「それ?」
手伝っていた男が振りかえって聞いた。
その背後では、男が狂ったような速さで腰を打ちつけている。
犬は掠れた声でうめき、不安定な体と足を押さえつけられ、こちらに開脚した形になっている。 そのせいでよくは見えないが…
「あぁ。もしかしてこれか」
男がひょいとかがんで、犬の尻に手を伸ばした。
一瞬後には、髪の毛と同じ黒い毛の束をつかんでいた。
犬は驚いたように目を開ける。
「…へぇ…」
『責任者』はうめいた。まさかこんなものをつける趣味が、電子グラスの男にあったとは。
「尻尾ですよ。先生。振ったことなんてありゃあしませんがね」
「眼鏡の先生の趣味か何かなのかい?」
こともなげに『責任者』は聞いた。
彼が驚いたのは犬に尻尾があったと言う事ではなく、
残酷な生物兵器や危険で目新しい実験にだけ興味を示すと思っていた男に、 尻尾などと言う発想があったことなのだが。
ん、と男は顎をしゃくっていった。
「いやぁ、犬のことは扱い以外あんまり聞いてないからなぁ…
しょせん俺たちは金だけもらって、好き放題やらせてもらってるだけだからな」
「そうか」
男たちはおよそ『都市』に似つかわしくない風体と言えばそうだった。
どちらかというと、スラムから調達された人材の中で、比較的ましな仕事をやらされている、 そう言う印象だった。
男は『責任者』のその視線に気が付いたのか気が付かないのか、
皮肉げな視線を、もううめきもしない犬に送って軽く笑った。
「…まぁ実験の失敗だとしてもそうじゃなくても、気の毒には変わりないよな」
…そのとき、がくがくと揺さぶられていた犬が咳き込むような音を出した。
男たちは多少慌てた様子で、犬を放り出す。
犬の体が床に打ちつけられても、かまう気配も見せない。…彼等は雇われて長いのだろう。
そんな事を『責任者』が思った刹那だった。
かは、かはっと咳き込む音が酷くなり、犬が体を震わせる。
皆が無言で見詰める中だった。カメラ越しにも、電子グラスの男が見つめているに違いない。
しばらく犬はよだれと喘ぎを交互に漏らしていたが、濁った音とともに吐瀉した。
男のうち、1人が轡を外しに近寄る。
勿論親切心ではなく、気管がふさがって大切な実験体が窒息死するのを防ぐためだ。
だが、
「………………!」
犬はなおも小さく嘔吐しながら、明らかに周囲を威嚇した。
声は出ないが、近寄る男を正面から睨みつけ、牙をちらつかせる。
男が一瞬、立ちすくむほどの殺気を漲らせて。
暴れる体力はとうに潰えたようだが、気力は全く減退していないのだろう。
いや、もしかすると減退してこれなのかもしれない。
だとすると、相当の失敗作と言うのもわからないでもない。
「……ったく」
だが先ほどまで犬を抱えていた大柄な男は、殺気の一瞬が過ぎると嘆息した。
そのまま近付くと、動けない犬を蹴り飛ばした。そして何度も。
意外と体重の軽いらしい犬が、壁際までけり転がされるのを、 『責任者』は確かに興味深く見ていた。
「…聞き分けのないワン公が」
ドスの利いている、凶暴な声で犬を追い詰めると、その尾をつかんだ。
何度も体重をかけられてばさばさになった尾は確かに青年の尻上部から生えていた。
縫合などの跡はないから、遺伝子を改竄した時のものなのだろう。
研究者らしい気分で分析をすると、『責任者』はただのギャラリーに戻った。
「……ッ」
男は尻尾をつかんだまま、その手を空中に上げた。
力なく床に倒れこむ体のうち、尻尾に近い部分、つまり尻と太股が引きずり上げられていく。
犬がうめきを漏らしたのは、きっと尻尾に神経が通っているからだろう。
男はなおも腕を上げたまま、未だにひくひくと震えて精液を吐き出している犬の性器を
一瞥すると、その後ろの肛門に拳を押し当てた。
「俺たちのナニで足りねえってんならこれがまだ余ってるぜ」
「(……はったりですよ、先生)」
ふいに囁かれて、『責任者』はその方向を見た。
檻のすぐ側にいた、話したことのない男だった。
「(…犬にあんまりダメージを与えるのは契約違反なんですよ。
あの犬、性格的には問題あるけど機能的には問題ないから。
犬も賢いモンで、俺たちがそこまでできないってわかってるからつけあがって…)」
「(…賢い?)」
緊迫の一瞬を一瞥しながら、『責任者』は尋ねた。
「(犬は人間と同じ知能があるんじゃないのか?)」
「(まさか…)」
「(知能が犬と同じってことはないだろう?犬は考えて行動している)」
男はちら、と犬を横目で追った。
「(…先生は感情はあるけど人間には酷く劣る原始的なもんだって…
口より手より先に牙が出ますし、言葉なんか話しませんよ?)」
意外な事実に『責任者』は頷いた。
知能を持たせることは銃器や作戦を使う事ができるが、同時に反逆の可能性なども生む。
そこまで考えたとき、そばにいた男がああ、とうめくのを聞いて顔をあげた。
「(ほらやっぱり。やめたでしょう)」
部屋の隅では、犬の尻尾を手放した男がこちらを振り返っていた。
「…すみません先生。このワン公、いいところで限界にきちまったみたいで」
「いや、楽しませてもらったよ」
何故か本当に申し訳なさそうな男に、『責任者』は半分は心からそう言った。
「お望みなら先生もここを使ってもらおうかと…」
大柄な男は未練がましく、足の指で犬の尻を割り開いた。
しっとりと濡れていっそう際立つ褐色の割れ目の中心に、くすんだ桃色の『性器』が 口をあけていた。
とろとろと何人分もの精液を吐き出しつつ、時折痙攣のように蠢くそこは、
男性にも女性にも興味のない『責任者』にも美しく映った。
男が足を退けると、他の男たちは犬を担いで部屋の隅へ移動した。
「うんうん、いや考えないわけじゃなかったんだけど。
研究者としても一般人としても面白いものを見せてもらって満足だよ」
そう言いながらも、ちらりと部屋の奥を視線で追いかける。
ちょうど他の男たちは、犬の後始末をしていた。
せり出し式の水場から汲んだ水とタオルで犬を隅々まで拭う。
轡に塞がれていた口元、仰け反らせていた首筋、噛まれるたびに震えていた鎖骨や
そこから続く鍛えられた体の各部。
犬は気絶しているようだった。
タオルが性器やその後ろの一番汚れたであろう場所に辿りついても、
ぐったりと首をうなだれたままだ。反応もない。
「…2日はもとにもどらないでしょうな」
ふと、男が呟くように言った。
「…何故?」
『責任者』が何気なく、何を意図するでもなく問を口にする。と、
「あなたが犬にご興味を持たれたようだから」
男は何に対する問なのか、意味ありげな答えを口にした。
犬の始末が終わると、すぐさま研究員達が入ってきた。
犬の管理者なのだろう彼等は、無言で犬を男たちから引き取ると『責任者』を連れて
部屋の外に出た。
そして暫く妖しげな通路を進み、怪しげなドアをくぐり、怪しげな照合を幾つかすると、
彼等は怪しげな研究室へと辿りついている。
「…失敗作の部屋です」
研究員は無表情にそう告げると、早足でそこを通りすぎていく。
明かりもない通路は、無数の叫びで覆われていた。
失敗したコピー用紙を投げ込んでいく、くずかごのように意味のない叫びで。
更に暫く進むと、開いた檻があった。そこが犬の檻らしい。
研究員達は犬が気絶している事を確かめると、手首の縄を外して手枷を付けなおし、
更に首輪と鎖を檻の格子につないでから、やっと犬の檻を閉めた。
早足で元きた道を帰っていく研究者達を耳で追いながら、
『責任者』は意味もなく『犬』を振りかえった。
『犬』は檻の床に意味もなく存在している。
………『責任者』は意味ありげに笑うと、立ち去っていった。
「……畜生…」
足音も叫びも消えた頃に、犬が弱弱しく叫んだ事を、
研究員も『責任者』もおそらく知らない。
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