Shower

◇◇◇ 1

 冷静沈着に見える我らが参謀・ゲイルは、しばしば、そのキャラとは似合つかわしくない素っ頓狂な発言をすることがある。
 唯一、年下の幹部であるシエロがそのことに気づいたのは、アートマが発現してからだ。

 「ジャンクヤード人には、男型と女型があるようだが、それは何故だ?」
 
 場所は、アジトのシャワールーム。
 構成員の親睦を深めるためもあって、出入り自由になっているが、幹部が入室している時に湯浴みしようなんて下っ端は滅多にいない。
 わざわざパーテーションまで取っ払ったというのに。

 その場でふたりきりの時、唐突とも思えるタイミングで、ゲイルは前記のようにつぶやいたのだ。

 普段、オールバックに整えている髪を無造作に湯のしぶきに当てながら、彼は灰色の瞳で真横のシエロを見た。
 シエロは、普段の長いドレッドをほどいて、髪のもやっとしたからみを修正しつつ、さてこれから洗髪の大仕事にかかろう、と集中しているところだったから、参謀の言葉の意味が、一瞬わからなかった。
 「んあああ?」
 勢い、変な感嘆語が漏れる。

 「男と女があるのは何故だ?男と女はどうちがう?」

 今度のは、つぶやきではない。
 あきらかに、シエロへの問いかけだ。
 参謀が、自身の得意文句「理解不能だ」で斜めに叩っ切らないで、脳からアウトプットしたのは、賞賛に値することではあった。
 でも、普段、人から知識をもらうことはあっても、ものを教える立場になったことのないシエロは「なんでオイラに聴く?」と、とっさに思った。無理はない。

 たたみ掛けるように、ゲイルは言葉を投げる。
 「意味がわからない」

 んー?
 あー。
 ゲイルの言ってることこそが意味がわからないんですけど。厳然たる事実として、男女が存在しているんだから、理由を云々しても、仕方ないんじゃないの?
 「オイラは、ゲイルがなんでそんなことを考え始めたのかがわからない、ナア」
 正直に口にしてみた。

 「アルジラに代表される女性型は、ある局面で、戦闘時、非常に不都合なことがある。しかし、メリーベルのジナーナのように女性型が指揮権を持つ場合もある。型ならではの利点があるのであろう。だが、何故、2種しかいないのだ?1種だけであったり、また3種4種あってもいいわけだが」
 
 参謀の話は長い。
 シエロはシャワールームの端っこに置いてあったバス用のスツールを引っぱってくると、シャワーのコックを閉めた真下に座って、髪を解きながら、相手をすることにした。
 
 「ちょい待ち。もっとカンタンなこと聴きたいの。いいですか?『いいですよ、シエロくん』『はーい。よりによって今?その話をするのはなんでですか?』」
 ひとり教室を開きながら、シエロは長い話をショートカットするべく試みてみる。

 ゲイルは何故かひどく渋い顔をした。
 アートマが出現して後、感情がオモテに出始めた他のメンバーとはちがい、ひとりゲイルだけが無表情だと思っていたので、その反応がシエロにはとても面白かった。
 「何?なにかあったの?そんなことブラザーに考えさせるような事件がさあ」

 「アルジラにエロ参謀と言われたのだ」
 「…え、えろ、さんぼぉぉぉ?」

 面白すぎる。
 
 「えろ?えろですって?糞がつくくらい真面目なゲイルには合わない言葉だなあ」
 「糞などと言うな。品がない」
 へー、糞はわかるんだ。

 「で、エロとはなんだ」
 また出た。
 ゲイルお得意のなぜなに小僧モード。
 「エロ、ねえ。エロの意味がわからないにもかかわらず、不愉快なんだね?」
 「…蔑称だということくらいはわかる」
 アルジラに言われた瞬間のゲイルが見たかった。ちょう見たかった。正直、その場にいたかった。
 「なに?あんたアルジラになんかしたの?」
 「特別なことはしてない。シャワールームに誘っただけだ」

 はーあ。

 シエロが、ため息をつく。
 その空気。なんか、シエロにコケにされたような気がする。と。ゲイルは思った。
 アンタそんなこともわからないのか、みたいな?
 アートマができた後、むしろ、灰眼が青眼になったシエロは、ゲイルにとってやや扱いにくい相手になった。生意気になった、とでも言おうか。それでも、他のメンバーよりは雑談がしやすかった。ボスのサーフの前では『いつでも頼りになる参謀』と思われていたかったし、ヒートは弱みを見せたが最後、ネズミを銜えたネコみたいな表情で、笑い飛ばすに決まってるからだ。
 シエロには、手の内を見せているのに。
 やっぱり、扱いづらい。気にくわない。
 と、言う想いが、参謀を言い訳がましくさせ、饒舌に拍車をかける。

 「以前は、アルジラも一緒にシャワーを使っていたように思うのだが?アートマができた後、彼女は姿を見せなくなった。先ほど「作戦にまつわる軽い雑談をしたい」と、シャワールームに誘ったら「なにゆってんのよ無神経バカボケ鉄面皮エロ参謀」と罵倒された。無神経は『神経がないこと』バカは『頭がからっぽなこと』――これは俺の悪魔の姿であるヴァーユのことを指していると思われる。一方、ボケは…」
 どんどんくどくなっていく参謀の言葉を、シエロは遮った。
 
 「ストップ!で、エロの意味だけがわかんなかった、ってわけ?」
 「そうだ。そして、『シャワー室』と『エロ』、ふたつの単語に、深いつながりがあると考えた」
 ほんで、シャワー室で、シエロに、質問してみた。
 そゆこと。
 
 「男型と女型、一緒にシャワールームに入ると、不都合がある。つまりそれがエロと言うことか?一体、どんな不都合があるんだ」
 「突き詰めて考えると、オイラもよくわからないんだけどー」
 
 シエロは左手で髪をほどきながら――(ああ、まだ洗う前でよかったな。こんな量の髪、濡らした後だったら、冷えて困ったところだ。それにしてもゲイルの髪はほとんど乾きかけてるし。前髪をおろしたゲイルは、優しげな顔に見えるな)と頭の端で考えつつ――
 
 「ちがう身体のかたちに、憧れて、うっとりしちゃうって、ことだと思うな。要は、魅了状態?俺、今じゃ、アートマができる前のアルジラの身体、ちょっとしか思い出せないけど」
 シエロやゲイルたちとは違う、ふくよかな胸。綺麗なラインの尻。湯気で紅潮した肌の色。
 などが、ぼんやりと脳裏に浮かぶ。うわあ。目の前がピンク色…
 「それだけでも、なんか呼吸が苦しい、ってか、さあ。ここまで胸がどきどきすんの。あまり善くないことじゃね?戦闘中に思い出してこんなボンヤリ状態になっちゃうと、敵さんにも気づかなくて、ヤバくね?」
 「理解、不能だ」
 ――出たよ。

  渋い顔がすっかり張りついてしまったゲイルが、更に続けた。
 「俺たち、男型でも、いろいろ違いはある。例えば、俺とシエロで言えば、シエロはアルジラの形に、より近い」
 ハア?

 「アルジラの形にうっとりするのであれば、俺は、今、目の前のおまえの形にうっとりしても、さし支えないと思う」

 ちょ。
 なに、言い出すの、この人。

 あっけにとられたシエロは、ぼざぼさ髪を両手で掴んだまま、参謀の顔を見た。
 参謀は真面目な顔で訴えてくる。

 「それは、いけないことなのか。うっとりという情緒のベクトルは、善し悪しで判断すると、善いものであったと記憶している。魅了とは性質が違う。しかも、今は戦闘中ではない。戦闘中に思い出すかどうかは、自己管理の領域だ」
 「ま、待って。アンタ、うっとり、するの?することあるの?つか、してるん?ing?now?」
 「うっとりが正確にどういう状態なのか、把握できている自信はない。が、今、おまえを見ていると、心地いいのは確かだ」

 ホント、待て。
 シエロは固まってしまった。
 これが、どういう状況なのか、判断ができない。
 こんなになることは滅多になくて、実際に戦場で似たことになった時はもっぱらボスかゲイルが苦境を打破する方法を考えついてくれるから、シエロは自分で状況判断することが微妙に苦手になってしまっていた。ダメじゃん。これ。こんなこと想定してなかったし。うわああ、俺、もっと使えるようにならないと…!――じゃなくて!

 ゲイルの眼が、じっとシエロを見ている。
 これは、うっとりしてる眼なのか?
 まじまじと見ると、ゲイルは彼が思っていたよりずっと目尻が下がっている。もともと優しげな眼だったのか。緑色の濡れそぼった睫毛に縁取られて、鋭い眼光が消え。物憂く映る。瞳の灰色が、睫毛と同じ緑だったなら、もっとちがう様子に見えたはずだ。ただ、うっとりしているのとは違うと思う。
 けれど、その下がった目尻が、いつになく赤くなっていて、それにシエロは不安を覚えた。
 決まり悪くなって、視線を少しずつ下に降ろしていく。
 
 がっちりした肩。四角い胸。引き締まった腹。
 そんなゲイルに比べれば、シエロは確かにアルジラに近いかもしれない。
 そして、頭の片隅では、できたらゲイルやヒートみたいな体つきになりたいな、と憧れている。彼らの身体を盗み見してたこともあったように思う。面と向かってヒートに「どうやったらデカくなれるの?」と聴いたこともある。「肉食え肉!」と言われて終わった。
 
 俺も、男なのになー。どうしてこんなにちがうの?
 
 男型のシンボルも持ってるし。

 言ってしまえば、ゲイルとの共通点は、コレだけかも。

 無意識にシエロは、自分の股間に手をやった。

 そして、その突き出た部分をいじくり回す。
 妙に眠れない夜、そんな風に弄びながら眠ることがある。
 とっておきの儀式だった。
 不思議とほっとして、やがて、自然に眠りこんでしまうのだけど。

 あ、そうだ。俺にはコレがあった。
 触ってたら、落ちつくかも。

 バス用の硬いスツールに腰を降ろしたまま、シエロはゲイルの視線の中で、ちんこをいじり続ける。

 ――バカ。

 これこそがバカと言うのだ。と、シエロが気がついたのは、ずっと後になってからのことだった。

 落ちつくどころか。

 どんどんドキドキしてきちゃった。

 ゲイルの顔を見ているのが恥ずかしくなって、シエロは更に視線をずらす。そこには自分の膝頭。ドキドキのせいでピンク色に染まってる。頭に甦ってきた湯気の向こうのアルジラみたいに。
 そして、その紅は、太もももうっすらと覆っていき。

 ヤバイ。
 ちんこ、勃ちあがってきちゃった。

 「シエロ」
 ぼうっとなっていたシエロは、ゲイルの声ではっと我に返る。

 「何、してる」

 目に映ったのは、相変わらず隣のシャワーのヘッドの真下で、立ちっぱなしになってるゲイル。

 そして。

 彼の中央まで、立ちっぱなし。

 って。
 なんで、勃ってるの、ゲイルのちんこ!
 この際、自分のことは棚に上げる。

 その大きさを見て、シエロは激しいショックを受けた。

 「俺――おれ!あの…!」
 と叫んで、スツールを蹴るように立ち上がった。反動で、壁側に置いてあったソープとスポンジが落下していったけど、構っちゃいられない。

 そんなに広いわけでもないシャワールームの中で、3度ほど転んだ後、シエロはドアから脱衣所へと脱出した。
 ほぼアンダーに近い格好で通路にまろび出たシエロを見た構成員数名の「ゲイルさんがまた暴走したか!」という阿鼻叫喚を尻目に、ぼさぼさ長髪の幹部は自室へと閉じこもった。

 あーん。

 シンプルな二段ベッドの上部に潜りこんだシエロは、作り声にも似た泣き声を上げていた。

 なにあれ?ゲイルの反応もわからないけど、自分の反応もわからない。
 ちんこが勃っちゃうことは、いままでも度々あって、でも、それはひとりの時ばかりだったから、正直、他の人間がそうなるとこって、見たことがなかった。

 ゲイルのちんこ、でかかったなあ。

 身体も大きいけど、ちんこまででかい。実は、シエロは「誰にも見せたことないけど、俺のちんこゲイルより大きくなっちゃうんだもんねー」とひそかに優越感を持っていたのだ。

 それが。

 そして、ショックを受けたはずなのに、同時に、わずかな陶酔と愉悦を味わった。なんだったんだろう。ゲイルのでかいの見た途端、自分のちんこがまたわずかに大きくなったこと。それと一緒に、自分は何かに怯えた。それは、どうして?

 ――食われる、と思ったんだ。

 ゲイルは悪魔になってなかったのに、なんでそんな風に思ったのか。
 しかも、そう思ったのに、怖くなかった。どうしてか、嬉しかった。

 その自分も全部ひっくるめて、あの状況に怯えている。

 ざわめく構成員たちをなだめるセラの声が、やがて歌声に変わっていく。
 それに耳をすましていると、コツ、とドアの外で物音がした。
 鍵を閉め忘れたことに気がついたのはその時。
 ふたり部屋の片方がいつ誰に変わるかわからなかったから、もともと戸締まりをする習慣がなかった。それが悪かった。

 いや、結果的には、よかったのかもしれない。

 ドアを開けて入ってきたのは、もちろんゲイル。
 彼もまた、洗いっぱなしの髪のままで。

 「シエロ」
 ぎしぎしと音を立てながら、二段ベッドのはしごを登ってくる。

 ああ、俺の顔、真っ赤になってる。
 それよりも、逃げないと。俺、食われる。きっとゲイルに食われちゃうよう。

 ゲイルはひとかけらの遠慮も見せず、毛布にくるまったシエロの胴体に馬乗りになった。大きな手が乱暴に布をはぎ取り、シエロの顔を露わにさせた。

 「エロはおまえだ」
 「……」
 エロの意味がわかったのか。
 言い返せない。
 もちろん、シエロにももうわかったから。
 ちんこを勃てたり勃たせちゃうことだ。
 ちんこが何故勃つのかまでは、わからない。

 「恥ずかしくないのか。あんなことして」
 「…は、恥ずかしいのかよ?あれは」
 だったら、アンタも恥ずかしい部類だろうよ。見事におっ勃てちまって。

 「恥ずかしくない、と言えばいいのか?」
 今、恥ずかしいって言ったばかりじゃねーの。

  こころの中で盛大にツッコミを入れるシエロに覆い被さった参謀は、その口元から、低い声を降りそそがせる。

 「恥ずかしくない、と言えば、もう一度見せてくれるのか」
 
 ええええ?
 な。なんですとー?

 「おまえの恥ずかしくない姿を、もう一度見たい」

 ななななな。

 そして参謀はさらに無遠慮に言い募る。
 
 「できれば、そのままセックスしたい」

 なにそれ?――セックス?

 聴いたことない言葉。なんか思い出したの?ゲイル。

 シエロの視点からは、ゲイルの顔はすっかり影になってしまっていて、参謀の灰眼にうっすら緑の輝きが宿ったのを、見ることができなかった。

  参謀は改めて思う。
 ――眼に青色のついてからのシエロは、正直扱いづらい。
 以前はとても素直で、従順で、全幅の信頼を持って俺の後を追ってきた。
 それが、今はどうだ。
 俺に従うどころか、文句までつける。俺の知らない知識まで手に入れて、あまつさえ鼻で笑うことさえある。
 予測のつかない行動に走り、やきもきさせる。イレギュラーばかりだ。気にくわない。
 ――でも、この方が、面白い。
 くるくる変わる表情を見ているだけでもいい。喜び、怒り、哀しみ。そして、さっきは羞恥まで。
 もっと、見たい。
 できることなら、あのうす紅に染まった肌をも、もう一度眼にしたい。
 そして、以前には考えなかった、シエロにせがむと言う行為。
 それをするのにも、抵抗はない。
 今のシエロは、俺の手駒ではないのだから。同等の立場だから。

 やがてゲイルは、その緑の眼を閉じて、やわらかな唇でシエロの口を塞ぎはじめる。

 不意をつかれたような、でもどこかで予測していたような行為に、シエロは身じろぎさえできなくなった。

 ――うわあ、俺、やっぱり食われちゃうんだ…

 思いながら、今は怯える気持ちがかけらもないこと、ただひどくうっとりしていることに気がついた。
 いつも一段高いところにいるゲイルなのに、自分を乞うてくる姿が、たまらなかった。

 ま、乞われたとしても、悪魔の姿だったら、逃げるけどね。
 でも、人型の今なら。
 優しい眼のゲイルなら。

 シエロは覆い被さってくるゲイルの大きな肩に両手を差しのべる。悪魔とは違う、やわらかな体温。
 
 これが、愛おしい、ってものかも、とひっそり考えた。

◇◇◇ Chapter1 End

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