我を生みし者よ
崇め、貶め、利用し、捨て去り
さりとて忘れ去ることもせず
いたずらに生き永らえさせる者よ
我が黒き影は貴様自身と知れ
冀(こいねが)え 与えよう
・・・ただし、相応の対価を我は得る。
















(15)


何がそれほど彼の癇に障ったのかはさておき、半兵衛の攻撃は激昂する彼そのもののように、容赦なく元親へ降りかかる。自由自在に伸縮する鞭のような刃の動きに、さすがに元親もよけるがせいいっぱいの状態が続いた。
足元からは相変わらず部下たちの元親へのよびかけの声が響いていたが、声援や祈りが直接の力を持つわけでは勿論、無い。この場を凌ぎ、さらに上階を目指せるのは元親しかいない。だからこそ、負けるわけにはいかなかった。
「・・・ッ、このやろッ!!!」
何十回目の攻撃を避けると同時に、元親は自分の槍についている鎖を掴み、自分を円の中心にして槍を半兵衛へ投げつけた。弧を描いて巨大な槍は空を走り、半兵衛の足元を狙う。反射的に上へ跳んで逃げた半兵衛へ、戻ってきた槍を掴み、すかさず一直線に元親は突進した。
「―――読めているよ、元親君!!!」
単純な、といわんばかりに勝ち誇った声が響く。
「―――どうかなァ!!」
元親は武器を構える半兵衛の直前で勢いよく槍を振り上げた。
「そこからじゃ届かないよ・・・!!」
「五月蝿ェ!!ごたくはこいつを喰らってから言いやがれッ!!!」
甲板へ、これでもかと槍を叩きつける。えっ、と目を瞠る半兵衛へ、槍から投げ網が広がり彼を捉えた。半兵衛は宙へ吊り上げられる。
「へッ、どうだ!俺の槍はそんじょそこらのなまくら武具とは違うんだぜ」
しかし、得意げに半兵衛を見上げた元親に、天才軍師は網の中から、冷静に笑みを投げて寄越した。
「まさか、僕を捕らえたつもりかい?・・・力不足をこんなもので補っていい気になっているとは、よくよくお目出度い男だね」
「なんだと!?」
「僕の凛刀を甘く見ないでもらいたい」
刹那、元親の目の前で、大洋で巨大な魚群にすら負けない自慢の網はあっというまに切り刻まれ、半兵衛は何事もなかったかのように甲板に柔らかく足をつけた。
「いい加減、僕も疲れたからね。そろそろ、終いにしようか。元親君」
「・・・・・・ッ、くそ・・・ッ」
(万事休す、か・・・?)
血の気の薄い紫の唇が、残酷に言葉を紡ぐ。
「さようなら。蝙蝠君―――」










きん、と、金属同士の削りあうような音がした。
元親は目を開けた。
そこにふわりと、元親を守るように立っているのは、金色の光纏う者。
「・・・元就!」
「これしきで諦めるなぞ、貴様らしくないな、元親。此処で倒れるわけにはいかぬのであろう?さっさと立て」
元親は、その言葉に目を瞠り、それから頷いた。立ち上がる。
蝙蝠だろうと鬼だろうと。なんと呼ばれても、元親は元親であった。四国への侵略者を防ぐ。果たさなければならない、誰に頼ることもせず、自分で。
「・・・ありがとよ、元就。あとは俺がなんとかする・・・」
竹中半兵衛を見遣り、元親は槍を構えなおす。
―――が、そこで違和感に気づいた。
半兵衛が、愕然とした表情のまま、凍り付いたように一点を見つめて動かない。



不審に思いながら、元親は攻撃を仕掛ける。たたきつけた槍の穂先から、今度は前方へいくつもの炎の塊が吹き上がる。半兵衛ははっと我にかえると、身軽に身を捻り一段高い場所へ跳んで、難を逃れた。血色の悪い唇が震えながら動いた。
「・・・元親君・・・なんだ、それは?君は本当に、鬼か?妖怪まで使役するのか?」
その言葉に、今度は元親が驚いた。勿論、元就も。
「・・・あんた、こいつが見えるのか!?」
元親は元就を見た。元就は、少し首を傾げると、口元に微笑を浮かべた。半兵衛はそれを見てじり、と、後退した。
「い、一体、何者・・・」
明らかに、見えているのだ。元親は、問うた。
「あんたも、なんとかって神を信奉してるのか?そんなふうには見えないが」
「いや、違うな。こやつは―――」
元就ははっきりとした声で呟くと、滑るように半兵衛のいる場所へ飛び、その傍らに立った。呆然と元就を見る半兵衛の唇を彩る僅かな紅い液体を見逃さず、元就は両手を伸ばすと、半兵衛の青白い頬を両手でそっと挟んだ。
「・・・哀れなことよ。斯様な体で闘ってなんとする?命の灯火も、おとなしくしておれば今少しは燃えておられるものを・・・」





元就の言葉の意味を理解したのだろう、半兵衛はかっと目を見開くと、怖ろしい勢いで凛刀を振り上げた。元就は重力を感じさせない動きで元親の傍に戻ってくると、言った。
「彼奴は、半死人だ。命の火種が消えかけておる」
「え・・・・・・っ」
「もはや、先は長くあるまい。死病に冒されて長いようだ。黄泉路へ足をかけた者には我の姿は見えることがある―――」
「だ・・・黙れ!黙れ!!」
その言葉に一番激しく反応したのは、ほかならぬ半兵衛だった。
鞭のような刀は元親と元就へびゅうと空を切り裂いて迫り来る。間一髪、元就を抱いて甲板に元親は転がり、逃れた。
半兵衛の震える声が響いた。靴音とともに近づいてくる。
「僕は・・・僕はまだ、死なない。死ぬものか。僕の、秀吉の夢のために。こんな、妖怪ごときの言葉に惑わされたりしない・・・」
けれど話すそばから半兵衛は激しく咳き込んだ。赤い液体がぼたぼたと甲板に零れ落ちた。元親は何も言えず、動けず、ただ血を吐く半兵衛を凝視することしかできない。そんな状態でもなお、半兵衛は声を絞り出すことをやめない・・・
「死ぬもんか。僕は倒れない。諦めない。だって、まだ、夢は動き出したばかりなんだ・・・やっとここまできたのに・・・邪魔はさせない・・・誰にも!!」
「おいっ、あんた!もういい、ちょっとじっと・・・」
「君に何がわかる!!?僕には時間がない・・・時間が無いんだ!君ごときにこんなに手間取るはずじゃなかったのに・・・!!!」
うなりを上げて、凛刀が元親へ襲い掛かる。
元親は動けなかった。





・・・目の前で、半兵衛の体がゆっくりと沈んでいく。
そのまま、半兵衛の力抜けた体を抱きとめ、元就は元親を振り返った。
問い掛ける視線に気づいて、答える。
「殺してはおらぬ。眠らせただけ」
冷静な声だった。いつもと変わらない。
「・・・今、命永らえたところで、こやつに待っているのは同じ道だが」
「・・・・・・」
元就は半兵衛の体を静かに甲板へ置いた。
「貴様、今、まったく闘志が感じられなかったな。だからこそ我がでしゃばったのだが・・・」
「・・・・・・」
「我がいなければどうするつもりだったのだ?それとも、貴様、死ぬ気だったのか?まんまと彼奴に殺されてやるつもりだったのか?」
「・・・・・・」
元親は、返答ができなかった。
「・・・甘いことよ」
元就は冷たい声で、けれどどこか哀しそうに呟いた。
「やらねば、貴様がやられて、貴様の守りたいという“世界”も全ては泡沫に帰すぞ。それでよいのか」
「・・・俺は・・・」
「貴様の言った、鬼になるとは、そういう意味ではなかったのか」
元就は、上方を見上げる。
「白い鬼よ。貴様のゆく道は血と屍でできたものになろう。それを貴様は承知しているか?」
「・・・俺・・・は、」
「貴様は、彼奴の夢の結晶である、あやつを討ち滅ぼせるか?どうなのだ?」
元就の視線の先を元親も追った。
其処には、見下ろしてくる―――豊臣秀吉。
元親は、ようやく、顔を上げた。
「・・・やれるともよ。俺がやらなきゃあ、野郎どもも、土佐も、なにもかもなくしちまうんだ」
たとえ何かが間違っているとしても・・・
「俺は、やるしかない!竹中に夢があるように、俺にだって、守るべきものがあるんだ、だから」





秀吉を倒したあと、戦艦・鬼宿は火に包まれた。原因はわからない。もしかしたら、竹中半兵衛は負けたときにこうなるように用意をしていたのかもしれなかった。
燃え盛る炎に追われるように、元親たちは自軍の船へ乗り移り、その場を離れる。
遠ざかる巨大な豊臣の船の上に、歩いて最上階へ足をを引きずりながら昇る半兵衛の姿を見たような気がして、元親はずっと、船の上で立ち尽くしていた。





西海の鬼が覇王を破った、という噂は、元親が帰国するより早く四国や近隣諸国へ届いていた。四国の者は喜び、元親を誇りに思い、口々に称えた。
けれど出迎えてくれた皆の歓喜の渦に迎えられながらも、元親の表情は冴えなかった。疲れているからと、笑顔は見せながらも、城に戻ると自室に閉じこもってしまったのである。
「勝ったというのに何を塞ぎこんでおる?」
どこからともなく現れた元就に、元親はほんのすこし苦笑しながら、床に寝転んだまま、言った。
「なぁ。・・・竹中の野郎、死んじまったのかな・・・」
「さて・・・わからぬな。普通ならば焼け死んでおるだろうが、もしかして奴ならば、或いは逃れて何処かで再起を図っておるやもしれぬ」
「・・・そっか。生きてるなら・・・また四国へ攻めてきやがるのかな・・・そうしたら、俺ァまた、あいつと闘わなくちゃ、ならねえんだな」
「・・・そうなるな」
「でも・・・生きてて、静かに暮らしていけるってんなら・・・あいつの言う夢、諦めていいってんなら。お前の力で、あいつの病気、なんとか、できねぇのかよ」
あまりに意外な元親の言葉に、元就は元親を見つめた。
しかし、やがてひとつ息を吐くと、冷酷に言い放った。
「笑止な・・・何を言っているのだ貴様は?貴様を殺そうとした者に何故そこまで。よくよく甘い奴よ」
「・・・でもよ!」
「それに・・・奴は、もし生きておるならば、夢とやらを諦めたりはしまい。何度でも、貴様に挑みかかってくるだろう」
病のために宿願が果たせない半兵衛を思いやり、元親は唇噛み締める。
「あいつと俺と、・・・そんなに違っちゃいねぇんだよ。元就。どっちかの望みは叶って、どっちかが報われない。なんだか、それがどうしようもなく虚しいってぇか」



そんな元親を見ていた元就が、急に立ち上がった。
「・・・できぬこともない」
「え?何が?
「竹中の蘇生。延命。病気の治癒。夢の忘却。およそ人間には不可能であろうが・・・」
「・・・本当に?お前が?できるのか?」
「貴様が望むなら。・・・ただし」
そして、元就は唐突に声を出して笑ったのである。
元親は驚いて元就を見つめた。そこにあるのは、いまだ元親の見たことのない冷酷な笑みであった。



戦の最中、半兵衛にむけていたものとすこし似ていて、でも何処か違っている。
元親へふわりと近づく。元親は目を離すことができない。心臓が早鐘のように打った。これは違う、と、元親の神経が張りつめ、警告していた。(違う。・・・違う・・・何が?)
(・・・こいつ、元就か?本当に?)
自分の考えた言葉に、元親はさらに驚いた。
けれど目の前に座している相手は、確かに元就の姿をしているのに、見つめれば見つめるほど元親は違和感を感じるばかり。元就はもっと暖かい、たとえれば日輪の金環のような色を纏っていたはずだった。それが今此処にいる元就は―――
そんな元親にかまうことなく、細い白い指先で元親の顎をつまむと、元就の赤い唇が動く。
「我に冀(こいねが)うは何か?叶えるは易いことぞ・・・ただし相応の対価が必要だ」
「・・・対、価?」
「左様。・・・何、難しいことではない。貴様が死した後、」
元就の指先がつうと動いて元親の胸の中央を指す。
「この心の臓を我に呉れればよいだけのこと」
ことさらに大したことでもない、というふうに。さらりと発せられた内容の、あまりの元就に不似合いな凄惨さ。元親は嫌悪をもよおし口元を覆った。嫌な汗が流れ出る。
元就じゃない、と確信した。
さっきまでは確かにあいつだった。
一体どこで、いつ、変わった?
元親の焦りと恐怖にはいっこうに気づかないように、元就は美しい面に笑みを浮かべた。綺麗だけれど怖ろしい笑顔。けれど目を離せない・・・
「応じれば何事も望むままに。・・・しかし愚かなことよ、命を取引なぞ我には無駄なこととしか思えぬ。肉体は所詮いつかは滅ぶものというに―――」
言葉と同時に燭台の焔がごうと大きく揺らめき、元就の影が揺れて二人に覆いかぶさってくる。元親は目を瞠る。影が狙っている・・・元親ではない。元就自身を。黒い羽虫の大群のように影は元就自身を蝕み、呑み込もうとして蠢いていた。
元親は咄嗟にあっと声を上げると元就のほうへ腕を伸ばした。一瞬反発するような何かを感じたが、かまわず力いっぱい元就の肩を掴む。
「おい、元就ッ!!!」





――――さぁ、と。
一陣風が通り抜けたかと思えば、其処にあるのはすっかり普段の元就その人だった。きょとんと元親を見上げている。
「急にどうした?元親」
「・・・どうした、じゃねぇよ・・・」
無邪気さを感じさせるいつもの元就の声に、元親は安堵の溜息を吐いた。苦笑しつつ手を離す。
「ちぇ、今の芝居かよ?悪い奴だな、吃驚させんなよ、こんなときに」
「芝居?」
「あぁ、本気で怖かったぜ・・・心臓寄越せとか、えれぇ台詞、何処で覚えたんだ?ったく・・・俺ァ、小せぇ頃から怪談の類はちょっとばかし苦手なんだ、勘弁してくれよ」
実の妖怪だか神だかを目の前にして言うにはかなり間抜けな言葉だな、とは思ったが、元親はぶるりと震えて真面目な声でそう言った。
けれど元就は不審げに眉を顰め、首を傾げて元親を見つめた。
「なんの話だ?・・・心臓?」
「あぁ、くそっ。思い出しただけで寒気がするぜ。どうせどっかで絵草子かなんか勝手に読んだんだろ?お前にへんな本与えるの、もうやめとくわ」
どんどん人間臭くなりやがって、と、元親はわざと大きな声で笑った。
けれど元就はますます考え込んでいる。
「どうしたってんだよ、元就。さっきからお前変だぞ」
「・・・頭がはっきりせぬ。なんと言ったと?心臓?我が、か?覚えておらぬ」
その言葉に、元親はあっけにとられた。
「え・・・今、言ったじゃねぇか!竹中の病気治してほしけりゃ俺が死んだ後心臓寄越せとかなんとか・・・対価だっつって」
「対・・・価・・・?」
その言葉に元就は何か思うところあったのだろうか。胸を押さえた。俯く。
やがて両手でこめかみのあたりを押さえ、元就はさらに俯き苦しそうに呼吸をした。体を屈め元親の膝に額をつけるまでに。元親は慌て驚いて元就を覗き込んだ。
「どうした!?・・・豊臣との一戦で疲れたか?それとも、俺が無茶な頼み言ったから困ってるのか?すまねぇ」
「わからぬ・・・頭に霞がかかっているような・・・貴様の頼み?竹中のことか?・・・我には何も出来ぬ。いかに我でも、人の命に干渉はできぬ」
哀しそうな表情だった。
元親は、もういいぜ、無理すんなと慰めると抱き寄せて元就の髪を撫ぜた。元就は荒い呼吸をしながらも、じっとしている。
やがて、ぽつりと。掠れた声がした。
「・・・人は、どうして死ぬのだろうか」
「・・・え・・・」
「竹中は・・・ずっと生きて、ずっと豊臣と一緒に夢を見ていたかったろうか」
「・・・・・・」
「ずっと・・・は、叶わぬ夢だと・・・でも伊羅は、我に・・・」
元親は答えられない。伊羅のことを思い出しているらしい元就を見つめる。
「・・・俺は・・・」





「・・・元親。泣いているのか」
「・・・五月蝿ぇよ。泣いてねぇよ」
否定しながら、元親は泣いた。
何故泣くのかと元就に問われ、答えられないまま、元親は瞼を擦った。
血を吐きながら、夢を諦めないと叫んだ半兵衛の姿を忘れてはならないと思う。一方で、あんな哀しい姿を早く忘れてしまいたいとも思う。
「ただ、なんだか、哀しい。不公平だな、生きてくってことは。俺は勝った。お前がいてくれたから。でも、竹中にはいなかった。もしかしたら違いは、それだけだったのかもしれねぇ」
「・・・そんなことはない。勝利を呼び込んだは、貴様の意志の力だ」
「そうかもしれねぇし、そうでないかもしれねぇし・・・でも、やっぱり、哀しいな。俺は何が出来る?せめてあいつらを、忘れねぇようにすることくらいだ」
「・・・貴様、泣いているではないか、やはり」
「お前ちょっと、黙れよ。泣いてねぇって、言ってんだろ」
元親を見上げ覘き込んで、元就は柔らかく笑った。


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