NOVEL

その胸を赤い花弁で埋め尽くしたい

 アルディオン大陸の、どことも知れぬ山中に、その小屋はあった。
「たっだいまー」
 ひっそりと静まり返った、生活感のないその部屋にはあまり似つかわしくない明るい声と共に、扉が開かれる。
「いい子にしてたか、アル?」
 楽しげに細められる瞳は上等な宝石のように煌いて、少し荒く呼吸をするたびに揺れるのは最高級の金の絹糸のような滑らかさで肩からさらりと落ちていく金髪。
 柔らかい笑みを浮かべた彼の顔は、エルダナーンの血が入っているがゆえか繊細な彫刻を思わせる。
 手にはみずみずしい大輪の赤い薔薇の花を一輪持ったその姿は、一枚の絵画のような美しさだ。

 彼──サイラスは小屋に入ると注意深く扉を閉じ、部屋の奥にある簡素なベッドまで一直線に進んだ。
「ほーらアル、今日も持って来たぞ」
 そう言って、手に持った薔薇の花弁に軽く口付けを落とすと、それをベッドの上に置く。
 見ればそのベッドには、同じように置かれたのであろう赤い薔薇の切り花が何本も、何本も、シーツを埋め尽くすかのように散らされていた。
 その多くは既に枯れて、鮮やかさを失っている。だがサイラスは気にせずに、枯れた花弁を壊してしまわないようにそっとかき分けて、ベッドに眠る人物に手を伸ばした。

 中央には、程よく鍛えられた傷だらけの体をシーツで隠した赤銅の髪の男が横たわり、規則正しい寝息を立てていた。
「アル……ただいま」
 もう一度、今度はアルの耳元で囁くように言って、サイラスはアルの頬を撫でる。
 反応はなかった。

 もう彼が、瞼に閉じ込めた琥珀色の瞳をサイラスに向けてくれることはないのだ。
 そうしてしまったのはサイラス自身だから。
「知ってるか? 昔の御伽噺でさ、魔女の呪いで眠り続けるお姫様がいたんだよ。お姫様の周りはいばらのつたで囲まれて、王子様のキスじゃないと目覚めないんだってさー」
 以前、共に傭兵をしていた時のように、気楽な口調で語る。そしてふと、それまで美形がもったいないくらいのへらっとした笑顔だったのが引き締まり、サイラスはアルに唇を落とした。
「…………やっぱダメだよな」
 再び顔を起こした彼の表情は、先程と同じく笑っていた。だがその瞳にはかすかに自嘲の色が浮かんでいる。
「そうだよなー、俺、王子様じゃなくて魔女の方だもんなー」
 頭をかきながら呟く。

 アルに覚めない眠りをもたらしたのはサイラス自身だった。
 これがただの駆け落ちならばどんなにか良かっただろう。実際には自分はとんでもなく重い罪を犯しているのだ。
 世界の監視者であるノーデンスの力を自分の欲のためだけに使った。そしてやったことと言えば、一国の騎士の地位にある人間の誘拐だ。
 現在のフェリタニアは困窮の事態にあると聞いている。女王ピアニィのもと、二つの大国に挟まれながらも奇跡のような鮮やかさで領土を拡大していったフェリタニアではあるが、それには第一の騎士アル・イーズデイルの力が大きい。彼を失った今、フェリタニアが力をそがれるのは当然のことだ。

 何より、アルの意思を聞いてない。

 サイラスには彼を起こす力もあった。だけどできない。起こせば必ず、アルはフェリタニアに──彼の約束したあの国へと戻ってしまうから。
「はー……やっぱ寂しいよなー。お前と喋ったりどつき合ったりできないのは……」
 大きな溜息をつき、サイラスはベッドにばら撒かれている花を弄び始める。寂しいのは仕方がない、自分でしたことだ。眠ったままのアルと全てを捨てて二人きりな今、もうこれ以上は望めない。
「いてっ」
 そんなことをぼんやりと考えていたせいか、薔薇の棘が彼の指を傷つけた。赤いしずくが一滴、アルの肌にぽたりと落ちる。
「いけね……ごめんなー、アル?」
 つとめて明るい表情で言うと、サイラスは再び身をかがめて、アルに口を寄せる。
 今度は血の落ちた頬に。舌を出してそれを舐め取ると、軽く音を立てて口付けた。
「また明日……持って来てやるな」
 それだけ囁くと、ベッド脇に膝をつき、サイラスはシーツに突っ伏した。

 眠り姫は目覚めない。

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お題提供:Fortune Fate

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あとがき。

拍手お礼のサイ→アルのその後、ということで全体的になんか暗い感じになりました。イメージはそのまんま眠り姫。
アル→眠り姫、サイラス→魔女ということは王子……誰だ。誰でもよし!(笑)

さいころまま様、リクエストありがとうございました!