現実逃避には鷹狩りが一番だ、と政宗は思う。
 小十郎が今頃部下たちを叱咤して捜索させているだろうと思ったが、政宗は素知らぬ顔で馬を走らせ続けていた。
 目当ての原野に近づくと、引き連れてきた少数の伴の者たちに命じて準備をさせる。政宗の自慢の鷹は、過日某武将に無理矢理強請って借りた(正確には返すつもりはない)ものだ。よく獲物を狩るので政宗は大層この鳥が気に入っていた。
 今日も鷹匠の手から空高く舞い上がり、悠然と空を駆ける。いつかオレもあんなふうに飛びたいものだと考える。

 *

 龍と二つ名を持ち近隣諸国から畏怖されてはいても、いまださまざまのものに脚を絡め取られもがいていることを政宗自身が一番知っている。己は龍どころか鳥にもかなわず――空も飛べず、地上の王にもなれず。
 …そう知っていても、顔に出すことは許されない。尊大で傲慢で奇抜な男として皆の目を背に受けて走り続けねばならない。
(…あぁ、めんどくせぇな)
 時々、無意識にそう呟いている。
 国境の小競り合いに、水面下の交渉に、表向きの撹乱と譲歩とギリギリの綱渡り。政略的な縁組はあってなきが如し、血を分けた親族も明日には敵となり背中から刃物を振りおろすかもしれない。毒をもってくるかもしれない――
「――チッ」
 政宗は詮無いことだと肩を竦める。この境遇を厭わしく思うことは最近はもう無い。昔はあったが、過ぎたことだ。
 戦は好きだ。命かけたギリギリのやり取りも好きだ。生きていると実感できる。
 けれど、その刹那が終わってしまえば抜けがらのように…とはいかなくとも、ぽかりとからだの何処かに穴が開く。
(…なにかが、足りねェ…)


 ――と、先日愚痴のように小十郎に零したのは失敗だったのだろう。延々と書状に花押を書かされていたときのことだ。
 小十郎は淡々とした表情のまま、「では嫁を娶りなされ」と言った。
 突拍子のないことを、あまりに普通の顔で言われた政宗は、はぁ?と間の抜けた声を出した。
「…おい小十郎。惚けるには早すぎるだろ。お前が抜けると伊達軍の大損失だ、ちょっと医師に見てもらえ」
「お言葉ですが政宗様。小十郎は極めてまともなことを言っております。今政宗様は、戦以外の場で、もしくは政務以外の場でなにか物足りないと仰ったのではありますまいか」
「…Ah、確かにそうだな」
 政宗は眼帯にかかる前髪を鬱陶しそうにかきあげた。
「だからって、なんでいきなり嫁取りの話になるんだ。お前ほんとに大丈夫か」
「普通のことです。いつまでも童でもありますまい。敵国との縁組は重大な政略のひとつ――」
「――冗談じゃねぇ!!」
 政宗は書き終わった書状をばんと卓に叩きつけると、立ち上がった。ぎろりと左目だけで小十郎を睨みつける。
「どうせお袋のように実家のために伊達を裏切るに決まってる。信用なんざできるか!会ったこともない女を傍に侍らせるくらいなら時々顔合わせる遊女のほうが後腐れの無い分百倍マシだッ」
 政宗はそう言い捨てて大股で部屋を出て行った。
 小十郎は何も言わなかった。おそらく深い溜息をついているに違いなかったが政宗は振り返らなかった。

 *

 …のが、今日こうやってお忍びで鷹狩りに出掛けるきっかけになっていることは事実だ。
 人間関係を築いていくことは嫌いではない。孤高の王と洒落込むつもりなど無い。けれど婚姻や血縁で固めていくことの危うさは、書面での同盟よりもっと濁っていることを知っているだけに、政宗は踏み出せないでいる。
 小十郎の言うことはいつも正しい。すでにいくつも政宗への縁談の申し込みはおおっぴらに、あるいは密やかにあった。のらりくらりとそれをかわしつつ、部下たちにはそれぞれ既にいくつか、これならば大丈夫という相手を選んで姻戚関係を結ばせたりもしてきた。つまり実際のところは政宗は、考えとは矛盾したことを実行している。
(――それでも、オレ自身は、…嫌だ。)
 小さくもういちど舌打ちしたとき、鷹の羽音が響いた。政宗は顔を上げ天を仰いだ。呼子の音に呼応するように鷹は悠然と滑空し、――直後、目にもとまらぬ速さで急降下した。
「――Hey!行くぜ、あっちだ!」
 政宗は伴の者たちに、わざと威勢よい声をかけ馬の腹を蹴った。


 木々の合間に、激しく、空気を打つような羽音が響く。政宗の鷹のものだ。
 政宗が駈け寄ったとき、鷹は仕留めた獲物を太く逞しい両脚に掴んでいた。逃げようと酷くもがくそれは、果たして一匹の銀色の優美な狐だった。
 これは見事な、と部下の一人が感嘆の声を上げる。政宗もひゅうと口笛を吹いて近づきながら、部下へ向けて手を出した。矢を渡せ、という合図だ。
「息の根を止めてやるぜ」
 独り言ちて渡された矢を弓につがえ、弦を引き絞り鏃を暴れる狐に向ける。
 ――と、狐の薄い金色の目が政宗を射抜いた。政宗はふと動きを止めた。
「…おい。誰か、なんか言ったか?」
 弓を構えたまま政宗は周りにいる者たちに声をかけた。政宗が獣を仕留めるのを固唾をのんで見守っていた一同は顔を見合わせた。
「いいえ?俺達、誰も筆頭に声なんざかけちゃいませんぜ?」
 ひとりがとまどいがちに言う。政宗は、そうかと軽く頷くと、またぎりと弦を引いた。
 …が、その腕は一瞬硬直し、表情が惑い…直後にだらりと腕は両脇に落ちた。部下たちは益々怪訝な顔をして政宗を見た。
「筆頭?どうしたんですか…?」
 政宗は我にかえったように振り返った。
 それから、曖昧な笑いを浮かべた。
「いや…なにもねぇ」
 政宗はつかつかと鷹と獣に近寄ると、鷹を腕に止まらせた。
 狐の脚を押さえるのかと皆が見ている前で――そのまま政宗は、その狐をなんの躊躇もなく逃がしてしまったのである。場に居合わせた一同、仰天した。
「ひ…筆頭!?なんで逃がすんです?滅多にない獲物だったってのに!」
「そうですよ、肉は臭みがあるかもしれないが、あの毛皮は見たこともないくらい見事だったのに…!なんで逃がしちまうんですか?筆頭らしくない」
 口々に文句を言われる。黙って狐を見送っていた政宗はやがてふりかえり、ぎろりと部下たちを睥睨した。皆竦み上がった。
「…うるせぇな。俺が逃がそうと思ったんだからあれでいいんだよ!」
 子供の我儘のような言葉を吐いて、政宗はずかずかと馬のところまで戻ると跨った。さぁ次を狙うぜ、と、まるで何も無かったかのように皆に声をかけると、後も見ずに駆けだした。


(…フン。不思議なこともたまにはあってもいいもんだ)
 先程政宗の耳には、皆に聴こえない声が響いていた。誰も聴こえていないようだった。
 助けてほしい、という声だった。
 政宗は妖怪や死霊の類を信じているわけではない。けれどあのとき政宗はその声を、なんの疑いもなく、目の前の狐が発しているのだと信じた。
 だが、助けろと言われてすぐ、はいそうですかとは頷きたくない政宗は、鼻で笑って一度は心の中で言い返した。
『驚いたな、口をきける狐かよ。…だがてめぇを助ける義理はオレにはないぜ?狩りは戦と同じだ、負けたほうは勝ったほうの言うことを聞くもんだ』
『――では、なにか貴様に、この身の代わりのものを差し出そう。なんでも欲しいものを』
『――Ah?』
 政宗は呆れた。そして可笑しくなった。
 これはなんだ、まるで何処かで寝物語に聞いたお伽話のようではないか?おいおいマジかよ、と呟いて政宗はくつくつ笑った。
『なんでもいいのか』
『なんでも。我はこれでもそれなりの身分の者ゆえ、約束は守る。貴様がヒトだとて、たばかりはせぬ』
 狐の声はまっすぐで自信に充ち溢れていた。政宗はまた可笑しくなった。神とでも名乗るつもりか――でも神ならば、何故政宗の鷹ごときに捕まるのだ。おかしな話だ、と思ったが、こういう馬鹿馬鹿しいのは嫌いじゃないとも政宗は思った。
『――OK、わかった』
 政宗はあっさり狐を放した。狐は一瞬戸惑ったように身を竦めたが、すぐ茂みに飛び込み見えなくなった。
 部下たちには何故逃がすのかと呆れられたが、奇妙に政宗はすっきりした気分だった。まだ願いを言っていなかったことも、別にどうでもよかった。「面白いこと」があったには違いないのだ。
(…さて、約束は守ると言ってやがったが…なら、奴は今夜、俺のところに来やがるのか?)
 政宗はくつくつ笑った。あの狐が本当に恩返しにやってきたら、それはそれで面白いと思う。

(2)