Argo Navis

3. Vela

 パーティという社交の場が、マルチェロは案外と嫌いでもない。回りくどい言葉で持ちかけられる商談等々は適当にいなしてしまって、ごく自然に酒や会話をこなしてしまう。
 ただ、時に辟易することもある。マルチェロの社は今、新規航路の開拓を展望し始めたところだ、メーカー各社としては何としても食い込みたい。今晩もそんな連中に囲まれた。だがマルチェロの見解では、こういう場で決定を左右するような要素を拾うべきではない。
 今日はそろそろ引き上げかというところでマルチェロを捕まえたのは、部下と、社の所有するタンカーの船長だった。某造船会社の某氏にぜひ会っていただきたいと言う。呆れてその顔を眺めながら、そう言えばこの船長が、教会の奉仕活動で港湾に来たというあの青年を拾ってきたのだったかと、商談とはまるで関係のない、数日前に聞いた情報を、頭の中でおさらいしていた。
 まあ、仕方ない。溜息だけで返答し、案内についていくと、一室でその某社の某氏とやらが待っていて、大仰な握手とハグで出迎えられた。かなり掴まされたな……マルチェロは船長を横目でチラと見遣って思った。彼らは3人がかりで世辞をサラウンドで響かせ、やたらと高級な酒を勧め、果ては「こんなムサい男の酌では無粋でしたな」などと言い始める。いよいよ色気の出番か。マルチェロは退散しようとソファから腰を浮かせかけたが、「まあまあまあ」と押しとどめられた。
「チーフはそちら方面はさぞ贅沢でらっしゃるかと存じまして、少々趣向を変えてみましたので、是非に」

 ところが、連れて来られたキレイどころの顔を見て驚いた。3人ともその驚きの意味を誤解しているが、趣向とやらが青年だったからでも、常軌を逸した美貌だったからでもない。マルチェロと青年は顔を見合わせて苦笑した。
「先だってはうちのヒヨッコが世話になったな」
「どういたしまして、仕事ですから」
今日は場に相応にディナージャケットなど着て、これがしっくり身に添ってなかなかに見栄えがする。マルチェロと、引き合わせた男娼とが既に知っているらしい様子を見、揉み手の3人は予想外の展開だったことに気づいて狼狽えた。
「いや、さすがと言うべきか、ご存知でしたか」
出来の悪いフォローをスルーして、マルチェロは青年にキーを投げた。
「先に行っていろ」
どこへとは聞き返されない呼吸が既に小気味いい。
「葉巻を調達してこないか?」呆気に取られている部下にはとりあえず、使い走りを言い付けてやる。
「えっ、あの、どれを」
「グリフィンのトルピード」擦れ違いしな青年が、笑って部下に銘柄を教えて出て行った。
 前の再会と、似たような筋書き、かけ離れた舞台設定。あの時は部下共の楽しみに水を差すようなことはしなかったマルチェロだが、今回は大いに期待を外してやるつもりだ。某氏の肩を軽く叩く。
「申訳ないが、私は不調法な男でね。こういう粋なはからいにはどうお応えしたものか解らんのですよ。新しい船でも拵える時にはプレゼンの機会を用意させるので、お話はそこで伺おう」

 会場を後にし、マリーナへ車を向かわせ、速度なりに規則的に車内を照らす街燈を見送りながら、マルチェロはあの若造のことをぼんやり考える。
 不思議なヤツだと思う。ふとした仕草の扇情的なことや、身体にしみついた性的な匂いなどは確かにあって、男を悦ばせる手管は申し分ないものだ。だが彼は媚を見せてさえ、卑屈にはならなかった。上手く甘えてみせるくせ、踏み込まない、踏み込ませない、絶妙な距離の保ち方がしみじみ後を引き、忘れられなくなる。やがて回想の中の彼が「その日暮らしさ」と言ったところで、車はマリーナに着いた。

 クルーザーのキーを投げてやったとき、1.5回逢っただけの男娼を信用したものだと、自分でも少し意外ではあった。だが、清潔で気位の高そうな彼が金目のものを持ち逃げるかもしれないという懸念が、マルチェロには湧かなかった。
 そしてマルチェロの見通しを裏切らず、彼はカモメのようにクルーザーのルーフの上に留まっていた。勝手にマルチェロのTシャツに着替えてしまって、自慢の脚を夜風にさらけ出し、一人のんびりとシャンパングラスを傾けて、夜空を見上げている。
「おかえり」
振り返ると同時に愛想のいい微笑みがサーチライトに照らされ、プールバーからいつの間にか姿を消した夜を思い出させた。婚約者に捨てられたちょっと情けない気のいい船乗りさんを、これは一晩、どうやって慰めたろう。
「ちゃっかりクリスタル開けて……ったく」
「だってあんたも飲み直すだろ?」
「……降りてこい」
カモメはシャンパンの入ったクーラーとグラスを持って、素直に降りてきた。
「もう少しマシな恰好はできなかったか?」Tシャツと下着だけのナリに呆れてやると、
「戻ってくるなり小言ばっか」笑って軽く流す。そしてそっとマルチェロの背に手を回した。「また行きずりゴッコしようぜ」

 その体をベッドに横たえ、上から目を覗く。暗い室内では色も判らないが、やはり夜の海のようだった。
「あの船長さん、またオレを買うと思う?」色めく目尻から誘い、器用にマルチェロの服を取り去っていきながら、ケロリとそんなことを訊く。大したものだ……マルチェロの溜息と彼の悪戯な目が軽く笑い合った。
「さて、な。私にへつらって諦めるか、未練を切れずにコソコソか……どちらだろうな」
「言ってやればいいじゃん、別に遠慮する必要ないって」
「お前を寝取られて私が機嫌を損なうとは思わんのか」
「部下に抱かせてやるために大枚援助できる人が面白い冗談言うね」
確かに冗談だ。マルチェロは苦笑して胸の飾りに少し歯を立ててやった。
「っ」
「大体お前は誰の自由にもならないだろうが」
「ワガママだからね」
 この端整で利口なアバズレは、誰にでも同じように、一夜の恋じみた快楽を提供する。だが誰のものにもなろうとはしないのだろうと、いつかマルチェロは解っていた。先ほどの某氏や船長には解るまい、だがプールバーの連中は感じているだろう。晴れの日も雨の日もみな、自分が生きるべき自分の毎日であることを知っている連中なら解るのだ。
「一人でいたいから、ではないのか」
「……」彼は体を反転させて、マルチェロの上に乗り上げた。「なんで?オレ、みんなと仲いいし、誰とでも寝るし。知ってるだろ?」
「だからだろう、」その背を撫で下ろしていき、秘所を探り当てる。若い体は反って、届いた瞬間に短く声を上げた。「他人あっての孤独だろう?」
 自分で言ってから、ああそうか、と納得した。親の代わりに善き庇護者には恵まれた、陽の当たる人生の航路に進んで人望も得た。孤独とは、それで埋められるものではない。そうでなくてなぜ、都会の雑踏の只中でふと、独りであることを感じて立ち止まったりするだろう。
 そんな寂寥を、誰もがこれに慰められる。言葉でも手管でもなく、隙間風が冷たい時にやけに敏感になる男心が、癒してくれるものの在処を感知して、あのプールバーになけなしの小銭を持ち寄って、束の間の温もりを求める。そしてこれは青い目で、望まれたとおりに心を見通して、触れられたい寂しさに触れてくれる。自分は寂しさの切れ端も覗かせないくせに。
 カモメによく似た後姿。その日暮らしで、一見気楽で。だが独りで生きていくことにかけては彼は達人だった。
 頬を二度、三度撫でてから引き寄せると、マルチェロの指を咥え込んだままの腰を悩ましく捩りながら、素直に唇をマルチェロの唇に落としてきた。
「名を訊こうか」
「……アンジェロ」
囁かれた名前が耳に甘い。オレの過去でも想像してみた?……そんな言葉を思い出す。これを拾ってきた船長は、これがどこからやってきたのかも、知りはしないのだろう――アンジェロ。それは本当の名だろうか。
「いつからそう呼ばれている」
セリフの合間に絡めていた舌を止めてアンジェロは、少し体を引いてマルチェロの顔をまじまじと見た。
「さすがだね」だがすぐに笑って、またキスの続きを始めた。「いつの間にかそんな名前になってたよ。親を亡くした頃からかな」
それは嘘とも思えなかった。親と別れ、名を捨て、一人どんな風雪をくぐって、これは今ここで笑い、喘いでいるのか。弟は――生きていればこのくらいの歳になっているだろう弟は、このくらいの歳だった自分に追い返された弟は、今どこでどうしているだろう。
 マルチェロは黙って、その腰を掴んで開かせた蕾に切っ先を当てた。
「…っ、あぁ…っ」
 深まっていく繋がり、更にねだるように絡みつく襞、仰向いて露わになっていく喉や、熱く湿った声の混ざる吐息や。ついこの間のことだというのに、もうこの体に飢えていたと気付く。
 父に捨てられてからというもの、人恋しさを人に慰められようと思ったことはなかった。いつでも自分の中に留め置いて、時が解決してくれるのを待った。それが今。この、どこの誰とも分からない、たかだか17の若造を抱いていたい。若くふしだらなこの肌が恋しい。
 けれど、彼は何も求めない。彼の孤独も自由の意味も、誰も知らない。
「ああ、オレもう、イっ……」
 そう、若くふしだらで、そして賢く強かった。

 銀髪に指を幾度か通すと、まだ怠そうに、だが要領よくマルチェロの腕枕に収まってきた。
「今晩はいろよ?」
「うん、朝食のデリバリーをクラブハウスにオーダーしといた」
「全く、用意のいいヤツだ」
悪びれない笑い顔を捕まえて、もう一度抱いた。
 この時のマルチェロは無論、いつまでこの男娼と関わることになるのか、知らずにいた。潮風みたいに現れたヤツだから、潮風みたいにまたふいといなくなってしまうのかもしれない。プールバーの連中はさぞ嘆くだろう。だが船乗りならば、港の恋は長くは続かないことを知っている。飲んで暴れて、それで昔のことにしてしまえるだろう。船乗りに“溺れる”などタブーだ。
 あの弟を探そう。彼が訪ねてきた日はまだマルチェロも若すぎて、捨てられた恨みを、誰かのせいにせずにはいられなかった。弟もまた、たった一人で世間の波に放り出されたのだと、マルチェロは思う。願わくは私と同じように慈悲ある手に救われて、陽の当たる航路を進んでいるように、と。
「アンジェロ、」
「何?」
「明日また泳ぎに行くか?」
「いいね」
先々は知らず、せいぜい明日の予定があればいい。きっとまた晴れて、暑い一日になるだろう。
prev←||…concluded.
28.Jan.'17
BGM:lab you tender/ Serph
https://youtu.be/c5J9F-qEWV8
この曲は細谷さんがナレーションのプラネタリウム番組「イルカの星」で主題曲として使われていました。トレイラーはコチラ:https://youtu.be/rhWs7uk1MA4
ウチ9回観に行きました・・・その度に大騒ぎしてたんでフォロワさんウンザリさせてたと思うwwすみませんwwwwでももうじき終了しちゃうんで軽くロスになりそうです(´;ω;`)マルククなセンテンスを細谷さんが語ってくれるだけでもヤバいのに、星空バックとかもうね・・・
日本では見ることのできない南天の星空がけっこう投影されていたのも個人的には嬉しかったです。ウチにとってはあと何度見ることがかなうか分からない、懐かしい夜の風景です。