真・艶事略決/攻の巻/鬼退治後編


――桜舞う春の夜。またもや京の都の一角の屋敷で。
夜も更けたというのに、うきうきと弾むような鼻歌を歌う男がいた。
かがり火に照らされた庭園の桜を眺めては溜息をついたり、書き物に興じてみたり。
そんな落ち着かない様子でいる彼に、話しかけるもう一人の男。
側仕えのものらしく、幾分か動きやすそうな着物を着込んでいる。
「…………兄さん、えらく上機嫌ですな。何ぞ、待ち人でもあるんで?」
「おや、お前さんには話していなかったか?」
男は手を止めて、もう一人に振り返った。ほろ闇を照り返して輝く肌に、笑顔の紅を引きながら、
「待っても待っても来なかった御人が、やっといらっしゃると今朝方文を遣されたのだよ」
「へぇ……そんなに長い間、あんたが待てるような素晴らしいお方が」
「その言い様は引っかかるものがあるな」
「いきずりの化生まで引っ掛けて取って食う、そんなあんたが尻を押さえて待っていられるような
 素晴らしいお方がこの世におわすとは、到底俺には考え付かなかったなぁ、と」
ふ、と男は息をついた。
「取って食われた化け物がたいそうな口を利くな。
 今からでも遅くは無い。あの屋敷に戻って引き渡し、嬲り者にされたところを笑ってやってもよいのだぞ」
「そりゃあ無いでしょう兄さん。さんざっぱら俺を自分好みに仕込んでおいて、いまさら?
 その御人がまたお帰りになったら、どうやって自分を慰めるおつもりで?また白蛇でも呼びますかい?」
もう一人は軽口に軽口を重ねて答えたが、その口ぶりにはどこかあわてたような雰囲気が混じっている。
それを気取って、男が口元を隠して優雅に笑った。
「お前の言うとおり、今さら、だ。そんな面倒はしまいよ。安心してよいぞ」
本気であわてるその姿がよほど面白かったのか、男は耐え切れないというように大口を開けて笑い始めた。

その姿に憮然とした表情でいたもう一人は、男の笑いが収まる頃に、ふと思いついたように言った。
「……その、兄さんの待ち人ってのは、どういう方なんですか。
 さっきの蒸し返しではありませんけどね、そりゃあ素晴らしいお方でないとあんたは待たないでしょう」
「聞きたいか?」
「納得してからじゃないと、少なくとも屋敷に連れ戻されたかぁない位には」
「よっぽどこたえたらしいな」
揶揄されて、もう一人は歯をむいて憤慨した。
それを余裕綽々で受け流しながら、男は視線を桜に戻した。
ほの白くゆれる花々を遠く見つめながら、とつとつと語りだす。

「そうだな……初めてあの御仁とお会いしたのはいつだったか……
 確か数年前、都にかつて無い大群の化生のものが入り込んでしまった時の事か。
 あの時は謀反の意を持ったものが都の内側から手引きしていたせいで、止めることもままならず、
 多数の官も民も被害をこうむったものよ。私の屋敷も庭木はことごとく倒され、壁が崩れ、散々だった」
「大変だったんですね」
「それこそ京は天地のひっくり返ったような大騒ぎになった。
 その混乱がすさまじいせいで、取り逃がした妖のものも多かった。
 武士も陰陽師も神官も坊主も行き渡らぬ場所さえあった。
 ――そのとき、誰かが叫んだのだ。『帝のもとに、化け物が現れた』とな。私は馳せ参じようと、振り返った」
ほうほう、ともう一人は頷いた。
「その目と鼻の先に、大鬼の軍団がいた。私は焦ったよ。こんなときに、とね。
 慌ててそれらを術に掛けようとしたとき、――彼らのふるった棍棒が私を打った」
「痛かったか?」
聞かなくても分かるような事を尋ねるもう一人を、男は「当たり前だ」とたしなめた。
「路地に転がった私を、鬼が踏みつけようと振りかぶったとき――現れたのがあの御仁だ。
 あの人は優れた術で鬼をやすやすと封じると、私の元に膝をついて言った。『大丈夫か?』と」
ひらひらと舞う桜に、目を細めながら語る男の目の前に、どう風で流されたのか花びらが行き着いた。
それを指先で掬い上げ、ふうと吹いてもういちど舞わせると、
如何な術を凝らしたものか、それは芳しい香気となって空へ舞い上っていく。

「…………いいお話じゃあありませんか。で、その後は?」
「どうもないさ。
 その人は私にたいした傷が無いと分かると、帝の元へ急げと言った。
 しかし痛みでなかなか起き上がれずにうめいている私に近寄り、私に鋭気を分けてくださった。それが優れていたのだ」
「ほぉ」
「見事に私の性分を見抜いていたのだ。
 あの人は私を無理矢理拘束した挙句、路上にもかかわらず私を善がり泣かせ、淫靡に誘うまで挿れてはくれなかった。
 そして私の奥の奥に断りも無く何度もそのまま鋭気を注ぎ込み、さらに上の口からも……」
「ちょちょちょちょっとおかしいおかしい!ちょっと待って兄さんそれ途中から変!」
「騒々しい。何をそんなに騒ぐ必要がある。当然のことだろう?」
「いい話が途中から単なるエロのろけに!!おかしいじゃないですか!」
「何を。そのお方が力なく倒れた私に鋭気を注いでくれただけの話ではないか。いい話であろう」
「途中『断りも無く』とか言ってたじゃないですか!」
「ああ、断りは入れていたかもしれない。
 『どうだ、私の鋭気が欲しかろう。欲しいなら、もっと腰を振って強請ってみよ』とかなんとか……」
「それ違う!断りじゃない!大体道端でって、何考えてたんですかその御人は!」
「いちいちその方の屋敷に行っていたら帝はどうなるというのだ。正しい判断だろう」
「正しくなーーーーい!
 いや、帝は!?帝はどうなっちゃったんですか!?」
狂乱したように騒ぎ立てるもう一人を不思議そうに見つめながら、男は言った。
「勿論、その後馳せ参じた私めの力によって化け物は退治され、帝はご無事であらせられたに決まっているだろうが」
「あ、何だ……」

どこかほっとしたように息をつくその者を、理解しがたいといった表情で見やる男。
――その耳に、戸を叩く音が届いた。
「いらっしゃったかな」
途端に表情をころっと変えた男のために、もう一人は立ち上がった。出迎えのためだ。
いそいそと回廊を抜け、閂を下ろしてある門ごしに尋ねる。
「どなた様でしょう」
「…………」
迎えに向かったものは顔をしかめた。分厚い門越しでは、相手の返事は小声過ぎてよく聞き取れない。
「今朝方文をおよこしになった方で?」
「…………」
「俺の声が聞こえておられますか?」
それでもぼそぼそとしか聞こえないのを不審に思い、彼はその耳を扉に当てた。じっと聞き耳を立てる。

――その時、彼はもっと不審に思えばよかったのだ。
彼の耳は『人間とは違い』『百年も生きた甲斐があって』、何里も先のひそひそ話が聞こえるほどの
優れた聴覚を持っていたのだから、扉のひとつ隔てたところで聞こえないわけは無かったので。

「……!?」
唐突にがっしりと頭を掴まれて、彼は――狐は、咄嗟に門から体を引きはがした。
が、どうしたことかいくら腕で突っ張っても、木製の感触が離れることは無い。
「ど、どうしたってぇ……!?」
慌てふためきながら、ふと思いつく。
『門が閉まっているのに、どうやったら頭が引っ張られるのだろう』……

「…………変化の術!」
おーん、と狐の口から甲高い咆哮があがるや否や、その姿はぱっと子狐に変わった。
細く小さくなった体が何者かのかいなをすり抜け、地面に落ちるとたたたと門から離れ、変化を解く。
もうもうと上がる霞の中、現れたのは世にも美しい姿の九尾の古狐。
だが、その目は驚きに満ちていた。
「あれは……」
つぶやく彼の目に映るのは、門をすり抜けるようにして姿を現した鬼の姿だった。
仰々しい化け物の姿ではなく、ぼろをまとった精悍な姿かたちの男のようなその鬼には見覚えがある。
「お前は、兄さんの……」

だが、そのつぶやきは閂を内側から抜かれ開かれた門と、そこを踏み越えてやってきた男に遮られた。
「夜分遅くに失礼仕る」
貴族風の、だがどこか趣を異にした衣装を夜風にひらめかせた男が、狐に言った。
「この屋敷の主人に用あって赴き申し上げる。目通り願う」
「…………ほお、あんたが……」
狐はきゅっと目を細めた。
「兄さんの鬼を連れてるって事は、まごう事ないな……」
分かり申した、それでは案内いたしましょう。そう狐が続けかけた、そのときだ。
「口を慎め、化け狐」
冷たい声音が大きな狐の耳に届くや否や、その身に大変なことが起きたのを知って、狐は絶叫した。


「……ああ、いらっしゃったのですね!忠憲様!」
「い、いらっしゃったのですねじゃない――!兄さんたぁすけてぇーー!」
その絶叫を合図とするように駆けて来た『兄さん』――九尾の狐退治にて自らを捕らえ、命を助けてやる代わりに
側仕えになれと命令した陰陽師に、九尾の狐は助けを求めた。が、陰陽師は聞いていない。
一方、『忠憲(ただのり)様』と呼ばれた男は面白くなさそうに答えた。
「白々しい。私の仕事場でわざとらしく鬼を暴れさせ、文の代わりにするとは優雅なことだ。
 風雅にもほどがあるゆえ、今朝の文を送った次第だが。清晴(きよはる)、見たか」
「しかと。包みを開けると、中から百済のみで取れる薬の木でできた男根の彫物が出てきました。
 文机に並べ、眺めては貴方の事をいまかいまかとお待ちしておりましたよ」
「並べるとは……思わなかったが」
忠憲はさすがにあっけに取られたような表情を一瞬浮かべた。
だが、ふとうるさそうに眉をしかめる。後ろを振り仰ぐと、
「そんなもん並べてないで、早くたすけてぇ――!」
鬼に尻尾を掴まれて宙ぶらりんになった狐が、風に揺られる干し物のようになりながら喚きたてていた。
「何かこいつ、俺の力が通用しないんでさ、はぁやくーー!」
「当たり前だ。式神が簡単に化生の精に負けるか。うるさいぞ。――鬼!」
忠憲が命じると、鬼がごそごそと動いた。
鬼は最早作り変えられてしまったように、何も逆らうことなく淡々と従っている。
「ん、ん゛―――――――!」
鬼は自分の手のひらで狐の口を掴み、わめけないようにすると、
ひょいとその体を押し倒して毛の生えた体をまさぐり始めた。
「よかったな狐。忠憲様の式神だ、たいそう荒々しくかわいがってもらえるに違いあるまいよ」
「ん゛ぶ、っ、うう」
いらんわそんなもの、といったようだが、誰一人として聞き届けたものはいなかった。

もぞもぞと絡み合う化生の物どもを差し置いて、二人の陰陽師が向き合って語らう。
「忠憲様、いらっしゃったからにはゆっくりとなさってくださいませ。
 床も湯も用意させてございます。久方の逢瀬を楽しみにしておりましたから」
「要らぬ。お前が心を込めた文を送るたびに仕事が増える。
 二度と私に逢いたくなくなるほど責めに責め抜いて、夜明けを見る前に立ち去ってやるわ」
「それは酷い。目覚めたときのその心地を考えたらそのようなことはできぬはず。
 ――そうだ、私の術でその心地、たまには説くと味わってみると宜しいのでは?世界が変わりますよ」
「そのようなことをしたら、金輪際色めいた欲を感じぬように尻小玉を抜かせるぞ」
「心底性根が冷とう御座いますなあ」
「生まれつきだ。――分かったら言わずともその衣を脱ぎ、跪け」
「おお怖い怖い。お手柔らかに頼みもうしあげますよ」



――春の都の宵闇に、まぐわう人と人ならざるものの狂乱の宴に、
降りかかる桜の花弁はあたかも戦場を覆う雪の如く。
月にほのかに照り映える美しき京は、彼らの力を以って護られ、彼等に因って今日も乱れる。




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