エド×アル+大佐な感じのお話です。

連続ペーパー小説
「愛はオーバードライブ」
第一回

 エルリック兄弟が神妙な面持ちでロイ・マスタングの前に姿を現したのは、マスタングのデスクに溜まっていた書類の山が、彼の副官の叱責によってようやく片付いた頃だった。
 マスタングが最後の書類にサインを入れ終えると、彼の執務室の扉を叩く音がした。マスタングが抑揚のない声でどうぞ、と返事をすると、もう帰ってしまった副官の代わりの士官が二人の少年を執務室へと招き入れる。マスタングはその突然の来訪者にほんの少しばかり驚いたような顔をして、そしてすぐに元の冷静な彼に戻って言ったのだった。
「やあ、久し振りじゃないか。鋼の……アルフォンスも、元気そうで何よりだ」
 マスタングの前に立っているエルリック兄弟が念願の元の肉体を取り戻し、故郷であるリゼンブールへと戻ってからはや一年が経とうとしていた。
 兄のエドワードは周囲が呆れる程簡単に国家錬金術師の資格を手放し、療養が必要だった弟のアルフォンスの面倒を見るのだと嬉々として故郷へと戻ったのであるが、なぜ、一年も経った今頃、自分の前に姿を現したのかマスタングはその理由が理解出来ずにいた。
「……今頃、なんの用だね?君たちはすっぱりと軍とは縁を切って故郷で暮らすと言っていなかったか?」
 書類を全て所定のファイルに収めて、マスタングは立ち上がると、エルリック兄弟の顔を見ながらそう言った。
 一年ぶりに見る兄のエドワードのその顔立ちは今だ少年らしい面立ちを残してはいたが、ふっくらと丸みを帯びていた頬は引き締まり、顎のラインが以前よりもしっかりとしたものになりつつあった。数年ぶりに取り戻した右腕と左脚も不自由なく機能しているようで、服の下から伺えるしなやかな筋肉は彼が以前と同じように身体を動かし、鍛錬に励んでいる事を想像するに難くないものだった。
 一方で、弟のアルフォンスは痩せて細い身体を縮ませながら畏まってマスタングの前に立っていた。
 鋼鉄の鎧にその魂を定着されていた頃は、巨大なその鎧を僅かでも小さく見せようと同じような仕草をしていたのだが、今の身体で同じ仕草をすれば、酷く頼りなげで幼さを強調する結果となってしまっている。しかし、彼の場合は穏やかそうな表情と相まってどこかかわいらしい少年という雰囲気を周囲に与えていた。
 だが、エドワードの表情は硬く、苛立ったような表情をしていた。アルフォンスの方はと言うと、身体の前で組まれた両手は硬く握りしめられていて白い肌がなお白く変色すると言った風で、彼は彼でひどく不安である事を知らぬうちに周囲へと訴える結果となっていたのだった。
「……まあ、とりあえず腰を下ろしなさい。何か飲み物でも用意しようか?」
 マスタングは執務室の来客用の長椅子に座るように兄弟を促すと、いつもは副官が用意する茶器に手をかけようとした。だが、エドワードがそれを遮るように言葉を発する。
「いらねえ。どうせここから場所を移してあんたに話を聞いてもらわなくちゃならないからな」
 兄の言葉に、アルフォンスも緊張した面持ちで小さく同意するかのように頷いた。
 仕方なく、マスタングは手早く自分のデスクの上を片付けると、内線電話で急用が出来たので外出すると部下に伝えた。
 それから黒の軍用の外套をロッカーから取り出しながら言った。
「だったら手早く済まそうか。君たちはまだ未成年だから、酒の出ないような場所で……」
「俺達が取っている宿に一緒に来て欲しいんだ。周囲の目があるとヤバいから……」
「ヤバい?」
 エドワードの言葉に、マスタングはぎょっとして外套に腕を通すのを止めてしまった。
 この少年の性格は些細な物事を大げさに吹聴するようなものではない。却って周囲に気を使わせまいとするような質で、彼が物事を相談する第一の相手は弟であるアルフォンスだったから、その「ヤバい」とう事をマスタングにわざわざ故郷からこのセントラルへと出て来てまで打ち明けるというのは常ならざる事態が彼らに起こっているのだろうと想像させたのだ。
(今度はなんだ……また人外相手の騒動か、はたまた……)
 引き攣れる頬を必死で隠しながら、年長者として、また元上官として冷静な表情を作ったマスタングは外套をようやく着込むと指先でエルリック兄弟に急かすように指し示したのだった。
「では、早々に案内してもらおうか……君たちが私に持ちかける厄介事はその辺りのチンピラの小競り合いごとき規模ではなさそうだからな」

*    *    *

 エドワードの案内でマスタングが連れて来られた宿は、軍が提携するホテルだった。兄弟はそこの最上階に部屋を取っているといい、エドワードがフロントで鍵を受け取る間に、アルフォンスがマスタングと一緒に先に部屋の前まで向かう事になった。
「すっかり身体の方は元気になったようだな」
 ゆっくりと上がって行くリフトの中で、マスタングはいまだ表情の硬いアルフォンスにそう声をかけた。
「ええ。軍の病院でとてもよく診てもらえて……激しい運動はまだ無理ですけど、普通に暮らす分には全く問題ありません。でも……」
 だが、そう言いかけてアルフォンスは下を向いてしまった。マスタングにしてみればアルフォンスの気持ちを解きほぐそうと思い言葉をかけた筈なのに、逆に萎縮させてしまったかのようなその態度に奇妙に思った。
 鎧にその魂を定着させられていた頃のアルフォンスしか知らず、それ以前の少年時代を知らないマスタングだが、エルリック兄弟が世話になっているリゼンブールのロックベル家で見た写真に写っていた幼い頃のアルフォンスは優しげな瞳と快活そうな笑顔が印象的な子供だったのに、今、自分の目の前にいる少年はそれとはかけ離れた、なにかに怯えた少年へと変貌していたのだ。
「でも? どこか悪い所がまだあるのかね? もしロックベル先生の手に負えないような事なら、また軍の病院を紹介してもいいんだが」
 俯き、黙ってしまった少年の肩に手をやり、マスタングはそう言うが、当のアルフォンスは俯いたままでぼそりと返事をしたのみだった。
「それは……兄さんが……事情を話してくれます……」
 やがてリフトはホテルの最上階に到着し、アルフォンスが先導してフロアの奥へと進んで行く。そして辿り着いたのはそのホテルで最も高い宿泊料のスイートルームだった。
 マスタングとアルフォンスに送れる事数分後、ようやくエドワードも最上階へと辿り着いて二人の背後から腕を突き出して部屋の鍵を開けた。
「随分と羽振りのいい……まだ研究費の残りがあった訳だ」
 開かれた扉の奥に広がっただだっ広いリビングに、マスタングは呆れたような声色でそう呟いた。
「……まあな。あんたにもし権限があったら、あの制度は即刻変えた方がいいぜ。幾らでも裏金作り放題だ」
「変わらんよ。甘い汁を吸いたがる人間が多くてね……私もその内の一人だからね」
 とにかく入れ、とエドワードに急かされたマスタングは、外套を脱ぐと入口近くに置いてあるハンガーにそれを掛けた。それから椅子を移動させ、大きな窓の前を避けて腰を下ろした。
 エルリック兄弟はマスタングの腰掛ける椅子の向かいに置いてあった長椅子に隣り合って座っている。
「さて……私をここまで呼び出した理由を聞かせてもらおう」
 マスタングはふうっとため息のように息を吐くと、そう言ってエドワードを見る。するとエドワードは立ち上がり、リビングの隣にあるベッドルームへと歩き始めた。
 ややしてからエドワードは右手に乗馬鞭を持ってマスタングの前へと現れた。
「これで俺を打ってくれ」
 鞭を目の前に突きつけられ、マスタングは切れ長の目を精一杯見開いてエドワードを見つめた。
「……なんの……遊びかな……?私にそういう趣味はないのだが……」
 なにか悪い冗談だと思ったマスタングはそう軽口を叩くが、あまりにエドワードの目が真剣だったので思わず声がうわずってしまう。
 しかし、エドワードはそんな動揺したマスタングを見ても顔色どころか瞬きひとつせずにまた同じ言葉を口にしたのだった。
「俺を打てよ、大佐。服の上からでいい、手加減なんてしなくていいから……」
「まて!どういう事だ!相談があると言うからここまで来たというのに、相談というのは嘘で、君のSMごっこに付き合わせる為だったのか?」
「違う。でもこれで俺を打てばどういう事か分かるから、今は何も言わずに俺をこの鞭で打ってくれ」
 マスタングは取り乱しながらもエルリック兄弟のそれぞれの表情からその真意を汲み取ろうとした。
 相変わらずエドワードは硬い表情を変えず、アルフォンスは恥ずかしそうに俯いたままだ。マスタングは増々混乱して声を荒げて言う。
「理由もなしに人を鞭で打てと?よろしい!では私の前に背を向けて座れ!」
 エドワードはマスタングの言葉に黙ってその通りに絨毯引きの床の上に胡座をかいて座り込んだ。それから後ろ手に乗馬鞭をマスタングの方へと差し出し、相変わらず伸ばしっぱなしの見事な金髪の束を胸の前へと追いやった。
「いいぜ。打ってくれ」
 エドワードから合図が出されたので、マスタングは手渡された乗馬鞭の柄を右手で握りしめるとまず一発、引き締まった背中へと鞭を振り下ろした。
 ピシィッ!
 鞭はしなりながらエドワードの背中に命中した。マスタングはエドワードが痛がるのではと内心ビクビクとしながら鞭を振り下ろしたのだが、当のエドワードは僅かに背を揺らしただけで痛がる素振りなど寸分も見せることはなかった。
 だが、そんなエドワードの代わりに鞭への反応を見せた人間が一人。
「あっ……」
 アルフォンスの唇から小さく悲鳴が上がった。
 マスタングはアルフォンスが兄が背に鞭を受ける所を見ておそらくは怯えたのだろうと思っていたのだが、アルフォンスの表情が恐怖とは違うものから歪んでいる事に気がついた。
 不思議に思いつつ、マスタングは次の鞭をエドワードに与える。
 ひゅん!ピシッ!
 鞭が風を切り、しなりながらエドワードの背に当たると、またしても声を上げたのはアルフォンスの方だった。
「ああっ……」
 ピシィ!
「ひゃあん!」
 ピシィ!
「あああっ!」
 数度の鞭打ちの度に、アルフォンスは悲鳴を上げ、白かった頬を紅潮させて息を荒げている。その様子はとても兄が鞭打たれている様子を見て怯えているものではなく、まるで自身が鞭を受けて興奮しているかのような色めいたものだった。
(なんだ……アルフォンスのこの反応は?そして何故鋼のは痛がりもしないんだ?)
 不思議な兄弟の様子に、次第にマスタングは鞭打ちにのめり込んで行く。
 だが、不意にアルフォンスが椅子の上で身体を二つに折り、涙ながらに言った言葉にマスタングの手が止まったのだった。
「ダメっ!兄さん!もう……もう、でちゃうう……イッちゃうよお……」
 鞭がマスタングの手から滑り落ちて床に転がると、アルフォンスはようやく顔を上げる。
 その顔は目元まで紅く染まり、薄い唇は震え、見事な琥珀のような瞳には涙をいっぱいに溜めていた。
「……もう鞭はいい……アル、楽にしろ」
 エドワードはマスタングの鞭が止んだのを確認してから立ち上がり、荒い息をついている弟の短い金髪の頭をかき回すように撫でて長椅子にその細い身体を横たえさせた。
それから茫然としてるマスタングを見上げる。
「……どうにも困った事になっちまったんだよ」
 エドワードは涙ぐむアルフォンスの髪に触れながら小さくそう言った。             (つづく)

   


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