Argo Navis

2. Carina

国籍も場所も曖昧なままだから、現パロというか、現代風ファンタジー…くらいの域を出ないのかもしれませんけどねw
 7番埠頭の片隅には、港湾労働者たちがよく集まる、古いプールバーがある。
 もちろん、高級ブランドが軒を連ねる街中に、もっと暮らしぶりに見合った、小洒落た行き付けを持っているマルチェロだ。それでも時にこの、お世辞にもキレイとは言い難い港の吹き溜まりに寄っては、機械油と潮のにおいと若い汗の染みついた作業服の連中に気さくに奢ってやる。看板娘を落とせるか賭ける、吐くまで飲ませ合う、時にはブン殴り合いになって外につまみ出される……そんな他愛ない戯れの中に、彼らが今日の労働の疲れを忘れる様子を見るのが好きだった。

「チーフ、久しぶりじゃないスか」
扉を開けた途端、マルチェロは若い労働者たちに歓迎された。彼らのほうでも、エリート様に自分たちの娯楽を邪魔されたなどとは思わない。ここ限定のルールを互いによく心得て、無礼講にはならない程度に立場を越えた交流を楽しむ。
 さて今晩は、おととい埠頭に入った船の水夫たちが“俺たちの美人”を紹介すると言う。どうやら人気者らしい。髪がキレイだとか青い流し目が色っぽいだとか、口々にお気に入りの箇所を上げる様子から察するに、海の男共のハートをガッチリ掴んでいるようだ(中には少々入れ込み過ぎてはいないかと心配になるような手合いもいないこともない……)。
 やがて外に古い異音混じりのV8エンジンが停まって、
「お、来た来た」
数人がプラチナブロンド同伴で賑やかに入ってきた。ガタイのいい連中に囲まれて細く見えるその美人とやらを見てみれば、
「……風邪はひかなかったか?」
「お蔭サマで」
青い流し目、と聞いたときにあの17歳が頭をよぎってまさかと思ったが、確かにあのブルーグラデーションのサングラスが、ちょっぴりおかしそうに笑っている。
「なんだ知り合い? 隅に置けないなチーフ!」
事情を知らない彼らに青年は、聞き捨てならない説明をする。
「この人にはもうぐしょ濡れにされてね」
「ちょ、マジ!?」
「昼日中だってのにね、頭からブッ掛けられてさ」
当然、大騒ぎになる。まあ何も間違ってはいないので、マルチェロも苦笑しているだけだったが、みな詳しくと詰め寄って引かない。結局、出逢いからクルージングに出掛けるまでを釈明させられて、場は漸く収まりがついた。
「で、ヤることヤりました?」興味津々である。
「そこは諸君の想像に任せよう」
 連中を煽った張本人はと言えば、騒ぎの収拾はマルチェロに丸投げしてしまって、いつの間にか向こうのビリヤードテーブルの集団に混ざり、優雅にキューの先にチョークを付けている。鮮やかなブレイク、爽快な音でカラーボールが散った。
「出たぜ美人ブレイク」マルチェロを糾問していた連中も、そちらの様子に目を向けた。
「何だそれは」
「ああ、あの子ね。可愛いからってだけで問答無用でブレイク権持ってるんですよ」
「ま、俺ら甘やかしすぎだってコトっスね」

そうこうするうち、小銭の入った帽子が回ってきた。
「チーフもカンパしてやって下さいよ」
「何に」
指さされたカウンターの隅を見ると、酔って泣きに入っている水夫を2人がかりで宥めている。ユニフォームを見るに、マルチェロの社のコンテナ船に乗り組んでいる下っ端だ。
「カノジョに捨てられたんですってよ、指輪買ったばっかで」
何でも、仕事でいささかやらかしちゃったり、博打でむしられたり、フラれたり……そんな「ちょっとお気の毒」な野郎がいると、こうしてカンパが始まって、あの17歳を買ってやるんだとか。
「……」
褒められないらしいマルチェロの顔を見て取って、落ち着いた様子のクレーン作業員が補足した。元々あの子自身が始めたコトだし、俺らは要求しません、いつもあの子が自分の帽子を回してくるんですよ……
「成程」
ちやほやされていても彼は、自分は体を売るものだということはハッキリさせているわけだし、連中もそれを受け入れながらの姫扱いだ。マルチェロは双方に感心して、先日と同じ額を出してやった。
「すっげ」
「……って、マジでいいんスか!?」
「バカが。お前達が喜ぶことではないだろう、向こうの美人への祝儀だろうが」
「そりゃあそうですけど」
帽子が回る先々で、みな中を覗いて驚いたり複雑な顔をしたり。羨ましいような、羨ましがるのも無神経なような。
「こんなことでもなきゃ、あの子はそう簡単に俺らの相手はしてくれやしませんよ」先ほどの作業員がマルチェロに水割を作りながら言う。「ナインボールの1セットマッチであの子に勝てば、俺らにも手が届く額で話に乗ってくれますけどね」それがなかなか、至難の技なのだとか。
「ランナウトで逃げ切られちゃったりするし」
「まぁ俺らはそれでいいのさ、尻くらいなら触らせてくれるしよ」

 あちらではボールの音が中断した。帽子が一巡して持ち主のところへ帰ったらしい。青年は視線を一度その中に落としてから、マルチェロの方へ向けた。目が合うと細長い指を二本唇に当てて、大口スポンサーへキスを投げる。当人だけは支援総額を見ても驚かなかった。淡々として変えない表情、周囲には気取られない程度の小さな動き、さすがはとマルチェロは思った。
 そして帽子の中身をポケットに押し込んで、ゲーム再開。すっと台の上に伸ばした上体にキューを添わせ、ボールを狙いすます姿勢の艶やかさときたら。
「見なかった顔だがな」
「ああ、先月だっけな、教会の奉仕活動で港に来たんですってよ。それをうちの船長が拾ってね」

 グラスが空く頃には、今日のお気の毒大賞と美人はいなくなっていた。あの若造なら何よりの慰めになってくれるだろうよ……澄んだ氷の音と共に、マルチェロはグラスの残りを呷った。
「そう言えば、」
「何です?」
「……いや、」あの青年の名前を聞こうと思って、何となくやめた。「もう一杯だけ貰おうか」
次に買ってくれた時にでも。そんな一言を思い出したせいでもあった。
 港の出会いは気まぐれだ、約束など似合わない。だから、次にと言いながら、名前も明かさなかったのだろうに。岸壁の際でバランスを取ってみたり、係船柱に飛び乗ってみたり、カモメのように自由な足取りを銀の髪先が弧を描いて追いかける……去っていったそんな後姿を、舌にしみる安酒に映し見るなどと。柄にもなく感傷的になっている自分に気付いてマルチェロは苦笑した。
「そのうちチーフはこんな所、来なくなると思ってましたよ。出世しても変わりませんね」
「何、私も昔はここで一通りのバカを嗜みもしたものさ」
かつてはマルチェロにも、勉学と労働に明け暮れしながら、いつかはという夢や憧れを抱いて、この吹き溜まりに身を寄せ合っていた苦学生の日もあったのだ。
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28.Jan.'17
BGM:Rosalinda's Eyes/ Billy Joel
https://youtu.be/LB-tkHD4uXU
港湾関連は前のジャンルで必要があって調べたので、今回はそういうステップにあまり時間を掛けずに済みましたけど。そんとき集めた資料見たりして、いろいろ懐かしいです
伯父貴がそっち方面ってのもありますけどね。ちっこい頃から可愛がってもらって、海にもよく連れて行かれて、ウチの海方面の趣味は全部伯父貴仕込みなん(*´ω`)
ウチ、実家が横浜で、港は歩いて行ける身近な存在でした。京都も東京も好きだけど、除夜の汽笛で年を越せないのは今でもちょっと寂しいですね。港から8kmほど離れた友人宅でも、窓を開けるとよく聞こえると言ってました。