どうして
どうして
我ではなく
貴方が逝ってしまうのか?
















(16) 


豊臣との戦から一月ほど経っていた。
今、元親と元就を乗せた船は九州へと近づいている。



この一月の間、狐は考え込むことが多くなっていた。
前と違うのはその頻度だけでない。西の空を見ているときも、以前と違ってどこか悲愴な顔をしていて、元親は気になった。何度か理由を尋ねてみたが、なんでもないと力なく笑って答えるのみで、けれど考えるのをやめようとはしない。
そんな元就に、元親はある日ザビーの城へ侵攻することを打ち明けた。
計画自体は以前からあったが、父の死や豊臣の侵略にあって先延ばしにされていたのである。
案の定と言うべきか、元就は首を横に振った。以前ザビーに拉致されたことがあるだけに心配なのだろうと元親は思ったが、けれどそれにしては俯いたままあまりにも・・・落胆していると言ったほうが近い様子だった。元親がそれでもなお行くつもりだと力強く言い切ると、哀しそうに項垂れた。
「どうしても嫌だってんなら、お前、どっかで休んでてもいいんだぜ。無理に俺についてくることはない」
そうも言ってみたのだが、その意見には承服しかねると眉を顰め、結局元就は同行することになった。



もうすっかり船の扱い・・・というよりは、船長としての立場に元親は慣れている。海図が見られなくても、細かい操舵方法を知らなくても。皆を乗せて、行くべき方向を決めるのが自分の仕事だ。そうして、何かあったときには自分が責任を取る。
その気持ちで元親は船に乗っている。きっと、だから皆もついてきてくれていると思う。
それは国の舵取りも同じなのだろう。
元就に船の上でそんな話をした。意外そうに目を瞬かせて、元就は、成長したな、と小さな声で呟いた。
「そうか?」
「ふむ。・・・伊羅もそんなことを言っていたからな」
彼にとっては最大の賛辞だったのだろうが、元親はそれを聞くと急に表情を強張らせた。元就を手荒く引き寄せる。
「・・・元親?」
こたえず、強引に口付けた。
元就は吃驚している。
「・・・急にどうしたのか」
「俺は俺だ。あんたの大事なそいつじゃない」
元就はそれを聞いてきょとんと元親を見た。元親は覚えず苛々した。
「お前は、いっつもそうだな。なんでも伊羅、伊羅って。」
「・・・」
「見てろよ。俺はいつか、超えてやるからな。そして」
元親はひとつ呼吸をした。
「・・・なぁ元就。“俺”じゃ、駄目か」
「・・・え・・・」
「伊羅じゃなくて、俺と、一緒にいるのは、嫌か?」
「・・・・・・伊羅」
「伊羅じゃねぇ!俺は、元親だ」
「でも」
哀しそうな元就の表情に気づいて、元親はやっと、自分で自分の言葉を反芻して我にかえった。
急に顔に火照りを感じて、元親は俯いた。元就は金褐色の目でじっと元親を覗き込んでいたが、やがて何も言わないまま空高く舞い上がっていった。
「我がほしいのは、貴様ではない」
と。そう声が聞こえたような気がして、元親は、顔を手で覆った。
きっとさっきの言葉は自分の本心なのだ。
けれど、元就の心はいつもかつての飼い主に向かっていて、どんなに自分が声を限りに叫んでも、届くことはないように思えた。
(・・・伊羅は)
伊羅という人物は、元就を視ることができるとはいえ、“人”だったという。妖ではない、神でもない。
(何故彼は、頑ななあの狐神に、ああも信頼されているのだろう?)





ザビーの城は出島になった場所の高台に築き上げられていた。船の上から遠眼鏡でその威容を見て、元親は唸った。ある意味感心せざるを得ない。
元就の話では、あの城に信者たちが数百人以上いるとのことだった。一介の宗教者であるはずのザビーが巨大な城を築き、数多の人々を引き寄せるのは、それだけあの男に魅力があるのは事実だろう。城を築く資金は元親にやったように誰かから奪ってきたものだろうか、それとも寄進か。
船はしばらく沖合いに停泊したが、斥候の見つけた城から死角にある小さな入り江に碇を下ろした。
元親は、停泊完了したという部下の声に、槍を手に立ち上がる。
「よし。・・・あの南蛮人にいよいよお礼参りと行くか」
「アニキ!俺らは何人くらい必要ですかい?護衛しますぜ!」
部下の高揚した声に、元親は側近5名を選んだ。
少なすぎるという不満の声が上がる(皆が元親を守りたがった)。元親はやんわりと諭した。
「お前らは、俺らが侵入できてザビーを退治したら合図の烽火を上げるからよ、そしたらこいつぶっ放して迎えに来てくれ」
元親は船に積んだ巨大な大砲を掌で叩いた。
「大丈夫だ。相手は一応宗教者たちで侍じゃねぇんだから」
(・・・あのサンデーだけは要注意だが)
部下たちをなだめつつ、本心では、元親は決死の覚悟ではある。選んだ五名も、本当ならば連れていきたくないくらいだ。何かあったらすぐに逃がすつもりでいる。奪われた銃火器類をもし信者たちも扱えるようになっていれば、こちらは蜂の巣になることは間違いなかった。部下たちを大勢伴っていけばそれだけ犠牲が多くなる。
「・・・いいか。潜入してから二刻、合図がなかったら、そのときはお前ら土佐へ逃げろよ。いいな」
「アニキ!?」
「大丈夫だ、俺は負けねぇ。俺を信じろ」
部下たちを優しい目で見て、連れていく側近たちにうなずく。元親は後ろを振り返る。
其処には静かに元就がたたずんでいた。元親以外には見えない、今や側近中の側近とも言える。ある意味分身のような存在だ。
「行くか、元就。大丈夫か?」
「・・・さて、どうであろうな。二度の失態は無いつもりだが・・・あやつらには油断は禁物」
「勿論だぜ」
心のどこかで、伊羅に張り合っているつもりもあった。
(絶対に負けないぜ。・・・元就を守り、そしてやられた分をやりかえしてやる)





元親は堂堂と正面の門から城の中に案内を請うて入った。
「ちょっとザビーさまってぇのに会ってみてぇんだが」元親が門番へ賄賂の金子を渡すと、案の定あっさりと門番は中へ入れてくれたのである。あなたに神のご加護がありますようにと唱えながら。元親は肩を竦めるしかない。
天井の高い回廊を歩いていると、通りすがりの信者たちが張り付いたような笑顔で「ハバナイスザビー」とかなんとか挨拶してくる。虫唾が走るぜ、と内心呟きながら笑顔を返しておいた。
元就は元親たちの後ろから、ゆっくりとついてきているが終始無言。時折振り返りながら、大丈夫かと問えば、微かに頷く。
けれど回廊を進むに従い、明らかに元就は辛そうだった。
「お前、大丈夫か。俺の体に戻っとくか?」
そっと、ほかの野郎どもに聞こえないように気遣う。
「いや・・・それでは咄嗟のときに貴様の援護ができまい。しかしこの空気・・・相変わらず嫌な感じだ」
元就は掠れた声でそう呟いた。
やがて回廊は途切れ、大きな門から外に出た。中庭らしい。信者の幾人かが植え込みで一心に作業をしている。何気なく元親は近づき、あんたら何してんだいと尋ねた。
信者は振り返り、南蛮渡来の幻野菜を作っております、と答えた。美味いのかい、と問えば、当然この世のものと思えぬほど美味で御座いますと。
「へぇ、喰ってみてぇもんだな」
「あなたがたも信者になれば毎日食べられますよ!さぁ、遠慮なくこの胸に飛び込んでください!」
「・・・遠慮しとくわ。で、ザビーさまってのぁどっちにいるんだい?」
あちらにおられます、とその信者はいくつかある門のうち反対側の黒い門を指した。



元親たちが門を通り抜けたその瞬間。
「ザビーの城へ侵入者ですヨ!皆サーン、捕まえてチョーダイ!でも殺しちゃダメヨ!!!」
どこからともなくザビーの声が響き、背後から信者たちがザビーの名を唱えつつ押し寄せてきた。元親はひとつ舌打ちをすると走り出した。側近たちが続く。元就は元親のすぐ隣を隣をゆく。
「・・・あんな妙な野菜に気をとられておるからぞ。しようのない奴め」
「でもよ、あの野菜はもしほんとに美味いってんなら、一回喰ってみてぇもんだぜ。はっは!」
大柄な元親は例にもれずけっこう大食家である。こんなときに食べ物の話をする元親を、元就は呆れたように見つめたが、やがて少し微笑んだ。緊張がわずかに解けたらしい。元親はその様子に少し安心して、走るスピードを上げた。
何人かの信者たちをなぎ払いながら進んでいく。殺すな、とのザビーの命令に従っているのか、さほど本気でかかってくる者はなく、元親にとっては幸いであった。
やがて、巨大な扉がまた現れた。
「・・・ザビーは此処にいるのかい!!西海の鬼がわざわざ来てやったんだ、ちったぁもてなしやがれ!!」
門番を気絶させると元親は叫んだ。門は大きな耳障りな音をたててゆっくりと開いていく。
そこにいたのは―――
「ザビーさま・・・」
壁面に掲げたザビーの肖像画に跪き、うっとりと見つめる元就―――に、瓜二つの青年・サンデーであった。



「おいおい・・・嘘だろ・・・?」
元親は額を押さえて呻いた。元就が背後で息を呑んだ気配がした。それはそうだろう、以前元就を拉致した張本人はこのサンデーなのだから。
「元就、気をつけろよ」
「・・・言われるまでもない」
二手に分かれてサンデーに対峙する。サンデーはあの不思議な、環の形の刀を後ろ手に構えると高らかに名乗った。
「我が名はサンデー毛利・・・跪くがよい!!」
「・・・毛利?だと?」
サンデーの名乗りに、元親は驚いた。
「アニキ、毛利といやぁ、・・・隣国の」
側近の一人が、これも驚いたように耳打ちしてくる。元親はうなずいた。
毛利といえば中国地方を手中に収めている大大名である。国主は非常に冷徹で効率を最優先し、部下の命すら消耗品にしか考えていないという噂だった。しかし戦上手は間違いない、現に数年前までは小豪族だった毛利家を現在の地位まで押し上げたのは今の国主の力であるらしかった。
そのため天下を取る実力があると言われ、あちこちの国に密かに警戒されているが、いっかな上洛の気配を見せない不気味な国だ。
国主自身非常に用心深いうえ、計算高く、影武者が何人もいると言われている。そのせいもあっておそらく誰も毛利のあるじの顔をろくに知らない。
元親の国のある四国とは瀬戸海を挟んですぐ隣だが、今のところ海に阻まれているおかげか四国へ侵略する気配は見せていない。
「・・・その毛利の人間か?あすこは確か、国主以外には一族はもういないと聞いてるが」
「いや、確か、現国主に異母弟が一人いたとか、聞いてます」
「・・・へぇ・・・じゃあそいつってことか?」
側近たちと言葉をかわす元親に、
「侵入者とは貴様らか。・・・ふむ。人でない者も、約一名」
サンデーの冷たい声が響く。元親は、はっとした。今サンデーはなんと言った?
「・・・相変わらず、奴さんにはお前が見えるらしいぜ、元就。無理すんなよ?」
「・・・無論」
元親が槍を構えるとほぼ同時に、サンデーは部下の信者たちに号令を出し、自身は素早い動きで元親に攻撃してきた。元親は凌ぎ、かわす。部下たちがよく凌いでいるのを眼の端で見て、サンデーとの戦に集中しようとするが、
(・・・ったくよぉ。やりづらくってしょうがねぇぜ)
呟かずにいられない。どこからどう見ても、元就に瓜二つなのだ。
得物を打ち合い、互いに弾かれ、また打ち合う。鍔迫り合いになった。余程背の高い元親の押し込みを、細身でありながらサンデーは互角に押し返してくる。
―――と。
「元親とやら。・・・神の名のもとに敵を滅ぼすのも悪くはないぞ?」
唐突にそう言ったかと思うと、サンデーはにっこりと笑った。
至近距離でその笑顔を見た元親は、うわっと叫んで後ろに跳び退った。
なにせ、元就が笑ったとしか思えないのである。しかも今まで見たことのない天真爛漫な笑顔だったのだ。驚いてもしょうがない、と内心で自己弁護する。
「くっそ!・・・反則だろ、そりゃァ?」
ぺっと唾を吐くと、元親は槍を構えなおす。
「ここで時間くってるわけにゃいかねぇんだ、眠ってもらうぜ。・・・元就!援護頼む!」
背後にいるはずの元就に声をかけるが応答が無い。元親は振り返った。
―――頭を両の掌で押さえ、蹲る元就がいた。



「元就!?」
駆け寄ろうとする元親をサンデーの輪刀が阻む。どこからともなく、また声が響いた。
「見つけましたのコトヨー!!狐神サマ、前は逃げられましたが今度は逃がしマセーン!!」
同時に天井から檻が降ってきて、元就はあっさりと捕まってしまった。
「元就!!」
「貴様の相手は我ぞ。余所見をするな!」
サンデーの間断無い攻撃に、元親は元就へ近寄ることができない。そうこうしているうちに檻は元就を入れたまま天井へのぼり消えてしまった。
「てめぇら・・・元就をどうするつもりだ!?」
「貴様に教える謂れは無い」
サンデーやほかの信者たちもまた、天井からおりた縄梯子のようなものに捕まると姿を消した。慌てて元親は天井へ向けて槍から炎を放ったが、時すでに遅く、天井への入り口は閉ざされてしまったのである。炎にも衝撃にもびくともしない。
「・・・くっそォ!!!」
焦る元親へ向けて、壁に仕込まれた扉が開く。中からは不恰好な重機が次々と出てきた。ザビーに似ている。
「・・・野郎・・・俺のカラクリを勝手にバラして、あんな格好悪いモンに改造しやがったな!?」
怒りのままに、元親と部下たちは重機を破壊していった。全てを壊し終えると、閉ざされていた扉が開いた。
今はとにかく元就を見つけださねばならない。前に進むしか、元親には手段は残されていなかった。


(17)