しそうな匂いと子供達の騒ぐ声、それからあちこちで新年の挨拶を交わす人々。
新しい年を迎えた慶びに満ちた人々の中で、豪は一人、自分がこの場所にいるのにはふさわしくないのではないかと思ってしまう。
「ちょっとごめんね」
りんご飴の屋台で小さなサイズのものを買い込むと、お嬢ちゃん、かわいいからもう一つおまけじゃ、と威勢のいい屋台の親父が一緒に売っていたイチゴ飴も差し出した。
「わあ、ありがとう! 豪くん、どっちか食べて」
デートか、楽しそうじゃの〜、という親父の冷やかしを聞きながら、春菜は二つの飴を豪の前に差し出した。
じゃあ、とおまけに貰ったイチゴ飴を受け取る。
「ありがとな」
ううん、と言って、春菜は嬉しそうに笑った。
「デートか、じゃて。そんな風に見えるんかな」
花がほころぶような可愛らしい笑顔に、豪もつられて僅かに笑う。
何気ない時間にほっとした。
豪と巧の関係が、こんな風に、気楽なものであったなら。
あり得ない想像をしてしまう。巧が巧である限り、絶対に出来ない事だ。
あの自信と自尊心の塊に、豪はついて行くので精一杯だった。
その結果が、横手との試合。
粉々になったのは豪の魂。
痛くて苦しい関係に終止符が打てたら、どれだけ幸せな事だろう。
勉強して、女の子と優しい時間を過ごして、楽しい友人達と大騒ぎして。
参拝を待つ人々の並ぶ列について順番を待つ。
春菜は色々な事を楽しげに話しかけてきて、豪はそれにじっと耳を傾けた。
話題は尽きず、また話もうまくて感心してしまう。
あと少しで自分達の番が来る、という時に、春菜が不意に問いかけた。
「豪くんは何をお願いする?」
何気ない一言だった。
それなのに、豪の心が何故か凍り付いたような気がした。
俺の、願いは。
心の平穏。波風の立たない毎日。静かな生活。
「……そうじゃな」
豪はそれきり絶句する。
俺の望みは?
そうして、去年の初詣の事を思い出す。
去年は新田スターズのみんなとワイワイ騒ぎながら神社に来た。
ぎゃあぎゃあ言いながら屋台を冷やかし、くじ引きをしてはまた大騒ぎし。
その時、手を合わせて願った事は何だったか。
「野球をやめる前に、ホワイトタイガースの原田みたいな投手の相手をしてみてぇな」
春には野球をやめる約束を母としていた。
みんなと初詣に来られる正月はこれで最後。
中学に入ったら勉強付けの毎日が待っている。
その予想は揺らぎのない事だったのだ。巧が、新田にやってくるまでは。
新田神社の神様は、願いを叶えてくれたのだ。
豪は今になって悟った。
叶った願いのその先がこんなにも茨の道だなんて教えてもくれずに。
答えを言えないままに二人の順番が来た。
礼をした後に春菜は無言で鈴を鳴らす。
賽銭を投げ、豪は自失したまま手を合わせた。
俺の望むものは……。
喉の乾きを酷く感じた。無理矢理唾を飲み込むようにする。
俺が欲しいのは。……手に入れてからもなお、飢えているものは。
列から離れて社務所の前まで来た時、春菜が心配そうな、けれどもどこか豪を責めるような口調で問うた。
「豪くん」
心の底まで見透かすような春菜の瞳から目をそらすことも出来ず、豪はただ春菜を見つめるしかない。
「ねえ、うちの話、聞いてる? 何か別の事考えてた?」
こんなに一途に自分を見つめる女の子が側にいるのに、どうして巧の事ばかり考えてしまうのだろう。
全く春菜の言う通りだから、いいや、と誤魔化すことも、冗談めかして茶化す事も出来ない。
「……ごめんな」
掠れた声しか出て来なかった。
春菜は一瞬目を丸くしたが、長い睫毛を伏せた後苦笑した。
「ううん、豪くん、ずっと悩んでたじゃろ? 様子が変じゃったから……野球部で何かあったって、聞いたし」
豪は握っていたイチゴ飴に目線を移した。
赤い果実が琥珀色の水飴に包まれて、艶やかに光を弾いている。
あの時の巧の傷のようだ、と思った。
「うち、野球やってる豪くん、かっこええと思うよ。だから……無理せんで、頑張ってね」
もう一度屋台を見て回ってから春菜と別れた。
自転車をゆっくり漕ぎながら、豪はイチゴ飴を囓ってみる。
べったりと甘い砂糖の味に混じって、身震いするほど酸っぱいイチゴの香りが口の中に広がった。
顔をしかめながら舐め続けている内に、程良い甘さに変わるけれど、噛み進めるとまた強烈な酸味に襲われる。
まるで巧のようだと思った。
どこを噛んでもすっぱいのならば、こちらが慣れてゆくしかないんだろうか。
……いや。
この飴みたいに、無理矢理閉じ込めてしまうしかないのかもしれない。
欲しいものを手に入れるために。
…俺の、俺だけの投手を。
俺しか捕まえる事の出来ない、荒ぶる一球を。
自分の心の深い所で、これまで知らなかった感情が頭をもたげる。
明日の朝は巧に会いに行こう。
心に決めた豪の口の中で、イチゴの種がぷち、とはぜた。