がくん、と。唐突にハダレの膝が折れた。ウスライの腕の中で、ハダレは意識を手放した。
安堵からか、『異』を使用したことによるストレスか、殺傷の衝撃か、或いは身体的な疲労か。どれも五分五分だろう。
その体を抱き留めながら――ウスライは、震える咽喉を引き絞って声を上げた。
「…勝った」
決して叫ぶのではなく。平坦な声音で。だが、静まり返ったその会場に否応無く響くほどの音量を以て。
「俺たちが、勝った」
決して誇るのではなく。単に、動かない実況の代わりに。状況を言葉に変え、明確にしてやる為に。
――代理戦争を終わらせ、此処を立ち去るために。
ウスライは僅かに左手の握力を働かせ――痛い以前に動かないことを思い出した。右腕だけで全てを済まさなければならない。
仕方が無く、何時の間にやら放り出していた抜き身のままの刀を、口と右手で鞘に戻す。兄の分は納めなかった。
それを元の黒い袋に入れなおして右肩に背負い、更にハダレをも背負った。
幾らハダレの体重が軽いとはいえ、重くないわけが無かった。が、そのまま歩みだす。
舞台を降り、例の扉をくぐり、控え室を過ぎ、廊下を通り抜け――外に出た。誰も咎めたり、塞いだりはしなかった。
何となくそこで、ウスライは息をついた。
勿論、外に出たから安心というわけではない。建物の外周のどこに組織の関係者が居ないとも限らないし、
ハダレになにかしら因縁のあるものが通りすがる確立は0ではなく、単に物珍しさで絡まれるかもしれない。
それでも、ウスライは以前にハダレを担いで運んだ時より、堂々とした歩みで進んだ。
開き直ったともいえるその歩みは、覚悟の賜物だろうか。――ハダレを、その手で守り続けるという覚悟の。
ウスライがハダレを取り戻すための方法――一人で組織を壊滅させるとか、不可能な事以外で――はたったひとつだった。
カギロイが組織から個人へ変わる瞬間。代理戦争の舞台に上がった時に、何としても倒す。それだけ。
しかし、物理的に代理戦争の舞台に上がっただけでは意味が無い。刀を取らせなければならない。
その為に――逆に、ハダレの『異』の事をダシにした、と言ったら彼は怒るだろうか?
ウスライは、この僅かな期間に故郷に赴き、ハダレの存在と可能性を知らせた。
元々故郷ではそこはかとない懸念がされていた課題であったために、その『命』が下るのは思いのほか早かった。
ハダレの保護と、――あの場で、カギロイには言わなかったことだが――召喚。
ハダレを保護して連れて来いという命令だった。
故郷が一枚噛んでいるとなればカギロイは意地にもなるだろうし、抵抗せざるを得ない。相手がウスライなら尚更。
結果は上手く行った、とは言いがたいが……生きて帰れたのだから、よしとすべきだろう。
しかし、一方でこれからハダレを故郷へ連れて行ってどうなるのか、微妙なところだった。
再びあの堅牢な掟が、ハダレを拘束するかもしれない。無茶な要求をされる可能性は大いにある。
もしも故郷の彼らが暴挙に及ぶことがあったら――
……ウスライはハダレを抱え直し、歩みを速めた。後を付けられている――気配がする。
ただでさえ手荷物が大きいところに、満身創痍の体。状況は絶対不利。
だが、不思議とウスライの心には明確な後悔や諦めはなかった。
あの、「死ぬな」という鮮烈で拙い叫びが、己で立てた覚悟が、不思議な心境を生んでいた。
――今度は、ハダレがあの廃ビルで口にした小さな願いを護ってやること。
例え、ハダレを護るために故郷に『下させた』命令に、矛盾しつつも背くような事になっても。
彼に対して抱く感情を果たす為に。
そして――
ウスライの為に、唯一の武器であり、家族との繋がりである『異』と右目を放棄してまで戦い抜いた彼に応えるために。
黒尽くめの男、ウスライはすっと足取りを更に加速すると、細い路地にその身を滑り込ませた。
その滑らかな動きに、逆に後を付けていた男達がたたらを踏む様な不自然な歩みを見せる。
思わず立ち止まり、仲間同士で小さくその失態を罵りあい、体勢を整えて改めて路地に踏み入ると――
果たして、その姿は闇に溶けて途中で目視できなくなってしまったように、忽然と消えていた。
それ以来、彼らを目撃したという確からしい情報がこの街を駆け巡ることは無かった。
風の噂程度なら、他のあまたのゴシップに混じって幾つも流れた。
曰く、途中で追っ手に襲撃を受けて殺された。曰く、罹った医者がヤブだったので傷が腐って死んだ。
曰く、遠い異国に逃れるため、最下層街を抜けていくのを目撃した。曰く、実はひっそりとこの街で生きている。
曰く、路銀が無くて野たれ死んだ。無念の余り成仏できず、以来自縛霊となって写真には写る。
曰く、全く違う地域でまた代理戦争をやっていた。
幾つも、幾つも。ハダレと親しかった者も、知っていた者も、誰もがそれを聞いて一喜一憂を繰り返した。
だが、時が経てば人の記憶は薄められていく。
街は新たな住人を増やし、代理戦争は新人を登場させ、過去の人物を消していく。
だが数日、数ヶ月、数年。
ハダレと親しかった者達が気が付く頃には、流れる噂の数も減り、噂をするもの自体が減り、
――やがて彼らが忘れることによってハダレという者の存在が最下層街から消えようとしていた。
上がった歓声に、カウンターの中でグラスを磨いていた女性は舞台の方を見やった。
今売れ筋の若手選手が、老練な選手にコテンパンにやられて悲鳴を上げていた。――賭博師達の予想を裏切る展開。
以前よりも深まった皺を気にしながら、ああ何故こんな野蛮な場所で毎日働かねばならないのかと溜息をつく。
だが、溜息をつく以上の事――転職を考える、等――はしたことが無い。毎日、そこで終わり。
今日も脳内での愚痴程度にして、次々と曇ったグラスを拭き終えていく。
ふと。目の前を見やると、カウンター越しに数口分中身の減ったコーラのグラスが汗を掻いているのが見えた。
別に驚くことではない。先ほど、注文されて自分が出したものだからだ――目の前の、少年に。
年の頃は14、5といったところだろうか。余り特徴の無いその風貌は、まだこの街の新参者と言った風合いに等しい。
実際女性が彼を覚えていたのは、彼が最近代理戦争に出始めた――出させられ始めた、からだった。
少年の表情は固い。まだ勝利の華々しさや、恍惚や、そういったものを知らないゆえの緊張。
その横顔――舞台の方を向いているからだ――を眺めながら、思い出す。あの、行方知れずとされている眼帯の青年を。
ふと、その青年の話でも聞かせてやろうか、と思い立つ。
ここでは、強いものの肩を持つのは自由だが、弱い方に肩入れして悪い道理がある訳でもない。
それに――試合に負けて行方不明という話なら単に彼を怯えさせるだけだろうが、
とにかく楽しくやれているという手紙が来たことをこっそり教えてやれば、彼の緊張も解れるに違いない。
女性は少年に声を掛けた。
少年はゆっくりと、意外そうな表情で舞台から視線を外し、向き直る。
――引き込まれるような、不思議な魅力に輝く瞳を向けながら。
代理戦争/最下層街編/起承転結――完
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