SALVATION



(2)


 元就が姿を消してからも、変わらず季節はうつろってゆく。
 政宗は忙しく日々を過ごしている。あれから元親からの書面も届いた。出航の直前になって元就が下船してしまったこと、なおも船に乗せようとする元親や元親の船の者たちに激しく抵抗したこと。元親が僅かな時間で指し向かいに元就と話してわかったことは、彼の意志が固いことだけだったと記されていた。元就の望みが、「元親と共に行きたくない」だったのか、「日の本に残りたい」だったのか、それとももっと別にあったのかは元親も測りかねたようだった。―――けれど、元親は元就の意志を尊重したのだろう。付き添いの者を急遽雇い入れて元就につけ、政宗の邸まで送るよう仕向けたことを見てもそれはわかる。元親の判断では、元就は「政宗の元にとどまりたい」と願っているのだと、そう思えたからこその処置だったろう。
 けれど、元就は政宗の元へは戻らなかった。元就が何を願っていたのか、もはや誰にもわからない。
 政宗はその書面を(いつも元就がそうしていたように)記憶した後に焼いた。細く立ち昇る一筋の煙が、高くのぼりつめて、元就にも見えないだろうかとふと思い、苦い笑いを零した。
 

 奥州は広い。関ヶ原に加勢したとはいえ、外様の大名としてはあまりに広大な領土、膨大な石高、強大な財力と兵力(表向きはかなり控えめに見せているが)のために、当然中央からは動向は監視されている。政宗はその追及をかわすべくときには従順に、ときには尊大に、そしてときにはうつけのように振る舞って幕府方をあしらっていた。
 ――― 一方で内政については手抜かりを部下にも、自分にも赦さない。領民あっての国であり国力である、と。小十郎は政宗のその心意気を喜んでいる。このあたりはかつて甲斐の虎が言った言葉(人は石垣、々々)に通じるのかもしれなかった。
 元就は強国をつくりあげるためにそうはしなかった。足元から時間をかけて国力を養うには当時の元就と毛利家には時間は極端に足りず、そのため弱い者を斬り捨てて枠組みを作ることがまず肝要だった。―――と、かつて元就は、政宗に語ったことがあった。ほんの僅か、一言だけだったが、政宗はよく覚えている。元就はあまり毛利家での統治について政宗に語らなかったから。終わったことだ、我は負けた者だと言って、参考までにと訊き出そうとする政宗をいつもいなし、言葉を濁した。
 だから、珍しいこともあるもんだな、アンタが俺にそういうことを言うのは。と政宗が目を瞠ってみせると、元就はふと微笑を浮かべた。…苦笑だったのかもしれない。
「間違っていたとは思っておらぬ」
 元就は淡々と言った。元就が采配を握らされたとき、もっと穏便な他の手立てはあったかもしれないが、実行することは当時の元就には不可能だった。政宗も、それを理解している。
「俺は、悪いがそうはしねぇぜ。俺には足りねェもんはまだまだ多いが、それでも、部下や百姓たちを切り捨てるのは俺のやり方に合わねェ」
 そうだな、とそのとき元就は俯いた。
「…貴様は、ゆるりとやればよい」
 そう言って、また微笑を浮かべた。綺麗な笑顔だった。
 

 忙しい合間をぬって、鷹狩に時折出掛ける。
 本来は元就の所有していた例の鷹を、今も政宗は大切に飼育させている。もしやいつかのように、鷹が元就を見つけてはくれまいかと密かに願って連れていく。
 とはいえ、いっときのように頻繁に出掛けることもままならず、狩りに費やす時間も短くなっていた。狩猟と見せかけて兵士の訓練をしているのではないかと疑われるのを防ぐためだった。
 手の者達にも継続して探させていたが、元就の行方は杳として知れない。…あの豪雨と河川の氾濫の中、命を落としていたとしても不思議ではなかった。そうであれば亡骸が見つかる可能性が限りなく無に等しいことも、政宗は重々承知している。
 わかっていて、探す。きっと、死ぬまで探し続けるのだろう。…もしや死んでからも探してしまうかもしれない、と一度小十郎にぼやいてみせると、普段ならば「死ぬなどと主君が軽々しく仰るものではない」と厳しく諌める忠実な部下が、大変珍しいことに小さく笑って、冗談ともつかぬことを言った。
「然様、政宗様は、なにせしつこい。あの世に行き、また来世立ち戻って、毛利殿を探すかもしれませぬ。毛利殿にはご迷惑なことでしょう」
「…おい小十郎。しつこいってなァ…お前酷いこと言ってる自覚あんのか」
「勿論、ございます」
「…」
 政宗はぷいと横を向いた。
「ああ、俺はしつこいぜ?あの人だけじゃねぇよ、お前のこともきっと探してやるからな、そうなったら」
 小十郎は目を瞠り、そして真面目な顔になった。
「政宗様が探す必要はございませぬ」
「…なんで。俺のお守はもう現世だけで十分ってか」
「小十郎が貴方様を探すからです。政宗様にお手間はとらせませぬゆえ、ご心配召さるな」
「…そうか」
 政宗は髪をくしゃりとかきまぜた。照れかくしに違いなかった。小十郎はやはり真面目な顔で、だから小十郎より毛利殿を探すほうが合理的でしょうなと言う。
 政宗は思わず笑った。…自分は恵まれている。これ以上望むべくもないくらいだ。本当は、これ以上なんか望んだら罰が当たるのかもしれない。
「小十郎」
「はい」
「俺は果報者だ、いい部下がいて、国も安定して、領民も慕ってくれてる。…これ以上欲張るのは駄目なことかもしれないが、…」
 それでも、欲しいものは欲しいんだ、と最後は呟く。小十郎は諌めない。それでこそ政宗様です、とだけ言ってくれる。


 一年以上経った頃。
 政宗は鷹狩に出掛けた。とはいえ今回も鷹狩が主目的ではなく、領地の視察、国境の監視が目当てだった。
 場所に選んだのはかなり鄙びた地域で、まだ開墾の余地も残されている。気候が奥州の中でも厳しいため先代も先先代も手つかずでほぼ放置していた土地である。
 政宗は数年前から意欲的に(中央もばれないよう周到に石高を誤魔化しながら)、農地の開拓をすすめていた。この土地もそのひとつである。政宗自らが立ち寄るのは久々だった。
 冬はかなり遠のいていたが、まだ根雪があちらこちらに残っていた。土地の役人たちから、政宗はすでに開墾の終わった土地、実際の石高、作付の様子などをつぶさに聞いていた。
 まだ拓かれず手つかずのまま放置されている広大な、灌木のまばらな草原がすぐ近くに広がる。此処に金色の稲穂が一面実ったらどうだろうか、領民たちは皆喜ぶだろうか。政宗は考えながら元就をふと思い出した。ゆるりとやればよい、と言った彼の独特の謳うような口調を思い出して小さく笑んだ。
 日が暖かくなってきたところで、通例どおり鷹狩が行われた。めぼしい獲物はなかったが、兎程度はいくらか獲れた。この時期ならこんなもんか、と政宗は満足して参加したものたちを労った。
 暖をとっていたところ、唐突に報せが入った。―――政宗の鷹が逃げた、という。
「…?最近は逃げたり勝手に飛んでったりはしてなかったはずだぜ。どっかそこらへんの木にとまってんじゃねェのか…」
 ―――政宗はそこまで独り言を言った後、いきなりがたんと椅子を倒して立ち上がった。同じ幕屋にいて酒を飲んでいた者たちが驚いて政宗を見た。いかがなさいましたか、と尋ねる側近たちに目もくれず、政宗は幕屋を出て小十郎を大声で呼んだ。別の陣幕でいた小十郎は驚いてやってきた。
「いかがされましたか。何か問題でも?」
「俺の鷹が逃げた。あの人の」
「―――は?」
 咄嗟に話が見えず小十郎は眉を顰めた。政宗の表情は、けれど明るかった。
「勝手に飛んでったんだ。…前にもあったろ。こういうことが」
 ―――あの人のところにいたじゃねェか?
 政宗の唇がそう言って声無いまま動いた。小十郎はそれで気づいたらしい。急ぎ頷くと、馬を用意させ、部下を呼び寄せた。


 “鷹の”捜索が行われた。いつにない政宗と小十郎の気の入りように、戦でもあるのかと間違えた古参の部下がいたほどである。
 手分けして探すうちに、日は徐々に傾いていく。政宗はさすがに落ち着きを取り戻していた。そうなると先程手放しで喜んだのが不安になってくる。鷹は単純に政宗のもとから去っただけであって、想い人を見つけたわけではないのかもしれなかった。元就が去って、元就の思い出を共有する鷹も去って―――
 政宗は、ぶるりと震えた。ひとつ目をおさえ頭を緩く左右に振る。せめて鷹だけでも見つけないと、また元就の思い出が遠くなる。元就が遠くなっていく。…最近は脳裏にある彼の面影に白いもやがかかったようにおぼろになる場面もあって、表向きは冷静であってもその実、政宗は酷く焦っていた。思い出にしたくなんかない。
「…現世(うつしよ)で見つけてやるぜ、アンタをな。来世なんて俺はどうだっていい」
 口に出して呟き、顔を上げた。
 そのときだった。部下の一人が走って戻ってきた。鷹がおりました、と叫ぶように言う。でかしたぜ、と政宗は声をあげていた。


 案内されたのは一軒の粗末な小屋だった。
 家人は年老いた翁嫗だけのようだった。鷹はその家の軒先に止まっていたのだという。
 政宗はかなり落胆した。元就らしき人影はなかったからである。
 主君を前にひたすら平伏する老夫婦は善人そのものだった。畏まらなくていい、と穏やかに二人をなだめて政宗は家の中をぐるりと見回した。老夫婦二人にしてはきれいに片付いている。どうやって此処で生計をたてているのか、と政宗はいつしか問うていた。老人たちは顔を見合わせ、少し笑顔を見せた。
 以前に比べ、暮らしやすくなりました、と言う。政宗は瞬きした。所有ではなく貸し出される土地だったが、作付面積が増え、また農閑期の仕事なども上から与えられるようになったために飢えることもなくなった、と。訥々と語る言葉は真摯で、世辞ではなく本心からそう思っているのだと分かって政宗はらしくなく、褒められていることに少し気恥ずかしくなり俯いた。小十郎が傍から、ようございましたなとそっと口添えした。
「…お前たちは、この家で二人で暮らしているのか」
 諦めきれず、ぽつりと政宗は訊いた。老人たちはまた顔を見合わせた。それからおそるおそる、息子がおります、と言う。息子?と訊き返すと、今は外へ柴を拾いに行っていますと付け加えた。
「息子?お前たちの息子なのか」
 なおも問い詰めると、老人たちは困ったように口籠った。小十郎が優しく、なにか訳があるのかと訊く。
 果たして老夫婦が言うには、口がきけないのです、とのことだった。それで政宗は気づいた。戦乱のさなかには、先天的に弱い者は足手まといの役にたたない者と、邪険に扱われる風潮があった。きっと、その口のきけない息子を連れ去られ殺されてしまうのではと怖れているのだろう。
「心配すんな。病気だってんならしょうがない。立派に働けるんだろ?アンタらの面倒見てくれてるんなら結構じゃねぇか」
 政宗が笑顔で言うと老夫婦は心底安心した表情で感謝を述べた。
 裏口で騒がしい物音と、怒鳴りつける声がした。一体なんだ、と政宗は目配せして部下を行かせた。やがて一人の部下が戻ってきて報告した。
「政宗様、…どうもこの家の息子らしいです」
「なんだ、戻ってきやがったのか。なかに入れてやれよ」
「いや、それが…酷く抵抗して、逃げようとするので、どうも怪しいと取り押さえた皆が言ってるんですが」
「…逃げた?だと?」
 政宗は小十郎を見た。小十郎はひとつ頷くと、素早く外へ出ていった。


 やがて戻ってきた小十郎と部下たちが連れていたのは小柄で細身の男だった。汚れた粗末な衣服を着て、荒い息を吐いている。長い髪を麻紐で背に結っていた。顔ははっきり見えない。可哀相なほどに痩せた手足のあちこちには今の逃走劇中についたのか、かすり傷ができていて政宗は眉を顰めた。裏の林を逃げまどったために大層捕まえるのに手こずったせいですと部下の数人がぼやいた。
「急に家の外に武士(もののふ)がいたから驚いたんだろ。そんな手荒く扱うなよ」
 政宗が憐れに思って言うと、側近の一人が言った。
「ですが、政宗様。こやつの身のこなし、並大抵のものではありませんでした。時折は反撃もしたためこちらも軽傷ながら傷を負った者が複数おります。とてもこんな鄙にいるただの農夫とも思えません。本当にこの二人の息子なのですか?」
「…what?」
 政宗は、どういうことだ、と前より厳しく老夫婦に向き合う。老夫婦は身を竦め、申し訳ありませんと急に詫びた。
 小十郎がおびえさせないようにすぐ近くで話を促し聴きとった。それから、ちらりと押さえつけられた“息子”を見た。
「…少し前から、養っているそうです。本当の息子ではないとか」
「…なんだと?」
 政宗は立ち上がった。おい、と声を誰にともなくかけたそのとき。
 開け放たれた窓から、羽音が響き室内に飛びこんだ影があった。翼の力強い風切り音が政宗の耳を引っ掻いた。数枚の羽がひらりひらりと絵のように舞った。
 …茫然と立ち尽くす政宗の目の前で、鷹は、両側から政宗の部下に押さえつけられているその男の肩にとまった。政宗と鷹匠以外には触れさせない矜持の高い鳥が。

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