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Climax:1〜小さな奇跡〜

 ガラスが砕けるような音を立てて、月が消えた。
「……何とか間に合った……」
 荒い呼吸を整えながら、ベール=ゼファーがかざしていた手を下ろす。魔王同士の戦いにより破壊しつくされたように見えた秋葉原の街並みは、何事もなかったかのようにただそこにあった。
 昼間の喧騒とは見違えるほどに静かな、夜の街──どうやら、ベルが月匣を張っていたその間に時間が経ってしまったようである。とあるビルの上から、ベルたち4人はその様子を見下ろしていた。
「メアリーの奴、移動したみたいね……あたしたちもさっさと行……」
 ベルがくるりと振り返る。だがノエルたちは沈んだ表情のまま、動く気配は無かった。
「トランさん……」
「くそっ!」
 ノエルが呆然と呟くのと、クリスがコンクリートに拳を打ち付けるのとは、ほぼ同時だった。
「まただ……またあいつを救えなかった! これで三度目だ!」
「…………」
 こういう時、普段なら皮肉の一言でも言ってクリスを落ち着かせるのがエイプリルの役目であった。実際、最初の時は──最初に『彼』がいなくなった時はそうだった。だが、今のエイプリルにはかける言葉が見つからないらしく、押し黙ったまま、クリスから目をそらし立ち尽くしていた。

 少しの間、何度も屋上を殴りつける拳の音だけが聞こえていた。

「やれやれ」
 クリスの手を止めたのは、意外なことにベルだった。
「だからって、いつまで床殴ってるつもり? 自分で自分を傷つけるなんて、馬鹿らしいからやめなさい」
「……何だと?」
 クリスが顔を上げる。いい表情だ、とベルは内心ほくそえんだ。
 人の自尊心に付け込み、破滅を誘う大魔王ベール=ゼファーにとって、クリスのような真面目な直情型ほど扱いやすいものはない。
「あんた、このままでいいの? 元の世界にも戻れず、仲間を失っても何もできず……何とかしたいとは思わない?」
「それは……」
 こういうタイプの人間は、少しプライドを刺激してやるだけで面白いほどによく動いてくれる。ベルは目を細め、甘い囁きをクリスに聞かせた。悪魔の囁きを。
「あたしならあんたたちを手助けできるわ。でも本当に解決するのはあんたたち。いいこと? 化け物を倒すのは、いつだって人間よ」
「…………」
「く、クリスさんっ……」
 ゆっくりと、しかししっかりとした足取りで、ノエルが二人に近づいてきた。さて、今度はこちらのお嬢ちゃんをどうやって乗せるか……ベルは思案したが、その必要は無かった。
「あたしも、行くべきだと思いますっ。トランさんは前の『霧の粛清』の時だって、あたしたちを助けてくれました。その後、全ての世界を守ると言ってあそこに残ったんです。今度はあたしたちの番です!」
「ノエルさん……」
 拳をぐっと握り力説するノエル。クリスはしばし呆気に取られていたが、やがて立ち上がる。
「そうですね、この世界も、多分あの時にあいつが救った世界の一つでもあるんだ……だったら、やるしかない」
「話はまとまったか?」
 クリスが決意を露にすると、それまで黙っていたエイプリルも動いた。
「はいっ、あ、でもエイプリルさんは」
 どうするんですか、とノエルが聞く前に、エイプリルは口端にニヒルな笑みを浮かべる。
「俺たちのリーダーはノエル、お前だ。リーダーが決めたことなら、黙って付いて行くさ」
「……はい!」
「それにあと一人、私たちの仲間がとっ捕まっているようだしな」
「そうです! レントさんを助けないとっ!」

 笑い合い、拳を掲げる三人。ベルはその様子を何となく面白くなさそうに見ていた。
(あたしが焚き付ける必要なかったんじゃない、まったく)
 あの三人は、自尊心のためでなく、仲間のために戦おうとしているのだ。それが人間の力だということは、今までのウィザードとの戦いでベル自身もよく分かっていたが、それでも面白くないものは面白くない。
 けれどそんなことで目の前の駒を失うわけにはいかなかった。動機はともかく、彼らの目的は十分に利用価値があるのだ。
 ベルは屋上に張り巡らされた鉄柵の上に飛び乗った。まるで計ったようなタイミングで風がふわりと吹き、羽織ったポンチョをなびかせる。
「終わった? なら行くわよ」
「行くって、どこへですか?」
「決まってるじゃない」
 ノエルの疑問にそう答えるのと同時、ベルの背後に再び紅い月が現れる。
 ひときわ強い風にポンチョがあおられ、翻ると、ベルがそれまで着ていた輝明学園の制服は、背中の大きく開いた黒いドレスへと変化していた。
 リボンの巻かれた腕を組んだポーズで、ベルが再び口を開く。
「……輝明学園よ」

---

 ──輝明学園

 この学園の中には、ウィザードの生徒たちの訓練を目的としたダンジョンが地下に存在する。
 その名も『スクールメイズ』。普段は腕試しに精を出す生徒たちで賑わうこのフォートレスは、当然地下なので空を見ることは無い。だが──

 魔王メアリー=スーが現れた、人気の無い夜のスクールメイズには、天空に鮮やかな紅い月が昇っていた。
「ふふ……もうすぐね」
 メアリーはうっとりとその部屋の一番奥を仰ぐように見上げていた。
 部屋は巨大だった。だがその面積のほとんどを埋め尽くしているのは、人が入れそうなぐらいの大きさの無数のカプセル。それらに接続された一本のチューブは、全てが部屋の奥のひときわ巨大なカプセルへと繋がっている。
「もうすぐ、ここに集めた柊たちの力を全部集めて、あれが復活する……しかも、冥界の力までついて」
 待ち人を想う乙女のように、メアリーは蕩けるような声で囁く。

 彼女の願いは……『待ち人』は、ほどなくこの場所へ到達することとなる。おそらく最高のタイミングで。
 爆発を伴い、月匣を突き破って──天空より、舞い落ちる。

「うおおおおおおおおおおおおおっ!?」
「な、何!?」
 はるか上空より響いた声に、メアリーは一瞬うろたえる。それとほぼ同時、盛大な音を立てて地面が轟いた。
 煙が晴れる。
 中心に、魔剣を床に突き立てて体を支えながら立っている、ボロボロの柊蓮司の姿。
「よう……待たせたな」
「……柊蓮司ッ!!」
 メアリーの顔が狂喜に歪む。
 待ち人の来訪にうろたえるとは。その僅かな悔悟を膨大な魔力で包み隠し、それらを全て柊へと差し向ける。まるで、遅れてやって来た恋人に小さな罰でも与えるかのように。
「ええ……待ったわ。でも一人で来るなんて迂闊ね。もう逃げられないわよ!」
「!?」
 メアリーから放たれた魔力は、直接柊を襲うことは無かった。漆黒の瘴気がフロア全体を這うように巡り──
「《腐沼召喚》(リ・ドゥム)!!」
「何……っ?」
 呪文とともに、床がドロリとした粘性の液体へと姿を変える。慌てて飛び退くが、その飛び退いた先すらも同じだ。床を踏み抜く感触が無く、ただずぶりとスニーカーが黒く染まっていく。
「く……」
 奥歯を噛む。無事な足場は、柊から見る限り、部屋全体に置かれた無数の棺桶のようなカプセルの上しかない。しかし、その中には。
「レンや他の俺の上で戦えってか……?」
 ちらりと横目でカプセルを見る。半透明なガラス状のカバーから見える顔は、以前共に戦った異世界の勇者。並行世界の自分自身なのだ。

 このままではメアリーの召喚した瘴気の沼に捕らわれてしまうことは明白だ。おそらくいったん捕まれば、脱出するのはほぼ不可能といっていいだろう。
 どうするか。魔剣の柄を握り締め、逡巡した、その時だった。

「あら、ちょっと遅れたみたいね」

 鈴を鳴らしたような声が響き、部屋の片隅──いまだ沼に侵されていない床にこつり、と靴音が4つ。
「ベル!? それに、確か異世界の……」
「随分手間取っているようだから、加勢しに来てあげたわよ」
 腕に巻かれたリボンをなびかせ、降り立ったベール=ゼファーが微笑む。
「けどお前、あいつにレベルを下げられたんじゃ……」
「うっさいわね! だから代わりにこいつら連れて来たんじゃないの!」
「うおおおおっ!?」
 片眉を吊り上げ、ベルは傍らのクリスの背をどんと押し出した。途端にバランスを崩して、派手な音を立てながらクリスはあっさりと沼にキスをする。
 そのリアクションに満足気に頷くと、ベルは改めて柊とメアリーを見遣った。
「さて、これで後5分くらいしたら、亡者二人が出来上がるってわけだけど……その前にメアリー、あんたを倒してあげる」
 冷酷さを覗かせるベルの微笑。だがメアリーは強気の姿勢を崩さなかった。
「無駄よベル、もう遅いわ!」
 メアリーのその声と共に、巨大カプセルが光を放ち始めた。
「真のアルティメット柊……いいえ、『冥魔王デビル柊』の復活よ! 5分もいらない、30秒で世界全てを下げ尽くしてあげる!!」
 彼女の言うその『冥魔王デビル柊』とやらから、膨大な量のプラーナが噴出する。確かに、復活の時なのかもしれない。冥魔王と言うくらいなのだから、かなり手ごわいはずだ。少なくとも、柊がこれまで戦ってきた裏界の勢力くらいには。
 対するこちらの戦力は、ベテランとはいえ前倒れで一人ではとても戦えない柊と、『柊力』により大幅に力を制限された大魔王、そしてウィザードですらない異世界からの来訪者が三人。

 もう遅い?

 いや、違う。
 柊が、ベール=ゼファーが、何の策もなく突貫するような下策を取るはずがないのだ。
 振り向かず、柊は言葉だけでベルとコンタクトを取る。

「ベル、頼むぞ!」
「分かってるっての! ……感謝なさいよ、あんたたちを奴らと戦えるようにしてあげるわ」
「……え?」
 きょとんとするノエルに、怪訝な表情を見せたままのエイプリル。そしてようやく起き上がった(それでもやはり少しずつ沈んでいってるのだが)クリスを順に見て、ベルは己の全ての魔力を結集させ始めた。
「この写し身に残った力を全部使えば、素質のあるあんたたちをウィザードに覚醒させることくらいはできる。見てなさい、これがあたしの……魔王の起こす奇跡よ」
 ベルの力が三つに別れ、それぞれ三人にすっと入り込んでいく。それは『魔王』と呼ばれる存在がもたらしたとはとても思えない、暖かな光。だが確かに、三人は奇跡の恩恵を受けたのだ。
 その証拠に。
「何だか……運命の力に、アリアンロッドの力<フェイト>に似たものを、あたしの中から感じますっ」
 ノエルが剣を構える。少女の体を淡い輝きが包んでいた。
「それは『プラーナ』。誰もが持つ存在するための力……そして、世界を救う勇者の力よ」
「信じられん、魔王の力が、私の中で神聖なものになっているとは……」
「失礼ね、あたしだって昔は神様だったのよ。その力を受けた信心深い人間が聖職者となるのも、不思議じゃないでしょ?」
 同じく剣を握るクリスが呟くのを聞きつけ、ベルはそのささやかな胸をそらしてみせる。力を使い果たした影響なのか、三人とは対照的に彼女の存在はどんどん弱まっていく。
「……まあ何でもいい。俺にはこの二挺があれば、何だってできる」
「そうね、その銃……柊蓮司の魔剣と似た特殊な力ね。……しっかし、揃いも揃って前倒しねあんたたち」
 エイプリルが魔導銃を抜き放つのを見ながら言う。小馬鹿にしたような言葉だったが、柊はそこに苦笑めいたものが混じっているように感じた。

 そして、月匣の前に大魔王ベール=ゼファーの存在は消え去り──かわりに三人のウィザードが誕生した。
 彼らがメアリーと対峙すべく、自らのもとへ近づいてくるのを待って、柊はにやっと口元だけで笑った。

「反撃……開始だ!」

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あとがき。

アルティメットが堕ちたらデビル。これはGガンダムからのお約束です。
クロス設定なのにアリアン勢が戦えなかったのは、これ(小さな奇跡)がやりたかったから(笑)
フラストレーションたまったね! 今までごめん! お待たせ!

そしておまけ。

教えて! アンゼロット様