紅い月の下、まるで廃墟と化したような秋葉原の街の中にメアリー=スーは立っていた。
無傷で、大魔王たるベール=ゼファーを小馬鹿にしたような表情さえ浮かべて。
「舐めた真似を……」
ぎり、と歯を食いしばると、ベルの周りに再び膨大な魔力が吹き上がる。魔法を撃つタイミングを計っているのだ。
そんな中、トランは柊確保のため、二柱の魔王から距離を取ろうとしていた。
魔王同士の衝突に巻き込まれては元も子もない。確かにベルは主であるアンゼロットの不倶戴天の仇敵といってもいい存在だし、メアリーは明らかに、今回の事件を引き起こしている張本人であろう。
だが今の状況──ベルの魔法をいとも簡単に弾き飛ばし、加えて異世界からやって来たノエルたちはウィザードの素質を持つ可能性はあるにはあるが、それでもウィザードではない。侵魔と戦うすべを持たない彼らを庇いながら魔王二人と戦うのは、いくらなんでも分が悪すぎる。
「柊蓮司、いったん引き上げますよ」
「冗談じゃねえ!」
トランは柊に告げるが、当の柊本人は聞く耳を持たない。いまだ魔剣を構え魔王たちにその切っ先を向けている。
その間に割り込むように、トランは前に躍り出た。
「無茶です! 手数も何も足りませんし、メアリー=スーの手の内すら分かっていない。そもそもあなたには待機命令が……」
「うるせぇっ! 誰があの女の言いなりになるか!」
柊は叫んで頭を振る。普段の彼らしからぬ、意固地すぎる態度にトランは思わず声を荒げていた。
「そんなに彼女が信じられませんか!?」
しばしの沈黙。柊はぷいと視線をそらす。
「……そういうわけじゃねえよ。ただ、今回はあいつが俺に……」
「こちらには、非戦闘員が3人います。負傷者も出ています。これ以上被害は増やせません」
「…………っ」
魔剣を持つ手にぎゅっと力が込められる。トランはひそかに懐に手を入れ、0-Phoneのリダイヤルボタンを押した。これで柊には迎えが来るだろう。少々強引な手段だが、仕方ない。
一方の魔王たち。まだお互いに魔法を撃つタイミングを計っていた。
先に動いたのはベルの方だった。まずはメアリーの持つ力がどんなものなのか、判断する必要がある。
「《ディバイン・コロナ》っ!!」
再び目を灼く閃光がメアリーに襲い掛かる。今度は一点集中ではない分、威力は分散するが、それでも雑魚ならばそれだけで存在ごと消滅できる威力だ。
「ふふっ、一度受けた技が効かないのはもはや常識よ♪」
メアリーは避けようともしなかった。彼女の体を魔法の光が焼き尽くす直前に、ベルの放ったディバイン・コロナは消え失せる。
「ちっ……防御魔法でもない、打消しでもない……となると」
「あははっ、考えても無駄無駄! あたしの実力は今や大公……ううん、皇帝級なんだから。ただ面倒だから伯爵のままにしてるけど」
「どこのU-1よ!?」
ベルの思考を遮るかのようにメアリーが嘲笑する。おもわずそれにツッコミを入れてしまうところがベール=ゼファーという魔王だ。
その僅かな隙で最高のうっかりを招いてしまう、『ぽんこつ』と呼ばれるゆえんなのだ。
「そんなに知りたきゃ、あたしの力……存分に食らいなさい!」
「っ!?」
メアリーがベルを指差した。ベルは一瞬くらっとしたが、特にどうということはない。今のが彼女の力というのだろうか?
気を取り直し、ベルは攻撃を続けることにした。
「ふ、ふん! 別にどうってことないじゃない。もういいわ、今度こそ消えなさい! 《ディバイン・コロナ》っ!!」
ぷしゅー。
「…………あ、あら?」
ベルの指先から煙が噴出す。そこにはもちろん、《天》属性の最強魔法の影も形もない。
「でぃ、《ディバイン・コロナ》!!」
ぷしゅー。
「て、ちょっ、何で出ないのよ!? えいっ! このっ! こんちくしょ!!」
ぷしゅぷしゅぷしゅー。
ベルは何度も腕を振り、魔法を放とうとした。が、彼女の指先からは間抜けな効果音とともに小さな煙が出るだけで、いっこうにメアリーを焼き尽くすはずの魔法の光はあらわれない。
「ちょっとぉ……何よこれ……」
「ふふふ、あははは! 蝿の女王も形無しね!」
「これはどういうことかしら、メアリー?」
腹を抱えて笑うメアリーを睨みつけるも、向こうは挑発には乗ってこなかった。
「さぁね? あんたがぽんこつなだけじゃない?」
「ぽんこつ言うなっ!?」
「じゃあ証拠見せてよ。《ヴォーティカル・カノン》!」
メアリーの手のひらから、虚無の波動が放出される。先程のフェダーインなんちゃらを葬ったものよりもひときわ大きな奔流は、まっすぐにベルを捉え襲い掛かった。
「くっ……《ヴァニシ……!?」
メアリーの放った魔法を止めようとすかさず防御魔法を発動する。いや、正確には発動させようとした。
だがそれらも、先程の攻撃と同じくベルの目の前で小さな煙を上げて消えていく。虚の力がベルを捕らえようとした瞬間、二人の間に人影が踊った。
「危ねぇっ!!」
「《プリズムアップ》!」
同時に声が上がる。
ベルの眼前に、彼女を庇うように背を向けているのは、魔剣を正眼に構えた安物のジャケット姿。薄い茶色の髪が魔力を受けて吹き上がる。
「うぉおおぉぉぉおおおおっ!!」
直撃した、と思った瞬間に彼の持つ魔剣に刻まれたルーンが光り、虚無の魔力をやり過ごす。踵が地面を削った。
借りを作ったと分かり、ベルは屈辱に身を震わせた。だがこの男はそれには気付かない。それどころか、威力を完全には防ぎきれなかった衝撃で皮膚のあちこちが裂けている状態にもかかわらず、ベルを振り返りいたって真剣な表情で言う。
「ベル、下がれ」
「あたしに命令しないで、柊蓮司」
その言葉はますますベルを苛立たせた。彼、柊に庇ってもらった上に心配までされて。これでは大魔王の面目が立たない。
だが柊の次の言葉には先程よりも焦りの色が混じっていた。
「いいから、とにかく下がれよ! その現象、見覚えがある。あれはサイモン・マーガスの……」
言い終わる前に、ベルはくるりと背を向けて、すたすたと歩き出す。柊の焦りようにただならぬ気配を感じたのだ。推測が正しければ、メアリーはやはりアレを使っている。
ベルは肩をすくめた。
「……ふぅ、このあたしが敵前逃亡なんてね」
「ベル……?」
「いいわ。ここは退いてあげる。そのかわり、あんたも退くのよ」
ちらりと柊を振り返り、薄く笑ってみせる。そこには「あたしがいないと勝ち目はないわよ?」と言外に告げていた。
「……分かってるよ、あの力に対抗できるのは俺だけだが、確かに一人じゃどうしようもねえ……」
苦々しく答える柊だったが、撤退戦の殿は務めるつもりでいた。そうやすやすと逃がしてくれそうもない。
柊はベルの陥った状況を確かに知っていた。おそらく現在の彼女の力は、覚醒したての新米ウィザードと同程度であろう。
そう悟るとほぼ同時、前方からゆっくりと歩いてくるメアリーと目が合った。
「分かった? そう、ベルはね、『下がった』の。柊蓮司みたいに」
「っの野郎……人が気にしてることを!」
「野郎はないんじゃない? こんな美少女を前にして」
言われたくない言葉を言われ柊がぎり、と奥歯を噛む。だがメアリーはあっさりと馬鹿にした口調で返してきた。
腕を胸の前で組み、ベルよりもほんの僅かに大きなふくらみを強調しているが、柊は色仕掛けなどが通用する男ではない。なにしろ性格の悪い美少女なら嫌になるほど見ている。
地を摺るように一歩、メアリーに近づく。少女魔王は腕を解いて、またあの左手──瘴気の帯を出す魔性の手のひらを突き出してきた。
「言っとくが、ベルに使ったアレは、俺には通用しねえぞ」
かつてあの恐ろしい世界の守護者がハッタリで言った言葉を反芻する。だがメアリーは、それが最初から分かっていたかのように掲げた手のひらを下に向けた。
「でも、これは効くよね? 《大地よ、下がれ》!」
「うぉおおおおおっ!?」
メアリーが叫ぶと同時、柊の足元が急激に崩れ落ちた。足場を失った柊もろとも、地下深くへと“落ち”ようとする。
そういえば前にもこれに引っ掛かったっけ……そう考えながら柊の体を浮遊感が包み込む。
その一瞬後、落下による浮遊感は、何かに服を上に引っ張られる感覚へと変わった。
「お、おぉぉおおおっ!? な、何じゃこりゃあああああっ!?」
柊は上を見た。虚空から突き出た巨大なクレーンが、柊の服の後ろ襟のあたりを掴んで引っ張り上げている。
クレーンは高速で柊を引き上げて、再び虚空へと消えていった。
「な……何アレ……」
後に残されたメアリーが、呆然と柊の消えた空を見上げる。まさか、自分の月匣をぶち破って、中の人間を引きずり出していくモノが存在するなんて。
だがそんな強力なモノは、確かに存在するのだ。
「なんとか間に合いましたね……『柊キャッチャー』」
「柊キャッチャー!? 今のが!?」
遠方から凛とした声が響く。アレがあの有名な──驚きに満ちた表情でメアリーはゆるりと視線を戻した。声のした方向、仮面のロンギヌスの立っている、秋葉原の廃墟。
「各並行世界の柊を集めていたあなたの最終目標は、それらのオリジンたる存在……すなわちファー・ジ・アースの柊蓮司。彼だけは奪われるわけにはいかなかったので、ね」
トランの口元が僅かに上がっているのを目に留めると、メアリーは激昂した。屈辱、邪魔をされたことへの不愉快さ、欲しいものが手に入らなかった苛立ち。それらは噴き上がる魔力となってあらわれ、その全てがトランへと集中した。
「ベール=ゼファー。月匣を」
「分かってるわよ! でもそこまで届かな……っ」
トランはあくまで冷静に告げた。ベルが慌ててトランの方へと走り寄ろうとするが、全ては遅過ぎた。
「よくもよくも……っ、あんたの力も吸い取ってやろうと思ったけど気が変わった!」
「!!」
「あんたは消えちゃえええっ!!」
虚無と闇の二つの力が螺旋を描き、トランに襲い掛かった。
まるで暴走を引き起こしたかのようにも思えるそれは、避ける間もなくトランの体を包み込み、やがて上空へと放出されて消えていった。
その場に残っているものは誰一人いない。仕掛けた側のメアリーさえも。
いつしか赤い月は消え、それまで滅茶苦茶に破壊されていた秋葉原の街は、何事もなかったかのように元の喧騒を取り戻す。
舗装されたアスファルトの上に、ロンギヌスの仮面だったものの欠片がカラン、と落ちていた。
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あとがき。
……はい、やってしまいました。消し飛んでしまいました。ローゼスのメンバーはやっぱり空気になってしまいました。
まあ今の状態だとエキストラなのでしょうがないのかもしれませんが。
そして次はマスターシーンなので、もうしばらく読む人をやきもきさせてしまう予定です。
そしてアンゼロット様のおまけ。
教えて!アンゼロット様