【新刊サンプル】コッペリアの棺 Prologue

新年を迎えたシュテルンビルトはお祭り気分に満ちていて、虎徹は一際、その時期が好きだった。
正月は実家に帰って、娘や母親と久しぶりに穏やかな時間を過ごして。ほんの僅かな時間だった。
オリエンタルタウンへの里帰りも嫌いではないけれど、2部ヒーローとして復帰してからは余計、シュテルンビルトが好きになったような気がする。
虎徹がヒーローとして生きてきた街。これからも生きていく街。
沢山の思い出がここにはあり、そして未来も、シュテルンビルトの中にある。
虎徹は白い息を吐きながら、雪のちらつく黄昏時のゴールドステージを歩いていた。
バーナビーのマンションへ向かって。
ちょっと遅れたニューイヤーパーティをしませんか、と誘ってきたのはバーナビーの方からだった。
去年のクリスマス。
2部ヒーローとして復帰した虎徹を追うようにして、バーナビーがヒーローとして戻ってきたのだ。
一番最初に出会った時のように颯爽と現れ、屋根を突き抜けて墜落しそうになった虎徹を横抱きにして。
不敵に微笑むバーナビーは不安定だったそれまでと違って、どこか大人びた雰囲気を纏っていた。
けれど、虎徹は当然のように、バーナビーは1部ヒーローとして復帰すると思っていた。
周囲も同様だった。キング・オブ・ヒーローとなり、レジェンドの記録を更新したヒーローが2部にいるのは、バランス的にもおかしいだろうと。
しかし、バーナビーは頑として、2部ヒーローで虎徹とコンビを組み続ける事に拘った。
バーナビー復帰の翌日。
1部、2部ヒーロー達が全員揃って、わいわいとバーナビーを取り囲む中。トレーニングセンターに突然駆け込んできたアニエス・ジュベールは、バーナビーに怒鳴りつけんばかりの勢いで、食ってかかった。
「ちょっとバーナビー、どういうこと?! 今さら2部リーグ入りなんて認めないわよ!」
「え? え? ……ワイルド君と二人で1部に戻ってくるんじゃなかったのかい?」
状況を掴めていないらしいスカイハイが、バーナビーと虎徹の顔を交互に見る。
「僕は2部リーグで、タイガー&バーナビーコンビとして復帰したんです。それがアポロンメディアとの契約内容ですから」
バーナビーは何を今更、という表情で、全員の顔を見渡した。
虎徹はその態度にどういう表情をすればいいものか思い浮かばず、曖昧な笑みを浮かべてしまう。
それをファイヤーエンブレムがちらりと見て、含みのある顔をしたのは気のせいだろうか。からかうような、……どこか、気遣うような。
「あなたがタイガーに合わせる必要はないの、バーナビー。その能力で2部に留まるなんて認めないから。戻ってらっしゃい!」
しかし。オーバーアクションで喧嘩腰でバーナビーに1部ヒーロー復帰を命じるアニエスに、バーナビーは傲然と言い放ったのだ。
「第2クオーター終了時に、2部ヒーローとの入れ替えがあるんでしょう? 僕と虎徹さんは実力で、1部に戻りますから。……その方が番組的にも盛り上がるんじゃないんですか?」
アニエスは動きを止め、バーナビーの顔をじっと見つめた。最後の言葉が決め手になったのだろう。アニエスは溜息をつきながらも、バーナビーが2部ヒーローとして復帰することを認めた。
「ただし!」
勁い瞳でバーナビーと虎徹を睨みつけながら、アニエスは脅しつけるような声音で告げる。
「タイガーが足を引っ張るようだったら、バーナビー単独で1部復帰させるわよ。いいわね!」
アニエスの言葉に、昔の虎徹ならば食って掛かっていただろう、と思う。
しかし今は、アニエスの言葉に「へいへい」と返しながら、苦笑するしかない。
アニエスの言う通りなのだ。1分間しか能力発動が出来ない以上、1部復帰してもバーナビーの足を引っ張る可能性は高い。巧く頭脳プレイが出来れば問題ないのかもしれないけれど、冷静に立ち回れるようになるまでもう少し時間が欲しかった。
……いつの間にか、同じ力を持つ相棒に、寄り掛かっていたのは自分の方なのかもしれない。
だからこそ一人で復帰した。自分の力だけでどこまでやれるのか、試してみたかった。
そしてある程度、自分の喪われた能力との折り合いの付け方が見えてきた時に、バーナビーが戻って来た……。
しかし、バーナビーはうっすらと微笑む。
そして、アニエスに対して返したのは。
「僕は虎徹さんと一緒でなければ戻る気はありません。……これ以上虎徹さんを見くびらないで下さい」
バーナビーの口調は静かだけれども。
そこに含まれているのは激しい怒りだった。
そういえば、こいつは外見は柔和に見えても、案外気が短かかった。虎徹は改めてその事を思い出す。
しかしそれはバーナビー自身が経験してきた事への怒りであって、虎徹が何か言われた事に対しての怒りをここまではっきり出すなんて、あまりなかった気がする。
バーナビーも変わったのだろうか。虎徹が1年間のフリーの時間の中で、自分を見つめ直したように。
虎徹は黙ったまま、じっとバーナビーの顔を見つめた。バーナビーが生まれてからずっと、痛い、辛い経験を沢山してきたというその過程を虎徹は伝聞でしか知らない。出会った時、ただ復讐という目的だけがバーナビーを支えていた。
しかしこの1年で心に整理をつけて、様々な重い現実を乗り越えたのだろうか。
今のバーナビーは、出会った時に纏っていた表面上だけのクールさだけではなく、内面的にも冷静沈着な判断をしているように見えた。
「……わかったわ」
どれだけ反論してもバーナビーは譲らないと悟ったのだろう。アニエスは溜息混じりに、虎徹の顔をちらりと見ながら、バーナビーに妥協案を提示した。
「タイガーがある程度成績を上げられたら考えるわ。……そうね、2部リーグで上位2名に入ったら、そのまま二人で1部に戻って来てもいいわ。でも、覚えていてバーナビー。貴方はキング・オブ・ヒーローなの。貴方の行動如何では、過去のキングの名を汚す事になるのを忘れないで」
虎徹は意外に思って、アニエスの顔を見直す。視聴率至上主義の鉄の女だと思っていたのに、今の言葉の裏には、ヒーローシステムに対する愛着が感じられたから。
……ふーん。
虎徹は感心しつつ、全員に背を向けて遠ざかってゆくアニエスからバーナビーに視線を移す。バーナビーは何かを言いたげな顔をして、虎徹を見つめていた。
「……ん? なんだ、バニー」
バーナビーは不満気な顔をして虎徹に問う。
「どうして、何も言わないんですか」
「……アニエスの言う事にも一理あるだろ」
正直な感想を述べると、バーナビーは思いっきり不快そうな表情を浮かべた。
「バカにされてるとか、思わないんですか?」
虎徹はバーナビーを諌めるように、苦笑を浮かべて答えた。
「そりゃ思うさ。でも、無理言って2部に戻ってきたのは俺の方だしな。本当なら突っぱねても良かったんだ、俺の復帰を。まあ、ベンさんが口利いてくれたのも大きいんだけどな。あの人、いつの間にか出世してんだから。シュテルンビルト・ドリームってやつか。……それに復帰する時に、アニエスには散々言われてっからな。俺は道化者枠だから、それを忘れんな、ってな」
「……そんな」
バーナビーの瞳に、どこか悲しげな色が浮かぶ。
「いいんだよ、それで。誰かが俺を見て、笑って先に 進めるんなら、俺の役目は果たせたのと同じだかんな。必死な事は滑稽に見えるかもしんねぇけど、俺は笑顔を見せてもらえりゃ本望だ」
「……虎徹さん、ちょっと、前と雰囲気が違う……」
なんだかしゅんとした口調になってしまったバーナビーに、虎徹はとびきりの笑顔を見せた。
「それはお前もだろ。……いい顔してんな、バニー」
ばん、と背中を叩く。バーナビーは痛いです、と唇を尖らせながらも、どこか照れくさそうに笑った。
「これでコンビ復活、そして復活だ! 折角だから、皆でお祝いでもしないかい?」
スカイハイが嬉しそうに、全員に問いかける。
全員がそれぞれのやり方で同意した。
「はは、なんだよ、お前ら、クリスマスだってのに、一緒に過ごす人間はいねぇのかよ」
なんだかくすぐったくて、照れ隠しに虎徹は毒を吐く。
「それはお前に言うセリフだ虎徹。折角実家に帰ってのんびりしてたのに、ヒーロー復帰しやがって」
毒舌に毒舌で返してきたのはロックバイソンで。
2部になってから顔を合わせる事は減ったから、随分懐かしい雰囲気だな、と思う。
「パーティはいいけど、まだお酒の飲めないベイビーちゃん達がいるんだから、あまり遅くならないようにするわよぉ。そうねぇ、カジュアルな所にしましょうか」
ファイヤーエンブレムが仕切りつつ、席をキープすべく行きつけのレストランに電話をかけ始めた。
そんな中。
バーナビーがひっそりと虎徹の隣に近づいてきて。
「……年明けにでも、改めて、僕の部屋で復帰祝いでもしませんか」
と誘ってきたのだ。







以前と同じ、ゴールドステージの高級住宅街にあるマンション。
元々、両親の残した遺産で買い上げていたものだったから、バーナビーはそこを移動せずに済んだのだと言っていた。
エントランスでバーナビーの部屋を呼び出す。
『どうぞ』
ドアの鍵が外され、虎徹はバーナビーの部屋へ向かった。
「こんばんは」
部屋のドアのチャイムを鳴らすと、バーナビーがドアを開けて招いてくれる。
「よっ」
虎徹は酒とつまみがぎっしり詰まった袋を抱えたまま、バーナビーに笑顔を向けた。
久々に入ったバーナビーの部屋は相変わらずがらんとしていて、生活感がない。
しかし、部屋を見回すと虎徹がお気に入りのリクライニングチェアがもう一つ増えていて、カウンターテーブルの側に2つのチェアが向かい合わせに置かれていた。
誰かが来る事が期待されている部屋。
これだけでも、バーナビーの変化がわかるってもんだ。
虎徹はほんの少しだけニヤけた顔を引き締めて、そのチェアの一つに腰掛け、持って来た酒とつまみを広げる。
「あとでチャーハン作れるように、材料持ってきてっからなー」
袋に入れたチャーハンの材料を抱えて見せると、バーナビーは目を丸くしてぼそり、と呟いた。
「……え、僕、作りますよ」
「あ、そーいや、練習してるって言ってたなお前。んじゃ、一緒に作るか?」
「いいですよ。虎徹さんは見てて下さい」
バーナビーの唇の端に、柔らかな笑みが浮かぶ。そしてキッチンから持ってきていたワインとチーズをテーブルに並べて、虎徹の持ってきたつまみを皿に広げた。
その間にも交わされる、何気ない、穏やかな会話。
「虎徹さんは、オリエンタルタウンでどうしてたんですか?」
「あー、俺か。しばらくのんびりしてたら母ちゃんと楓に働けって言われて、仕方ねぇから兄貴の酒屋の配達を手伝ってたんだけど。結局ウゼぇ人扱いされるし楓は散々文句言うし。あいつ、『バーナビーと組んでないお父さんなんてタダのナマケモノよ!』なんて言いやがったんだぜ。ったく、どーしたらあんなに父親に言いたい放題出来んだか。傷ついたんだぜ、俺」
つまみを片手にちびちびと焼酎を飲みながら、虎徹はバーナビーにつらつらとこの1年の話をする。
穏やかだけれども、何も無い、空っぽな日々。最初は平和だったけれど、途中から苦痛で仕方がなかった。
ヒーローである事をやめた自分。まるで時が止まったようで。
『あなたはずっと、ヒーローでいて』と言い残した亡き妻・友恵は、不器用な虎徹がヒーローとしてしか生きていけない事を、よくわかっていたんじゃないだろうか。
「お前はどうしてた?」
バーナビーはグラスのロゼワインを飲み干して、ふう、と溜息をついた。ほんのりと顔が赤いけれど、実はかなり強いのも虎徹は知っている。
「僕ですか。一応シュテルンビルトにはいたんですけど、旅行に行ったり、自分の過去を辿ったり……これまでの人生の、整理をしていたかもしれないです」
この1年、バーナビーにあえて連絡をすることはしなかった。バーナビーからもたまのメール以外、連絡はなかった。
話せば、会えば、きっとヒーローへの未練が振りきれなくなる。ヒーローに復帰する前はそう思っていたし、復帰してからは、なんだかんだで甘えて寄り掛かってしまいそうな自分を抑えるために、バーナビーの存在をなるべく思い出さないようにしていた。
……そんなのは、無理な話なのに。
虎徹が迷いながらも沈黙を保っていた間、バーナビーはバーナビーで、色々と考えて、悩んで、苦しんで、 ヒーローに戻る、という結論を出したのだろう。
虎徹がヒーロー復帰した事がきっかけになったのかもしれない、とは思う。
自分に関わる者が次々と死んでゆき、そして自分の信じていた記憶がもしかしたら、全て紛い物だったかもしれない。
その恐怖がどんなものか、当然虎徹には想像がつかないものだ。
バーナビーはよく、ヒーローとして復帰する道が選べたな、と尊敬にも似た気持ちを虎徹は抱いた。
自分だったら。もしかしたら立ち直れなかったかもしれない。そう思う。
妻を亡くした時の喪失感すら、耐え切れなくなりそうだった虎徹には、その勁さはどこか眩しさを感じさせるもので。
しかし。
この時、気がつけば良かった。
バーナビーの、どこか奥歯にものが挟まったような物言いに。
とりとめのない話題で盛り上がり、気持良く酒を飲んで。気がつけば虎徹は酔いつぶれて寝てしまっていた。

――目を開くと、間接照明に照らされた黒い天井が見える。背中に、ふかふかとした感触。
ああ、ベッドの上に運んでくれたのか。
「……バニー、わりぃ」
部屋の隅、壁際にぼんやりと浮かぶ人影に、虎徹は話しかけてみた。
……しかし、返事はない。
「ん? バニー?」
寝ぼけていた目の焦点が少しずつ合う。間接照明の光量が限界まで絞られた寝室は暗く、周囲のものがよく見えない。
「……なんだバニー、そんな所につっ立って」
「僕はこっちですよ、虎徹さん」
足元から声がした。驚いてそちらに視線をやると、ベッドサイドに小さな椅子があって、バーナビーはそこに座っていた。
……じゃあ、壁際にいるのは、一体誰だ。
不意にバーナビーは立ち上がり、壁際のその影に近づいてゆく。
「……え」
闇に目が慣れてきて、少しずつ、その影の顔が見え始めた。
「コテツさん」
バーナビーが愛おしげに名前を呼んだ。
その影に向かって。
 暗がりに、うっすらと浮かぶその顔。
帽子は被っていない。けれど。
少し長めの髪。ベストとスキニーなパンツ。黒いネクタイ。
垂れ気味の、少し眠たげにも見える瞳。東洋系の顔立ち。
まるで遠目で鏡を見ているようだった。
どうみてもそれは、虎徹自身。
「……なあ、バニー。誰だ、それ」
間の抜けた質問だったかもしれない。
バーナビーは『それ』の頬にそっと手をやり、愛おしげに撫でている。
その口元に、うっすらと柔らかな笑みが浮かんでいるのがわかった。
これまで見たこともないような、安らいだ微笑。
『それ』は笑顔を形作っていた。虎徹がいつも見せるような笑みではなく、紛い物めいた張り付いたような笑顔にしか思えない。例えて言うなら、仮面のような。
「コテツさんです」
『それ』は直立不動のまま、バーナビーのなすがままになっていた。
「……何、言ってんだ」
虎徹の心にざわりとした、冷たいものが流れ落ちる。
「コテツさん」
バーナビーはもう一度名を呼ぶ。それは静かに腕を上げ、バーナビーの頭をそっと撫で始めた。
「どう……したんだ、バニー」
喉に大きな氷塊がつっかえたみたいに。虎徹はただ、バーナビーに問うことしか出来ない。現実離れした光景に、頭が理解する事を拒む。
「僕が眠れない時に……コテツさんが、寝かしつけてくれるんです。寂しい時には、黙って話を聞いてくれる」
「なに、馬鹿な」
否定しようとする虎徹の言葉を遮るようにして、バーナビーは続ける。
「ロトワングはあの時、H―01だけじゃなくて、ヒーローを形どったアンドロイドも一緒に作っていました。……僕の両親の日記が残されていたんです。……本当なら、医療用や幼児保育の補助用にアンドロイドを利用する事を考えていたそうです。両親は。それをロトワングが戦闘用に改造した。だから、このアンドロイドに罪はないんです。……コテツさんはこうやって、僕が眠れない時、側にいてくれた」
虎徹は呆然と、満足気な笑みを浮かべるバーナビーを見つめた。
『それ』はバーナビーの頭を撫でながら、バーナビーに優しく囁く。
「おやすみ、バーナビー」
甘やかすような低い声は、虎徹のものと全く同じだ。ロトワングはヒーローTVの映像を元に、戦闘用アンドロイドのプログラムを作成したという話だった。プログラムされた合成音声なのかもしれないが、本物の虎徹の声とそれは遜色がない。
「ロトワングの研究室にはヒーロー全員分のアンドロイドの試作品があったそうです。僕はその中から、虎徹さんの姿をしたものを譲り受けた。……勿論、斉藤さんが改造はしてくれてます。この『コテツさん』は戦闘能力を持っていない。ただ、僕を慰めてくれる……けど」
バーナビーが『それ』から離れて、ベッドに上半身を起こして呆然と見守る虎徹に近寄ってくる。
そしてベッドの端に座り、虎徹をじっと見つめた。
「けど。この『コテツさん』に慰められる度に、優しく寝かしつけられる度に、何か足りないものがあるってずっと思ってました。……虎徹さん」
名前を呼ぶバーナビーの声に、何処か甘やかな響きがあるのは気のせいだろうか。
「僕は、……あなたが欲しい」
「……っ」
虎徹はバーナビーに言うべき言葉を見失って、ただ凝視する。
「あなたが好きです。この『コテツさん』は僕を優しく慰めてくれる。……でも、残念ながら、僕にはダッチワイフと遊ぶ趣味はないんです。本物の虎徹さんを抱きたい、と言ったら……あなたは、どう答えますか?」
バーナビーは曇りのない真っ直ぐな瞳で、虎徹を見つめた。
……1年前、バーナビーから離れるべきじゃなかった。
苦い苦い悔恨が、嵐のように虎徹の心にどっと押し寄せる。
やはりあの時にバランスを崩したバーナビーの心は、拠り所を失ってしまったままなのだ。
このアンドロイドはバーナビーの両親が作ったものだという。しかし、ロトワングによって改造されたそれを、いくら斉藤さんが再改造したとはいえ、こんな風に側に置くなんて。
「……い、つから、これを側に置いてた?」
バーナビーは虎徹の瞳をじっと見つめて、答える。
「全ての捜索と、引退セレモニーが終わってからです。アンドロイドは2体ずつありました。その内の1体を、斉藤さんが裏から手をまわして、僕に譲ってくれた。……両親の形見だから、と言ったら、納得してくれました」
虎徹は耐え切れなくなって、バーナビーの視線を遮るように目を閉じた。
バーナビーの心の傷は生々しく血を流し続けたままだった。それに気がついていながら、見て見ぬふりをしてきたんじゃないか。後悔が次々に湧き上がる。
息が詰まりそうだった。心拍数が一気に上がり、気持ちの悪い汗が吹き出す。
……バーナビーの心がこんなに、バランスを喪っていたなんて。
――俺は友恵の時と、同じ事をしたんじゃないのか。
他のものに目をやったばかりに、喪われた大切なもの。
強烈な喪失感に、心臓が抉られそうだった。
「あなたを愛してます。虎徹さん。アンドロイドはまるで両親みたいに僕を慰めてくれるけれど、恋人にはなってくれない」
切実な響きを孕んだ声が、虎徹の耳に届く。
でも。
それは本当に、愛なのか、バニー。
虎徹は思わず、叫びだしそうになるのを必死で堪えた。
壊れかけた心を現実に繋ぎ留めるための防衛反応じゃないのか。
何かにしがみついて、自分の居場所を得て、自分の足で立つための通過儀礼のような。
言わば、実らない初恋のような感情じゃないのか。
「愛してます。……あなたが好きです、虎徹さん」
泣きそうな声で、バーナビーが虎徹に言葉を投げかける。
でも今ここで、バーナビーを拒絶したら。
危ういバランスを保っているバーナビーの心は、どうなるんだろう。
記憶を改竄され、自分の拠り所を喪った青年が、これから頭を上げて、前を向いて生きていくために。
――俺には一体、何が出来る?
虎徹は大きく息をすると、静かに、バーナビーの手を握った。少し体温の低いその手の甲を、ぎゅっと掴む。
「バニー」
どうして、恋愛感情としてバーナビーが意識したのか、正直まだわからない部分もある。もしかしたら、単純に、先輩に対して抱く憧れの感情が、もしかしたら巡り巡った結果恋愛感情なのだと受け取ってしまっているのかもしれないけれど。
そうであれば、バーナビーがこれを恋愛感情ではないと認識するその日まで。
バーナビーの望みを、この身体で受け容れるしかない。
心がバランスを取り戻す時まで。
冷静に、自分の気持ちを分析出来るようになるまで。
「虎徹、さん」
「……抱いて、いい」
「え」
目を丸くするバーナビーに、虎徹はぎこちない笑顔を浮かべてみせた。
「お前の、好きにしていいから」
それがバーナビーの望みならば。
――最後まで見守ると、あの時、決めたのだから。
「虎徹さん……」
どこか躊躇を見せるバーナビーの頬に、虎徹は自分から軽くキスをした。
「……ほら、さっさとしろ。気が変わっちまうかもしれねぇぞ」
吐息がかかる程近くにあるバーナビーの顔。
ああ、睫毛長かったな、という事を思い出す。
バーナビーに自分が忘れ去られた時の辛さを思えば。
抱かれるなんて、全然苦しい事じゃない。
……むしろ。
バーナビーはそろりと、虎徹の唇に自分のそれを寄せた。
最初は一瞬だけ。唇を離して、もう一度、今度は強く押し付けてくる。
「……お前、セックスしたこと、あんの?」
ちょっと不安に思ってバーナビーに問うてみると、バーナビーは不服そうな表情を浮かべて虎徹を睨みつけた。
「女の子とはそれなりにありますよ。ただ、同性とは経験がないですけど」
「……あーお前モテモテだもんな。野暮なこと聞きました」
バーナビーの手が、虎徹の頬に触れる。
さっきまでアンドロイドを撫でていた手。同じような動きで、頬を優しく撫でられた。ほんの少しだけ温かくなったその掌が頬のラインを辿る様は本当に愛おしげで、虎徹は思わず目を閉じる。
これは。
子供が小さい頃、毛布を抱いていないと安心できないような。
ぬいぐるみを握っていないと不安がってわんわん泣いてしまうような。
子供らしいもの全てを封印して生きてきた大人で子供な青年の、過渡期の感情だから。
虎徹は静かに目を開けて、じっとバーナビーを見つめた。
この目を逸らさない。バーナビーが心の傷を乗り越えるまで。優しく寝かしつける人形が必要なくなるまで。
ただ見守るしかない。……見守る。傍で。
「愛してます、虎徹さん」
囁きは甘く、優しく、虎徹の耳をくすぐった。
ネイサンがするように、冗談めかして語られる愛の言葉とは違う。バーナビーの言葉には、切実に誰かを求める響きがそこにはあって。
「……バニー。愛してる」
虎徹はバーナビーが求めるものを与えよう、と決めた。
きっとこれは恋情ではない。自分に言い聞かせながら。
この2年で虎徹がバーナビーに対して少しずつ積み上げてきた、ただ慈しむ感情を言葉にして、バーナビーに投げかける。
「虎徹さん……虎徹さん」
熱に浮かされたように、バーナビーは何度も名前を呼んだ。<続>

2012.1.13UP。1月8日に発行したコピー本のサンプルです。
ええと、実は本編に続くのですが、本編はサイト連載後本にする予定です。
多分原稿用紙200枚↑だと思うので、ちくちく続くと思いますがよろしくお願いいたします!