少しひんやりとした部屋の巨大な窓から見下ろす見慣れない夜景は、虎徹の住む場所とは違い、ギラギラした俗っぽさに欠けていて面白みがない気がする。
ふ、と目が覚めた虎徹は、寒々しいくらいにがらんとしたこの部屋がバーナビーのものであることを思い出した。
家具の殆どない、生活の匂いのしないこの部屋に、聞こえてくる穏やかな寝息が3つ。
少し離れたベッドの方から聞こえる、ドラゴンキッドと赤ん坊のもの。
そして、傍らで酔い潰れて眠っている、バーナビーのそれ。
虎徹は静かに体を起こして、何となくバーナビーの火照った頬をつついてみた。余程深く眠っているのか、バーナビーは身じろぎもしなかった。
「……ま、相当飲んだしな」
二人の周囲の散らかったボトルの中からミネラルウォーターを見つけて飲み干す。喉を潤す水は、体だけでなく心まで滲み通るようだった。
貰いものらしいバーナビーの部屋の上等な酒を浴びる程飲んで、途中から何を話していたのかは覚えていないが、ただ酔うためだけでなく、楽しい酒を飲めたのは久しぶりな気がする。
そして、目が醒めた時に、隣に誰かの気配があることも。
規則正しい寝息が虎徹の耳に届く。そろりと手を伸ばして、娘にするようにゆっくりと薄い金色の髪に包まれた頭を撫でてみた。
何度も、何度も。
寝顔を見つめながら、虎徹は、変わったな、と思う。
バーナビーの表面的な憎まれ口は変わらないが、コンビを組み始めたばかりの頃の険が取れてきたような気がする。
そして、トゲトゲの針の奥に隠れていたのは、迷子になって立ち竦んだままの4歳の子供。
人を信じず、人生を謳歌することもせずに、ただ両親を殺した犯人を探すだけの人生を選び、時が止まったままの24歳の青年の姿は、見ていて痛々しくもある。
誰もが一人で生きていける訳ではないのだと、この孤独な相棒に伝えたかった。
誰かが傍にいるだけで癒されるものもあるのだと、知って欲しかったのだ。
大切な存在を喪った自分を、崩れ落ちそうな心を、たった一人の、かけがえのない娘の存在がこの世界へ繋ぎ止めてくれたように。
ルナティックと闘ったあの時、宥めるために強く握ったバーナビーの手は、ショックのためにか、まるで体温を失ったかのように冷たかった。
そして怪我をしてから、バーナビーは何度も何度も、労る言葉を、気遣うような表情を、虎徹に投げかけてくるようになった。
この青年を取り巻く世界が、そして心の中が、少しずつ変わりつつある。
願わくば、その変化のきっかけが俺の存在であるように。
この手が、自分の存在が、バーナビーを孤独の淵から引き上げる力を持ち得るように。
祈りにも似た想いが虎徹の胸を貫く。
楓や友人たちや、自分の周囲の人々との沢山の温かい思い出を積み上げて、時間を重ねて、自分の痛みや悲しみと喪失感はようやく、心の奥底に澱の様に沈みつつある。
時折嵐が起きて澱は舞い上がり、あの時の痛みは戻ってくるけれども、虎徹が荒れることは随分少なくなった。
諦めとは違う。表面だけではなく心の底から、笑えるようにもなった。
しかしバーナビーの傷は剥き出しのまま、治りもせずにじくじくと血を流し続けているのだ。
投げ出されたバーナビーの手に指先で触れてみる。
体温の高い虎徹に比べればひんやりとした掌が、無意識に虎徹の指を握った。
「……赤ん坊かよ」
思わず噴き出してしまう。
バーナビーは安心したような表情で、深い眠りについていた。
手が冷たい人間は、実は心は優しいのだ、という。
バーナビーの本質は、氷さえ融けてしまえば、とても熱く、そして一途なのだろうと、虎徹は確信していた。
そして自分の心の奥底に、その氷を融かすのが自分であればいい、という願望が、火を灯しつつあるのだ。
この感情を何というのか。
今はまだ呼び名をつけられないけれど。
部屋に横たわる静寂を遮るように、ベッドの方から本物の赤ん坊のふにゃふにゃいう声が聞こえてきた。
気をつけないと起きて暴れだしそうだ。
「……もう一度寝るか」
虎徹は指を外して、バーナビーの額に柔らかく口づけた。
今夜は幸せな夢をみるように。そして、明日も幸いあれ、と祈りを込めて。
「おやすみ、バニー」
再び横たわって目を閉じた。バーナビーの吐息が心を暖かな気持ちで満たす。
まどろみに沈みながら、虎徹はバーナビーとの関係が、新しい方向に向かい始める予感を、胸に抱いていた。
2011.5.30アップ。
9話を見て動揺のあまりがっつり路線に切り替えようか悩みまくったのですが、友人の助言もあり
原作より大人しく← 行こうと決めました。
がっつりは短編で、まったりは連作で、ということで。