ビターチョコレート





チョコレートは嫌いじゃない。
「けど、なぁ」
政宗が横で笑いを噛み殺していた。元親はちぇっと軽く呟いた。手にした紙袋には包装されたチョコレートがそれなりにたくさん入っている。今日はバレンタインデー。
「一見、勝利者だよな。一見だけな」
「うっせぇよ!黙ってりゃわかんねぇだろ」
元親は不機嫌である。それはそうだろう、紙袋の中のチョコは、全てが男子生徒からのものだった。部活や委員会の後輩男子に元親はやたら人気が高い。毎年のことなのでさほど気にしていなかったが、それでも例年ならひとつくらい女の子からのものもあったというのに今年は義理ですら一個も無かった。さすがの元親もこの状況には凹むしかなかった。
「野郎同士で友チョコねぇ。しかも共学校で。Ha!」
「さっきからほんと五月蝿ぇよ政宗。そういうお前はどうなんだよ」
「俺か?俺はいつきからもらったぞ。あとは義理だろうが、とりあえず呉れたのは女ばかりだな」
「・・・・・・」
聞くだけ自分が情けなくなるので元親は黙った。
エントランスへ向かっていると佐助に出会った。
「よっダンナ方。・・・あっれー長曾我部のダンナは何そんなしょぼくれてんの?」
「・・・分かって言ってるんだろ猿飛?お前最近性格悪いぞ・・・」
「あっはは!やだなぁ、そんな人聞きの悪い・・・あぁ、これ、俺さまからね。いつもごくろーさんキャプテン」
また男からかよ、と、元親は内心少し凹んだが、気を取り直して有難く受け取った。佐助は料理が上手いのである。包みはシンプルだったが、明らかに手製ものだと分かったので断る理由もない。
「お前のは美味いからなぁ。あとで毛利と分けて食べるかな。あいつ甘党だし」
そう言う元親に苦笑しつつ、佐助はふと首を傾げた。
「そういや、ダンナ、毛利さんからは?チョコ貰ってないの?」
「・・・は?いや、貰ってねぇぜ。なんで?」
「なんでって・・・」
佐助は呆れたように腕を広げたが、その腕をすぐに組んで、軽く溜息を吐いた。どうにもこの元親はあの毛利をどう捉えているのだろうと、いつも佐助は不思議に思うし興味は尽きない。恋人だとはっきり認識しているならチョコレートを貰うという発想も出そうなものだが、そこまではまだ考えが至らないようなのである。
以前一度喧嘩をして、そのあと随分二人色々話して分かり合えたのか、最近は二人一緒の姿を前よりもっと見るようになった。心なしか毛利の表情も以前より穏やかになったようなと、佐助は思っている。
しかしクリスマスも年末も二人で過ごした気配はなく。先日一緒に日帰り旅行に行ったというので一体何をしに行ったのだと、それこそ政宗や幸村とかぶりつくように問うたのだが、応えは「二人で鹿にえさやった、楽しかった。」だけで、友人たちは少なからずがっかりした。
(大体、最初の口説き文句が“親友になりたい”だもんなぁ。直球すぎて横槍の入れようもない)
三人が階段を降りていると市子に会った。市子は相変わらず俯き加減に、けれど元親の目をしっかりと見て、バッグから小さな包みを出して元親に渡した。佐助の耳に、お礼のチョコなのという市子のか細い声が聞こえた。元親はというと、やっと貰った女の子からのチョコがあからさまに義理だったからか、苦笑はしつつも、それでも嬉しそうに笑顔で受け取っている。
「・・・そういえば」
ふと気づいて佐助は靴をはき替えながら尋ねた。
「毛利さんは、チョコもらったのかな?」
その言葉に元親が顔を上げた。
「あぁ。毛利・・・あー。毛利がチョコ?誰に貰うんだ?」
「そりゃ・・・生徒会の人とか・・・あるんじゃない?成績いいしルックスもいいし、普通に女子にもてそうだけどなぁ」
佐助は何気なく思った通りを口にした。政宗が、そりゃそうだ確かにあの人は美人だなとしたり顔で呟いている。佐助と政宗で何歩か歩いてふと気づくと、元親の姿が無い。佐助が振り向くと、元親は自分のシューズを持ったまま、ぽかんと立ち尽くしている。
「ダンナ?何してんの」
「あ?・・・あぁ、いや・・・そっか、毛利もチョコもらう側だったな、そういや」
「はぁ?何言ってんのアンタ。それよか今日は一緒に帰るんじゃないの?毛利さんと」
「あー・・・そっか、そうだった」
おいおいしっかりしろよと政宗がからかうように笑っている。佐助も呆れて元親を見た。今本当に佐助に言われて初めて気づいたのだろう、元就がもし女子からたくさんチョコをもらっていたら、元親は複雑だろうなと佐助は思った。



「おっ、噂をすれば」
政宗の声がして、佐助と元親は振り返った。元就が別棟の玄関から出てくるところだった。佐助がもしやと思う間もなく、政宗は元就のところに走って行く。近づくなり開口一番、
「毛利サン。あんた今日女の子にチョコもらったかい?」
佐助は、あちゃーと額を押さえた。それでなくても以前の一件以来、政宗は元就に興味を持ったらしく必要以上に構っているふうがある。それは元親も気づいているらしく、元就と政宗が一緒にいるときは少し顔が強張るのだった。本人が自覚しているかは定かではないが佐助はそう感じている。
元就は僅かに眉をひそめて首を傾げたが、作り物のようなきれいな唇がやがて開いて、もらったという非常に単純な答えが聞こえた。佐助は驚いた。貰っているだろうとは思っていたが、いざ本人からあっけらかんと言われると不思議な感じはする。
ちらと横を見ると、元親が案の定固まっていて、佐助は肩を竦めた。
「へぇ。何個?」
問われて、元就はバッグを律儀に開けてひとつ、ふたつと数えている。
「六個、だな」
「おっ、結構貰ってるじゃねぇか。中には本命もあるんだろうなぁ、やっぱ」
「本命ではなく義理だと思うが?生徒会の後輩たちと・・・クラスの・・・誰だったか」
どうにも浮世離れしたふうのある元就の口から、義理とか本命とかいう俗っぽい言葉が漏れ出てくるのがこれまた不思議な光景で、佐助は思わずじっと見つめてしまう。元親はというと黙ってその言葉を聞いているばかりだ。気にも留めず、政宗が話しかけている。
「わからないぜ?案外女子のほうは本命かもしれねぇじゃねぇか。何も言われなかったのかよ?黙って受け取ったのか?」
「いや、特になにも?それに、女性がくれるというものを突き返すわけにいくまい」
口調ばかりが大人びていて、けれど言っている本人はさほど意味も考えずなのだろう。佐助はだんだん可笑しくなった。頭脳の明晰さと言動や行動の間のバランスがときどき元就はぶれていて、きっとそこらへんが元親の気に入った部分なのだろうなと佐助は思う。
―――と。
唐突に元親が元就の方へ一歩踏み出すと、元就の手首をぐいとつかんで歩き出した。
「おい、元親?」
「ダンナ、どーしたのさ?」
「・・・うるせぇ!帰るぞ、毛利ッ」
驚いた表情の元就を引き摺るように、元親は広い背中を二人に向けて歩き去る。呆れたようにそれを見送って、佐助は二人の姿が校門から出て見えなくなると盛大に噴出した。政宗も周り憚らず笑っている。
「・・・ほんっとに、面白い二人組だよな、あいつら。見てて飽きねぇ」
政宗の呟きに佐助は笑顔で頷いた。





「長曾我部。痛いと言っている、聞こえぬか」
何度目かの元就の声に、やっと元親は掴んでいた手首を放した。視線を後ろに送ると、今まで自分が掴んでいた元就の手首が結構な紅色に指のあとを残していて元親は焦った。
「す、すまねぇ。つい力入っちまって」
「貴様の行動はいつも突拍子ないのは知っているが・・・今は何をそんなにいらついておる?」
手首を擦りながら元就は軽く元親を睨んだ。元親は黙ったまま、なんとも困ったような貌で自身の白い頭を掻いた。
「いや、その・・・毛利はチョコ貰ったんだなぁと思ってよ・・・」
「・・・我を羨んでいるのか?貴様の手持ちの袋の中身のほうが多く見えるが」
そう言いながら元就は元親の下げている紙袋を覗き込んだ。元親は慌てて後ろ手にそれを隠した。元就は不思議そうに元親を見上げた。元親は、ますます困って元就を見つめるばかりである。
正直、元親自身にも自分の気持ちが分からない。
元就が女の子からチョコレートを貰ったという事実だけでこんなに混乱する己が情けないような得体の知れないような。
「俺のはよ。実は野郎からばっかで・・・あぁ、女は、織田から貰った。お礼だっつって」
「ほう」
別段感銘したふうでもなく、笑うわけでもなく、元就は「それで?」と先を促す。本当に何も感じていないのだろうが、元親はいよいよ困った。元親の知らないところで、元就を想っている女の子がいるかもしれない、それは新鮮な驚愕だった。
元就は、元親が黙ってしまったせいかその話題にそれ以上固執しなかった。
やがて何を思ったのか自分の貰ったチョコをあらためてかばんを開けて確認していたが、ふと顔を上げて嬉しそうにふふ、と笑った。元親は不意打ちに驚いた。この笑顔に元親は弱い。
何が嬉しいんだ?と尋ねると、チョコレートもなかなか美味よな、と、真面目な顔で呟いている。本当に単純に、チョコレートを貰った事実よりも、「美味しいものが食べられる」ことが嬉しそうだった。
(・・・このやろッ)
元就はいつも無自覚に、無意識に、ひょいと元親の胸に入って揺さぶるのである。時折その状態に置かれて、元親は動揺する。最近その頻度が多くなった気がする。なんてことのない他愛の無い言葉だったり、しぐさだったりするけれど、元親はそれから目が離せない。けれどどう表現していいかもわからない。自分でもわからない。今だって、そうだ。
だから、ぐいと元就の肩に腕を回した。
「なんだ、長曾我部」
「・・・うるせぇ。ちょっと、こうしてろ」
「・・・今日は本当に貴様、どうかしているぞ?」
元就が呆れたように言って、それから黙った。二人、アンバランスに肩を組んだままバス停へ歩く。
「・・・うちへ来るか?長曾我部」





突然の言葉だったので、元親は飲み込めないまま黙っていた。たっぷり数秒たってから、ものすごい勢いで元親は激しく頷いた。
「え、えぇ?行く!いや、けど、いいのか?喜んで行くけどよ、今日はお袋さんは?」
「・・・?何故母が?」
「い、いや、その・・・バレンタインだし、チョコくれるんじゃねーのかなって思って・・・だから今日もお袋さんと一緒なんだろうなと思って」
元就は焦ったように喋る元親の言葉を聞いてしばらく考えていたが、やがて思い出したようにくすくすと笑った。
「あぁ。チョコレートは彼女もいつもくれるな、そういえば」
「だろ?・・・なんで笑うんだ?」
「何故って。彼女は我以上に甘いものが好きだからな。購入したものでも手作りでも、我に渡しはするが大抵はその場で我と一緒に自分でも食べているぞ。だから毎年受け取りはするが、あまり彼女から貰ったという気はしないな」
思いがけない話に、元親はぽかんとした。
しかしよくよく思い起こしてみると、自分の姉も元親や弟に渡したチョコを、冷蔵庫から勝手に出して食べているなぁと思いだして笑ってしまった。だから、毎年いろんな店のものを姉からは貰うが、パッケージや包み紙を見ても、実際元親の口に入ったことはほとんど無い。
そういえばそうだ、俺んちも姉貴がそうだと元親が言うと、元就は小さくまた、口元で笑った。そうか、同じか、と。何処か嬉しそうで、元親もじんわりと嬉しくなる。
「・・・しかし、長曾我部」
「ん?」
「前々から聞こうと思っていたのだが」
せっかく和やかになっていたのに、急に元就が神妙な口調になったのでまた元親は緊張した。
「なんだ?何か俺、まずいことやっちまってるか?」
「いや、そうではない。・・・ないのだが、・・・」
そこまで言って口をつぐんでしまった元就に、元親は最後まで言えよ気になるだろうと促した。
元就はしばらく逡巡していたが、貴様は我の母が話題に出ると機嫌が悪くなるようだが、とやがて言った。その言葉に元親は固まった。
「え。ええと」
「我の気のせいかと思ったが、今のことといい、やはり間違いあるまい?」
「え・・・いや、その・・・」
まさかあの若くて綺麗な母親に――――元就の育ての母に対抗心があるのだと。嫉妬しているのだとは言えず、元親は口をぱくぱくさせて焦る。焦るが上手い言葉も出ない。正直に告げてもいいのだが、血のつながりもないのに深く元就をいとおしんで育ててくれたあの女性を元就はもはや信奉と言っていいくらいに敬愛していて、それを元親もよく知っている。だから、自分のちっぽけな欲を――――元就への独占欲めいたものを、知られるのはやはり恥ずかしく、かといってうまい言い訳も思いつかず。
さてどうするかと悩んでいると、その様子をじっと見つめていた元就が先に口を開いた。
言いにくいのだが、という言葉に元親は自分の気持ちがすでに見透かされていて、元就に言い当てられるのかと心臓が跳ね上がる思いで固まった。元就はおかまいなしに澱みなく言葉を継ぐ。
「言いにくいのだが。貴様、もしや」
「い、いや、毛利、俺はその――――」
「もしや、我が羨ましいか?貴様も母御が早くに薨(みまか)っておろう?我が義母のことを言うと、つらいことを思い出すか・・・?」
「・・・は?」





真剣に元親を見上げてくる元就に、元親は呼吸も忘れて見入った。
(あぁ、こいつは)
そうして、笑って、真正面から抱きしめる。人通りのけっこうある往来だったが、かまうもんか。
「長曾我部?どうした?」
不審げに尋ねてくる元就をさらに抱きしめた。
(きれい、なんだよな。きれいで、まだ、幼い。冷たそうに見えるのはそうじゃなくて・・・感情の種類を、あまり知らないだけで)
(俺が、母に甘えたいと思ったか?・・・なんて、毛利、あんたって奴は)
元親は元就の肩に顔をうずめてもっと笑った。笑ったけれど、涙が出そうになった。死んだ母を思っているのではないかと気にしてくれていたことが嬉しかったし、自分のすこし薄暗い気持ちに気づいて欲しかったような、決して気づいてほしくなかったような。様々な感情が混ざって、涙になりそうだった。
(・・・ほんとに、好き、だな。俺は、こいつが)
長曾我部?と、また呼ばれた。元親は顔をやっと上げた。
「・・・行くか。じゃまして、いいんだろ?あんたの家。猿飛に手製のも貰ったし、あんたんちでこれ、一緒に食べようぜ?」
元就はその言葉に目を瞬いたが、やがてこくりと頷いた。