法は絶対不可侵
貴様が死ねば必ずや我はそれを為すであろう

己自身を滅ぼすことは許されぬ
貴様を喪い 暗く膿んだ黎明を歩き続ける、
・・・ひとりのまま永劫に?

変えられると貴様が告げた言葉
信じてみようと
願うことは、許されるだろうか?


















(13)


「起きろ、元親」
元就の声で目が覚めた。
元親はひとつ目をひらく。自室の天井が見えた。体には着物がかけられていたが、敷布団はなく畳の上に大の字に寝ている状態である。
なんでこんな寝方してるんだっけ、と昨晩のことを反芻してみる。
「・・・・・!」


がばりと跳ね起きた。隣に静かに正座する元就を慌てて見遣る。元就は背筋を伸ばし、いずまいを正したまま閉じられた襖をじっと見つめている。
元親は目元を染めると、はぁとひとつ溜息を吐いておおきな片方の掌で自分の顔を覆った。なんともいえない気まずい感じに眩暈がする。
元就の唇へ、自分から口付けたことを思い出したのだ。
元就とは口付けは最初に出会ったときから幾度となくしている、だからその行為自体には慣れているしなんとも思わない。
そもそも元就があれをするのは、大事な彼の「伊羅」への挨拶みたいなもので、元親の存在や意思は彼にとってはどうでもいいものらしかった。その行為のときは必ず「伊羅」と呼ばれるのだから余計そうであった。
でも自分のしたことは、意味が違う。
(・・・なんで、俺)
思い出すほどに恥ずかしくなってきた。
いくらかつて姫若子と呼ばれていても、元親とていい年頃の若い男である。年齢の近い仲間が出来てからは性を売り買いする場所へも連れていかれたし、実際女を抱いたこともある。いいなと思った娘もいたりいなかったりだ。
女きょうだいの中で育ってきたせいか元親は女性には優しいので年齢問わず評判は良い。
ただし、女に「もてる」か、と言われると、それはまた別問題らしかった。実際問題、元親は男のほうに「もてる」ようである。心酔したり惚れたりというのは、「野郎ども」の数のほうがはるかに多いに違いない。
それでも別に構わなかった。もう少しすればいやでも、政略のために誰かを娶るのだから。ようするに真剣に人を好きになったことは無いし、今はその必要も感じない。そもそも色恋沙汰、というか女性のかしましさは苦手であった。元親自身は、これは姉貴たちのせいだと内心思っている。
押さえた掌の指の隙間から、そっと元就を窺う。
宮中お抱えの人形師が精魂こめて、理想のものをつくればこういう造作にするだろうかという面差しである。
最初に会ったのが子供の頃だったせいか、この顔を見るのに慣れてしまって今までなんとも思っていなかったけれど、元就の面は、あらためて吟味してみればただ美しいとしか言いようがないのであった。
でもそれだけであのようなことをしたわけではない。気の迷いでも、もちろん、ない。
(・・・・・・まいっちまうぜ・・・・・・)



(、がまんできなかったってぇか・・・)



急に口づけられて、元就は吃驚したようにしばらく目を瞬いていた。間近でよく見れば、一重の瞼にある睫毛は皮膚の振るえが伝わるであろうかと思うくらい濃く長かった。
しばらくして、唇を押し当てたまま少し意地悪な声色で、こういうときは目を閉じるものぞとからかわれた。
元親は、優位に立っているのが元就だと気づいて焦り、無理矢理元就を膝に抱いたまま強引にごろりと畳の上に横たわった。
(・・・このままこいつ、抱いてやろうか)
けれど元就の顔を見つめていて、湧き上がるように出てきたのは別の想いと言葉だった。
「あぁ、嬉しいなぁ―――」
元親はそう呟いて、へへ、と笑うと横たわったまま元就を抱きしめる。
「嬉しい。嬉しい。っ、くそっ、嬉しい」
「・・・・・・なにがだ」
「お前が帰ってきて―――うん、お前と、さっきみたいなこと、できたことか」
「・・・酔っておるのか、貴様は」
「馬鹿野郎。酔ってねぇよ、ほんとに、嬉しいんだよ」
そうして、すこし呆れた表情の元就を抱いて、ずっとうれしいうれしいと元親は呟き続けていた。・・・ことは、覚えている。
たぶん、そのまま寝てしまったのだろう。何もせずに。
もし相手が女ならば、不甲斐なさに翌朝はりたおされる状況だな、と、それもまた自分が情けないことであった。



元親がああだこうだと昨晩のことを思い起こしている間も、元就は相変わらず厳しい表情で襖を凝視している。
心此処にあらずといった様子に、襖の向こうに何かあるのだろうかと元親も顔を上げた。
「何、見てんだ、元就」
「・・・何か、来る」
やがて元就は一言そう呟いた。自分を揺すり起こしたのもそのせいだったかと、元親はやっと現実に引き戻された。
「何か?・・・本山の残党か?この機に乗じた叛乱とか・・・」
「違う。もっと大きい・・・すぐにではない。でも近いうち・・・それを知らせる者も」
元就がそう言ったとき。
元親が配している忍びが、合図にしている鳥の鳴き真似をした。
元親は表情を引き締めると、襖をあけ、隣の間を過ぎて庭に面した板戸を開けた。まだ日輪の登る少し前、辺りはうっすらと乳白色のもやに包まれている。
「なにごとだ」
抑えた声で問えば、姿隠したまま、忍びは低い声で告げた。
「畿内で叛乱が起きました。織田軍が敗走した模様」
「・・・なんだ、と?魔王が、か?」
元親は目を瞠る。その冷酷さ苛烈さ残虐さから、第六天魔王の降臨と囁かれる織田信長とその勢力。元親は、現時点で天下に最も近いのは、不本意ながら彼だと思っていた。土佐と四国を自分の力で平定したいと、最近になって少しずつそのことを・・・父の具合が悪くなったころから、考えていた元親には、彼の動向を探り彼にさほど目をつけられずうまく泳がせておいてもらうにはどうしたらいいか、日々考えて策を練っていたところであった。ゆくゆくは争うことになるとしても、今はまだそのときではない・・・
(その織田が、やられた?)
「一体、誰に」
「家臣の明智が叛乱を起こしたとの情報もあり、また、独立勢力豊臣がいよいよ本気で起ったとの情報もあり」
「・・・明智ならいい、奴は四国なんざ眼中にねぇからな。共食いしてくれりゃ楽でいいんだが、問題は・・・」
豊臣か。
元親はチッと舌打ちをすると親指の爪を噛んだ。
豊臣秀吉だけならば、さほど怖れることはないのかもしれない。問題はその参謀。
「・・・竹中、だったか。豊臣の参謀」
「は。竹中自身はあまり表だって出てこないため情報が少なく・・・調べますか?」
「あぁ、頼んだ。豊臣の勝ち戦や奇襲には、必ず竹中が一枚噛んでるって話を聞いた。ごたいそうな高説をふれ回ってやがることも知ってる」
畏まりました、という声を残して、忍びはどうやら姿を消したらしい。
なにごともなかったように、さわさわと庭先に観賞用に植えた竹が葉を鳴らしている。



話が終わってからも縁側に立ったまま、じっと考え込む元親へ、やがて元就が声をかけた。
「・・・やはり何かが、来るか。竹中とは?」
「・・・あぁ、すまねぇ。」
元親は顔をあげると、元就に苦笑してみせた。
「天才軍師って、話だ。大抵の大名が天下を目指してるのは今更驚くことでもねぇが、豊臣の・・・いや、竹中の場合は、それが徹底してる」
「徹底?」
「天下統一が目標じゃねぇんだとよ。いつだったか、京行ったときに私塾でご高説垂れてやがったとこに偶然会ったことがあるんだ」



“強力な国を。強い軍事国家をつくるために、強い君主を。この日の本だけではなく、もっと外へも目を向けられる強さを”



元親は肩を竦めた。それを聞いたときの竹中半兵衛の風貌を思い出した。彼の髪は元親のそれと同じく白く、けれど生まれもってそうだった元親とは違い、病と苦学と無理のためにそうなったとのことであった。
視線は強く、風貌もきりりとした美男子であったが、その青白い皮膚からは何故か言っていることの大きさと反比例するように生気が感じられず、元親は途中でいたたまれずその場を離れたことを覚えている。
元就のような、完璧なつくりものの感覚ではなく。
命の灯火を必死になって消すまいと守っている。そんな感じだった。
「あいつが本気でやってるとしたら、四国も見逃しゃしねぇだろうな・・・」
竹中は、おそらく理想の君主を見い出したのだろう。それが豊臣なのだろう。
まだ土佐一国の統一も手を付けはじめたばかりの元親には、気の遠くなるような話だった。
「・・・外の世界か」
やがてぽつりと元就が呟く。ん?と耳を近づけると、元就は小さく溜息を吐いた。
「愚かなこと。何処へ行こうとも戦の道は屍の道、そして果てもなし。・・・貴様もやがて、その道を選ぶか?」
「ん、俺か?・・・俺は・・・そうだなァ」
元親は、しばらく考えていたが、やがて笑った。
「先のことはわからねぇが・・・俺は、この土佐が、平和であればいいと思うがなぁ」
「・・・・・・ふむ」
「俺の大事な生まれ故郷と・・・家族と、野郎どもと・・・お前が、幸せにくらせる国がつくりてぇな」
さりげなく、「元就と一緒にいたい」という意思を、その言葉を織り交ぜる。



元就はじっと元親の顔を見上げていたが、やがてくすくすと笑い出した。
「・・・なんだよ、なにが可笑しいんだ」
「昨夜の失態を取り返したつもりで、格好つけておるのだろうが、みえすいておって可笑しいばかりよ」
「なっ・・・・・・」
感情を抑えられずに元就に口付けたことと、結局そのあと、何もせずにさっさと寝てしまったことを言っているのだろうか。いやなところで人間くさい奴だ、自称・神のくせにと元親は顔を真っ赤にして俯いた。
ふふ、と、元就は相変わらず静かに笑っている。
ひとしきり元就が笑っている顔を横目で見て、やがて元親は小声で尋ねてみた。
「・・・なぁ。俺が、昨夜、なんであんなことしたのか・・・いや、あの後、もっとお前に触れてたら、お前、どうした?」
その質問にはさらに続きがあったが、元親は飲み込んだ。



(・・・俺だったら嫌だとしても、伊羅だったら、あるいは------?)



「・・・さて。貴様は、まだ己の器量も知らぬ赤子のようなものよ、子守唄でも歌ってやったやもしれぬ」
元就の答えは、それであった。
元親はぽかんと元就の顔を見つめていたが、やがてむくれて、いつも元就がしているようにふんとそっぽを向いた。
元就は、それその顔が赤子のようだ、とさらに笑っている。
元親は笑う元就を、唐突にぐいと抱き寄せた。急なことに、放せと元就は腕の中で喚いている。逃げられねぇだろ、力だったら俺のほうが上じゃねぇか赤子みたいなモンでもよ。と、元親は笑って言って。
それから元就をさらに抱きしめた。



「・・・お前に認めてもらえるように、やってみるさ。豊臣がたとえ此処に侵略してきたとしても、追い払ってやる」
(伊羅じゃなくて、俺を認めてもらうために)



その日は近いように思う。
ザビーの城を調べたかったが、もう少し延期だなと元親は呟いた。
元就は何も言わず、ただ昇りはじめた朝日を顔に受けながら元親の腕に抱かれていた。


(14)