「なぁバニー、今日、お前んちに泊めさせてくれねぇか? ……俺おじさんだから、もぉ限界。電車待つのかったりぃ」
無言のまま二人並んでくぐったジャスティスタワーのエントランス前で、虎徹が相変わらずの口調でバーナビーに投げかけた一言が、バーナビーの動きを止めた。
「え?」
夜中だからいいや、とアイパッチもつけないままの虎徹の表情が、今日は深い疲労を伝えていた。
そしてバーナビーに請う虎徹の表情はしかし、口調とは裏腹にどこか苦いものを抱えている。
もっとも、それはバーナビーも同じことだ。……今日も、ルナティックを獲り逃がしてしまったのだから。
*
ジェイクとのセブンマッチから1ヶ月後。二人の傷は癒え、コンビとしての活動を再開することになった。
それと同時に、しばらく鳴りを潜めていたルナティックが突然現れたのだ。
満月が東の空に姿を現す時間。公判中だった連続殺人犯を乗せて、裁判所から拘置所へ送り返していた護送車が強襲された。
ジャスティスタワーから程近い場所だったため、偶々トレーニングセンターにいた虎徹とバーナビーが一番早く現場に駆け付けることになったのだ。
『タナトスの声を聞け!』
青と緑の混じり合った禍々しい炎が護送車を襲う。
グローブのような模様のついた仮面。どこか据わりの悪い、左右非対称の道化師めいた衣装。
迷いのない声は、本人が死刑執行者として確信的な信念を抱えてしまっていることを感じさせた。
護送車は運転手のテクニックで辛うじて炎をかわした。急転回にタイヤが耐えかねて大きな悲鳴を上げる。ゴムの焦げる匂いが辺りに漂った。
『おや、ヒーロー達のお出ましか』
ルナティックは挑発するように、二人に向かって炎の矢を立て続けに放つ。周囲の温度が跳ね上がる。
バーナビーのマスクのモニターが、炎の分析結果を表示する。しかしルナティックについて蓄積されたデータはあまりにも少ない。
本来なら指示を出すであろうアニエスからの通信も今はなく、二人は護送車を後ろに守るようにしながら、満月を背にしたルナティックに対峙する。
『君たちにとっても有害でしかない犯罪者がこの世界から消える事は、善い事だと思わないか? タイガー&バーナビー』
笑みを含む、歌いあげるような、芝居がかった台詞はとても現実のものとは思えない。
「うるせぇグローブ野郎!」
虎徹は挑発に対して罵倒で応じながらも、じり、とルナティックとの間合いを計っていた。バーナビーも同じように。
お互い、まだハンドレッドパワーの発動はしていない。
ハンドレッドパワー発動から終了まで5分。状況により二人でリレー式に発動するようになったのは、復帰してすぐの事だ。
どちらから相談を持ちかける訳でもなく。虎徹が長年の戦闘で培った経験と勘、バーナビーの分析と知略が融合した結果。
ましてルナティックは強い。NEXTとはいえ体力は人間のものだから無尽蔵に炎を出せる訳ではないだろうが、実力がわからない以上は慎重にならざるを得ない。
『大切な者を殺した相手に対する復讐心は消えたか? バーナビー・ブルックス・Jr.? 殺人犯には死刑をもって裁くのが、確かな正義だとは思わなかったか?』
それはバーナビーを揶揄するような口調だった。ジェイクのテロの際、バーナビーは自分の過去をシュテルンビルト市民に晒す事になった。
虎徹がはっとしたように、バーナビーを振り返る。
マスクの向こうの虎徹の表情が、バーナビーにはわかる。……きっと心配でたまらない、という顔をしているのだ。この人はそういう人だから。
腹の底からマグマのように湧き出ようとする怒りを呑み込みながら、バーナビーは努めて、冷静な声で答えた。
「少なくとも僕は、ジェイクが両親を殺したように、ジェイクを殺しはしなかった。……僕はヒーローだ。僕に与えられているのは犯罪者の逮捕権でしかない。
裁くのは司法の役目だから。殺人を肯定するお前が正義を語るのなら、まずお前が自分自身を裁くべきじゃないのか?」
ルナティックと同じ地平に立つ事は実は簡単なのだろう、とバーナビーは思う。
ジェイクの首を掴み持ち上げた時の感触が蘇る。ずしりとした重み、掌からプロテクター越しに伝わるジェイクの鼓動。首を締められて激しく脈打っていた。
NEXTと言っても、人間と強度は変わらないのだ。
バーナビーが少し力を入れてしまえば、おそらく簡単に頚骨は折れていたのだろうが。
バーナビーを静かに見守る琥珀色の瞳がそれを留めたのだ。
『やはり君たちとは相容れないようだな。……私は私の正義を全うしよう』
嘲笑含みの声と共に、再び炎の矢が襲ってきた。護送車にもいくつか当たったようだが、警察の他の車がようやく到着し、護送車は他の車に囲まれながら辛うじて現場を離れてゆく。
その時、アニエスからの通信が二人に入った。
『護送車の保護にはロックバイソン達があたるわ! もうすぐスカイハイとファイヤーエンブレムもそちらに向かう。あなたたちはルナティックを足止めして!』
「よしっ! ……やるぞバニー!」
「ええ」
虎徹のプロテクターが青白く光った。救援が来るのならば遠慮する必要はない。バーナビーも続けて、ハンドレッドパワーを発動させた。
「うおおおおおおおおおっ!」
100倍の身体能力を駆使し、二人はルナティックに向かって跳躍する。
血のように赤い光をまとった満月が、闘う3人を無慈悲に照らし出している。
*
ルナティックはハンドレッドパワー終了寸前、グッドラックモード発動で同時攻撃を仕掛けた二人をぎりぎりで躱し、遅れてやってきたスカイハイの空中からの追撃を振り切って、闇の向こうへと消え失せた。
護送中の殺人犯は軽い火傷を負っただけで、命に別状はなかった。明日も裁判は普通に開かれる、という。
事後処理が終わり、トレーニングセンターに集結したヒーロー8人の間には重い空気が漂っていた。それぞれぐったりと椅子に凭れ、思い出したように、少しずつお互いの情報交換をする。
気がついたらデジタル時計が23時を告げていた。
「……今日は解散するか。なんか、疲れたわ、俺」
ソファを背にして床に座り込んでいた虎徹が、冗談めかした口調で他のヒーロー達に提案した。
不意にバーナビーと目が合う。口元には笑みらしきものを浮かべてはいたが、虎徹の瞳の奥には、複雑な感情が秘められている、とバーナビーは悟る。
「そうですね、僕も、虎徹さんに賛成です」
バーナビーも追随して、他のヒーロー達の意見を仰ぐ。
「僕もそう思っていたところだよ、ワイルドくん。未成年の子達も心配だ。明日また、みんなで話し合おう」
こういう時にまとめ役になってくれるスカイハイが同調すると、他の5人もそれぞれのスタイルで賛同を示した。
虎徹は普段は電車で通勤している。かなり遅い時間まで走っているから、ブロンズステージの端の方に住むという虎徹の家には、帰ろうと思えば帰れるのだろう。
しかしバーナビーには、虎徹の疲れた様子が気にかかる。
「……大丈夫、ですか? まだ1ヶ月前のダメージが、体に残ってるんじゃ……」
虎徹は立ち止まったバーナビーに近寄り、ぐしゃぐしゃっ、と頭を撫でた。
シングルファーザーでもある虎徹の癖らしい。ジェイクとの闘いが終わってから、バーナビーはよく頭を撫で回されている。
虎徹にとっては親愛の情を表す手段らしい。時々抵抗してはみるのだが、最近は諦め気味だ。
「体は絶好調だって。心配性だなバニーちゃんは。……お前、本当に変わったな」
「……え?」
穏やかな笑みが虎徹の顔に浮かんでいる。目尻がすっと下がって、人の良さそうな柔らかな雰囲気を醸し出す。
「いや、あのグローブ野郎の挑発にも冷静だったしな。前だったら、キレて飛び掛ってたかもしれねぇけど」
「……確かに」
今のバニーには、苦笑して虎徹の言葉を受け容れるだけの心の余裕がある。
過去に纏わる一連の事件が一段落した、ということもあるのかもしれないが、決してそれだけではない。
バーナビーの目前の世界が拓けていくような感覚は、これまで生きてきて初めて経験するものだった。
信じてもよい、そして信頼を寄せてくれる存在が身近にある事が、どれだけ重く苦痛に満ちた心を軽くするのか。
そして、信頼のその先に見えてくる、バーナビーがこれまで考える余裕のなかった虎徹自身の事が。
普段はいい加減でも、実はかなり冷静に周囲を見て空気を読んでいる。
心から「正義のヒーロー」である事に誇りを持っていて、それ故なのか、自分の弱さは絶対に他人には見せようとしない。
……例え自分の体が重大なダメージを受けていたとしても、全力で他人の為に尽くそうとする。
だからこそ、虎徹に対して、時々危ういものを感じるのだ。放り出された刃がそのまま置かれているような。
人を助けたい、支えたい、という自意識で立ち、放っておけば暴走する虎徹を、時には誰かが無理矢理にでも止めなければならない。
その誰かに自分がなりたいと、今、切実に思う。
「食料品をあまり置いてませんから、途中で買い物しましょう。ベッドが一つしかないので申し訳ないんですが」
嬉しそうに虎徹が笑う。
「じゃ、酒と食いもんは俺が買うから。ベッドは……、ま、こないだみたいに寝られればいいしな」
自分の部屋に他の誰かがいて、一緒に食事をし、泊まってゆく。ずっと一人で生きてきたから、それは少し煩わしさもあるけれど、不思議と楽しい時間で。
不意に、バーナビーの心の中に落ちてくる、自分の虎徹に対する想い。
殆ど義務感のような衝動に駆られて、バーナビーはそれを口にした。
「虎徹さん」
「ん? なんだ?」
歩みを止めて、虎徹の琥珀色の瞳をじっと見つめる。そこに映るバーナビーの姿。
虎徹には、自分がどう見えているのだろう。……自分をどう思っているのだろう。
「……あなたが好きです」
一瞬の間を置いて、虎徹の瞳が見開かれる。驚きと、僅かな戸惑いに彩られた琥珀色が、吸い込まれそうに綺麗で。
「え」
バーナビーはもう一度、今度は少し強い口調で、告げた。虎徹に確かに伝わるように。そして、冗談に紛らせて逃げられないように。
「あなたが、好きです。……虎徹さん」
恋心を自覚する瞬間は、こんなに突然訪れるものなんだろうか。
他人との接触を避けてきたバーナビーには、それがよくわからない。
けれども、自分の中にある虎徹への想いを形にするとしたら、その言葉しか思い浮かばないのだ。
虎徹の唇が、苦笑の形に歪められる。けれども、瞳は何処か真摯な色を湛えていた。
「……どういうことか、わかって言ってるのか?」
「はい。……今伝えないと、と思ったので」
バーナビーは深く頷いてみせる。
ルナティックはきっとまた姿を現すだろう。ヒーローの存在とは全く相容れない存在だ。今後あらゆる形で対策を講じなければいけなくなる。
「もし何かあってからじゃ、遅いですから」
ジェイクとのセブンマッチの時に痛感した。実際に虎徹は酷い怪我を負って長期入院する事になったのだ。
一時はICUで治療を受けていたから、状況によってはどうなっていたかわからない。
そして自分も、もしかしたら、明日にでも命を落とすかもしれない。ならば。
やれやれ、という風情で虎徹は苦笑を浮かべたまま、一つ溜息をついた。
「……せっかちだな、お前。よく考えてみろ。俺はお前が言ってたように、そもそもいいトシのおっさんだ。シングルファーザーで、9歳になる娘がいる」
「ええ、知ってます」
「結婚指輪だって未だに外せない」
「ええ」
子供を諭すような虎徹の口調に、今度はバーナビーが苦笑する。あまりにも虎徹が予想通りの事を言うから。
「それにお前はまだ24になったばかりだろう。ランキング1位のスーパールーキーだ……」
「『……から、周りにかわいい女の子だって沢山いるだろう。一時の感情に流されずに、よく考えてみろ』」……って言いたいんでしょう?」
自分が言いかけたことを遮られて悔しいのか、虎徹が唇を尖らせた。
「お前が言うなよ」
「あなたの言いそうな事なんて、すぐにわかりますよ。……そうやって逃げるんですか?」
「逃げてるんじゃねぇ」
挑発するようなバーナビーの言葉に、虎徹の眉が上がる。明らかに不快そうな顔をするのに怯まず、バーナビーは言い募った。
「やっぱり、そんな風に冗談に紛らせて躱そうとするんですね。……僕はあなたの他に、自分がこんな気持ちになった人を知らない。それに、僕が自分の気持ちを告げる事と、それをあなたが受け容れることは別の問題ですから。あなたが受け容れようと容れまいと、僕の気持ちはそうだ、という事を、知っておいて欲しかったんです。……ただそれだけです」
虎徹はバーナビーの事を信じる、と言った。そしてバーナビーの信頼に応じて、ジェイクとのセブンマッチの時には重い怪我を押してスタジアムまでバーナビーを支援に来てくれた。
それが恋愛感情とイコールではないことは、色恋沙汰に疎いバーナビーでも理解出来る事だ。けれども、今ここで伝えておかないと、きっと自分は前に進めない。バーナビーの中の激しい衝動は、自分で抑えられる類のものではないのだ。
虎徹は無言だった。唇を一文字に引き結んで、じっとバーナビーを見ている。
真夜中を迎えようとするシュテルンメダイユ地区は珍しく人通りが少なく、エントランス前に立ち尽くす二人の他には周囲に誰もいない。
バーナビーは強引に虎徹の腕を掴み、自分のマンションがある方向へと引っ張った。
「……行きましょう。もうすぐ12時だ」
「……そんなに掴まなくても、逃げねぇから。途中のドラッグストアか何かに寄るんだろう? ……続きはまた、後からな」
何処か諦めを含んだような虎徹の表情が、バーナビーの心に重く沈む。
それでも。
何かを失っても、時には相手を傷つけるかもしれなくても、相手に伝えておかなければならないと切実に願う言葉が、心から外へ押し留めることも出来ずに溢れてくる場合がある。
バーナビーはそれを初めて知ったのだ。
*
しんと冷えた外から空調の効いたバーナビーの部屋に入った時には、すでに日付が変わっていた。
虎徹があの酒が欲しい、あのつまみが欲しい、とぐだぐだしている内に、かなりの時間が経ってしまったのだ。
以前ドラゴンキッドと泊まっていった時に座っていた椅子が余程気に入っていたのだろう、虎徹はいそいそと部屋の中央に置いてあるチェアに座り、買って来た物を漁りはじめた。
「疲れてる、と言ってた割には元気そうですね」
バーナビーが苦笑しながらテーブルを挟んで向かい側の椅子に座ると、虎徹はドラッグストアで売っていたバナナの房から一本ちぎって、皮を剥き始める。
ぱくり、と白い実を咥える姿はまるで子供のようだ。
「食わねぇと疲労も回復しねぇだろ。……お前もいる?」
「バナナはあんまり……」
「じゃあ俺が食うわ」
もぐもぐと咀嚼する虎徹を尻目に、バーナビーはグラスを2つ持ってきて、ストックしていたロゼワインのコルクを抜く。
「あ、それ、俺も飲む」
「あなたがワインですか?」
「なんだよその言い方。たまにはいいだろ。今日は飲みたい気分なんだよ」
虎徹はバナナをぺろりと平らげ、スモークチーズの袋を開けている。
薔薇色の液体が2つのグラスに満ちてゆく。ワインの注がれる音が、がらんとした静かな室内に響いた。
「どうぞ」
「サンキュー」
差し出したワイングラスを受け取ると、虎徹は一気にそれを空けてしまった。
「……なんか、これ軽くねぇか?」
「普段アルコール度数の高いものばっかり飲んでるから、そう感じるんじゃないですか? これ、そこそこ強いですよ」
「もう一杯くれ」
バーナビーは苦笑しながら虎徹のグラスにワインを注ぐ。虎徹はそれも呷ってしまって、やっぱり軽すぎる、とぶつぶつ言いながら焼酎を開けた。
独特の香りが辺りに漂う。
「氷、あるか?」
「ちょっと待っていて下さい。取ってきますから」
キッチンで新しいグラスに氷を入れて戻ってくると、虎徹は上着を脱いで上半身裸になっていた。
「……飲むと脱ぐ癖でもあるんですか?」
「いやぁ、何か、お前のマンション妙に落ち着くんだよな」
虎徹が受け取ったグラスに焼酎を勢い良く注ぐ。氷がカラカラと鳴った。
「……バーナビー」
焼酎には口をつけずに、虎徹が低い声で呼ばわる。バーナビーも自然と姿勢を正した。
「はい?」
「本気か、さっきの」
「……本気です。あなたが、好きです」
虎徹の目にいつもなら浮かんでいる冗談めかした雰囲気は全くない。バーナビーにとっては重苦しいくらいの、緊張感。
その目が、す、と眇められる。笑みの欠片もないその表情に、不思議な色香を感じるのは気のせいだろうか。
「……お前、誰かと本気で恋愛したり、親友作ったりしたこと、あるのか?」
「え?」
バーナビーにとっては意外な質問だった。
「卒無く人付き合いしてるように見えるけど、心の奥深くまで他人の中に踏み込んだ事、ねぇだろ」
耳に痛い言葉だった。バーナビーは黙り込む。……実際に虎徹の言う通りだから。
社会常識として必要な人付き合いはしてきたつもりだった。人当たりの良いヒーローとしてのキャラクターを演じる事にも慣れたと思っていた。
しかし、それは虎徹には通じなかったらしい。
「……『好き』だけで突っ走れる程俺は若くないし、『好き』だけじゃやってけない色んな事を考えるのも、今はめんどくせぇ。だから、恋愛するなら……他の奴にしとけ」
淀みのない口調で告げられたのは、はっきりとした拒絶の言葉だった。
けれども。
頭の隅で何かがこの状況を否定する。
虎徹のバーナビーに対する拒絶を受け入れられないというのではなく。
虎徹の言葉の裏に隠された何かを、感じるのだ。
バーナビーは殆ど衝動的に、強い口調で虎徹に問うた。
「わかりました。受け容れる、容れないはあなたの自由だ、とも、さっき僕は言いましたし。
でも、一つだけ聞かせて下さい。……あなたは僕の事を、どう思っているんですか?」
「……バーナビー」
何処か、戸惑いを含む声だった。それきり、虎徹は黙り込んでしまう。
バーナビーもやはり無言のまま自分の席を離れ、虎徹の座るチェアの傍らに立った。
「なんだよ」
ところどころうっすらとした傷の残る虎徹の腕を掴む。掌から伝わってくる、規則正しい脈動。
「痛ぇよ、バニーちゃん」
虎徹は顔をしかめて振り払おうとするが、バーナビーは手を離さなかった。
「虎徹さん」
ヒーローとしての名ではなく、本当の名前で呼びかける。最初にその名を呼んだ時、虎徹は驚いて目を丸くした後、嬉しそうな、そして照れくさそうな顔をした。
「あなたは僕よりずっと年上で大人で、人生経験も豊富だから、上手く隠せると思っているのかもしれませんけど」
「離してくれ、バニー。酒、飲ませろ」
もしかして、と思った事を、虎徹に突きつけてみたい。今それをしなければ、きっとこの人は狡賢く立ち回って逃げてしまう。
……逃がしたくない。
「あなたも、僕に惹かれているんじゃないんですか?」
「何を……」
バーナビーは反論の暇を与えなかった。
「これ以上距離が縮まってしまったら、今の関係が崩れて厄介な事になるかもしれない。それで、僕を突き放そうとしているんじゃないんですか?」
「……馬鹿言うな。大した自信だな、お前」
逃がさない。
「僕は、あなたの過去も未来も全て、愛したい」
「バーナビー、人の話を……」
きっとこの人には口では叶わない。だったら。
バーナビーは眼鏡を外してテーブルの上に放り投げると、虎徹の唇を、自らのそれで塞いだ。
「うん……っ?!」
これ以上の反論は許さないとでもいうように、深く口付ける。逃げる言葉を紡ぐことが出来ないように。
突き放そうと藻掻く両腕を自らの手で縛めて、舌を吸う。
狡さを全開にしてバーナビーの本気から逃げる、そんな余裕など与えたくない。
限界まで追い詰めたら、隠している本音を、引き摺り出すことが出来るかもしれない。
虎徹の頬が紅潮する様子が視界の隅に映った。琥珀色の瞳は苦しげに歪んでいる。
「虎徹さん……あなたが好きです。あなたは……どうなんですか」
首筋に沿って舌を這わせてみる。舌から伝わる脈動はさっきよりもずっと早くて、熱を帯びていた。
「あなたが好きです。……虎徹さん」
耳元で囁いた。耳朶に軽く歯を立てると、虎徹の体がビクリと跳ねる。
どうやったら、この人の鉄壁のガードを打ち破れるのだろうかとバーナビーは必死で。
「虎徹さん」
壊れたミュージックプレイヤーのように、何度も何度も名前を呼んだ。
「は……っ」
虎徹の噛み締めた唇から、何度も吐息に紛れて艷めいた声が漏れる。
熱い肌をそっと指で辿る。胸の突起を軽く摘むと、大きく体が跳ねた。
バーナビーは追い打ちをかけるように、その敏感な部分を強く吸い上げる。
「バニ……っ!」
そこを指で弄んだまま鎖骨を舌で辿り、所々強く吸い上げた。痕が残るように、わざと。
「あなたは僕を信じると言った……だから僕に、本当に気持ちを教えて下さい」
鍛えられ引き締まった虎徹の身体が、良い音を奏でる楽器のように、バーナビーの愛撫に敏感に反応する様が、愛おしい。
「……っ、嫌、だって……!」
虎徹は自分の両腕で顔を隠そうとする。その顔は紅潮し、愛撫の痕の残された裸の上半身から下に視線を移すと、その雄が僅かに兆しているのがわかった。
「……認めて下さい。たった一言で、いいんです」
柔らかな口調で、バーナビーは虎徹に乞い願う。
「お前、……俺の立場ってもんを考えろ……! 子持ちの、イイ年の、おっさんだろ……!」
それはもう殆ど、肯定したのと同じことだ。バーナビーは内心必死で、虎徹に語りかける。
「僕の前では……虎徹さんはただ、僕の好きな人だ。それ以外の、何者でもないんです」
虎徹が息を飲む。
一瞬部屋に静寂が落ちた。バーナビーは愛撫を止めて、両腕で顔の上半分を隠してしまった虎徹をじっと見つめた。
空気が張り詰める。
「……わかったよ。言えばいいんだろ、言えば。……惹かれてるよ! ……これでいいのか?」
両腕で隠しきれない頬は、熟れたイチゴのように真っ赤に染まっていた。
「……変なところで意地っ張りなんですね、虎徹さんは」
「うわっ?!」
顔を隠したままの虎徹を横抱きにして、バーナビーは有無をいわさずベッドへと運んだ。
そろりと横たえて、虎徹のズボンと下着を一気に脱がしてしまう。
「……ってバニーちゃん、どうすんの、これから」
虎徹はベッドのシーツを引っ張って剥き出しの身体を隠そうと藻掻いた。
「どうするって……何を今更」
「お前、男としたことあんのかよ?!」
「いや、ないですけど、女性との経験はありますし、とりあえず知識は入っていますから」
バーナビーが大真面目な顔で答えると、虎徹は何故か驚愕を隠しきれないような表情を見せた。
「俺、お前は童貞だと思ってた……」
苦笑しつつ、バーナビーも自らの服を脱いでいく。
「ナチュラルに失礼ですよね、虎徹さん。……今日は初めてだから、いきなり挿入したりはしませんよ。僕もジェルとか準備出来てる訳じゃないし。少しずつ、馴らしていきましょうか」
バーナビーの言葉に、虎徹の表情が固まった。
「どうしました?」
「いや、俺、挿れられる側なのな……」
虎徹が眉根を寄せて、あんまり情けない表情を見せたので、バーナビーは思わず吹き出した。
「だから、今日は無理はしませんから。……あなたに比べたら、そんなに経験は多くないと思いますし、ね」
*
「バニ……も、やめろ……!」
バーナビーは仰向けになった虎徹の両足を肩に担ぎ上げ、その張り詰めた性器を強く吸い上げていた。
執拗な愛撫に虎徹は何度も達していた。放たれた白濁の助けを借りてバーナビーが後孔にそろりと指を入れると、最初、虎徹は不快そうに身じろいだ。
「く、ぅ……っ!」
「少しずつ覚えて下さいね、虎徹さん」
時々性器に愛撫を加えながら、いずれバーナビーを受け容れるであろう場所に指を馴染ませてゆく。
少しずつ奥へ、そろそろと侵入させる。虎徹の息が上がり、肌がさぁっと赤く色づいた。
「いやだ、くるし……っ」
荒くなった吐息が、紅潮して涙を滲ませた顔が、バーナビーの愛撫に反応してびくり、と跳ねる身体が、バーナビーを誘惑する。
出来る事なら、そのまま虎徹を貫いて、勢いに任せて最奥まで責め苛みたかった。
けれども、苦痛の表情の中に、少しずつそうでない感覚が湧き上がる様子をじっと見ているのは、とても魅力的で。
「は……っ」
指を浅く抜き差しすると、虎徹の腰がそれに合わせて蠢き始める。ある一点に触れた時、大きく身体が跳ねた。
「な……んだ、今、の……」
「……そこ、感じるみたいですね」
「馬鹿……いうな……っ」
ここまで来ておいて羞じらいを見せるところが堪らなくバーナビーの征服欲を煽る。
「でも……僕ももう限界みたいです。ちょっと、いいですか?」
馴染ませていた指をするりと抜いて、お互いの性器が触れるような体勢を取る。本当の交わりのように覆いかぶさって、そろりと虎徹に体重をかけた。
「本当はこんな風に、あなたの中で動きたいんですけど……虎徹さん、早く慣れて下さいね」
自らの放ったものでどろどろになった虎徹の性器と、限界まで張り詰めたバーナビーの性器が交わって、目眩がするほど淫らな音を立てる。バーナビーはそっと、虎徹の指に自らの指を絡めた。
「バニー、お前、なんで、こんな事、知ってんだ……!」
「色々調べたので……、っ」
少しずつ速度を上げて、虎徹のものにバーナビーのものを擦りつけると、虎徹は殆ど悲鳴のような声を上げた。
互いの汗が混じり合って、シーツに吸い取られてゆく。激しく揺れる肢体が、シーツを強く握る腕が愛しくて、バーナビーは揺さぶりながら何度も撫で上げた。
その度に虎徹がバーナビーの名を呼ぶ。苦しげな吐息に掠れる声がますますバーナビーを煽ることもわからずに。
「バー……ナビーっ、も、……う……!」
絡められた虎徹の手が、強くバーナビーの手を握る。熱くて、溶けてしまいそうだ。
「こてつ、さん……!」
互いの動きが止まり、吐き出された熱い白濁がとろりと落ちた。密着した身体を互いの白濁が濡らす感覚が堪らなく快くて、バーナビーは深い溜息をつく。
虎徹は半ば意識が飛んでいるのだろう。辛うじてバーナビーの方に視線を寄越し、蕩けるような笑顔を浮かべた。
……この人はどこまで、自分の表情や仕草が、途轍もない威力で人の心を奪っていくことを知っているのだろう。
いや、きっと無自覚だ。……だから怖い。どうしようもなく、心惹かれる自分がいる。
「おやすみなさい、虎徹さん」
虎徹さんが気絶したら身体を拭いてあげないと。そう思って、バーナビーは快楽と疲労の深く刻まれた身体を奮い立たせ、バスルームへ向かった。
*
アニエスから緊急のコールが入ったのは、朝7時過ぎ。
バーナビーは既に目を覚まして、淹れたてのコーヒーをベッドルームへ運んできたところだった。
虎徹はまだ眠っているので、バーナビーがとりあえず回線を繋ぐ。
「おはようございます」
ひとまず挨拶をするが、画面に映るアニエス・ジュベールの顔は険しかった。
「バーナビー、事件よ、聞いて」
只ならぬ様子だ。バーナビーは眉を顰め、アニエスに問う。
「……どうしました?」
「昨日襲撃された連続殺人犯が殺されたわ。犯人は逃走中」
バーナビーは絶句する。もしかしてルナティックが。
気がつくと、虎徹が目を覚ましていた。慌てた様子でアニエスに問うた。
……ベッドの上で全裸の虎徹の姿は、多分PDAには映らないな、と益体もないことをバーナビーは考える。
「どういうことだ?!」
「……タイガーもそこにいたの? ちょうどいいわ。一緒にジャスティスタワーに来て」
アニエスの声は苦々しげで、今にも舌打ちしそうな勢いだった。
「で、犯人は?!」
「……被害者の家族よ。サイコキネシス系のNEXT。殺害後、逃走したわ」
今度は虎徹が絶句する番だった。
「詳しいことは全員集まってから話すわ。早くこちらに来て」
これが長い長い1日の始まりを告げる合図だった。
続く
2011年7月12日アップ。ごめんなさい続きます……! 最初はミルクとバナナの短編のハズだったんですが、
ルナ先生が出てきた時点でどんどんおかしな方向に! 一体なにがあったんだ。
結構長くなるかもしれませんが、最後はラブで終わる予定ですので!
よろしくお付き合い下さいませ。