ぱさ、という軽い音を立ててウスライの睫毛が上がった。
目を見開いた音だった。
暗い天井。光をともさない照明器具。埃のひっかかった天井のパネル。
それらを見つめながら、ウスライは言うべき言葉を決めた。
そっと薄い唇を開く――
ガシャーン!!
弾かれたようにウスライが振り返ると、暗い夜道に幾筋かの灯りが差していた。
まるで懐中電灯のような。
「な、なに?」
ハダレも目を見開いて窓を凝視している。
そんなハダレの肩を放り出すように、ウスライは窓辺へと向かった。
ブラインドの隙間から路地を見下ろすと、
口々に何かを叫びながら駆けていく男たちの集団。
暗がりがその様子を確認するのを邪魔するが、
ちらりと手にした懐中電灯が照らし出したのは武装した『賞金稼ぎ』の姿。
彼らの向かう方向は一つである。何者かを追っているらしい。
「――出るぞハダレ」
「へっ」
ウスライは手早く荷物をまとめた。身の回りのものが入った布製のカバンに、
例の刀が納められた革製の長物入れ。それだけだった。
対してハダレはいまだにスニーカーの片方に紐が通っていない始末だった。
「早くしろ」
「ちょっと待ってちょっとまって」
慌ててつま先を靴に突っ込みながらハダレは声を上げた。
「なにごと!?」
「事が動いた」
訝しげに眉を上げるハダレに、さらにウスライは付け加えて答えた。
「お前の兄が街の西側で囮になると言った」
このことは以前、ハダレが泣いた夜にも一度説明した。
それでもその一言はハダレには充分な衝撃を伴った言葉のようだった。
一瞬、ハダレの手が止まる。スニーカーの紐がするりと指の間から抜ける。
――そして掴み直し、ぎゅっと力の限り締め上げる。
ハダレは調達してもらった肩掛けバッグをつかむと、左肩から掛け後ろに回した。
とんとん、とつま先を鳴らし、新しい靴の感触を確かめる。
「よし、おっけー!」
二人はするりと病室を抜け出した。ウスライを先に、ハダレを後に。
そして階下への一歩を踏み出そうとした瞬間、
「あ―――――!」
素っ頓狂なハダレの声が響いた。
「大切なもの忘れた!!」
「……」
これだから、とむっつり黙りこむウスライをよそに、ハダレは元来た道を駆けていた。
「先行ってて!」
病室の中でごそごそやり始めたハダレの背にため息をつくと、
ウスライは一人階下へと向かった。
「大事なものだからってしまってたのがいけなかったな〜……」
ハダレはベッド脇の棚の一番上を引き出す。
がらりと音を立てて引き出されたそこには、紙片の上に乗った金属片。
小指ほどの長さの、奇妙な凹凸を持つそれを持っていくのを忘れていたのだ。
よりによって。
自分の忘れっぽさを反省しながら(改めないが)、ハダレは一人ごちた。
「今度は忘れないように大事にしまっておこっと」
そして背中のバッグを前に回し、手前のポケットを開ける。
その中に金属片をほうりこもうとした――――瞬間だった。
「…………」
何かが――何かが脳裏をよぎったような、脳の裏がかゆいような、
そんな違和感を覚えてハダレは手を止めた。
何がいけないのか分からない。が、自然とその手が止まる。
答えを求めるように、そっと視線を下ろす。そしてその手を開く。
素の掌の上に乗った金属片。
じっとその上に、片目だけの視線を這わせる――何度も、何度も。
「わかった」
その天才的な思いつきに自身で感激さえしながら、ハダレは呟いた。
「分かった!分かった!!ウスライ!分かった!」
元来た廊下をさらに駆けもどりながら――ハダレは叫んでいた。
それが何なのか。何のための道具なのか。
まさに神が降臨したかのように、ハダレには理解できた。
そしてそれは今のタイミングを逃しては二度と実行できないものであった。
「バーへ戻る…?」
息を切らしながら戻ってきたハダレを迎えながら、ウスライは眉根を寄せた。
バーの位置は確かにここからは西側だが、一直線に最下層街を抜けるルートではない。
「なぜだ」
「……はっ、ハッ……分かったんだ……コレの使い道……」
息を整えながら、ハダレは例の金属片をウスライの目の前につきだした。
「これ、バーで使うんだ。オレ分かった。間違いない」
「……」
「どーすんだ。行くなら地上からいかねぇと」
後ろから覗き込むように医者が呟いた。
医者が最後に用意したのは、ゴミ捨てのシューターからつながる地下避難経路だった。
地下の道のりは複雑だが、ハダレはよく知っていたため
そこから最下層街東端に出る事ができるはずだった。
それを捨ててまで行く価値があるのか、ウスライは慎重に考慮しているようだった。
「オレ、一人でも行くよ」
そんなウスライの様子をしり目に、ハダレは断言した。
「兄ちゃんの残してくれたものだから。最後までちゃんとしたい」
「…………」
ウスライは医者と目を見合わせた。
まるでハダレの意見と、どちらを採るべきか見合わせるように視線が動き――
「……バーへ戻る」
「ウスライ!?」
医者の驚くような声に、ウスライは顔を伏せて言った。
まるで、どうしようもない駄々っ子にほとほと疲れた、というように。
「悪いが、地上から東を目指す。何から何まで手配してもらってすまん」
「捕まるぞ」
医者の端的な指摘に、ウスライは首を振った。
「ハダレ一人捕まっても同じ事だ」
とくん、と少しハダレの胸が跳ねた。
それを隠すように、ハダレは右手を胸に当てる。
まださっきの余韻が残っているようだった。
こんな時だというのに、馬鹿みたいに胸がどきどきしていた。
「行くぞ」
「うん」
行き先の闇も晴れないまま。二人は駆けだす。
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