Father & Daughter

数度のコール音の後、ピッという電子音と共に、明るくハキハキとした少女の声が聞こえてきた。
『はい、もしもし、鏑木です』
目の中に入れても痛くない程可愛い存在の元気そうな口調にニヤつきながら、虎徹は受話機の向こうの娘に優しく語りかけた。
「ああ、楓か? 元気か? 風邪引いてないか?」
『昨日も電話で話したでしょ? 元気だよ。ホント心配性なんだから。あんまり言うとウザい』 これまでウザいなんて言われた事はなかったのに……!
虎徹の声は思わずしおれてしまう。
「そっか……ごめんな。でも、直接顔見られないから、心配くらいはさせてくれ、な?」
電話口から、屈託のない笑い声が聞こえてきた。
『お父さん、なんでそんなに心配性かな〜。……だったら一緒に住めばいいのに』
最後の方はちょっと怒った口調で。
虎徹はますますしゅんとしてしまう。
「もうちょっとだけ、待っててくれ、な。仕事が落ち着いたら、必ず一緒に暮らせるから」
忙しいから。もうちょっとだけヒーローの仕事を続けたいから。楓には秘密にしておきたいから。
実家の母にはそんな風な理由をつけて、一緒に暮らすのを少しだけ待ってもらっていた。
今の家を引き払うことにも抵抗があったのかもしれない。
しかし、本当は、今はもうこの世界の何処にもいない彼女のことから逃げているからなのかもしれない、という自覚が虎徹にはある。
成長する楓に、彼女の面影が重なる。特にここ数年、楓の面差しは、時々はっとする位母親に似てきていた。
仕草やちょっとした癖まで。好きな食べ物まで同じだった。
育てられた時間は短いのに、どんな遺伝子の悪戯なんだろうか。
優しく甘い思い出は、苦く辛い後悔、そして悲しみへと繋がっている。
だいぶ癒えた、と思っていても、ふとした瞬間に、それは湧き上がるのだ。
例えば悪夢から醒めた時に。
……そして、楓の姿に、彼女の影が重なった時に。
過去の美しい記憶として笑顔で語ることは、おそらく一生出来ないだろう。

もう少しだけ、時間をくれ、楓。
ごめんな。

何度となく心の中で繰り返す謝罪の言葉が、どうか楓には伝わりませんように。
虎徹は祈る。
『そうそう、昨日のヒーローTV見た? やっぱりバーナビーってかっこいいよね!
前に助けてもらったって友達に言ったら、いいな〜ってみんなから言われたよ』
楓の言葉で我に返った。
「バーナビー……ねぇ。そんなにいいか〜?」
まさかコンビを組んでいるとは死んでも楓には教えられないけれど、正直苦笑するしかない。
しかし、バーナビーは、楓の、そして虎徹の命の恩人でもある。
あのとき、バーナビーがいなければ楓は死んでいたかもしれないのだ。
楓まで失ってしまったら、自分が正気を保って生きていられるか……考えるだけで体が竦む。
『かっこいいよ! いつかまた会えたら、もう一度ありがとうって言いたいなぁ』
声まで輝いているようだ。もしかして初恋だったりしたらかなりイヤだなぁ、と思いつつ、楓には冗談めかした返事をする。
「ああ……そだな。今度、言っとくわ」
『なぁに、それ。バーナビーに直接会うみたい』
まだ子供がいることを伝えていない以上、バーナビーに直接礼は言えないけれど。
いつかあいつが窮地に立たされることがあったら、必ず、この身をもって恩返しをしよう。
楓を、そして自分を救ってくれた新米ヒーローに。
「もし会えたらな。……楓」
『なぁに、お父さん』
万感の思いを込めて、伝えたいことがある。今は抱き締められないけれど。ここにいない彼女の分まで、二人分。
「愛してるよ」
心からの言葉を、最愛の娘に。
彼女は、楓が大人になるまで見守りたかっただろう。もしかしたら増えていたかもしれない兄弟も。
孫が出来て、お互い年を取って、沢山の家族に囲まれて幸せに暮らす日々は、死が二人を分かつとともに叶わない夢となり。
楓という希望だけが、ここには残っているけれども。
『どうしたの、急に? ……だいすきだよ』
答え方まで母親にそっくりになった。
感傷で喉につまったような声になってしまう前に、唐突に電話した事を侘びて電話を切る。
虎徹の周囲には空の酒瓶が散らかっている。
ああ、飲み過ぎだな、と、話を受けてくれる人のいない部屋で一人呟いた。
今日は、彼女が手の届かない処へに旅立ったのと、同じ日。
セピア色の写真の前に供えられた赤い薔薇の花が、殺風景な部屋に鮮やかな色彩を落としている。
優しく儚い幻が、虎徹の脳裏に浮かんで、消えた。

2011.5.31アップ。2011.6.4修正。
虎徹と楓のおはなし。
内容的にはまだバニーがデレる前ということで。
というか、自分に未亡人属性があることを初めて知りました…おそるべしタイバニ。