「バーナビー」
微睡んでいた僕の名前を、誰かが呼んだ。
「バーナビー」
もう一度。
最初は柔らかな女性の声だったけれど、それに落ち着いた男性の声が重なった。……誰だろう。目を開けて顔を見ようとするけれど、窓から差し込んでくる光が眩しくて。
「いくつになってもお寝坊さんなのね、バーナビー」
「もう立派な大人だ。子供扱いするのは失礼だろう?」
優しい響き。それに、穏やかな笑い声が続いた。
「君に目元が良く似ているよ、エミリー」
「でも、頑固そうなのは貴方譲りかしら?」
お互いへの親愛の情が溢れる会話。そして、不意に、まだ枕の上にある僕の頭を、髪を、さらりと撫でられた。
まるで、子供をあやす時みたいに。
――母さんが昔、僕にしてくれていたように。
……まさか、そんな。
「誕生日おめでとう、バーナビー。……私達はいつも、お前の幸せを願っているよ」
くしゃり、と軽く、髪をかき回される。
どこか懐かしい感覚。幸せな、そして暖かな空気を纏っているその二人は。
目を凝らして顔を見ようとするのに。
ただ、微笑んでいる口元だけが、僅かに浮かんでいて。
「愛しているわ、バーナビー。どうか幸せになって。二人で、見守っているから。……いいえ、三人ね。サマンサも一緒に」
サマンサおばさん。……それに。
――父さん、母さん。
慌てて飛び起き、周囲を見回した。転がる酒瓶。そして、近くには酔い潰れた虎徹さんが焼酎の瓶を抱えて眠っている。
ああ、そうだ……昨夜、皆がパーティを開いてくれて、それから、僕の部屋で虎徹さんと二次会をやったんだったっけ。
二人の姿はどこにもない。
一瞬だけ、ふわりとミルクのような香りが鼻孔をくすぐった。
「……っ」
突然、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。嬉しいのか悲しいのか、苦しいのか辛いのかもわからない。
心に凝ったままだった何かが、温かい涙に形を変えてゆく。
僕はそれを拭うことも出来ずに、微かに嗚咽を漏らした。それが少しずつ大きくなる。まるで、子供がしゃくりあげるみたいに。
でも、止まらない。
僕の中に潜んでいた4歳の子供が、今、はじめて、声を上げて泣いている。……そんな気がした。
その声に気づいたのだろう。虎徹さんが、驚いたように目を見開いて飛び起きた。
「どうした、バニー」
「……っ、大丈夫、ですから」
雫がひっきりなしに床に落ちて、ぱた、ぱた、と音を立てる。
虎徹さんは困惑顔で僕をじっと見ていたけれど、不意に頭に手を置かれ、ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でられた。
「よしよし、いい子いい子」
「……子供扱い、しないで下さい。髪型が、乱れて、しまう」
「だって、子供みたいだろぉ。……まあ、そういう時は、ガマンせずに泣いとけ、な」
満面の笑みを投げかけられて。温もりが、優しさが伝わってくる。それでまた涙が溢れた。何だか、情けない気もするけれど。
何度も操作されてきた記憶。
けれども、本物だ、とはっきり言えるものがある。
『貴方の事は私達がずっと、守ってあげるからね』
母さんに抱き寄せられて、
『だから、お前も他人を守ってあげる、優しい子に育ってくれよ』
父さんの願いを聞いた。
僕は……この街を守る、ヒーローになったんだ、父さん、母さん。
喜んでくれるかな。
それとも、心配してくれているんだろうか。
もう二度と会う事は叶わないけれど、二人の愛は僕の中で生きている。僕の身体に、心に、そして涙に形を変えて。
虎徹さんに背中を撫でられながら泣いて。
落ち着いた時には瞼が腫れている。引っ込んだ涙の代わりに、羞恥心が一気に沸き上がってきた。
――いい歳の大人が、情けない。
顔が赤くなる。その様子を見て虎徹さんは目を丸くしたけれど。
普段みたいにからかう事もせずに、背中をぽん、と叩きながら、何故か満面の笑みを浮かべて、言った。
「赤ん坊が産まれてきた時の涙みてぇだな、なんか」
「……え」
どこまでわかってるんだろう、この人は。
……いや、きっと無意識だ。無意識だからこそ敏感に、何かを感じ取る事が出来るんだろう、きっと。
濡れた瞳で瞬きをした僕に、虎徹さんが囁きかけた。
「ハッピーバースディ、バニーちゃん」
2012.10.31up.今年はサイトでバニ誕お祝い出来ましたー!
あやしい肉屋さんのバニ誕本に寄稿させて頂いた分に加筆訂正を致しました。
ハッピーバースデー、バニーちゃん!