無料配布ペーパーより。

連続ペーパー小説
「愛はオーバードライブ」
第二回

「なんだ……どういう事だ?」
 マスタングは長椅子に横になりぐったりとしているアルフォンスと、その傍らに立ち自分を睨むように見据えているエドワードを交互に見ながら言った。
 内戦時には前線での数々の修羅場もくぐり抜け、様々な経験を積んで来たマスタングにも目の前で起こっている出来事を全て理解し、納得出来るようにするには余りにもそれは奇妙すぎた。
 鞭を受けても痛みを訴えない人間はいない訳ではないだろうが、エドワードがそう言った身体の持ち主だとは聞いた事がない。
 「もう座ってくれよ……何から話そうか……まず、俺の事がいいかな」
 エドワードは呆然として立ち尽くしているマスタングをまず椅子に腰掛けさせると、自らもアルフォンスの横たわっている長椅子の、わずかに残っている隙間に腰を下ろして話を始めた。
「アルと俺が身体を取り戻してしばらくした頃だった……俺の右腕と左脚の神経の継ぎ目も僅かずつ再生されていって、手足を使う事もなんとか出来るようになったんだが、そうなって気がついた事があったんだ。あんたも知っているだろうが、一旦分断された神経細胞であっても、うまく繋いでやれば再生して以前と同じように感覚が蘇り、同じように使えるようになる。俺の腕と脚も、繋いだ当初は感覚がなくてほんの少しでも動かすだけでも苦労したもんだけど、リハビリを繰り返して行くうちにそれなりに動かす事が出来るようになったんだ。けど、時間が経ってもどうしても戻らない感覚が二つ、あった」
エドワードは数年の労苦の末に取り戻した自らの右腕をじっと見つめながらそう言う。時折握りこぶしを作ったりして力を込めているその右腕を見る限りではなんら不自然な部分は見受けられないのだが、不意に空いている方の左手の指先で右腕の皮膚を摘まみ上げてきゅうっと捻り上げたのだった。
「つ……うう……」
 しかし、エドワードが自らの腕の皮膚をそうやって痛めつけても、反応を示すのはやはりアルフォンスの方だった。エドワードが自分でつねり上げた皮膚と同じ部分に手をやり、押さえるようにしている。
 次に、エドワードはアルフォンスからその部分が見えないようにアルフォンスへ背中を向けるように身体をよじると、マスタングが胸に差していた万年筆を借り、キャップを外すと露出した金のペン先を左手の小指の爪と肉の間に差し込んだ。
 爪を剥がすのは拷問にも使われる程、痛みが強く、堪え難い事だ。だが、それと同様の事をしているにも関わらず、エドワードは眉一つ動かさず、淡々としてその行為を続けている。
 そして、また、その行為に反応しているのはアルフォンスただ一人であった。
「あああっ!に、兄さん!ダメ!ダメぇ!」
 アルフォンスは彼を襲っているのであろう感覚に左手を押さえながら声を上げ、長椅子の上で身を捩り始めた。
 突然の事に驚いたマスタングがアルフォンスの全身を眺めると、アルフォンスのズボンの前が通常とは異なったふくらみを称えている。それはひどく興奮して膨張したものがその布地の下にあるという事をはっきりと示していた。
(まさか……興奮しているのか?)
「あ……ああ……!」
 マスタングの目前で、アルフォンスは細い身体を強張らせると、やがて脱力してぐったりと長椅子の上で静かになった。それから、ゆっくりと両手を顔の所にまで持って行くとその両手で顔をすっかり覆い隠してしまったのだった。
「ひどい……兄さん、やり過ぎだよ……大佐の前で……はずか……しい……」
 必死に絞り出したような声の震え方から、どうやらアルフォンスは泣いているようだった。
「ああ……悪ぃ、加減が分からねえからつい……始末してくるか?」
「うん……起こして……」
 エドワードは兄らしい気遣いを見せながらアルフォンスの身体を抱きかかえて起こすと、部屋の奥にあるバスルームまでアルフォンスに寄り添いながら向かう。その様子はどこから誰が見ても弟の身体を気遣う兄そのものであった筈なのだが、マスタングにはどうにもエドワードから伺える雰囲気に違和感を覚えざるを得なかったのだった。
 アルフォンスをバスルームに押しやって再びマスタングと向かい合わせに座ったエドワードは、ペン先がえぐって血のにじんだ爪を見つめながら話の続きを語り出した。
「……俺達が取り戻した身体のリハビリの為に、定期的に検査を受けていたのはあんたも知っているだろうけど……俺の腕や足には痛覚がなかったんだ。最初は神経の再生が遅れているんだろうとか、機械鎧との接続の後遺症だと思われていたが、腕や足だけじゃなく、身体のどの部分にも痛覚が存在しない事が分かってさ……」
「それで、あんなに鞭で打っても顔色一つ変えずにいられたのか……」
 エドワードの説明にマスタングはようやく疑問に対する答えの一端を掴んだように思えたが、すると今度は他の事象に対してむらむらと疑念が湧き上がって来る。
 まるで言葉を覚えたての子供のように、マスタングは抱いた疑念をぶつけ出したのだった。
「では、今の君は誰かに触れられても全く感じないのか?」
「いや、それは大丈夫だ。人の手が触れている、何かものにぶつかった、そういう事は自覚出来るんだけど、それが痛みを伴っているのかどうかが伝わらないんだ」
「そうか。では、君の弟のあの反応はいつからなんだね?ここで私が見た事柄から推測するに、君に与えられた痛覚をまるでアルフォンスが身代わりに引き受けているかのようにも見えるんだが」
「その通り。俺が受けた痛みがアルに伝わっている。病院にいる時は注射や検査の為の処置程度で大して痛みを感じる場面もなかったけど、とりあえず日常生活を送る分には問題なしと診断が下って退院したら、そこらかしこで自分の身体がいかに異常か、そしてそれがあいつにどれほど負担になっているかって事を思い知らされたんだ」
 そこまで話して、エドワードはバスルームの方を横目で見遣った。その表情は明らかに弟がこの場に現れる事を気にかけているもので、躊躇って口をつぐんだのだ。
 果たして、ややしてからバスルームからアルフォンスが姿を現した。先ほど泣いた影響からか、目元が僅かに潤んで赤くもあったが、落ち着いた表情をしている。そんな弟の様子にエドワードが押し黙っていた口を開いて僅かに笑顔を見せながら声をかけた。
「アル、大佐には俺の身体から痛覚が消えちまった所まで話した……その先の、俺が話す事を聞きたくなけりゃ、ここから出て行ってもいいぞ」
 しかし、そんな兄の言葉にアルフォンスは頭を振って拒絶した。
「当事者のボクがいなきゃ、マスタング大佐に理解してもらえない……自分の事だし、兄さんだけに任せるような事は出来ないよ」
 肉体を別世界に繋ぎ置かれていたアルフォンスは、エドワードとは年子だと言うのに今では数歳の年齢差を感じさせる程の体格差を生んでいた。
 エドワードとてそう大柄な方ではなく、むしろ他の同年代の少年達と比べれば幼く見えたものだが、今のエルリック兄弟はその兄が兄らしく見える程に弟のアルフォンスは本来の年齢からはかけ離れた成長しか出来ていなかった。
 しかし、きちんと整えられた短い髪や、優しさの中にも相手をまっすぐに見つめる瞳に彼の折り目正しい性格を表していたし、自らの肉体に現れた不可解な現象に不安さを隠せずにはいたが、それから逃げようとはせずにいる姿勢に見た目の幼さとは裏腹に彼の内面の強さを表していた。
「そうか……」
 アルフォンスの表情を見て遠慮は必要ないと悟ったエドワードが話を続けた。
「で、俺の身体から消えちまったもう一つの感覚っていうのは……言いにくいんだけど……『気持ちいい』ってヤツが……なくなっちまったんだ」
「気持ちいいって……それは……」
「あんたも男なら分かんだろ……?涼しそうな顔してマスかかねーなんて言わせないぜ」
「まっ……」
 エドワードの口から男性の自慰行為を表す言葉が出て、思わずマスタングの方が赤面した。
「そりゃ、人並みには……しかしどういう事だ?まさか勃たなくなったのか?」
 マスタングは礼儀知らずとは知りつつも、エドワードの足先から髪の先までをまざまざと見つめる。健康そのものと言った外見のエドワードだが、そんな状態にあるなどとてもではないが信じられなかった。
 性的不能となる要因には病気などによる身体的なもの以外に強いストレスなどの心理的要因がある。兵士が戦闘により強いショックを受けて性的不能となる例はマスタングにも聞き覚えがあったが、まさか、エドワードがそうなってしまったとでも言うのだろうか?
 だが、マスタングの驚いた表情を見つめ返しながら、エドワードは手振りを交えながら説明した。
「扱けばちゃんとおっ勃つし、射精も出来るんだけどさ……でも、それは寒い時に肌を擦れば摩擦で発熱して血流が増えるみたいなただの反応でしかなくて、こう、タマがきゅううーっと持ち上がって出ちまうっ!ってあの気持ちよさが……もう、ないんだ……」
 説明を終えて、エドワードは静かに長く息を吐き出すと、そのまま長い前髪をがりがりとかきむしり俯いた。
 こういった事を他人に対して告げる自体、エドワードの納得出来る事ではないのだろう。再び苛立っている様子がその髪をかきむしる姿からも伺えたが、そんな姿に同性としての同情を寄せながらもなおもマスタングはエドワードに問い質した。
「しかしだな……射精の原理は局部に与えられた刺激が脳に伝わって、それを脳が判断した末に筋肉の収縮が起こり射精が果たされる訳だろう?それでは君のその快感は君の脳にまで伝わらずにいる事になってしまう……まさか、そんなものまで……」
まさか、痛覚と同じように?とマスタングが言いかけた所で今度はアルフォンスが口を開く。
「そうなんです……兄さんの身体に与えられた刺激が全部……どういう訳かボクに向かって……」
「そんな……一体君たちの身体の中はどうなっているんだ!」
 驚き、まるで悪夢を見ているかのように叫び声を上げたマスタングだったが、差し向かいのエルリック兄弟がひどく落ち着いて冷静な佇まいである事を目にして一旦は浮き上がった腰を再び椅子に落とした。
 ひたすら落ち着け、落ち着けと自らに言い聞かせながら兄弟へと向かって言った。
「で、何が原因なのか、予想はついているのかね?ついているからこそ、私に対して助けを求めて来たのだろう?さあ、君たちの求めるものを教えてくれ」(つづく)

 


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