ふたりで、いっしょに〜Till death us do part〜

「虎徹さん。僕、もう我慢出来ませんよ。僕はそんなに、物分り良くないですから」
 ああ、ついにこの日が来た。虎徹は目を閉じて、大きく息を吐いた。

新年を迎えたシュテルンビルトは沸き立っているせいか軽犯罪が多発して、1月の間はずっと忙しく、オリエンタルタウンに帰ったのも2日だけ。気がつけば2月に突入し、バレンタインデーがもうすぐやって来ようとしていた。
 年末に開かれた復帰祝いのパーティの後、虎徹は時々、バーナビーのマンションに泊まっていくようになった。酒を飲んで話をして。その合間に何度かキスを交わして、一つのベッドで抱き合って眠る。スキンシップの機会も増えた。但し、一度もセックスはしなかった。
 お互いに同性との関係を(特にバーナビーは女性とも)持った事がないから、というのは表向きの理由。
 正直なところ、虎徹はこのまま身体の関係まで持っていいのかどうか、悩んでいたのだ。
 妻を喪い絶望した日々。残された愛しい娘に希望を見出した時期。そしてコンビの片割れとしてバーナビーと出会い、別れ、再び出会った現在が一つの地平に存在している、その現実はどこか後ろめたさを孕んでいた。
 誰かを愛しいと思うこと。
 妻・友恵の亡骸と共に燃え尽きたと信じていたその感情が、心の奥に残っているなんて想像も出来なかった。しかも、年下で、同性で、いわば同僚とも言える存在に向かうというのは全く想定外で。
自分の気持ちを持て余してバーナビーに本音を伝えたものの、逡巡は未だ虎徹の心の中にある。
結論は出せないまま。唇が触れる度、体温を分かち合いながら眠る度に、心地良さに流されそうになる自分を押し留めて。
一歩先に進めない理由は、虎徹自身にもわからないままだった。
愛しているとバーナビーに告げながら、左手の結婚指輪を外す事は出来ない。キスをしながら、時折バーナビーの視線が左手に向かっている事を感じていた。宙ぶらりんで、中途半端で、自分の心の舵を切れないままの虎徹に我慢出来なくなったのだろう。
バーナビーの翠の瞳は勁い光を放っていた。有無を言わさず虎徹に決断を迫る視線が、虎徹の逃げ道を奪う。
「子供だ、っていう意見は聞きませんよ。ええ確かに、貴方から見れば僕は確かに子供でしょう。でも、そんな風に宙ぶらりんのままにするのが大人なんだったら、僕には大人の物分りの良さなんて必要ないです。……僕は貴方の身体ごと、欲しい。キスだけじゃもう、足りません」
 そして、虎徹を悩ませていた事がもう一つ。
明らかに、バーナビーは自分を抱く事を望んでいるようだった。初めての相手が男で、しかも俺でいいのか。
さらに言うと、俺、抱かれなきゃいけないのか。
俺だって、友恵しか抱いた事ないんですけど!
確かに童貞喪失の前に処女奪われる方がハードル高いかもしれないけど、俺だってそれを言うなら処女だし、どうなんだ、この状況! 
もしかしたら物凄くくだらないのかもしれないけれど、それは虎徹にとってはかなり切実な問題だった。
「う……」
交互にシャワーを浴びた後。深夜に、バーナビーのマンションのベッドの上で。バーナビーに詰め寄られた虎徹は、呻いたきり黙りこくってしまう。
「子供だから、性欲抑えるなんて出来ません。貴方を抱きたいです。もう生殺しはたくさんだ」
 何と答えればいいかわからずに、虎徹は眼鏡を外した、素のバーナビーの翠の瞳をじっと見つめた。せめて目を逸らさない事が誠実さの証だろうと思ったから。
「バニー……」
 自分でも驚く程情けない声が、自分の口から飛び出す。
 その途端。
 バーナビーは盛大に吹き出して、声を上げて笑い始めた。
「はぁ?」
「って、そんなにオロオロするなんて思いませんでした……っ」
 バーナビーは苦しげに腹を抱えて身を捩っている。
「な、何で笑ってんだよ?!」
 くっくっ、と堪え切れない笑い声を噛み殺そうとするバーナビーは、目に涙まで滲ませていた。
 訳がわからない……!
「な、なんだバニー、おじさんからかうのもいい加減に……」
「僕、一応、本気で言ってますよ。でも、そんなに目を白黒させるなんて思わなかったから。ああ、おかしい」
「んだよ、おかしいって!」
 虎徹がムキになって反論すると、バーナビーはようやく落ち着いて、笑い過ぎて滲んだ涙を白い指先で拭いながら答えた。
「僕だって貴方の立場はわかってるつもりですよ? だって、奥さんが初恋の人で、しかも亡くなっていて、さらに年頃の娘さんがいて、それで同性の恋人が出来ました、って、普通に考えたら結構ハードルの高い状況ですよね? 僕だって、楓ちゃんに『お父さんの恋人です』 とは、今は流石に言えないですから。 ……キスやハグだって、貴方の最大の譲歩でしょう? ちょっと、カマをかけてみただけです」
「……お前、ほんっと、底意地悪ぃよな。ウサギのくせに」
「ウサギは余計です。それに、意地悪なのは虎徹さんの方ですよ」
 本音を交えつつも、結局からかわれた事がわかって、虎徹はふくれてみせた。ただ、バーナビーの言う事も、確かなのだ。自分の都合で逃げて、バーナビーには酷い思いをさせている。虎徹は自分の髪の毛をくしゃくしゃとかき回しながら、盛大に溜息をついた。
「ええ、僕は意地が悪いですよ。貴方が奥さんとつきあっていた時、一つのベッドに寝ていて何も思わなかったのなら、それは物凄く鈍感か聖人君子か性欲薄いか、のどれかでしょう? ……僕はそのどれでもないですから」
 それ、言われると、痛い。
「まあ、色々わかった事もありますけど。貴方は恋愛に対しては臆病な上に鈍感なんですね。普段の態度とは大違いだ。奥さん一途だったっていう時点で気が付かなかった僕も悪かったんですけど。だから、こんな状況になってしまうんでしょう?」
バーナビーは畳み掛けるように虎徹を追い詰める。
どうしてこんなに口が達者なんだ。たじたじになりながらも、虎徹は一応、反論を試みる。
「……臆病って言われるのも、鈍感って言われるのも、なんかムカつくぞ……」
しかし、バーナビーはまるで出会ったばかりの頃のように、居丈高な態度で虎徹の言葉を一蹴した。
「反論するんですか? でも、『キスとハグ以上はしない』 で、僕がいい加減ジリジリしてたの、気づいてました? 虎徹さん酔っ払うとすぐ寝るし。もしかして、奥さんと付き合う前、アプローチされてても気がついてなかったんじゃ?」
 バーナビーの指摘がいちいち当たっていて、虎徹は黙り込んでしまう。全くその通りなのだ。何度も何度も「鈍い」「遅い」と言われていた気がする。
「正直、奥さんには同情します。もし会ってお話が出来たら、貴方の悪口で盛り上がれるかもしれませんね」
 あんまりな物言いだが反論なんて全く出来ない。虎徹はバーナビーを睨みつけてみるものの、どう考えても負け惜しみとしか思えないような、情けない表情にしかならなかった。
「……でも、やたら女性を口説きまわってたり、物凄く遊んでたりする虎徹さんだったら、多分僕は好きになってないでしょうから。……そのマリッジリングを外せない貴方だから。惚れた弱み、って、こういうのを言うのかな。時々後悔しますけど。どうして僕、こんなに鈍い人を好きになったかなあって」
バーナビーはからかうような、けれども穏やかな笑みを浮かべた。コンビを組んだばかりの頃は絶対に見せなかった、どこか余裕すら感じさせる笑顔は、虎徹がバーナビーにもたらしたものなのだと。バーナビーはいつもそう言う。
「やっぱりケナしてるだろ、お前」
「そうですよ? だってこれだけお預け食らってたら、イヤミの一つも言いたくなります」
「……ほんっと、変わったなあ、お前」
 虎徹の目の前で。バーナビーは鮮やかに変化を重ねていった。復讐心に満ちた暗い瞳は、ヒーローとして様々な事件を乗り越えていく中で、確かな自信に彩られるようになった。隠された真実を知り大きくアイデンティティが揺らいだけれど、真の黒幕が退場した今、バーナビーは壁を乗り越えてまた一段と、成長しようとしている。
その足を引っ張りたくない、そして、成長するバーナビーに取り残されたくないという頑なな思いも、虎徹の中には存在するけれども。
「何度も言ったでしょう? 虎徹さんに会えたからです。貴方は僕の周りの殻を叩き壊して、外の世界に引っ張り出してくれた。おせっかいだったり、妙に心配性だったり、かと思えば変なところで気を使ったりする貴方を、……愛してますから」
 何の躊躇も遠慮もなしに提示される愛情が、今、虎徹の周りにこそ存在する頑強な殻を破壊しつつあるのに、バーナビーは気がついているんだろうか。
虎徹はバーナビーの薄い金色の髪に、指を絡ませた。
「……そこまで言わせておいて、俺が何も言わないのは、卑怯だよな。あのな、バニー。本音を言うとな。喪うことのダメージを知ってるから、……これ以上、お前にのめり込むのが、怖ぇよ。娘はいつか自立していくものだから、結構その辺、割り切れるのに、な」
バーナビーの表情が引き締まる。自分がこれくらいの年齢の時は、キラキラした未来ばかりを追いかけていた。だからこそ影を引きずっていたバーナビーを、光の下に引っ張り出したかったのだ。もっと、楽しいこと、美しいもので世界は満たされているのだと、教えたかったのだ。それを知り、変化する自分と世界を受け止め変わってゆくバーナビーをとても愛おしく思っていたのだと、今振り返ってみて改めて自覚する。もしかしたら、自分で思っているよりも随分と早い内から、抱いていたのかもしれない感情。見ない振りをしていた訳ではなく。
自分の心の中で育ちつつあったものに、気づかなかっただけなのかもしれない。
……やっぱり鈍感なのか、俺。
出会ったときにはもう、特別な感情を抱く事は決まっていたのかも。虎徹は初めて、そんな風に考えた。
陳腐な言葉だけれど、運命、なのかもしれないと。
虎徹はバーナビーの髪を弄りながら、柔らかな笑みを零す。
「沢山のものを喪って、能力に頼ることも出来なくなってから、初めて思ったことなんだけどな。『さよならだけが人生だ』っていう言葉があっけどさ、俺はまだ、大切なものに笑ってさよなら出来る程、大人になんてなれてねぇ。……確かにお前の言う通り、臆病なんだと、思う」
「虎徹さん」
バーナビーが何処か悲しげな表情を浮かべた。
「そんな顔すんなよ」
髪を梳くようにして、頭を撫でる。
大人の余裕を感じさせるような顔をして。けれども。
虎徹の心の一番奥に、一番利己的な、残酷な、伝えたい言葉がある。気持ちがある。
けれど、まだ若いバーナビーにそれを伝えることは枷にしかならないから、絶対に言わない。言いたくない。
だから、せめて。
「お前の事が好きだ。これは、本当だから。……ひとつだけ、言わせてくれ。お前、元気で長生きしろよ」
「……虎徹さん」
「ああ、だから、そこでウルウルしなくていいから、な? 俺も、無茶はしねぇようにするから、さ」
 しかし、バーナビーの口から飛び出した言葉は、虎徹を大きく揺さぶった。
「虎徹さん。……どうか、本音を言ってください。そんな、ものわかりのいい人の振りなんて、いりませんから」
「……っ」
若いから、一途だから。そんな形容詞じゃなくて。バーナビーだから、虎徹に対してこんなに食い下がってくるんだ。そう、思わされた。
バーナビーが虎徹の頬に触れた。恐る恐る、けれども愛おしげに撫でられる。それは虎徹に、どこか甘い慄えをもたらすのだ。
「だから僕は、貴方の全部が欲しい、んです。年が違う、経験が違う。貴方を全部理解しようと思ったって、きっと無理だと思います。僕は貴方じゃないから。……だからせめて、言葉だけじゃなくて身体でも繋がったら、貴方の事がもっとわかるんじゃないかって。一応、僕だって色々勉強しましたよ? 貴方が痛い思いしたり、怪我とか病気とかの心配しなくてもいいように、頑張るので」
大真面目な表情で告げる内容の滑稽さに、虎徹は思わず吹き出してしまった。
「やっぱりお前、ドーテーなのな」
「しつこいですよ。……知識が経験を凌駕することだって、あるんじゃないですか? 大体、同性同士だったら虎徹さんだって状況は同じでしょう」
バーナビーの目は据わっていた。真剣な光が宿っていてコワい。
「そ、そーだけどさ……。だから俺が抱く側に回ってもいいっつってんのによ」
「貴方は勢いで押しそうだから。痛いのはイヤです。マニュアルもロクに読まない人がセオリー通りに出来るなんて思えません。状況が変わったら考えてもいいかもしれませんけど」
「……それ、言うかお前」
全く、俺達はなんて会話をしてるんだろう。思わず乾いた笑いが出てしまうけれど、もう逃げ場なんてどこにもない。それは虎徹だってわかっている。
受け容れてみて初めて変わるもの、得られるものがあるのならば。
若く青臭い発想かもしれない。けれども、真剣な表情で虎徹を求めるバーナビーの一途さはとても眩しくて、だから愛おしいのだ。
 流されてみよう。自分の裡からバーナビーに向けて、溢れ出す感情に。
「……じゃ、バニーちゃんの勉強の成果、見せてくれっか?」
返事の代わりにバーナビーからもたらされたものは、これまでにないくらい、激しいキスだった。


*


「う、ん……っ」
ベッドに入る前にシャツを脱いでしまっていたから、虎徹の上半身は無防備な状態で。今更後悔しても遅いけれど。
バーナビーのキスには容赦がない。捻じ込むように舌を割り入れてきて、虎徹の口内を貪る。最初は歯がぶつかるくらいの勢いだったのに。虎徹と何度もキスをして、虎徹から教えられたテクニックを身につけて。そして今、想像以上の巧みさで、虎徹を追い詰めようとしている。
 ちゅく、と唾液の混じり合う音がする。どこか甘い香りがして、虎徹の肌を粟立たせた。
もっと欲しい。そう思った瞬間に、バーナビーの舌が離れていく。とろりと溢れそうになる唾液を、虎徹は思わず飲み下した。まるで媚薬みたいに、虎徹の理性を押し流そうとする。バーナビーの使っている石鹸の柔らかな香りと相まって、くらくらと目眩がした。
「……あんまりキスしてると理性飛びそうだったから、これでも、僕は我慢してたんですよ、虎徹さん」
ほんの少しだけ恨めしそうに、バーナビーが囁いた。頬が赤らんで、のしかかっているバーナビーのTシャツ越しの体温が、普段にはないくらい上がっているのがわかる。……熱い。なんだ、この感覚。
「……も、もしかして、結構、ストレス溜まってた?」
「当たり前でしょう。結構、必死だったんですからね」
「……一人で発散してました、とか」
恐る恐る問う虎徹を、バーナビーが冷たい瞳で睨みつける。
「どこまで鈍感なんですか、貴方は。……いいですけど。これから、責任取って下さいね、虎徹さん」
そう言ってバーナビーが見せた笑みは、ウサギというよりは、獲物を狙う狼のような獰猛さをたたえていた。
……これはちょっと。どんだけ罵倒されても、反論なんて一つも出来ねぇわ、俺。
頭を抱えたくなったけれど、今更後悔したって遅い。バーナビーが溜め込んできたフラストレーションを、とにかく全部受け止めないと。
……それが俺のやってきた事なんだよな。あー、俺の馬鹿。ホント馬鹿。
バーナビーの顔が、再び近づいてきた。まるで俳優のような整った顔立ちをしているのに、中身はどこか残念な部分を持っているのが妙に人間臭い。この青年の特殊性をどう表現すればいいのか、時々わからなくなる。
でも、ただのハンサムだったら、多分こんなに深い想いを抱く事はなかっただろう。
 もっとキスがしたい。そして、それ以上のことも、したいと思える。
虎徹の鼻の頭に、バーナビーの鼻が当たった。子供が甘える時のような仕草が妙にかわいらしい。
「好きです。……愛してます、虎徹さん」
「バニー。……俺も、だよ」
すっかり自然になった、唇を重ねる行為。今度はさっきみたいに、嵐のような烈しさはなくて。穏やかに、緩やかにお互いの唇を味わう。粘膜が触れ合う感触の深さが心地良い。くすぐるように、バーナビーの舌が虎徹の舌を舐める。
「……んん」
喉声が自然に漏れ出てしまう。息苦しさの向こうから這い登ってくる官能から、虎徹はこれまで、あえて目を逸らしていた。その先に何があるのか、考えないようにしていた。しかし見ないフリをやめた途端に、自覚する深い感覚は虎徹を酔わせ、追い詰める。
 バーナビーの掌が、まるで探るように虎徹の上半身を撫で始める。
 指が、鎖骨の形をなぞった。くすぐったさに身じろぐと、その指はさらに、首の筋の形を辿る。基本的に指先が器用なのかもしれない。撫でる感触は優しくて、何故かぞくり、と肌が粟立つ。 
何だ、これ。
その指が虎徹の胸の突起を捉えて、きゅっ、と摘んだ。
「……っ!」
痛い。キスで塞がれたままの唇から、悲鳴にならない声が上がるけれど、それはバーナビーの中に吸い取られてしまって。
その指は何度も、乳首を弄ぶようにこねまわした。まるで、悪戯をするみたいに。その度に、身体がびくびくと反応して、バーナビーの指がそこに与える刺激に、自然に集中してしまう。
そして、身体の感覚が研ぎ澄まされてゆく。バーナビーの唇はキスをやめて、濡れたそれで耳朶を強く吸い、舌で舐めた。ぞくりとする。一気に体温が上がった。じわりと肌に汗が滲んで、折角シャワー浴びたのが台無しだ、なんて思ってしまう。
「虎徹さん」
掠れた声で。どこか切羽詰まった響き。熱い吐息と共に名を呼ばれる。それだけで、身体まで煽られている気がした。
これまで自分が男として、してきた事を自分の身体に施されるだけなのに、こんな風な反応を示してしまうなど。にわかには信じられなかった。
ちゅく、と耳の傍で水音がして、唾液で濡れた耳がひやりとする。何度も刺激されて背筋にぞくりとした感覚が走り、息が上がる。苦しい。
その間にも、バーナビーの指は虎徹の胸の飾りを弄んでいる。
「は……っ」
触れられた部分から感じるものは、交わる時の昂ぶりとは少し違う気がする。もっと間接的で、緩やかで、もどかしい。
そして、より強い刺激が欲しくなる。
 虎徹は溺れそうになる自分を押し留めたくて、バーナビーの腕を掴んだ。
「い、たいですよ、虎徹さん」
耳元で囁かれると、余計にゾクゾクとした感覚が身体を走る。自分の身体の反応に、心がついていかない。訳がわからなくなる。
「んだよ、これ……なんで、こんな、に」
「こんなに?」
「こんな、ゾクゾクすんだ……!」
「そう、なんですね。……本当に、敏感なんだ」
探るように。バーナビーが舌で、首筋をなぞる。ふわりとした金髪にくすぐられた肌が髪の毛1本1本の存在を感じて、虎徹は自分が敏感になっていることを知る。そのままバーナビーの顔が下に降りて、弄ばれている乳首を、ぺろり、と舐められた。まるで、キャンディーを食べるみたいに。
「…っ! ……な、なんだよ、これ……っ」
「何、って……感じてるんじゃ、ないんですか?」
バーナビーの声に、少しだけ困惑が混じっている。
「僕に答えを求められても、困ります。……一応、こうやったら感じる、みたいなマニュアル通りにやってみてるんですけど」
 一気に雰囲気が台無しになるような事を、バーナビーが真面目な表情で言う。
虎徹は思わず吹きそうになったけれど、バーナビーに歯を立てられて、それどころの話ではなくなってしまった。
「やめ……なんか、おかしいんだって……!」
「……僕は、貴方の反応が、楽しいですよ? 汗、かいてますね。肌がしょっぱい」
ちゅ、と音を立てて吸われて、虎徹は思わず背をしならせた。
男の性感は単純だから、相手が感じているのを見て興奮して、挿入して気持ちよくなって、射精して落ち着いて、で良かったのに、いざ自分が愛撫を施される側に回ってみると、全然勝手が違う。触れられる度に身体が震えて、バーナビーにみっともない姿を晒してるんじゃないだろうか。
一体どうすればいいんだろう。惑乱は深まるばかりなのに、身体だけは虎徹を置き去りで感度を増してゆく。
「……っ、はぁっ…」
指と舌で、上半身を愛撫される。くすぐられるような感覚はもどかしいようで鋭くて、息が苦しくてたまらない。
意識の全て、感覚の全てが、バーナビーの動きの一つ一つに翻弄される。
「ズボン、脱がせていいですか……? 僕も、服、脱ぎますから」
「……じ、自分で、やる」
「だったら……僕も、その方が、嬉しいです」
恥ずかしさの余り口走ったのだけれど、もしかしたらとんでもない事を言ったんじゃないか。気がついても後の祭り。ベッドに仰向けになったままボタンを外してズボンを脱ぐ姿を、Tシャツを脱いで上半身を晒したバーナビーがじっと見ている。
「み、見んな、恥ずかしいだろーが」
「凄く、セクシーですけど?」
「セ……」
きっぱりと断言するバーナビーに、虎徹は思わず絶句してしまう。もしかしたら、こいつの根本は思い切り柔軟なのかもしれない。これまで何となく思っていたけれど、やっぱりその考えは間違いじゃないらしい。
「下着も、脱いで下さいね。僕じゃうまく、脱がせられそうにないし」
「って、え?! なんだよ、そのストリップ」
バーナビーは元々下着姿で眠るから、ズボンは履いていない。虎徹の上に跨るようにして起き上がったバーナビーの性器が形を変えているのがわかって、今更ながら、同性とセックスしようとしている自分の現実を、目前に突きつけられたような気がした。
 バーナビーの鍛えられた身体。張りのある肌は肌理細かいけれど、それは確かに、同性の持つもので。
「……なんか、お前と出逢ってから、初めての事だらけな気がするな、俺」
素直に感慨を口にしてから、虎徹は恥ずかしさごと脱ぎ捨てるように、一気に自分の下着を引き剥がした。自分の性器も形を変え始めている。見つめるバーナビーの視線が痛い。
これ、わかってて俺にやらせてるんだったら、とんでもねー……。
「……そうなら、嬉しいです。僕には、どうしても敵わないものが沢山あるから。貴方の初めて、になれるなら」
何処か痛みを伴うような口調でバーナビーが告げて、自分も下着を脱いだ。お互いに裸の格好を晒す。トレーニングセンターでシャワーを使う時にも、そしてバーナビーの部屋でも、見ることがなかった姿。
虎徹は自分の羞恥心を覆い隠すように、大声でバーナビーに宣言した。
「初めてだよ。惚れる相手が男なのも、抱かれてもいい、って思うのも、な。もーいい。開き直る。お前にだったら処女捧げてもいい!」
「雰囲気ぶち壊しですよ、そのセリフ。……まあ、いいですけど」
バーナビーは苦笑しつつ、ベッドサイドから、何だかよくわからない模様のカラフルな袋を取り出した。
「僕も実践した事はないんですけど。これを使って柔らかくして、後ろに挿入するみたい、なんですよね。あと、慣れないうちはバックで挿れるようにすると、辛くないって」
ごそごそと出したのは、潤滑ゼリーと、潤滑剤つきのコンドーム。
「へー、そうなのか。ふーん」
コンドームは見慣れているけれど、潤滑ゼリーをじっくりと見るのは初めてだった。ためつすがめつしている虎徹の様子に、バーナビーは眉をひそめた。
「……うわ、やっぱり知らないんだ。これ、僕が抱かれる側にまわってたら、痛いとかいう騒ぎじゃ済まなかったかもしれませんね。……よかった」
「何だよその言い方!」
「実際怪我するかもしれないのに、大雑把にされたら困ります。言ってるでしょう、テクニックの不足は知識でカバーするタイプなので、僕は。……痛い思いはさせませんから、安心して下さいね」
にっこりと笑うバーナビーの努力のベクトルは、どこか間違ってるんじゃないかと思わなくもない。
……これも愛の形、なのか?
思わず首を傾げた虎徹に、バーナビーは再びのしかかってきた。素肌が触れる感触は気持ちいい。互いの肌が汗ばんでいて、熱を持っているのだけが、いつもとは違うところで。
「続き、しましょう」
言って、バーナビーは唇を求めてくる。それはすぐに深いものに変わって、喜劇めいた雰囲気は甘やかな官能に取って代わる。
室温が一気に上がったような気がした。
間接照明に浮かび上がるバーナビーの身体。筋肉がしなやかに動く様は、綺麗だと思う。
不意に、首筋を痛いほど強く吸われた。虎徹の息が上がる。燻っていた快楽に再び火が付いて、虎徹はバーナビーの髪に指を絡めた。
その髪が、下へと移動する。何の予告もなく、バーナビーが虎徹の性器を咥えた。
「え、ちょ、バニー……っ!」
バーナビーの返事はない。いきなり深く飲み込まれて、吸い上げられて、強い刺激を受けたペニスは一気に張り詰めた。強烈な快楽。唾液と、溢れ出す蜜を啜る生々しい音が聞こえて、虎徹は思わず耳を塞ぎたくなった。
「やめ……っ」
バーナビーの金の髪が、虎徹の手にくしゃくしゃに乱される。急にもたらされた快楽は刺激が強すぎて、達しそうになってしまうのを虎徹は必死で堪えた。
く、口の中に出す訳にいかねぇし……!
「は……っ!」
意味を成さない声が、口からひっきりなしに溢れ始める。声で快感を逃してしまいたいのに、出来なくて苦しい。口で愛撫しながら、バーナビーは潤滑ゼリーを手に取り、温める。
限界が近づいた所で、バーナビーは唇を離した。そして虎徹を俯せにして腰だけを高く上げさせた。なんて格好させるんだ、と反論する暇なんてどこにもない。バーナビーは温めておいたゼリーを、バーナビーを受け容れる場所へと塗りつける。
「う、わ、何だこれ……気持ち、わりぃ……」
ぬるりとしたゼリーと、少しだけ中に入ってきたバーナビーの指の感触には強烈な違和感がある。正直、痛い。どうすればいいのかわからなくて、虎徹は奥歯を噛んだ。
「力、抜いて下さい……一度、深呼吸すると、いいみたいですよ」
「わ、かった……」
大きく息を吸って、吐く。全部吐き出した瞬間に、バーナビーの指がするりと奥まで忍び込んできた。
「……っ、く」
虎徹の視界にはバーナビーのベッドの黒いシーツしか映らないから、次にバーナビーがどんな行動をしてくるかがわからない。いきなりひやりとした感触がして、虎徹の身体は反射的に跳ねてしまう。ゼリーが足されたようだった。
そして、そろそろと、体内のバーナビーの指が蠢き始める。ぬぷり、と耳を塞ぎたくなるような音がした。
「あ、つめ……っ」
「冷たい、ですか? ……でも、貴方の中は、熱い」
あられもない姿を晒すことは恥ずかしい。けれど、バーナビーの声は昂奮に掠れて、その余裕のない口調が、何故かとても愛しかった。
少しずつ、指の動きが大きくなる。そして、もう1本指が増やされて、痛いような苦しいような感覚が再び虎徹の身体にもたらされた。
「バ、ニ……っ」
シーツを掴んで、その違和感に耐える。バーナビーは背に覆いかぶさってきて、後ろから虎徹の耳朶を舐めた。そして首筋を、肩を、背筋を舌でなぞる。バーナビーの愛撫から、探るようなぎこちなさは消えていた。もどかしい程に優しい動き。その感覚に慄く内に、少しずつ違和感が気にならなくなってゆく。
黒いシーツに、二人分の汗が滴り落ちた。
「虎徹さん……」
昂りを抑え切れないバーナビーの囁きが、指と唇で与えられる愛撫が、寛げる指の動きが、虎徹の戸惑いを少しずつ溶かしてゆく。ゼリーがかき混ぜられる音が酷く虎徹を煽って、少しずつ、行為への困惑が、……その先の交わりを求める気持ちに変化してゆく。
身体を交わすことで、初めて見えてくるもの。
確かに、バーナビーの言う通りだ。バーナビーの身体が、吐息が、こんなに性的な魅力を感じられるものだとは思っていなかった。
蕩かされて、ただバーナビーの存在を身体に刻みつけられる。
不意に、するり、とバーナビーの指が抜かれた。
「ちょっとだけ、待ってて下さいね。……もう、いいみたいだから」
「……あ、あ」
切れ切れの声で返事をする。荒くなった息を落ち着かせようと深呼吸をした瞬間に、圧倒的な存在感を持つものが、虎徹の身体にじわり、と入り込んできた。
「……っ!」
苦しい。
ぐちゅり、とゼリーの泡立つ音がして、虎徹の体内にまた、冷たい感触が戻ってくる。
おそらく、潤滑ゼリーがバーナビーの方にも塗られているのだろう。しかし、それが人肌に温まるまで、そんなに時間はかからなかった。
「バ、バニ……っ」
「虎徹、さん」
互いの名を呼ぶ。ただ、相手の性器を挿入するだけの、とても動物的な行為の筈なのに。
痛みと、違和感と。そしてもたらされる、この気持ちは一体何と名付ければいいのか、虎徹にはわからない。
切なくて泣きたくなるような。けれども、溢れ出すのはバーナビーへの愛おしさで。
バーナビーの指が、虎徹のそれに絡められる。
「痛い、ですか? 無理はしないように、しますから」
「くるし……っ」
「……我慢、出来なかったら、すみません」
ゆるゆると、背後のバーナビーが動き始める。
全身、総毛立つような感覚。違和感なのかもしれない。しかし、溶けて一つになってしまうんじゃないかと思ってしまうような熱さが、虎徹を灼いた。
「は、あ……っ」
ぽたぽたと、汗がひっきりなしに落ちた。このまま止めて欲しい。けれども、火が付けられたように、虎徹の身体が、ゆったりと動くバーナビーに合わせて揺れる。
「好き、です……やっと、一つに、なれた」
バーナビーの声には歓喜の響きがあった。愛してます、と何度も耳元で囁きながら、打ち付けられる腰の動きが徐々に大きくなる。稚拙な、若い乱暴な動き。けれども、不意に緩められ、やわやわと虎徹を追い詰める。
「あ、あ……っ!」
声が抑えられない。ギリギリまで抜かれたあと、急に奥深くを突かれて、身体が跳ねた。いつの間にか違和感は消えていて、虎徹はただバーナビーの動きに翻弄される。
流されて、溺れる。
こんな感覚、他には知らない。ただバーナビーとだけ、分かち合う快楽。
「気持ち、いいですか……?」
何がなんだかわからなくなって、虎徹はただ頷いた。
もっと、深くまで挿入ってきたら。バーナビーはいいんだろうか。もっと、快感を分け合えるんだろうか。
しかし、バーナビーの動きが突然、ピタリと止んだ。深い所で繋がったまま。
「だったら、言って下さい。貴方が、一番望むものを。……もっと、僕に晒して下さい。……貴方の、本心を」
「……っ!」
焦らされるように、虎徹の張り詰めた性器の根元を強く握られた。これではイくことも出来ない。一番奥深い所で動きが止まって、そのまま。
「僕は貴方の全部が、欲しいんです」
バーナビーは、虎徹の一番狡くて貪欲な部分をわかっているのかもしれない。
その上で、受け容れようとしてくれている。だから。
「……バニー。バニー、……」
唇を噛み締める虎徹の耳元で、バーナビーが囁く。
「言って下さい。そうしたら、僕は。……貴方が望むものを、全部、あげますから」
快楽が欲しくて従うフリをすることで、心の奥底に抑え込んでいる想いを吐き出すことを、赦して、欲しい。
「バニー……俺を、置いて、先に逝かないでくれ」
汗に混じってシーツに吸い取られてゆく雫は、誰にも言えなかった虎徹の本心。
「一人残されるのは、もう、御免だ……、っ、は、ああっ」
バーナビーの返事はなかった。その代わりに、まるで奪うような動きで、抽送が再開される。余りの烈しさに全身ががくがくと揺れる。
まだ慣れきっていない身体は、その動きに痛みを訴える。しかしもたらされる痛みと、その奥からじわりと現れる快感は、バーナビーが、虎徹が、生きている証なのだと。そう、思う。
「虎徹さん、……こてつ、さん……っ、愛して、ます……!」
「バニー……っ、愛、してる……」
ただお互いの気持ちを露わにする言葉だけを、紡ぎながら。
バーナビーの動きに揺さぶられ、けれども虎徹は自分からも深くバーナビーを求めた。自分からも腰を振って。
「あ、あ……っ!」
飛び散る汗。虎徹を翻弄する熱。容赦無い動きに感じる鋭い痛みすら。それらは全て、二人がここに、存在することの証明なのだ。
激しく突き上げながら、バーナビーが虎徹の性器を手で刺激する。
「……もう、む、り……っ」
ひっきりなしに雫を零していたそれが大きく震え、どろりとしたものがバーナビーの掌を濡らした。殆ど同時に、バーナビーが一番深い所で動きを止める。そして、虎徹の最奥で達した。
「バニ……っ」
二人で荒い息を吐きながら。虎徹が力を失ってベッドに倒れ込むと、バーナビーは繋がったまま、背後からふわりと腕を回してきた。何度か深呼吸をして息を整えた後、バーナビーが意を決したような響きの囁きを、虎徹の耳元に投げかける。
「……っ、貴方の望みを、僕は叶えます。絶対に、僕は貴方を一人にしない。死が二人を分かつとも、僕は貴方を愛してる」
 虎徹の背後から告げられるのは、誠実な響きで奏でられる誓いの言葉。
「……ありがとう、な。……死が、二人を、分かつとも……」
途切れ途切れの声で、虎徹はバーナビーに応え、その腕に自分の手を重ねる。
そして。
虎徹は自分に、それを赦す。
バーナビーにはきっと見えないから、今は、いい。
汗に混じって溢れる涙が、いくつも頬に筋を作った。


*


真夜中に目を覚ました虎徹の隣で、バーナビーは眠っていた。穏やかな寝息が聞こえる。虎徹の身体のあちこちが痛みに悲鳴を上げたが、半分は自業自得だから仕方がない。
「あとは、前に進むだけ……か」
交わる事が怖かったのかもしれない。それは自分の心の奥底にある喪失への怯えを、自覚することになるから。
一度こういう関係になった以上、きっと、バーナビーを喪う事への恐怖は常に虎徹を苛むのだろうけれど。
「……虎徹さん?」
バーナビーが薄く目を開ける。
「愛してる、バーナビー」
「……愛してます、虎徹さん。僕は……貴方を置いていったり、しませんから」
寝言のように、独り言のように。
バーナビーはそれだけ言うと、虎徹の手を握って再び眠りに落ちた。
その無邪気な寝顔に、虎徹は思わず笑みを浮かべた。
「ああ……信じてる、からな」
その額に口づけて、虎徹はバーナビーと共に、穏やかな眠りに落ちたのだった。

2011.11.8up。11月6日発行のコピー本に収録してはいるのですが、ちょっと書き加えた部分があります。
ということで少し改題をしているのですが。
最終回の後の二人の関係を総括したものが一度書きたかったので、とても楽しかったです!
(進行状況的には地獄を見ましたが…)
合同誌を作る機会を下さったbonny'sさんに感謝、そして感謝!
さあ次は、超重い展開の「深海」なのです。頑張ります!