ずる、と夢の中にあるまじき振動を感じた。
いぶかしげに考えるまもなく頼りなげな感触とともに、自分の体が宙に放り出されたのを自覚する。
「……ぅ…」
ハダレは必死に、空だと思う方向を見上げた。が、周囲そのものの闇が深く視界が利かない。
事態が飲み込めないことに寒気を感じながらも首を振ると、強い頭痛を感じた。
「うぐ……」
いったん自覚するともはや無視することはできなかった。
尋常ではない痛みが、右眼の奥からうねるように押し寄せてくる。
「……」
わずかでも運動の余韻が頭に伝播すると脈打つ熱さに体が痺れそうになる。
ハダレはゆっくりと周囲を見回した。
ありえないことに、ここは野外だった――行き倒れたことはあったが、
いつもそんなことをしているわけではない。ここはどこだろう。とにかく身を起こさなくては。
そう思って上体を起こそうと手をつく。
「痛っ」
また強い痛みを感じ、身をすくめる。今度も灼熱感が身を焼いた。
ついた右手をゆっくり持ち上げて眺めると、グローブの隙間から腐ったソーセージのようになった指が見えた。
いつもはどちらかというと緩いくらいの手袋が、腫れ上がった指に食い込んでいる。
握り締めようとすると内部に軋みと痛みを感じる。そして思ったよりも動かないことから、
「……折れ、た?」
自身が重傷であることを悟った。
だが、それならばなおさら地べたに寝てなどいられない。ハダレは慎重に体を起こした。
視界には、まぁ一般的といえる裏路地があった。見覚えもあった。
例のヤブ医者の隠し診療所のある方向はこちらだ。残り何十メートルもない。
負傷していて、そちらに向かう。この道理は理解できた。だが、理解できないことがある。
(…………なんで、怪我して…………)
頭痛と右手以外にも、体中が殴りあった後のように疼いている。疲労して、休息を欲している。
しかし、なぜ?
「……ハダ、レ」
名前を呼ばれて反射的に振り返る。そこには誰も立っていなかった。
――しかし、闇の中に誰かが倒れている。
「……」
痛む体を引きずりながらそちらに近づくと、倒れているそれが顔を上げた。
「落として、悪かった……怪我、増えて、な、いか」
「……いや」
首を振ると痛みを感じるため、言葉で返す。と、それはあからさまに安堵した様子だった。
「流石に右手が……疲れて。血が、足りないのも、まずかったな」
見れば、黒ずくめの男の顔と手指は蒼白だった。死人の色といっても通じる。
その上を、暗闇の上では分かりづらかったが生臭い赤の液体が伝っていた。
驚く元気はなかった。だが、自分より重傷な相手に背負ってもらっていたのは申し訳なかった。
ハダレはものもいわずに立ち上がり、彼の荷物を全て担いだ。
「ハダレ……?」
不思議そうな声をあげる男に構わずに。
ハダレは彼の腕を――傷のないほうの腕を取り、半ば引きずるようにして強引に担ぐ。
男は何事か訴えかけようと口を開いた。が、ハダレはすでに一歩踏み出している。
「黙ってろ」
静かに、だが反論を許さない声音で言われて男が口をつぐむ。
「オレがやる」
「……そ、か…」
吐息に混じった返答を最後に、彼は黙り込んだ。安堵の混じった、暖かい溜息が耳元をくすぐる。
謝ることも、感謝の言葉もなかった。ただ黙り込み、ハダレの背中に男はすがった。
縋られた青年は一歩一歩を慎重に踏みしめて進んだ。
目的地への道のりは静かで、誰一人としてそこに存在しないかのようだった。
だが、流石に4階の診療所の前まで自分より重い体を背負っていくのは重労働だった。
途中何度も転びかけたし、階段ではひざをついて休んだ。
一刻も早く身を隠したかったが、それを助けてくれた男が邪魔する。
それでもハダレは一人先に目的地へ行き、応援を頼むことはしなかった。
自分の足で彼を背負い運ぶこと以外に、彼の中でなすべきことはなかった。
疲労の極限の中で、体中が疼いている。熱く、不快に脈打ち、それ以外に感じるものは少ない。
背負った彼の体も同様の熱に侵されている。それだけは確かだった。
生々しい血の匂いだけがハダレの意識を覚醒させ、皮肉にも血を沸き立たせ、力を与えていた。
押し上げられるように。
ハダレは階段の最後の段を越え、一番近いドアに体を叩き付けた。
「っせぇってそんなに叩かなくてもわからぁなぁ……って、……ハダレ?
……ハダレ?お前どうして…ウスライ、あんたもか!?
おい、どうしたんだよ?何があったんだ!?
ハダレ!ウスライ!…………」
まあ、何とかなるだろう。ここまでくれば。
そんな投げやりな思いがないわけではなかったが、ハダレの意識は再び失われかけていた。
もう動けない。いや、きっと動けない。
あとは全て任せてしまおう――……そう思った瞬間、ハダレはひざをついたまま意識を失っていた。
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