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Climax:4〜《ガイア》〜

 鳴動が落ち着く。それでもいまだノエルは動けなかった。
 目の前にいたトランの姿をした粛清が、彼女から視線を離し、向かい側にいる三人をゆるりと振り向く。
「粛清が起動した以上、もうあなた方はこの城に必要無い存在になりました」
 静かに告げられる声に、殺気を感じ取り、ノエルはやっとその重たい体を動かした。
「そんなっ、トランさん、駄目ですっ!」
「安心してください、ノエルに手はかけませんから」
 焦り、ただ持っていただけの剣の柄を握り締める。ノエルはトランの背中と、その向こうにいる仲間たちとをほとんど睨みつけるように見上げた。
 立ち上がる、その直前に。
 トランから膨大な魔力が吹き上がった。

「ちっ……!」
 それら全てが、ノエルを除く三人に向けられているのだと悟り、エイプリルは舌打ちする。そして次の瞬間、赤い疾風が舞った。
「!」
 トランが気がついた時には、既に二挺の拳銃が彼に照準を定めていた。咄嗟のことに、思わず詠唱を中断してしまう。
 だが、それだけだった。
 エイプリルの放った銃弾が、獲物を狙う狩人の弓矢のごとく加速する。必殺のはずのその二発を、しかしトランは避けようともしなかった。
「!?」
 目を見開いてみる。急所を打ち貫くはずだった銃弾は、見えない壁に阻まれて、力なく大理石の床に落下しては乾いた金属音を響かせた。
「無駄ですよ」
 構えた格好のまま呆然と立つエイプリルに、冷たく浴びせかけられる言葉。次に動いたのはレントだった。
「何か特殊なフィールドを張っているらしいが……これなら、どうだ」
 息を吐く。
 先程二回とも防がれた魔法攻撃。もはや自分には打つ手は無いのかもしれない。
 だがまだ奥の手がある。全力を込めて撃てばあるいは──……
「……《ウォータースピア》っ!」
 気合と共に突き出した杖。その上空に三度、氷の槍が形作られる。これならば、奴のアラクネを突破できるかもしれない。
「ふん」
 その思惑を知ってか知らずか。やはりトランは微動だにせず、自身に降り注ぐ無数の氷を微笑を浮かべて見つめていた。

 そして。

「無駄だと言ったでしょう。『粛清』が起動した今、わたしは《結界》を取り戻しました。エリンディルの世界律に縛られたあなた方では、このわたしに傷一つ付けることはできない」
 涼しげな声が響いた。
 何かに遮られ、トランまで届かずに蒸発した氷の槍、その水蒸気が晴れた後。
 中から姿を現したのは、やはり傷一つついていないトランの姿だった。薄笑いを浮かべつつ、驚愕の表情を浮かべるレントを見下した視線で見ていた。

 一行を絶望が襲う。
「世界、律……?」
 ようやくそれだけ言って、クリスが立ち上がる。先程のショックが癒えたわけではなかった。だが、このまま何もせずに倒されるなど、彼の矜持が許さなかった。
 気持ちを奮い立たせ立ち上がる彼の一言に答えるかのように、淡々とトランは続ける。
「この結界は、エリンディルの世界律……すなわち、エリンディルに生まれその法則に縛られているものからの攻撃を全て弾きます。つまり……」
 いったん、言葉を切って。
 トランの表情がふと、優しくなった。それまでの狂人じみた歪んだ笑みではない、昔のままの微笑み。
 心なしか声も穏やかなものに変わっている気がする。まるで『還ってきた』かのような。
 その落ち着いたトーンのまま、トランは再び口を開いた。
「……つまり、あなた方にわたしは倒せない」
 静かに告げられるそれは、昔交わした何気ない会話を切り取ってきたかのようで。
 だから一瞬、踏み込みかけたクリスの足が止まる。顔を伏せて、視線を地に落とす。それが大きな隙を見せることになると頭の中の冷静な部分は告げていたのに。

 だが、思っていたものは来なかった。

 違和感に気付き、ふと顔を上げたクリスが見たものは、苦悶の表情を浮かべて己をかき抱き、頭をかかえるトランの姿だった。
「ぐぅ……うぉおああああああっ!」
「と、トラン!?」
「トランさんっ!?」
 城全体を揺るがすかのような咆哮。トランの声と何者かの声が合わさったような、奇妙な響きを持って、霧の向こうへと吸い込まれていく。
「おのれ……」
 顔の半分を手で覆い、肩で息をして──『粛清』は苦痛に表情を歪めて呪うように吐き捨てる。

「……全てを取り込まれてなお……わたしに抗うかっ! トラン=セプターっ!」
 すぐさま目の輝きが変わる。髪をかき上げているせいで、かつて魔術師が宿していた強い意思を秘めた二つの赤紫の宝玉が露になり、それがつり上がる。
「わたしの……精神まで、一つになったわけじゃない! みなさん、手はあります……奇跡は存在し……うぐっ!」

「な、何……どういうことだ……?」
 クリスの眼前でめまぐるしく表情の変わるトラン。それを見ているだけしかできない。
 片膝をつきながら、トランはなおも叫んでいた。
「ノエル……種子を! わたしの意識が『粛清』に塗りつぶされる前に……っ!」
「えっえっと……どうすればー!?」
「……願って──……」
「!」
 それを最後に、ノエルたちの知るトランの声は聞こえなくなる。胸を掻き毟るようにしていた『粛清』のトランが体勢を立て直し、ノエルに振り向く。
「死人が……余計な口を挟んで……!」
 忌々しげに吐き出される言葉には、既にトランの体裁を取り繕う様子も見えない。
 そのことに気づいた時には、ノエルはもう玉座から立ち上がっていた。
「聞こえました、トランさん。トランさんを助ける方法が!」
「助ける?」
 息を整え、訝しげに聞き返す『粛清』に、こくりと頷いて返す。その手に握るのは、『ガイアの種子』。試練を乗り越えた証。
 キッと視線を強め、ノエルは『粛清』に対峙した。
「あなたはトランさんなんかじゃない……トランさんの魂は、返してもらいます!」
「どうやって? 意識が僅かに残っているとはいえ、既にこの男の魂はわたしと完全に同一化している! 奇跡でも起こらない限りは……」
「そう、奇跡です」
「何?」
 首を傾げる『粛清』。そしてその表情がはっとする。まさか気付かれたのか。あの方法を。『種子』の本来の使い方を──……
 種子を握り締め、祈りを捧げるポーズでノエルは願う。
「しまっ……!」
 『粛清』が手を伸ばす。だが僅かに届かない。

「──《ガイア》。お願い、トランさんの力を、あたし達に貸してください!」

 澄んだ声が広間に響いた。
 同時に、閃光。

 あまりの眩さに全員が目を塞ぐ。そして。

 "かしゃん"

 静寂の中、何かが大理石に打ち付けられる音が聞こえた。それと共に光がおさまる。
 目を開けたノエルが最初に見たものは、床に転がっている白銀の仮面と、そして見覚えのある赤茶色のローブの裾。
 先程『粛清』の立っていた場所から少し離れた場所に、懐かしいシルエットがあった。
 ローブを纏った長身。鍔広のとんがり帽子。そして、どこか斜に構えたようでいて、人の良さそうにも見える、落ち着いた眼差し。
「と……」
 ノエルの視線に気付いて、男はふと、目を細めた。『粛清』と同じ微笑、同じ仕草。だけど違う。ノエルには──いや、後姿しか見えていないだろう他の仲間も、きっとそれが分かる。
 男は静かに口を開いた。
「みなさん……お久しぶりです」

「トランさぁん!」
「トランっ!」

 ローゼスの彼を呼ぶ声と共に、場の空気が変わった。それは確かなる変化だ。先程まではなかった安心感、暖かさが感じられた。
 一言で表すならば、『懐かしさ』。
 かつての仲間に囲まれて──今、トラン=セプターは還ってきたのだ。

 仲間達に囲まれる彼の姿を、少し離れた所でクリスは見ていた。彼はまだ、トランの元に駆け寄れない。
 踏み出そうとしても足が止まってしまった。
「クリス? どうしました」
 ふと、トランがそれに気付き、人の輪の中からクリスを見遣る。が、すぐに目をそらされた。

 肩をすくめて、自らを囲む他の面々をちょっと失礼とかきわけて、トランはクリスに近づいた。幸い、距離は離されずにすんだ。
 彼がへこんでいる原因は分かっていた。半眼で、呻いてやる。
「粛清がわたしに言わせたことを気にしてるんですか」
「…………」
 クリスの目が揺らいだ。やはり、気にしていたのはそのことだ。今度は溜息をついてやる。
「……自惚れないでください。なんでわたしがあなたのジンクスで死ななきゃいけないんですか」
「……え?」
 彼は今度は目を見開いてトランを見上げた。驚いたような、戸惑ったような、怒ったような。そんな間抜け面を見るのも何だか懐かしい。トランは語調を緩める。諭すように、淡々と語る。
「あれはわたしの単独行動が招いた結果です。仕方のないことでした……一緒に戦ってたら死にませんでしたよ」
「そうですよっ。クリスさんだって、前にあたしに同じように言ってくれたじゃないですか!」
「あ、ああ……そうだ、そうだったよな」
 あれは偶然だと、共に戦っていれば守ることだって出来たと、そう言ったのは自分で。
 いつの間にかこちらに来ていたノエルにそう言われて、ようやくクリスの強張っていた表情が緩む。

「さすがです、ノエル。立派にギルドマスターを務めているじゃないですか」
「え? いえっ、そんなぁ、あたしなんかまだまだですよー!」
 照れるノエルと言葉を交わすトランは、既にクリスに背を向けていた。おそらく彼にも、もう自分が大丈夫であると分かったのだろう。
 と、そこでクリスは一つ思い出す。還ってきた彼らの仲間に対して、一つ言い忘れていることがある、と。
「おい、トラン」
 背中に呼びかける。トランはすぐにこちらを振り向き、何ですかと不思議そうな目をクリスに注いだ。
 少し、表情を緩ませる。
「……おかえり」
「ただいま」
 同じように、僅かに微笑んだ言葉が返ってきた。

 トラン=セプターは還ってきた。それをやっと実感できた。

 その時だった。
 地の底から響くような唸り声がどこからか上がったのは。

『悪あがき……を……その男……を、わたしから……切り離したとて……わたしの……能力が失われる……わけ、では……ない』
「な、何っ?」
 声は地に落ちた仮面から発せられていた。よく見れば、その周りには外の景色と同じ霧が噴出し、それ自体がまるで生き物であるかのように蠢いている。
「あれが本体です」
 驚く一行に、冷静にトランは告げた。魂を無理矢理に同化させられていた影響か、相手の──『粛清』のことが、手に取るように分かる。
「と、とらんさぁん……どうすればっ」
「大丈夫。方法はあります」
 剣を握ったまま、心細そうに見上げてくるノエルに微笑みを返し、トランは霧に向き直った。

 そして言い放つのは、『粛清』を消すという決意。

「わたしの中には、あなたの持ち得た知識の全てが入っています。どうすれば粛清を止められるのか、どうすればあなたの纏った《世界律の結界》を破れるのか。そしてもう一つ」
『もう一つ……だと?』
 やがて霧は人の形となって、仮面の男の姿を形作る。その人影に向けて、トランは笑ってみせた。
「ええ。重要なことを知りました。人工生命にも、魂は存在するのだということを、ね」

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あとがき。

やっとトランが復活しました。しかも邪気眼で!(笑)
ルール的な裏づけが出来なかったのが心残り。きっとGMや他メンバーがフォローしまくったんでしょう。
あと、今回もおまけ特別編で戦闘解説をつけました。

※アリアンロッドRPG、アルシャードガイアは
 有限会社ファーイースト・アミューズメントリサーチの著作物です。

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おまけ

GM「ほい、トランのキャラシート。3巻で使ってたのと同じやつな」
レント「二枚管理はいいんですけど……似たような能力だから面倒くさいな」
通りすがりの田中天「お、じゃあ俺がやってやろう(トランのキャラ紙を取り)……会いたかったぞ後期型〜っ!!」
レント「うるせえお前は出てくんなっ!?」
天(以下、トラン)「何てこと言うんだー! 弟ーーーーっ!?」
(一同大爆笑)
レント「兄弟じゃねえだろっ!? 烏龍茶飲んで、けぇれっ!」
ノエル「ひ……ひどい、ひどい……っ!?」
クリス「お前が出てくるといつも大惨事だな!?」
エイプリル「(必死で耐えている)」
トラン「あ、あれ? みなさん、と、トランですじょ?」
レント「……(無言でGMを見る)」
GM「(シリアスな声)……奴を止められるのは、キミだけだ」
レント「城の隅でさめざめ泣きます……」

※この後クレバー矢野先生がトランのキャラ紙を取り返しました。