White Clover 4

背後から、ユーリの上着が何処か急くような様子で剥ぎ取られる。
ネクタイも抜かれ、ベッドに腰掛けているユーリの膝の上に落ちた。
シャツのボタンを外されながら、耳朶を軽く噛まれる。耳元に落ちる吐息の熱さにびくり、と身じろぐと、虎徹はそれよりももっと熱い舌を耳に押し付けてきた。舌がぬるりとした感触をユーリに伝えてきて、ユーリは這い上がる戦慄を逃したくて息を吐いた。
その間に薄い胸元が露わになるが、全く寒さは感じない。
むしろ、背中から伝わる虎徹の体温で、ユーリの身体は熱を持つ一方だった。
「っ……!」
不意に、これまでの刺激で僅かに息づいていた胸の突起を軽く摘まれる。
「男の方が、ここ、敏感だっていう話も、ありますよね」
耳元でユーリを煽るように、虎徹が囁いた。
やわやわとした刺激がもどかしい。
「……どんな風にしたら、いいですか?」
その問いには、無意識の嗜虐心が滲んでいるような気がした。
ユーリが無言でいると、虎徹はユーリの首筋にかかる髪を掻き分け、生え際を強く吸った。焦らすように、試すように、口付ける場所をずらしてゆく。
融けて流されそうになる意識を必死で留める為に、ユーリは自らの掌に爪を食い込ませながら、虎徹に懇願した。
「……寒い、ので……シャツは羽織っていて、良いですか……?」
左肩の傷を晒す訳にはいかない。辛うじてそれだけ言うと、虎徹は「風邪引いちゃいますよね」と優しい声で返して、服の上から肩甲骨に口づけた。
布越しの愛撫はくすぐられるようでもどかしく、ユーリを余計に焦らし、煽る。
しかしユーリの理性とは裏腹に、身体だけはより敏感に虎徹を感じ、暴走してゆく。
「っ、ん……!」
虎徹の武骨な指先が強く乳首を弾いた。敏感な場所はじり、と痛んで、しかしその痛みが、逆にユーリの快感を引き摺り出す。
ユーリは思わず、自分の指を噛んで、声を殺した。
背後からユーリに愛撫を施す虎徹は、どんな表情をしているのか。
再びちゅ、と音を立てて耳朶に口づけてきた虎徹に視線を遣ると、上目遣いの虎徹と目が合った。
確かに欲情を抱いた男の色香が、その琥珀の瞳に鮮やかに浮かんでいる。
ぞくり、と背筋に走る感覚が、ユーリの中の理性を叩き壊そうとする。
その何処か獰猛さを湛えた瞳。「ワイルドタイガー」という名前は、まさに虎徹の本質なのだと、ユーリは思い知らされた。
無邪気に、遊ぶように、獲物を追い詰める猫科の肉食獣。
琥珀の瞳は確かに、ユーリを狙っている。他の誰でもなく。
溺れてしまう。
……このままでは、喰われてしまう。
「わ……たしは、いいです、から……」
ユーリはベッドの上に伸ばされていた虎徹の足に、手を伸ばす。
後ろ手に膝から、太腿へ。掌で辿ってゆくと、服の上から微かに兆した虎徹の雄に触れた。
「目を瞑っていれば、……私だとは、思わずに済むでしょう、から」
途切れ途切れに言葉を継ぎながら、ユーリは虎徹の服の中に手を入れて、直接それに触れた。
目が眩むような情欲が、ユーリの身体を支配する。
「口で、していいですか?」
いっそ露悪的なまでにあからさまな媚態を見せれば、この男は引くのだろうか。
そんな事を頭の隅で考えてみるが、只の言い訳に過ぎない事も、ユーリは知っている。
欲しい。
溢れる欲望に抗えるだけの理性は何処かへ姿を隠しつつあり。
ユーリは自分が一体何を演じているのか、何処まで本心なのか既にわからなくなっていた。
「えっ……」
ユーリは虎徹の答えを聞かず、行為をし易くなるように座り直す。
虎徹の足の上にのしかかるようにして上半身を倒し、半ば無理矢理虎徹の下着を下ろした。夕方に差し掛かろうとする西日に照らされ露になったそれは、僅かに勃ち上がって、虎徹が確かに情欲を抱いている事を明らかにする。
ユーリに躊躇はない。
手を添え、先端を濡らすようにちらりと舌を這わせる。口に広がる雄の匂いと、ぬるりとした液体。
「ペ、トロフ、さん……!」
虎徹の声が驚きに乱れている。
しかしユーリは構わずに、今度は深くそれを咥えた。粘膜が脈動を感じて、震える。
喉奥に当たって咽そうになるのを堪えながら。
苦い味が口の中に広がるが、それすらもユーリの理性を壊し、溺れさせてゆく。
ただ、これが欲しい。強烈な欲望を感じて目が眩むようだった。虎徹がユーリの口の中で質量を増す。どくり、と熱い血が流れる感覚を身体に刻みつけたくて、強く吸った。
愛おしさを込めてそれを貪る。あからさまな音を立てて、大げさな程に頭を動かして。
殊更淫蕩な振る舞いで、ユーリは口淫に溺れた。
この姿に、呆れてしまうといい。取り繕う事など、ユーリは微塵も考えない。
虎徹の熱がユーリの口腔を犯す。
その感触だけで、ユーリは自分が満たされるのを感じていた。
ただ一度だけだ。
もう二度と交わることはないから。
だからこそ、全て呑み込んで、そして心の底に封じてしまうのだ。この記憶ごと。
そしていつの間にか抱いていた、憎悪とも敵愾心とも違う感情ごと。
「ん、ふ……っ」
舌で、唇で、そして指で。熱く漲ってゆくそこに強く刺激を加えてゆく。
口の中で膨れ上がり、硬さを増すそれが、とても愛おしかった。
「は……っ」
乱れる虎徹の吐息に、ユーリも堪らなく煽られる。
「くちの中に、出して、かまいません、から……っ」
「え、ちょ……!」
「欲しい……ん、です……」
吐き出す言葉は、情欲の向こう側のユーリの真意を、押し隠してくれるだろうか。
「……でも」
困惑に揺れる言葉が聞こえる。ユーリは構わずに、先端から溢れる雫を啜り、飲み込んだ。しかし不意に、虎徹の上半身が動く気配を感じる。
虎徹の腕が、折りたたまれたユーリの身体の間に入り込んできた。
「……っ!」
「あなたも、苦しいでしょう、ペトロフさん」
兆して熱を持ったユーリの性器を服の上から荒々しく握り、虎徹が撫で上げた。
息が止まりそうだった。自分で、処理しようと思っていたのに。直接的な刺激を求めていた身体が、虎徹から思いがけず与えられた快楽に慄く。
スラックスの前を開けられ、虎徹の骨ばった手がユーリのそれに直接触れた。
「せめて、……一緒に」
掌に握り込まれ、ゆるゆると擦り上げられる。先走りの雫で濡れていたそれは、耳を塞ぎたくなる程露骨に、物欲しげな音を立てた。
「う……っ、く」
頭を振ってその手から逃れようとするが、虎徹の愛撫はさらに強くなる。
「だって、もう、イキそうでしょう……?」
くちゅり、と聞くに堪えない音がした。
緩急をつけて。ぬるぬるとした刺激が加えられ、ユーリは口淫を続けられなくなる。与えられる快感の深さに、身体が震えた。
「は……あ、く……っ、やめ……っ」
虎徹の愛撫は激しさを増す。とろとろと溢れる雫は涙のようにユーリの性器と、そして虎徹の掌を濡らした。
「いいですよ、イッても……」
霞みそうになる意識を辛うじて抑えつけ、ユーリは再び、虎徹の雄を深く呑み込んだ。
虎徹から与えられる快楽から逃れたくて、必死で舌を絡めさせ、音を立てて吸い上げる。
分かち合う行為など要らないのに。
一方的に感じれば、それで良いのに。
ただ欲しいのは自分だけなのに、どうして、この男は。
「……っ!」
先に堪えきれなくなったのは、ユーリの方だった。
ダメだ、もう。
溢れて、しまう。
身体が震えた。必死に我慢しようとするが、ギリギリまで追い詰められたそれは捌け口を求めて余計熱を持つ。
「……あ、あっ」
そして、限界に達した快楽が、虎徹の掌で弾けた。
視界が霞む。自分の口から漏れ出る声が何処か獣じみていると、押し込められた理性が微かに嘲笑っている。
虎徹の熱い掌に、白濁は全て受け止められた。
「う、……くっ、ん」
その刹那、虎徹の性器も口の中で一際大きく膨らみ、そして白濁をユーリの内に解き放った。
荒くなった息を整える間もないまま、独特の匂いのする熱くどろりとしたそれを、ユーリは躊躇なく飲み下した。舌に残る苦い味の余韻が消えてゆくのが惜しい気がして、力を失った虎徹のものを啜るように舐め上げる。
虎徹の手で達かされた身体には力が入らない。本当にセックスをした訳でもない、自慰と殆ど変わらない行為の筈なのに、溺れて我を失う程の快楽が深くユーリの身体に根を貼っている。重だるさを感じながらゆるりと虎徹の性器から唇を離すと、白い液体が糸を引いた。
ユーリは身体を起こして、湧き出た唾液をもう一度飲み込んだ。手の甲で、唇を拭おうとする。温い液体が口の端に残っているのがわかって、ちら、と唇を舐めた。
「……って、ペトロフさん!」
虎徹が枕元にあったウェットティッシュを引っ張り出し、慌ててユーリの唇を拭き清める。
「なんてことするんですか! 全部飲んじゃったんですか? 汚いっしょ!」
「私は、別に」
虎徹はさらに何枚かティッシュを取って、ユーリの、そして自分の後始末をした。
何度も息を吐いて身体の中に蟠る感覚を追い出そうとするのに、身体はまるで快楽をトレースするように、虎徹の手が触れる場所に快感を再現させてゆく。
「……はっ」
思わず溢れる声を逃す気力もなくなっていた。ただ、お互いの性器を刺激して達かせた、それだけの行為なのに。
深い快感と疲労感をどうにかしたくて瞳を閉じると、ユーリは虎徹に抱き寄せられていた。
汗の匂いに交じる、何処か雄を感じさせる匂いに、抑えようとした欲望が余計煽られてしまう。
シャツ越しに伝わる虎徹の体温はさっきよりもさらに上がっていて、ユーリはその熱に、自分が灼かれるような気がした。
離れないと。この腕を解いて出てゆかないと。
もっと欲しいと願う前に。
少しずつ戻ってきたユーリの理性が危険を告げているのに、身体に伝わる体温から逃れられない。
「……ねえ、ペトロフさん」
虎徹の手が、ユーリの乱れた髪に差し込まれ、梳かれる。
それから虎徹がベッドサイドに腕を伸ばしたかと思うと、ふわりと何かが頭に載せられた。
乾いた音を立てるそれは、シロツメクサの冠。
「さっき、花言葉は『復讐』だって言ってましたよね。……それって」
虎徹の指がユーリの髪に絡められる。ユーリは黙ってされるままになっていた。
「幸せだったから、それが奪われた時に、奪った奴に復讐したいって願う……んですかね? 俺にはよく、わかんねぇけど」
そんな風に、考えた事は一度もなかった。ユーリは呆然と、太陽の光で輪郭のくっきりと浮かび上がった虎徹の顔を凝視する。
……パパ。
シュテルンビルトを守る正義のヒーロー。
悪人を見過ごしてはならないんだよ、という言葉に、声に、陰りなど何処にもなかった。
酒に溺れ、堕ちる前には確かにあった筈の穏やかな日々の記憶が、ユーリの脳裏に蘇る。

きっかけは減退だったかもしれない。そしてマーベリックの暗躍も確かにあった。
しかし、堕ちる事を選んだのは。
最初にママに拳を振るったのは。
それを選んだのは、他の誰でもない……。

「俺は裁判官になりたいとも思った事ねぇけど……何か。自分で、幸せに背を向けてませんか?」
虎徹の口の端には穏やかな笑みが浮かんでいる。琥珀の瞳が優しく太陽の光を弾いて、目尻に笑い皺が刻まれていた。
「あなたはもっと、幸福になっていいと思います……けど、ね」
優しく甘く、そして揺らぎのない強さでユーリの心に染み込んでくる囁きが、心に刺さる。
どんな表情を、自分は虎徹に見せているのだろう。それすらもわからない。コントロールなど出来る筈もない。ルナティックのマスクよりも強固な筈の自分の心の仮面を選ぶ事も出来ず、けれどもユーリは虎徹の顔から目を離す事も出来なくて、ただじっと見つめていた。
「あれ、ペトロフさん。何か、顔、赤くないですか?」
不意に、虎徹の視線が、半ば髪で隠されたユーリの顔の右側に向かった。
……もしかして。
ユーリは反射的に虎徹の身体を押しやって立ち上がる。
そして、花冠を無言でサイドテーブルにそっと戻した。まるで手に入れた幸福を手放すように。
ジャケットを掴み虎徹に背を向け、床に落ちていたネクタイを拾った。
ユーリは自分の迂闊さを呪いたくなった。可能性を考えておかなければならなかったのに。
火傷の跡が。
罪の刻印が浮かび上がっているのだ。
「……ありがとうございました、鏑木さん。今日の事は……忘れて下さい。夢を見たのだと思って」
「え…?!」
虎徹の声があからさまに困惑を伝えてくるが、ユーリは振り返らなかった。振り返ることなど出来なかった。
「ちょ、ペトロフさん?!」
鞄に書類を入れてコートを掴む。追いかけてくる気配がしたが、ユーリは一度も虎徹の顔を見る事なく、半ば飛び出すようにして病室を出た。
ユーリの背後で、バタン、とドアの閉まる音がする。病室のすぐ前にあったエレベーターのドアが開いたので急いで乗り込む。
「ペトロフさん!」
ドアが閉まる瞬間、虎徹が慌てた表情でドアの前に立つのが見えた。ユーリは咄嗟に俯く。そうすれば、火傷跡は髪に隠れてしまって見えないだろうから。
病院の入口から門にかけて、枯れかけた白詰草が地面を這っていた。
司法局に戻らなければ。
無言で歩くユーリの背後から、うんざりする程聞かされ続けていた声が追いかけてくる。
『ユーリ。お前は復讐を果たして満足か?』
それは父親の。
その火傷をユーリの顔に刻みつけたレジェンドの声。
『お前の言う正義とは実に小さなものだ。結局、私情に駆られて復讐をする事だったのだろう?』
「……黙れ」
レジェンドの声はユーリに対する侮蔑に満ちていた。
『殺人者ルナティックとして、お前は永遠に私を、マーベリックを殺すように、犯罪者を殺し続けるのだろう。永遠にだ』
それは呪いにも似た。
「私の、正義とは」
ユーリは目を閉じた。その禍々しい声はもう聞こえない。
今はただ、背中に残る虎徹の体温だけが、ユーリを支えていた。

<終>

2011.10.11UP。
ようやく終わりました! …ということで、最終章「Lunar Eclipse」に入ります!
最後は決まってますが、私には連載形式はダメらしいという事で一括アップします。
書き上がるまで少々お待ち下さいませ…!
途中どうなることかと思ったんですが、何とか最後が見えてきた…(T_T)
えっと、最終章ではきちんと最後まで致しますので…。