ミッシングリンク(2)




チャイムを押すと足音がして、程なく虎徹さんが出てきた。ラフな開襟シャツにジーンズの組み合わせは、虎徹さんにしては珍しい格好だ。包帯は湿布に変わっていたけれど、相変わらず首の後ろや手首にべったりと貼り付いていた。
「お、サンキュー! 自分で作るのがめんどくさくてさ」
 玄関があって、バスルームがあって、そこに洗濯機があって。奥にはリビングとソファ。今時珍しいレコードプレイヤー。テレビと、ロフトに続く階段。
 インテリアは、当時とあんまり変わっていない。家電がちょこちょこと入れ替わっているのと、当時は見ることが出来なかった写真立ての写真が、見られるようになっている事と。そこが大きく違っていた。
 虎徹さんの、奥さんの、楓ちゃんの、ヒーローの皆の、そして僕の写真。あれから7年近く経った。虎徹さんの心境の変化が、並んだ写真に現れているような気がして。
 思わず微笑んだ僕を見て、虎徹さんが怪訝そうな顔をした。
「なにニヤニヤしてんだ?」
「……いえ」
 頭を振りながら、もう一度写真をじっと眺めた。……写真立ての後ろに、ちらりと覗く灰色の布がある。ハンカチにしては随分と小さい。
 ……眼鏡拭き。
 虎徹さんは眼鏡なんてかけてない。
それに、あのグレーの眼鏡拭きは、僕がいつも眼鏡をオーダーするショップがサービスでくれるのと同じもの。
 ……ああ、やっぱり。
 全ての記憶が、一つに繋がる。
買ってきたものをテーブルに並べると、虎徹さんは少しだけ冷めたホットドッグを選んだ。僕は保冷材をつけていたサンドイッチを手に取る。虎徹さんは口を大きく開けて、それにかぶりついた。
「はー、うめぇ。この、ちょっと冷えてチーズが固まった感じがいいんだよな」
「そうなんですか?」
「ああ。トップマグに所属してた頃、ベンさんが良く差し入れしてくれてたんだよ。そういや、俺が指名手配犯扱いされた時も、ベンさんがホットドッグくれたんだよな。ホント、俺、あの人にだけは、頭が上がらねぇわ」
「……」
 ホットドッグをアイスコーヒーで流し込む様子を見ながら、僕は黙り込んだ。
 追われていた時の事をこんな風にさらりと話が出来るという事は、虎徹さんの中では整理がついているのかもしれないけれど、今の僕にとっては、まるで小さなハリでちくちくと刺されているようで。
「どうした? サンドイッチ、ぬるくなっちまうぞ、バニー」
「あ、ええ」
慌ててかじった卵サンドは少し塩気が強い。ついでにポテトをつまむと、そちらは塩気が薄かった。この店に程々という概念はないみたいだ。もしかしたら、合わせたら丁度いい、くらいを狙っているのかもしれないけど。
「ところで、ずっとヒーローTV見てたけど、なんか、えっらく事件多くないか?」
「……そうなんです。これまでも、確かに中継が多いな、とは思っていたんですけど、この1週間、1部リーグに参加してみたら殆ど休みが取れない状態で。治安が悪くなっているんでしょうか」
「そうかもしんねぇな。忙しいからって、無理すんなよ」
「ありがとうございます」
虎徹さんは優しい笑顔を浮かべて、僕をじっと見る。
でも、それに続くのは、僕にとっては衝撃的な言葉だった。
「ああ、でもな……世の中がこんな状態だし……もし1部に残れって話が出たら、お前はそのままいろ」
 一瞬、意味が飲み込めなかった。理解した瞬間、腹の中がかっと熱くなる。
ヒーローとして戻ってきた後、散々僕がアニエスさんやスポンサーや色々な人達と衝突しながら、今の立場にあるのを見てきた筈なのに、それを知ってて、言うのか!
「嫌です!」
即答する僕を見て、虎徹さんは顔をしかめた。
「あのな、バニー。俺は思いつきで言ってる訳じゃねぇ。アニエスに色々文句つけられた訳でもねぇぞ。ずっとテレビ見てたんだ。正直、ここんとこのシュテルンビルトの治安の悪さは異常だ。ヒーローTVも中継が続いて、眠る暇がねぇ位だった。……だから、お前は、その能力を2部で無駄使いすんな」
僕を見据える目は真剣だった。
……だからと言って、ここで折れる訳にはいかない。
「軽微な犯罪は大きな犯罪への入口です。2部の仕事にはちゃんとした意義がある」
「だっ、どうしてそう屁理屈を……。普通のヒーローなら、別にそれでもいいと思うぞ。俺だってそう思って2部でやってんだからな。でもなバーナビー、お前はキング・オブ・ヒーローだ」
 虎徹さんが僕の名を呼ぶ。……それだけ真面目に考えているんだ。でも、聞けない。
「確かにそうです。でも過去の話だ。今年のランキングはスカイハイさんが1位で、彼はまさしくキング・オブ・ヒーローと呼ばれるのにふさわしい人格を兼ね備えてる。でも僕は一度引退した身です」
「一度引退して外の世界を見てきたから、出来る事があるだろう? ……一体何に拘ってんだ、お前は」  鋭い刃のような問いだった。
 拘っている? ……何に?

 ……それは。

「わかりませんか? 貴方とコンビを組むのでなければ、意味がない」
「……なんでだよ」
 虎徹さんの声には、困惑の色が濃い。
「同じ能力を持っているからです。限られた時間で100パワーを発動するのがどういう事か、お互いにしかわからない。だから、補い合う事が出来る」
僕が力を込めて断言した瞬間。
虎徹さんは琥珀色の瞳を閉じて、深く溜息をついた。ホットドッグをテーブルに置いて、抑えた声で、僕に告げる。
「お前の発動時間は5分、俺は1分だ。この4分の差が決定的な差になるってのは、こないだ実感したろ?」
「……っ」
 1分間。
 跳ね飛ばされた虎徹さんはその瞬間能力を発動してガードし、それから、ワイルドシュートを放って。
「俺が自分の身を守って、犯人拘束するだけで、いっぱいいっぱいだったのは、お前が一番わかっただろ。
でも、お前はそうじゃない。あと4分あれば、色々な事が出来る。だからバニー、お前は1部で、もっと経験を積むべきだと思う。ぬるま湯に、浸かるな」
 今、きっと僕は、置いて行かれた犬みたいな情けない顔をしているだろう。でも、虎徹さんの思うようにはしたくない。……僕自身のために。
「じゃあ、貴方は、能力発動している1分間だけヒーローで、あとの59分は違うというんですか? そうじゃないでしょう? ヒーロースーツを着ていない時だって、楓ちゃんと一緒にいる時だって、貴方はヒーローのはずだ。僕はそれを貴方から教わった。……だから」
 琥珀色の瞳が揺れた。虎徹さんは僕の言葉に動揺したみたいだ。……ここで引く訳にはいかない。
「だから、虎徹さん。僕は貴方の傍にいるからこそ、学べる事の方を選びます」
「……バニー」
虎徹さんは黙ったままもう一度ホットドッグを持って、ぺろりと食べ上げた。
僕も、一旦言葉を切ってサンドイッチを食べる。あまり食欲はないけれど、何とか、しょっぱい卵サンドをコーヒーで飲み込んだ。
虎徹さんは氷が溶けてぬるくなったコーヒーを飲み干して、改めて口を開く。
「お前がそんなだからこそ……俺は、しばらく別々に活動した方がいいと思う」
「虎徹さん!」
「確かに復帰はした。でもな。……またどこかで、俺は引退を決めなきゃいけない日は来るんだ。多分、お前よりずっと早く。俺はズルいから、今後の身の振り方も考えながら、日々ヒーローやってんだよ」
虎徹さんは笑顔を浮かべている。でもそれはまるで泣いているようで、僕は黙ったまま唇を噛んだ。
「その時に、お前が一人でやっていけるような準備をしとくんだ。俺が教えられる事は全部教える。でも、経験は、お前自身が積んでくもんだからな」
……この人には到底敵わないと思うのはこういう時だ。経験から来るもの。咄嗟の判断力。だからこそ相棒としてやっていきたいと思っているのに。
「僕は貴方の相棒です。コンビとして、やっていきたいと思うのは、いけない事なんですか?」
 虎徹さんは頭を振って、僕を諭すように、ゆっくりと告げた。穏やかな、迷いのない口調が、それが勢いで出たものではない事を、残酷なくらいに僕に知らせる。
「……そりゃな、俺は嬉しい。お前が戻ってきてくれて、またコンビとしてやっていけて。でも、でもな。……俺の都合で、お前の足を引っ張りたくはねぇから。そこだけは、わかってくれ」
 それに、と虎徹さんは溜息混じりに言う。
「お前の言う相棒ってのは、一体どういう存在だ?」
「……っ、それは」
 ヒーローとして一緒に行動して、足りない部分は補完し合える、そしてコンビネーションで二人の力を最大限に引き出せる、そんな、存在。
 概念としては、そう、思っていた。でも今の僕は言葉に詰まるしかない。
――あの事が、夢でないとわかってしまったから。
「このままじゃ、俺はお前に寄りかかるばっかりだ。……だから、俺は俺で、2部リーグで模索しなきゃいけない。1分間だけ能力を発動出来るヒーローとして、どうやってくか。俺にもまだわかってない部分は沢山ある。でも……その上で、また、お前が俺を必要だって言ってくれるなら。……その時改めて、コンビを組めばいいと思うから」
 多分、虎徹さんはずっと考えていたんだろう。
 だからこそ、最初は一人でヒーロー復帰したのかもしれない。
 僕は黙って虎徹さんを見つめた。
 虎徹さんは、笑う。まるで何もかも乗り越えたみたいな顔をして。
――貴方は、狡い。
「俺はお前以外とコンビを組もうとは思わねぇ。だけど、今度の事でちょっと考えた。このまま2部に残ったとしても、多分重大なミッションが増えてくると思う。その時にどうすればいいかっていう問題もあるし、他の2部ヒーローはまだまだ頼りねぇし。お前は優秀過ぎて、あいつらの手本にはならないからな」
 ……だから。僕は改めて虎徹さんに言葉を投げかけた。
 例えそれが、僕と虎徹さんの関係のバランスを、叩き壊すものだったとしても。
「……わかりました。アニエスさんは2週間で僕が2部に戻っていいと言うかもしれませんし、その辺りは流れに任せてみないとわかりません。……その代わり、じゃないんですけど、一つ、質問をしていいですか?」
「ああ。なんだ?」
「虎徹さん、以前、僕と会った事がありませんか?」
 虎徹さんは不思議そうな顔をして頭(かぶり)を振る。
「またそれか? どうした? 会った事ねぇって……」
 本当に覚えていないんだろうか。確かにあの時の虎徹さんは酷く酔っていたから。目が覚めたら忘れていたのかもしれないけれど。
「僕がまだ20歳になる前だったかもしれない。僕もまだはっきりとはしていないんですが。……貴方は2年前に、奥さんを亡くしたって言ってた。酷く酔ってゴミ捨て場に倒れていた貴方を抱え上げて、僕も汚れてしまったからシャワーを借りて服を洗ってもらって。……その時に」
 虎徹さんから目を離さずに、一気に告げる。僕は自分のマンションを出て虎徹さんのアパートに着くまで、断片的に浮かんでくる記憶の欠片を繋ぎ合わせる作業をしていた。
「間違っていたら指摘して下さい。……思い出したのは昨日の事なので、細部は違っているかもしれない。僕は幸か不幸か、基礎的な記憶力には自信があるんです。……マーベリックにはそれを逆手に取られた形になりましたけど」
 虎徹さんの顔には表情がなかった。ただじっと僕を見つめている。
「僕はシャワーを浴びて、貴方が出してくれたロゼワインを飲んでいた。あんなに美味しいロゼを飲んだのは初めてで、それ以来、僕はワインと云えばロゼを選ぶようになりました。……これも、今になって思い出した事です」
「……」
 虎徹さんは無言で、顎に手をやり、療養中でもきちんと整えられた髭を弄んでいる。
「貴方はここに着いた時にはもう酔っ払ってて、その上、ここでも飲んでたから、ついに起き上がれなくなって」
 僕は落ち着く為に、少しだけ残っていたコーヒーを飲み干した。緊張で喉が乾く。
 この一言を告げたらきっと、僕と虎徹さんはもう、ただの相棒ではいられなくなる。……少なくとも、僕は。
「喉が乾いた、っていう貴方に水を渡したけれど、貴方はうまく飲めなくて。……だから、僕は貴方に口移しで水を飲ませた」
 虎徹さんが、目を大きく見開く。
「一度だけじゃなかった。何度も僕は口移しで水を飲ませて、それから」
「バニー」
 それ以上言って欲しくない。虎徹さんが僕を呼ぶ声には、そんな響きが隠れているみたいで。
 でも僕は言わずにはいられない。

今、伝えないと。
僕は思い出したんだと。
 喪われていた僕が、今の僕にリンクしたのだと。

「僕はそれが凄く心地よくて、初めてのキスに夢中になった。でも、洗濯が終わってしまったから、僕は着替えて……それきり、貴方の事を忘れた。多分、忘れさせられた。定期的に、僕の記憶はチェックされていたみたいなので」
「……チェックされていた?」
 虎徹さんが顔をしかめる。
「以前虎徹さんが入った事のあるカプセル、あれ、マーベリックの家に行った時に、必ず入っていたんです。多分その時にチェックされて、僕が彼のコントロール出来ない人間関係とか、協力者を作らないように、定期的に記憶のチェックと操作が行われていたんだと思います。両親が殺された記憶の植え付けも、定期的にしないと整合性がつかなくなるから」
 これはヒーローに復帰した後、斉藤さんから聞いた話でもある。斉藤さんはカプセルの設計に携わっていたから、マーベリックの事件の後、もしかしたら、という事で僕に話してくれた事だ。僕もそれは、おそらく間違いないだろうと思っている。
「……全部、掌の上、か。お前の人生を、何だと思ってんだ……!」
 眉間に皺を寄せて、虎徹さんが吐き捨てた。
 僕の事を本気で心配して、怒ってくれる。虎徹さんはそういう人だ。だから。
「僕もまだ、沢山整理しなきゃいけない事があるんだと思います。もしかしたら、こんな風に忘れていた出会いや事件があるかもしれない。その中から、両親やサマンサおばさんについての新しい記憶を思い出すかもしれない。……でも僕は」
 どう続ければいいかわからなくなって、言いよどむ。
「どうした? ……思い出して、後悔でもしたか?」
 そう言った瞬間の虎徹さんの顔が余りにも寂しそうで。

ぱちん、と何かが弾ける音がする。
僕の中の。
――虎徹さんへのこの感情に、名前をつけるなら。

「いいえ。後悔なんてしてません。……ただ、貴方が知らないと言った事が、ちょっとだけ悲しかった。虎徹さんは覚えてましたか?」
 虎徹さんは少しだけ気まずそうに目を逸らして。小さく頷いた。
「……ああ」
「どうして……ごまかしたんですか? 僕に言ってくれなかったんですか?」
 ふう、と息をついて。虎徹さんは答えをくれた。
「お前が誰か思い出していない以上、それは言うことじゃないと思ったから。……お互い酔っ払ってたし、俺だって忘れてた。お前の記事を読むまで、な。でも、お前が思い出した以上、やっぱり一旦、俺とお前は1部と2部で距離を置いときたい」
「仕事とプライベートに距離を置きたいからですか?」
「……だな」
 僕はものわかりがいい振りをして、頷く。……狡いのは僕も、同じなのかもしれないけどと思いながら。
 虎徹さんはほっとしたような顔をして、笑った。
 ずっと虎徹さんとコンビを組んでいて、プライベートの話も少しずつするようになって。そして今回、思い出した記憶がはっきりしてきて、改めてわかったことがある。
 この人の中には、自分に親しい誰かを失う事への恐怖が深く根付いている。
 そして、僕は虎徹さんの事を忘れた。それは1度だけじゃなくて。
 それは虎徹さんの存在の否定。
 僕が虎徹さんを敵として認識し、対峙したあの時。身体はボロボロ、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。いつも身だしなみに気を使って、格好つけて、普段は熱さを見せたがらない人なのに。
悲痛な、苦し気な声で、まるで縋るみたいに、絞り出すように吐露した、虎徹さんの心の奥底。
そうさせてしまったのは僕だ。
 だから。
 貴方が望むなら、何事もなかった振りをするなんて簡単だ。僕が貴方につけた沢山の傷に比べたら、ちっとも痛くなんてない。
 ……貴方を狡いと責められれば楽だけど、その資格は僕にはなくて。
 そして、僕の中に、もしかしたら最初に出会った時から生まれていたかもしれない感情に、出口を求める事も。だから僕は、敢えて感情を押し殺して、事務的に虎徹さんに告げた。

「アニエスさんに相談してみます。とりあえず、今シーズンが終わるまで1部に仮に所属する事が出来るのかどうか。独断ではどうしようもないでしょうし」
「アニエスには後で俺から連絡するわ。どっちにしろ、復帰のタイミングの相談もしなきゃいけねぇしな。ロイズさんやベンさんにも会わなきゃいけねぇ。そろそろ動けるようにはなってきたからな。明後日くらいから、トレーニングセンターにも行けると思うから。とりあえず、ざっくり流れが決まったら、またお前にも連絡するから」
 虎徹さんはほっとした表情で、ソファの背もたれに身体を預ける。
「……ちょっと、筋肉落ちてっからな。戻しとかねぇと」
 独り言みたいにぼそりと言って。
 僕は虎徹さんの斜向かいにあるソファに座っていた。膝と膝が触れ合うくらいの所に座っているのに、虎徹さんの存在が、酷く、遠い。
「虎徹さん」
「ん?」
 せめてどこか一箇所でも触れていたくて。側にいる実感が欲しくて。僕は手を伸ばし、虎徹さんの膝に手を置いた。
「……冷てぇな、お前の手」
 じんわりと虎徹さんの体温が伝わってくる。
 温かい。虎徹さんの心が暖かいのと同じように。
「早く、戻ってきて下さい」
 伝えたい事は沢山あったのに、僕は何も言えなくなってしまって、ただ温もりだけをもらっている。
温もりの助けを借りて、一番吐き出したかった想いに、必死で蓋をした。
 
 ――僕は、貴方が。

抱えていた感情を形に出来たら。
そして、その一言を伝えられたら。
僕はどれだけ楽になるだろう。……でもそれは、僕が表に出してははならない言葉だ。
虎徹さんの存在を、2度も自分の心から消してしまった僕には。

 不意に、虎徹さんの掌が、僕の掌の上に重ねられた。
「サンキュー、バニー」
どれだけ残酷な温かさだろう。虎徹さんの優しさが、今は胸に突き刺さる。僕は頭(かぶり)を振りながら、少しだけ唇を噛んだ。





 1部リーグは相変わらず忙しい。僕は虎徹さんに会った翌日から、ヒーローとしての仕事でバタバタしている。
虎徹さんは僕に言った通り、アパートに行った翌日にはアニエスさんやアポロンメディアのヒーロー事業部に調整を申し入れ、僕はとりあえず1部リーグに今季が終わるまでレンタルという形で移籍する事になった。
 虎徹さんは2部リーグのまま。
けれど、何か大きな事件があった場合は虎徹さんが1部リーグに、必要な場合は僕が2部に合流して、コンビとしての活動自体は継続して行う事を条件に。
 虎徹さんは今季が終わるまでお互い単独で行動する事を主張したそうだ。けれど、僕等はベン・ジャクソンCEOに呼び出され、何故か説教を受ける羽目になった。
「お前達、アポロンメディアは基本的に、同じ能力を持った二人のヒーローコンビでヒーローを売ってるってのを、本当にわかってんのか?」
 衝撃のシュテルンビルト・ドリームを体現した、虎徹さんの元上司で現雇用主は、じろりと虎徹さんを睨みつける。
「どうせお前が余計な事を言ったんだろう、虎徹!」
「だっ! ……俺は余計な事なんて」
「図星だろう。言っとくが、来季も単独で、とか抜かしたら、クビになるのはお前だぞ虎徹。いいな?」
「ひでぇなあベンさん……!」
「社長と呼べ社長と! 俺はお前の雇い主なんだからな。バーナビーも、いいな? こいつの気紛れに振り回されんなよ? もしかしたら偉そうな事をお前に言ったかもしんねぇが、こいつは基本、思いつきでしかものを言わねぇ奴だからな」
「は、はい」
 
ヒーロー事業部へ向かう通路。虎徹さんは首の後ろに1枚だけ残った湿布をさすりながら溜息をついた。
「ベンさんには敵わねぇや」
「流石、ずっと貴方の上司をやっているだけの事はありますね」
「んだよ、その言い方」
「貴方のコントロールの仕方を良くわかってるじゃないですか」
「っだ!」
 からかうようにそう言うと、虎徹さんは思いっきり顔をしかめた。
 表面上は前と変わらない。僕と虎徹さんは円満な関係を築いている……ように見える。
 僕の移籍の話を聞いた他のヒーロー達は、僕と虎徹さんが大喧嘩でもしたんじゃないかと心配をしてくれた。
 特にファイヤーエンブレムさんやスカイハイさんは何かあったら相談して、と何度も何度も僕に言ってくれたのだけれど、虎徹さんと話し合った内容をかいつまんで説明したら、納得はしてくれた。
「でも、来季からはちゃんとコンビでやってくのよ? いいわね? あの無謀なタイガーちゃんを止められるのは、ハンサムしかいないのよ?」
 ファイヤーエンブレムさんは僕の肩を掴んで、揺さぶりながら言ってくれた。ちょっと痛かったけど。
 勿論、僕と虎徹さんの、過去の話はしないままで。
 ロックバイソンさんは「虎徹に話をしといてやる」と言ってくれた。
 ブルーローズとドラゴンキッド、そして折紙先輩は、黙って事態を見守ってくれている。こちらはそれぞれ、虎徹さんと話をしたようだった。
「だって、バーナビー、ボクの後輩だもん。ボク、後輩には優しくしたいし!」
 ドラゴンキッドがそんな風に言って、背中を叩いてくれた。
……思わず笑うと、酷く怒りだしてしまったけれど。
 みんながみんなフォローを入れてくれるなんて思ってもいなかったし、とても嬉しい事ではあった。
それにドラゴンキッドから言われてはじめて、そういえば僕は、一番新しいヒーローだったんだな、という事を思い出す。
 もしかしたら、ずっと肩に力が入りすぎていたのかもしれない。
 僕一人でヒーローをやってる訳じゃない。理屈ではわかっていても、こんな風に接してくれるなんて思いもしなかったことだ。
 僕は周りを見ていただろうか。こんな風に、落ち着いて。
 ――もしかして、この事を僕に教えたくて。
 虎徹さんは意図していなかったかもしれないけれど。
改めて、この数年でベテランヒーローを中心として、築き上げてきたチームワークが形成されていたんだとわかる。
 ベテラン、実力者、勢いのある年少組。僕の加入前、ヒーローTVで見てきた彼らの役割分担は、こんなにはっきりと3つに分かれていただろうか。
……僕はそれを、見ようとしていただろうか。
もしかして最初のうちは、僕はバランスブレイカーとして入ってきたかもしれない。けれど、いつの間にか、僕にも収まる場所が出来ている。
……ヒーローとして、必要とされている。見世物でもなく、誰かの為のコマとして動くのではなく、みんなに、そしてシュテルンビルトの市民に。
この実感があるから、虎徹さんはきっと、ヒーローを続けているんだろう。
僕は初めて、そんな風に思う事が出来た。

1部は相変わらず忙しく、2部リーグも色々とあって。僕と虎徹さんの接点は最小限だ。全く会えない日も増えた。
たまに会話をしたりメールを送ったりするけれど、ゆっくり話す時間は案の定、殆ど取れないままで。
虎徹さんのアパートに行った時に気がついた、僕の中にある一つの感情。それは少しずつ僕の中で形を成してゆく。
何度も、あの時の夢を見た。
途中で目が醒めて、昂っている身体を持て余して。
――僕は虎徹さんを欲しているけれど、虎徹さんにそれを告げる訳にはいかない。僕は虎徹さんを2度も忘れているのだから。
空いた時間はトレーニングセンターに通って身体を鍛える日々が続いた。運が良ければ虎徹さんに会うことも出来る。週に1度くらいではあったけれど。
けれども、その日は虎徹さんはいなかった。
そして、いつもはワイワイと集まってくる他のヒーロー達もいない。
ただスカイハイさんだけが、トレーニングマシンに座って黙々と筋トレをしている。スカイハイさんは僕の方を見て、爽やかな笑顔を浮かべた。
「やあバーナビーくん! 調子はどうだい?」
「調子は……まあまあです」
 いつも元気なスカイハイさんと、途中から1部でポイント計算をするようになった僕は、結局今季もトップ争いをしている。でも僕は途中参加だから、今年のキング・オブ・ヒーローは多分スカイハイさんだろう。
 昔の僕は、他のヒーローに大して興味がなかった。
でも今の僕は、スカイハイさんが、例えキング・オブ・ヒーローの座を僕に奪われて落ち込んだ様子でも、毎晩のパトロールを止めることもなく、インタビューでネガティブな感情を発露することもなく、ずっと理想のヒーローであり続けようとしていた事を知っているし、僕も、そうありたいと素直に思える。
 ――世界が違って見える。
虎徹さんに言ったあの言葉は嘘じゃない。
 スカイハイさんはマシンを動かす手を止めて、オーバーアクション気味に首を傾げた。
「そうかい? 私には、1部に戻ってきてからずっと、君はどこか元気がないように見えるのだけど」 
 僕は咄嗟にどう答えればよいのかわからなくて、黙り込んだ。
 他のヒーローなら躱し方もわかるけれど、スカイハイさんはどこまでも直球な人だから、適当にあしらう方法なんて思いつかない。
「……もしかして、片思いでもしているのかな?」
「……え?!」
 片思い。
……こういう状況で大真面目に訊いてくるスカイハイさんは、大概凄い人だな、とは思う。
普通だったら仕事で悩んでるんだろうとか、もっと違う事を聞くんじゃないかと思わずツッコんでしまいそうになったけれど。
――ああ、こういうのが、片思いなんだな。やっぱり。
何処かで納得している自分がいて。

スカイハイさんはそんな僕の様子をわかっているのかいないのか。
スポーツドリンクを一口飲んで、続けた。
「もしかしたら聞いているかもしれないが、私にもちょっとだけ落ち込んだ時期があってね。その時に、美しい女性に出会ったんだ。……とても素敵だったんだ、とても」
 女子3人組から少しだけ話を聞いた。
丁度僕がロトワングと再会をした頃。スカイハイさんはどうやら公園で出会った女性に恋をしたけれど、振られてしまったみたいだ、と。
 僕は黙って、スカイハイさんの話に耳を傾ける。穏やかな口調だった。
その人を愛おしむ、でも淋しげな気配。
「当時、自信を失っていた私は、彼女の手をさり気なく握る事すら出来なかった。後で女性達に散々言われたけれど、彼女がそれを望んでいるかどうかもわからなくて。でもある日、彼女は公園から消えてしまった。……だから、結局、私が彼女を好きだという事も伝えられず、彼女が私をどう思っているかを聞く事も出来なかった。本当に、突然だったんだ。本当に」
 スカイハイさんは、湧き上がる後悔を呑み込むような表情をして、一瞬だけ目を伏せる。
「ただ隣に座っているだけでは、伝わらない事が沢山ある。きちんと聞かなければ確認出来ない事も。だから、バーナビー君も、もし誰かを想っているのなら……絶対に、言葉にして伝えるべきだと私は思う。私は、今の自分がどれだけ格好悪くても、そんな自分ごと相手にぶつけるべきだったんだ」
 眩しげなスカイハイさんの瞳に今映っているのは、きっとその女性なのだろう。スカイハイさんは、ふう、と大きな溜息をついて、続けた。
「……一人でボールを握っているだけでは、何も始まらないんだ。まず相手に投げてみて、相手がそれを受け止めるか、どう投げ返すかを確認するまでは。キャッチボールが出来なければ、それはただの自己満足でしかない」
 ゆっくりと、噛んで含めるような。そしてまるで自分に言い聞かせるような口調で、スカイハイさんは訥々と語ってくれた。
 その言葉が何度も何度も、僕の心の中で繰り返される。
 キャッチボール。
 僕はボールを投げる前に諦めてしまっている。
 でも。
 ……確かに、スカイハイさんの言う通りだ。
 僕は自分の感情でいっぱいいっぱいになってしまって、虎徹さんの気持ちを考える所まで辿り着いていなかった。
 キスをしたあの時。虎徹さんは一人だった。そして今も。
 ……今はどう思っているんだろう。聞かなければわからない。そして、言わなければ、伝わらない。
 もしかして、虎徹さんも同じように、僕の気持ちをわからずにいるんだろうか。伝えたくても伝えられない何かがあるんだろうか。
 それが……恋愛対象としては僕を受け入れられない、という事であっても。
 初めて、そんな風に思った。
 真実を確かめるのはとても恐ろしいことだ。でも。
 4歳からの記憶がずっと偽りのものだったと気づいた瞬間以上の恐怖なんて、僕にはもうない。
 今度あったら、直接確かめよう。
 そして、伝えよう。

虎徹さんが好きです。
貴方は僕の事を、どう思っているんですか、と。

僕の顔をじっと見ていたスカイハイさんが、どこか満足そうに微笑む。
「何かを決めたようだね。私の経験が君の決断の助けになったのなら、それは本望だ、そしてファイトだ、バーナビー君!」
「……ありがとう、ございます。前に……進んでみます」
「ああ、勿論、彼女達には秘密にしておくからね!」
 スカイハイさんはサムズアップをしてにっこり笑った。確かに、知られたら大騒ぎになりそうだ。……実際に恋の話ではあるし。苦笑しながら、僕はふと思った。
 普通の女性なら、スカイハイさんのような人に好かれたら、とても嬉しくなりそうなものだけれど。
「でも、スカイハイさんみたいな方に全く惹かれない女性というのも不思議な気がします。……どんな方なんですか?」
 何気なく話を振ってみた。
「可憐で、とても可憐で、クールで、冷静に私の問題点を指摘してくれるクレバーさのある女性だったよ。……赤いワンピースと、同じ色のカチューシャが良く似合っていた。ある日突然いなくなってしまったけれど、公園で出会ったのもある日突然だったから、もしかしたらまた会えるかもしれない、と信じているのだけれどね!」
 スカイハイさんは勢い良くそう言って、満面の笑みを浮かべた。
 赤いカチューシャ、か。
 一瞬、誰かの面影がよぎった気がしたけれど。
他のヒーロー達が入ってくる気配にそれは掻き消されてしまった。

決意はしてみたものの、間の悪い事に立て続けに重大犯罪が続いて、虎徹さんとゆっくり会う暇なんて殆どなくなってしまった。
会ってもすれ違い。ジャスティスタワーにいても、アポロンメディアにいても、僕が任務から帰ってきたら、今度はすぐに虎徹さんが呼び出されて飛んでいく有様で。
ようやく虎徹さんに「よかったら夕飯でも一緒に食べませんか」と約束を取り付けたのは、僕が1部にレンタル移籍して2ヶ月余り。
もうすぐ、今シーズンが終わるという頃になってからだった。





ゴールドステージ、アポロンメディアビルの近く。
適度に騒々しくて、適度に落ち着いた雰囲気のレストランは、虎徹さんがたまに夕食を食べに来る所なのだという。
 ここの所深夜でも呼び出しを食らったりするから、酒もロクに飲めないんだ、と、僕の向かい側でメインのステーキをむしゃむしゃ食べながら虎徹さんは笑った。
 僕は自分のロールキャベツをナイフで切り分けながら、ノンアルコールのカクテルで喉を潤す。さっき、高速での玉突き事故現場の救助から戻ってきたばかりだ。一体どうしたら、毎日こんなに事件や事故が起こるのか。
「もしかしたら根本的にヒーローの人数が足りないんじゃねぇのか」
 虎徹さんは苦笑しながら、サイドのポテトフライを口の中に放り込む。
「……だから、虎徹さんも1部に戻ってきて下さいよ」
「そこかよ」
 虎徹さんは切り分けた僕のロールキャベツにフォークを伸ばして、小さい欠片に突き刺した。
「これ、うまそうだな。俺、ロールキャベツ頼んだ事ないから、くれ」
「どうぞ」
 空腹だったのか、物凄い勢いで食べている。ステーキを飲み込んだはしから、ロールキャベツを口に放り込んだ。
「あ、うめぇ! くっそ、ワイン飲みてぇな。呼び出しがあるかと思うとおちおち酒も飲めねぇし」
「そうですね、僕も最近は全然飲まないです」
 いつ出動要請があってもいいように準備だけはしている。緊張感は取れないけれど、目の前で勢い良く夕食を平らげていく虎徹さんを見るとほっとした。
「こうやって食事するのも、ホント久しぶりだからなぁ」
 ステーキだけでは足りないのか、メニューをちらちらと見ながら、虎徹さんが感慨深げに溜息をつく。
「そうですね。すれ違いばかりでしたし」
 久々にじっくりと見る虎徹さんの顔は少しだけやつれている気がする。
「あんまり忙しくて楓の所にも顔を出せないまんまだから、シーズン終わったら3日くらいオリエンタルタウンに帰りてぇなあ……」
 結局ソーセージとポテトの盛り合わせを追加で注文して、虎徹さんは椅子の背にもたれた。
「お前も食えよバニー。若いんだから」
「僕、まだロールキャベツも残ってます。虎徹さんこそ、ちゃんと食べてますか?」
「ここんとこ忙しくて適当にしてたら体重落ちちまった。だからこういう時くらい食っとかねぇと」
 虎徹さんは虎徹さんで、2部リーグでの順位は現在2位だ。忙しいのはそのせいもあるんだろう。たまにヒーローTVのダイジェストを見ると、全く能力を発動せずに、ワイルドシュートと体術だけで犯人確保に至る事も珍しくないみたいだった。
「……そういえば虎徹さん。ここのところ、能力発動を必要最小限にしてるんですか?」
 僕は気になっていた事を、ストレートに聞いてみた。……それがもしかしたら、更なる能力減退につながっていたらどうしよう、という危惧を押し隠しながら。
「ああ。……って、別に能力発動が1分以下になった訳じゃねぇからな。使いどころのタイミングを見直してる最中。無駄撃ちしても消耗するだけだし、こないだみたいなヘマはしたくねぇ」
 運ばれてきたソーセージにフォークを突き立て、ケチャップをたっぷりかけながら、虎徹さんは僕を見て、ニヤリと笑った。
「お前も他のヒーローとの連携が増えたな、バニー。勢い任せな部分がなくなってきたから、安心して見てられる」
「……僕は貴方ほど、向こう見ずな動き方はしてないつもりですけど?」
「だっ、よく言うよ! でも力任せに色々やってた部分が、チームワークでクリア出来るようになった分、疲労度は減ったろ」
 虎徹さんの言う通りだった。虎徹さんがいない状況はプレッシャーではあったけれど、その分、能力を発動出来ない55分間をどう動くかを冷静に考えられるようにはなった。
ヒーローみんなで話し合って、フォーメーションと役割分担をきちんと決める事も増えた。
「――虎徹さんは、そこまで考えてたんですか?」
 ちょっと自慢気な顔をして答える。
「そーだよ。頭脳派だろぉ、俺」
「ベンさんは、行き当たりばったりだって仰ってましたけど?」
「だっ」
 ムキになって反論するかと思ったけれど、虎徹さんは苦笑する。
「ま、ずっと考えてた事ではあるからな。人が沢山いりゃ役割分担も出来るし、得意不得意もはっきりする。あんなにチームワークが良くなるとは正直思ってなかったんだけど。……危なっかしい所がなくなったから、ほっとした。……まあ、センパイとしちゃ、ちょっと寂しいけどな!」
 寂しい。
 冗談とも本気ともつかない口調ではある、けれど。
 今、聞かないと。そして、言わないと。直感が僕にそう促す。
 僕は表情を引き締めて、虎徹さんに投げかける。最初の1球を。
「虎徹さん。……来シーズンはどうするつもりですか?」
「ああ。一応、2部に継続で、って言っとこうとは思ってる。ただあんまり成績良過ぎると1部昇格もあるらしいからなー。ま、このままだと2位で確定だろうしな」
「……じゃあ、僕も、2部に」
「バニー」
 笑っていた虎徹さんの顔が引き締まって。
「やっぱり、お前は1部に残れ」
 虎徹さんは、僕が考えていた通りの事を口にする。
「嫌です。僕はやっぱり、コンビで活動する事以外は考えられない」
「今の状況見てる限り、問題はないだろう」
「大ありです。さっき虎徹さんが言ったでしょう。僕はまだ力任せに色々やるし、100パワーの発動していない55分の身体能力が通常の人間と変わらない以上、他のヒーロー達との連携にも限界がありますから」
「あのなぁ……」
 どう言おうか考えている風の虎徹さんに、僕は言い募った。
「それとも、僕とコンビを組めない理由があるんですか?」
 今しか。
 今しかないんだ。虎徹さんに、ボールを投げるのは。
 受け取ってもらえるかもわからない。でも、これを逃したら一生言えないかもしれない。
「……そういう訳じゃ」
 言い淀む虎徹さんに、僕は、さらに追い込むような一言を告げた。
「貴方が仕事とプライベートの区別をきちんとつける人なのはわかってます。他のヒーローの皆とも距離を置いてるし、幼馴染のロックバイソンさんにすら一線を引いてる。でも、コンビの僕と……キスまでしてしまった、しかも僕はその事を忘れていた、それは原因の一つですか?」
「違う」
 虎徹さんは即座に否定した。でも、目線が泳いでいる。
 伝えなきゃ。
「……1部リーグに異動してから、ずっとコンビとして活動している時の事を考えてました。あと、その前に、出会った時の事も。僕は一度貴方を完全に忘れて、それから今度はヒーローとして出会った。でも、また貴方を忘れて、攻撃した。その事実は消えない」
 虎徹さんは表情を消して、じっと僕の顔を見つめた。でも、ほんの少しの戸惑いの表情が見え隠れする。 僕の言葉は、虎徹さんの心に届くだろうか。
「僕はまた貴方の事を忘れるかもしれない。何度でも貴方を傷つけるかもしれない。もう2度とないなんて、言えません。……でも、離れている間、ずっと考え続けていた事があります。僕が貴方の事をどう思っているか」
「――バニー」

 引き返せない所へ、行くんだ。

「僕は、貴方の事が好きです。コンビとしてじゃなくて、恋愛感情の部分で」
 その瞬間。
 虎徹さんの顔が苦しそうに歪んだ。
 言わなければこのままでいられたかもしれない。
 でも、伝えなかったら、この先ずっと変わらないまま。

 そんな宙ぶらりんの状態、僕にはもう、無理だ。
だから、投げかける。

「好きです。……貴方の事を何度も忘れた僕に、言う資格はないのかもしれないけど」
 虎徹さんは唇を噛んで、じっと僕の顔を見ていた。
 どこか、泣きそうな気配が漂っているように見えるのは、僕の考え過ぎなんだろうか。
「バニー、俺は……」
 大勢の客の笑い声、話す声。一瞬、それが遠ざかったような気がした。楽しげな人々が思い思いの時間を過ごすレストランの中で、僕と虎徹さんは黙り込んだまま、視線をぶつけあう。
「――俺は」
 虎徹さんが口を開いた瞬間。
 お互いのPDAのコール音がして、画面が立ち上がった。
『ブルックス工業地区でプラント爆発事故よ! タンクが炎上中、従業員が4人行方不明。今どこにいる? 規模が大きいからヒーロー全員で出動してもらうわよ!』
 ――アニエスさんだ。
画面に現場のものらしき写真が映る。ズームアップされたそこは、爆発であちこちが吹っ飛んだ酷い有様で、赤い炎が凄まじい勢いで工場を焼いていた。
「これは……!」
僕と虎徹さんは画面に見入った。アニエスさんは早口で続ける。
『タイガーとバーナビーはジャスティスタワー近くにいるのね? 丁度良かったわ。至急こちらに来て。炎上で有毒ガスが発生しているから、一旦集まって必要な装備をしてから全員で出動してもらうわ』
 GPSをチェックしたのだろう、切り替わった画面にはPCの画面を見ながら何かを打ち込んでいるアニエスさんの姿があった。
「……わかった。すぐ行く。最悪の現場だな、こりゃ」
 虎徹さんが厳しい顔をして答えた。
『そうよ。油断したら貴方達の命も危ないレベル。慎重に行動して』
 僕は虎徹さんの顔を見つめる。
もう話し合っている時間なんてどこにもない。そして……僕は伝えたい事は全部告げた。
「行きましょう、虎徹さん」
「ああ」
 僕達は勘定を済ませてジャスティスタワーへと急ぐ。

10分後。1部、2部ヒーロー全員が集まったトレーニングセンターには、アニエスさんと斉藤さんも来ていた。
「現場には高濃度の硫化水素が発生しているそうよ。配布物はガスマスク、酸素ボンベのセット。あと特殊防護服を着てもらうわ。不明者4名。……もしかしたらもう命はないかもしれないって。そうなったらガスの発生が収まるまでしばらく放置。……2次災害の可能性があるから。医療チームは既に現場に到着しているわ。貴方達は生きた被災者がいれば発見救助後、すぐに医療チームに引き渡して。酸素ボンベの残量は2時間だから、2人1組で作業にあたって。ローズとキッドは危険だから、工場入口にある対策本部から遠隔で作業してもらうわ。もうひとつやって欲しい事があるんだけど、それは本部で指示を受けて」
 アニエスさんが矢継ぎ早に指示を出す間に、僕達には斉藤さんから装備品が配られた。
「見た目不恰好だけど、そんな事言ってらんないわね」
 ファイヤーエンブレムさんの声が緊張している。
「ボンベはジェットパックの間に据え付けておこう。私は防護服をスーツの上に着た方がいいようだね」  スカイハイさんも装備品を受け取り、眉を顰めた。
防護服は身体にぴったりとフィットする造りになっていた。これならヒーロースーツの下に着られそうだ。 『タイガーとバーナビーは酸素マスク着用可能のヒーローマスクがあるからな』
 斉藤さんの頭の上のスピーカーから呼び掛けられる。そんなのを使うのは初めてだ。
「酸素マスクつける現場とか、ひっさびさだな」
 虎徹さんがどこか気の抜けたような声で装備品を受け取る。
『気をつけろタイガー。硫化水素の濃度はかなり高い』
「ま、斉藤さんのお手製装備品だったら守ってくれるだろ。信頼してますし」
『そうは言っても限界はあるからな!』
「うおっ、斉藤さん、ボリュームでかっ!」
 眉をひそめて難しい顔をしている斉藤さんを安心させるように軽口を叩いて、虎徹さんは僕の方を向いた。
「さ、行くぞバニー。久々に、コンビで仕事だな」
「……はい!」
「……多分、かなり悲惨な現場だ。油断すると、危ねぇ」
 普段の虎徹さんが絶対に見せないような厳しい表情。
 ヒーローとして経験を積んでいるからこそ、予想出来る修羅場。僕は黙って頷いた。
 伝えるべき事は伝えた。
 今は、目の前の事件解決に、集中しよう。

 完全装備の僕達が爆発した工場の入口付近に到着すると、その近辺は消防車や救急車、レスキューの車などでごった返していた。一般人は周囲1キロ四方が立入禁止になっている。
「この辺りでも硫化水素が検知されましたので」
ものものしい防護服姿のレスキュー隊の総責任者が、対策本部として設置されたテントの下で待っていた。 折り畳みのテーブル上に工場までの地図がある。入り口から工場までは800メートル余り。メタンチオールという有機硫黄化合物の気体を作る工場で突然起きた爆発。被害は甚大。そして化合物生成に必要な硫化水素が辺りに漏れたのだという。
「現在、各所に設置してある硫化水素除去装置を稼働しているのですが、火災発生箇所では稼働出来ていないものがあって」
 僕達のもう一つの仕事だ。
各所に設置された除去装置のうち、現在稼働していないが生き残っているものを再稼働させる事と、もし生きていれば、その被災者の救出。……おそらく、工場側にいる人間に生存の可能性はないだろうという救急隊員の声に、僕達は絶句するしかない。
「これ以上被害が出ないよう、どうか宜しくお願いします!」
工場長らしき年配の男が、スカイハイさんにしがみつくようにして、悲鳴にも似た懇願をする。
「まだ爆発の恐れがあります。どうか、お気をつけて」
 総責任者はそう言って、僕達に敬礼をした。頷く事でそれに応え、僕達は行動を開始する。
僕と虎徹さん、スカイハイさんとロックバイソンさん、折紙先輩とファイヤーエンブレムさん。そして2部リーグのメンバーもそれぞれ二人一組になって、工場の地図にマークされた場所に除去装置を確認する。
 2部リーグのメンバーは比較的手前の方を。僕達は奥の、かなり消火は進んだけれど、まだ煙の燻っている所を。
 僕と虎徹さんが任されたのは、一番機動力と防御力のあるスカイハイさん達の次に危険が予想される箇所だった。爆発を起こした工場の北東部分に、原材料の保管庫が隣接している。そこは災害用のシェルター的な造りになっていて、強靭な防護壁で作られていたので、爆発には耐えているが、その外側に置いてあった廃棄物が炎上したのだという。
「行くぞバニー」
「ええ、虎徹さん」
 お互いの通信をオンにしておく。総重量が10キロ程になる酸素ボンベと重装備は、確実に体力と機動力を削いでいく。
 入口から保管庫までは500メートルもないのに、爆発と火災、そして様々なガスによる視界の悪化と、けたたましくなる硫化水素探知のアラームと、まず闘わなければならない。
 僕達がチェックするのは8箇所。教わった手順通りに通電を確認して、もし通電していなければ非常電源の装置をオンにし、スイッチを入れる。非常電源の発電機は地下に埋められているから、そこから爆発の心配はないと言われていたけれど、スイッチを入れる毎に、緊張は高まってゆく。
「……ったく、何も見えやしねぇ」
「この特殊マスク、赤外線スコープを強化してあるみたいなんですけど、それでも限界がありますね」
「そーなのか。さすが斉藤さんだな」
 どこかのんびりした虎徹さんの声は、これ以上緊張し過ぎない為でもあるんだろう。……そういう人だから。
 僕も虎徹さんに倣って、緊張を振り払うように、大きく息を吐き出す。
「どうしたバニー」
「……いえ、やっぱり、貴方とコンビを組んで行動するのが、一番しっくり来るなと思って」
「なんだよ」
 ぶっきらぼうな、でもどこか照れくさそうな声だった。
 不意に、マスクの無線チャンネルに、男の必死な声が飛び込んできた。
『誰か、いるのか?! 助けてくれ!』
 殆ど悲鳴のような、救助を求める声。僕と虎徹さんは立ち止まって、その男性の声を聞いた。
 僕は咄嗟に通信をオープンにして、他のヒーロー達にも聴かせるようにする。
「ワイルドタイガーとバーナビーだ! ここの従業員か?!」
『ヒーローが来たのか! そうだ! オレともう一人で、保管庫に逃げ込んだ! もう一人は火傷してて、意識が朦朧としてる……! お願いだ、助けてくれ……っ!』
「わかった、もう少しで着くから、待ってろ。必ず助ける!」
『頼む……っ!』
「防護服と酸素ボンベはありますか?」
『備え付けのを装備してるけど、酸素があと15分しか保たない……!』
 無線の通信が切れる。
二人、生きている! 
でも、急いで救助しないと、火傷の具合によっては危険な状態かもしれない。
 通信を聞いたアニエスさんからの指示が飛んできた。
『スカイハイとロックバイソンは進捗はどう?! 起動が終了次第すぐに保管庫に向かって! ファイヤーエンブレムと折紙は続けて頂戴』
 僕と虎徹さんは早足で保管庫へ向かう。あと30メートル程。スカイハイさんの声が飛び込んで来る。
『こちらは先程終了した! すぐに、そして迅速にワイルド君達の所へ向かう!』
『スカイハイ、一旦本部へ戻って、二人分の酸素ボンベを準備して。怪我人は貴方に運んでもらうわよ。5分で往復出来るわね?』
『大丈夫だ、そして問題ない! 了解!』
 空を飛べるスカイハイさんとカタパルトを使用するロックバイソンさんは初動時の機動力が違う。
『すぐ行くから待ってろよ、虎徹! 多分10分弱でそちらに到着する筈だ!』
「頼んだ」
 
 保管庫の入口に辿り着く。周囲の廃棄物は粗方燃やし尽くされてしまったようで、煙を燻らせていた。
「……虎徹さん、これ!」
「っだ! くっそ、めんどくせぇ!」
 頑丈なドアが熱と爆発のせいで、開く部分が形を変え、溶接されたようになっている。
 どれだけの威力だったんだろう。もし二次爆発が起こったら。
『早く助けてくれ!』
 中に残っている従業員の声が、再び飛び込んできた。
「おい、大丈夫か?! ドアを開けるのに時間がかかりそうだから、ちょっと待ってろよ。中はどうなってる」
『中は空調システムが生きてるから問題ないが、さっきからもう一人が完全に意識を失って……!』
「火傷の程度はどれくらいだ」
『両腕と上半身、あと、顔の表面が焼けただれてる』
 ……急がないと、生命に関わるレベルだ。
「さあ、どうするか……」
 虎徹さんの声には焦りの色が浮かんでいる。
「……虎徹さん、屋根の上に穴を開けて、そこから救助に降りるようにしましょう」
「だな、スカイハイも空から来るし」
硫化水素は空気より重いから下方に溜まる。屋根からなら、おそらく外からの硫化水素の流入は少ないだろう。
 空気の流入が最小限で済むように、スカイハイさんの姿が見えてから、二人で能力を発動して、保管庫の天井に穴を開ける事にした。
 二人に影響のないよう居場所を聞き、その対角線上に穴を開ける場所を設定する。
僕達は壁に設置されている足場を使って天井へ登った。

二人は、今僕達が立っている場所の対角線上にいる。僕達がいるのは工場側の壁に面している。工場は爆発で完全に屋根が吹っ飛んでいて、壁だけが残っている状態だ。下の方に、ちらりと何かの残骸が見える。 「正義の壊し屋の本領発揮ってか?」
「頑張りすぎて屋根を全部破壊しないで下さいよ、虎徹さん」
 作戦はシンプルだ。スカイハイさんの姿が見えたら、二人同時に能力を発動して、グッドラックモードで屋根を破壊する。力をなるべく集中させて、破壊箇所は最小限に。中はぶち抜きという訳じゃないそうだから、多分一気に屋根が壊れるっていう事はないだろう。
「ワイルド君、バーナビー君!」
 上空から、ごう、と風の音が聞こえた。同時に通信の声が入る。……スカイハイさんだ!
「待ってろよ!」
 無線で聞いている従業員に大声で宣言して、虎徹さんは能力を発動した。僕も同時に発動する。
「グッドラックモード!」
 僕のスーツの足パーツと、虎徹さんのスーツの腕部分が変形する。
 全ての力を、屋根へ。
 ――轟音と共に、屋根に罅が入った。しかし、穴を開けるには至らない。
「くっそ、かてーな!」
「もう一度行きましょう!」
 あと40秒。
 再び、同時に屋根にアタックする。
 どぉん、という音。僅かに、屋根の向こうの闇が見えた。
「もう一発! うおりゃああああああ!」
「はああああああああ!」
 あと、20秒。
コンクリートの破片が飛び散る。……そして、屋根に1メートル程の穴が空いた。
「っしゃあ!」
「スカイハイさん、救助をお願いします!」
「素晴らしい、そして素晴らしいコンビネーションだ! あとは任せてくれ、ワイルド君、バーナビー君!」
 スカイハイさんは色々と救出の為の荷物を抱えて、保管庫へと突入する。
 あとはスカイハイさんの救出を待って、二人の状況を確認して、必要なら搬送して……。
 虎徹さんの能力が切れ、ヒーロースーツから光が消えた。
「やれやれ、何とか間に合った」
 溜息混じりに虎徹さんが言う。でも、声の調子は明るかった。
「60秒あれば、色々な事が出来るってことですよ、虎徹さん。……だから」
 貴方は1部に戻るべきだと思います。
 そう言おうとした瞬間。さっき見た工場の下部の残骸が、ぶわりと膨れ上がったように見えた。
「……え」
 赤い炎が見えた。それから、轟音。
 次に、風が起こる。何かが飛び散る。
 白いものが粉々に砕け散って舞い上がった。

 爆発、した……でも、今、虎徹さんの、能力が切れてるんだ。
僕は咄嗟に、虎徹さんの方へジャンプする。
だから、――僕が虎徹さんを守る。
「バニー!」
 虎徹さんが僕を呼ぶ。
「掴まって!」
 僕は虎徹さんを抱き上げて、屋根から飛び降りようと跳躍して……その時、頭に、そして背中に息が詰まるような衝撃を受けた。
 ――虎徹さんは、大丈夫だろうか。
 確かめる間もなく視界は閉ざされて、世界が暗闇に覆われた。






「……ニー、、バニー!」
 誰かが呼んでる。……僕が、たった一人だけに許した呼び方で。
 ――虎徹さん。
 ここは、どこだろう。僕は閉じていた目をそろりと開けた。飛び込んで来たのは、白い天井と、虎徹さんの瞳の琥珀色。
「虎徹さん、不思議な眼の色、してますね」
「……何言ってんだ、お前は!」
 琥珀色の瞳から、ぼろぼろと涙が零れ始めた。
 ああ、なんて綺麗なんだろう。
温かい雫が、僕の頬へと落ちてくる。……僕は、生きてる。
 虎徹さんの温もりを、感じられる。
「ここは……?」
「病院だよ。工場に残ってた資材が爆発して……俺を抱えて逃げようとした時に、コンクリの塊が2つ、頭と背中に当たったんだ。救出した二人は、助かったからな」
 よく見たら、虎徹さんは普段の格好に着替えていた。
「……そうなんですね。良かった」
「それで気を失っちまって……本部の医療チームが応急手当して、それから病院に搬送されたんだよ」
「この前と、逆ですね」
 何となくおかしくて、思わず笑ってしまいそうになるのを堪えていると、虎徹さんは洟をすすりながら怒り始めた。
「何でニヤニヤしてんだよ! お前、俺にあんな事言ってて、もし死にでもしたらどうする気だったんだ、馬鹿が!」
 虎徹さんの怒りは本物だ。
「……この前の僕の気持ちがわかりましたか? もう、無茶しないで下さいね」
 でも、怒られているのに、嬉しい。
「無茶した奴に言われたくねぇよ!」
 また、虎徹さんが涙を流し始めた。
そういえば、案外涙もろい人だったな、という事を思い出す。
「……俺だってな、まだお前に、肝心な事を伝えてねぇんだよ」
 涙声で、ベッドの側から僕を見下ろしながら、虎徹さんが消え入りそうな声で呟いた。
「……え?」
 虎徹さんは手の甲で涙を拭いながら、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、僕に向かって告げる。
「バニー、お前が好きだ」
 僕は一瞬、虎徹さんの言葉の意味を呑み込めなくて。とても間抜けな顔をしてしまったかもしれない。
「好きだ。……だから、命を粗末にすんな。頼むから」
 ――僕が投げたボールが、返ってきた。
 これは夢じゃない。背中と頭に鈍い痛みがあるから。
「粗末になんてしません。……能力発動中だったんですよ? 多分、そんなに深刻なダメージは残りません。それに防護服にかなり強力なプロテクト機能もついてましたし。貴方と同じで、2週間自宅療養くらいだと思います」
「油断すんなよ、打撲は熱が出るからな」
 虎徹さんの掌が僕の頬に触れる。温かくて優しくて、僕は思わず目を閉じた。そして、改めて虎徹さんに告げる。
「僕も、貴方の事が好きです、虎徹さん」
 不意に、唇に温かくて、少しだけ濡れた何かが触れてきた。
「……!」
 驚きの余り、思わず起き上がろうとしたら、虎徹さんに慌てて止められて。
「あー、前に、もうしちゃってるから。……今更恥ずかしがるような事でもねぇし」
 そう言ってそっぽを向いた虎徹さんの耳は真っ赤になっていて。
 僕は思わず、頬に触れていた虎徹さんの掌を、ぎゅっと握り締める。
まだ離れたくないから。もっと、この体温を感じていたいから。

 僕と虎徹さんの、心のキャッチボールが、始まるんだ。
 ……ここから。

「好きです、虎徹さん」
 何度でも伝える。
 貴方が音を上げても、逃げようとしても、絶対に引いたりしない。
 貴方が苦しい時に、ずっと隣で寄り添えるように。
 
 




 次のシーズンから、僕と虎徹さんは1部リーグに復帰する事になった。
 爆発現場での救助ポイント加算の結果、なんと虎徹さんは2部リーグ1位になってしまい。
結局1部に戻るしかないだろうという事に決まったんだそうだ。
 僕は途中から1部リーグでの順位計算にされていたので、最終的に今期のキング・オブ・ヒーローはスカイハイさんという事になったけれど。

「行きますよ、虎徹さん!」
「ちょっと待ってくれよ、バニー!」

 僕のマンションから、二人でジャスティスタワーに向かう。
「……ったく、お前のせいで寝坊したじゃねぇか!」
「もっとって言い出したのは貴方でしょう!」
 
 コンビから恋人になった大切な人は、頬をふくらませながら、僕を追ってきた。
 ――幸せな。
 とても幸せな日々が、待っている。これからも。

2012.9.25up。
えっと、正直、この小説をどんな風に受け取って頂けるのかがさっぱりわからず、本にしたもののやはり不安で、一旦WEBにアップするという形を取らせて頂きました。
ちなみにこの後日談として「最後の恋、最初の恋」というラブしかない虎徹視点の話があるのですが、
そちらは本を読んでいただいた方の為にアップはしません。番外編的なものでもあるので…。
率直なご感想を頂けると嬉しいです。