「ならば寄越せ、血の証を。
吾を蔑まぬという証を。
貴様の一部で購え。
吾から奪うその代償に」

枯れた指先が、黒ずんだ爪が、やがて“それ”を引き摺り出すのを

うめき声ひとつあげず
彼は、耐えて、

我を見て

笑ってみせた。
















(18)


薄い膜のように血飛沫が空気に広がる。
「・・・ぐっ!!」
元親は痛みに呻くと、片膝を地面についた。何処からか、ザビーの勝ち誇ったようながらがらという笑い声が響く。
「くっ・・・そぉ!!」
なおも打ち込んでくるサンデーの輪刀を片腕でなんとか弾き返し、元親は脇腹を押えた。腰布の隙間から、じわじわと紅い色が滲み出す。思ったよりは浅かったが、決して軽い傷ではない。
元就の気配を感じて、元親ははっと顔を上げた。采幣を振りかざし、意識のない元就の目が元親を見据え攻撃にかかる。
(・・・ここまでか?)
元親は碇槍を真横に構えた。元就を攻撃することはできない。さりとて、まともに受け止めれば致命傷は避けられない。
万事休すか、と思ったとき―――



元就は、動きを止めた。
采幣は振り下ろされず、無表情のままだったが、唇が動いた。
「・・・も・・・とちか、」
「・・・元就!?俺がわかるのか!?」
声は、なかったが、微かにまた唇が動く。
“・・・たすけて”
読み取って、元親は、ざわりと怒りを漲らせた。おぉ、と、気合いを入れ声を上げる。
床につけていた膝を伸ばす。腰布の余った部分を傷口に無理やりあてがい、縛り付けた。サンデーの高らかな声とともに攻撃が降ってくる。
「・・・ちったぁおとなしく、してやがれッ!!!うおらァッ」
元親は地面に槍を、ふりかぶって叩きつけた。五本の線が放射状に飛ぶ。それに乗って炎が上がり、線上にいたサンデーや信者たちは弾き飛ばされた。
きらりと、サンデーの胸の首飾りが光った。ザビーを象った、例の不気味な飾り。
(・・・!?)
元親は呪詛の途切れぬザビーの祭壇を見上げた。
張られた結界・・・注連縄のいたるところに、同じものがかけられている。
「・・・そういうことかよッ」
元親は、立ち尽くす元就の采幣を奪った。同じくこれにもその模様が彫られている。
確信すると、祭壇へ駆け寄った。
ザビーが気づいて、悲鳴を上げた。
「駄目アニキ!!其処に近づいちゃ駄目ー!!!信者のミナサーン!!アニキをとめなサーイ!!!」
命令が広間中に響き渡る。信者たちが一斉に襲い掛かるが、元親はかわしながらますます確信を深めた。
「毒を以って毒を制す・・・ってな!!!おうら!!!」
采幣で縄を、思い切り打った。



ばちんと激しい火花が散って、結界の中にいた信者たちが悲鳴を上げた。さらに、襲い掛かってきていたサンデーも。
元親の手は先ほどのように弾かれない。手ごたえのまま、元親はさらに押し込む。
やがて縄の一箇所にほつれたような裂け目が入ったかと思うと、たちまちそこからなにかが溢れ出し、次の瞬間どんという音とともに祭壇の四方の縄がはじけとんだ。祭壇の司祭たちが倒れる。
同時に、元就の体は一瞬がくんと痙攣したかと思うと、ぐったりと力が抜けてその場にくずおれた。元親は慌てて駆け寄ると、抱き上げた。
「・・・元・・・親?我は―――」
「元に戻ったか元就!?俺がわかるな!?・・・よしッあとは野郎どもさえ・・・来てくれりゃ」
元就は、元親の腕の中でぼんやりしていたが、突然はっと表情を強張らせた。
「どうした?元就・・・」
「・・・、傷。傷が・・・!!元親、貴様、腹の傷はどうした!?さっき我が―――」
元就は自分が先程斬り裂いた元親の脇腹の傷を見た。
巻きつけた布を外しかけ、手が止まった。まだ血はじわじわとあふれていて、元就は愕然と目を瞠り、蒼褪めると小さく震え始めた。元親は上着の袖を裂くと、さらに傷にきつく巻きつけ止血をした。
それからことさらに元気を装って笑った。
「大丈夫、どってことねぇよ。まだ闘えるし走れる」
けれど元就は激しくかぶりを振った。
「そ・・・んな・・・」
「大丈夫だって!心配すんな。今更傷の一個や二個、増えたって平気だからよ、ほら逃げようぜ元就。動けるか?
「あ・・・あ・・・我が・・・我のために、貴様が」
元就は、元親が今まで見たこともないくらいおびえている。元親は、よほど怖い思いをしたのだろうかと元就を憐れんだ。しっかりしろと声をかけて励ますと元就を抱きかかえる。
途端、元就が悲鳴をあげた。
「下ろせ!我を下ろせ!!早く!!!」
「え、なんで・・・」
「貴様が死んでしまう。死んでしまう!死んでしまう・・・!!!」
「死なねぇって、これくらいの傷平気―――」
「いいから我を下ろせ!貴様にこれ以上負担をかけたくない、我は自分で移動する!!」
狂ったように繰り返す声に、元親は怪訝に思いながら、一応元就を言葉どおり下ろした。元就は一瞬地面に膝をつきそうになりながらも、体勢を立て直しふわりと浮き上がる。その様子を確認して元親は巨大な扉に向かったが、傍らに転がっている信者たちの中に例のサンデーがいることに気づいた。
「・・・・・・チッ」
躊躇した後、元親は、やにわにサンデーに駆け寄り、その体をよいしょと肩に担ぎ上げた。
驚いたのは元就である。また悲鳴のような、泣きそうな声を上げた。
「き、貴様!!何をしている!?そやつはさっきの」
「こいつは連れていく。さぁ、元就、逃げようぜ」
「愚か者!そのような体で、何故こんな輩を・・・人が良いのもほどがあろう!」
「しょうがねぇだろ・・・お前と同じ顔してんのに、俺ァほっとけねぇよ!!」
元親はそういいながら、もう走り出していた。元就は元親の言葉に複雑な表情を浮かべつつ、渋々後ろからついて行く。





「大変ですザビーさま!例の信者が逃げ出しました!!」
「な・・・何ですトー!!?」





これまで以上の妨害・・・罠の数々と、襲い掛かる信者たち。元親は、必死にそれらを潜り抜ける。ザビーの部屋へ。その場所は元就が知らせてくれていた図面にもあって、富嶽からの一斉放火をそこへぶちこめと指示してある。
けれど、元親は、自分の手でザビーに引導を渡さないともはや気が済まなかった。怒りは頂点に達していた。
武器を盗み、人を暗示にかけ、あまつさえ元就すら閉じ込めて自分のものに。しかも奇怪な術であやつって、悪事を手伝わせようとした。許せない・・・
たどりついた部屋は、先ほどの部屋よりさらに天井が高かった。アーチ状の天窓に美しいギヤマンが埋め込まれて模様を描いている。
そこを通ってくる赤や青に透けた光の中で、あの巨体の異人は両手に巨大な砲を携え、悲しそうに顔を横に振った。
「オー、アナタ愛知らナイ・・・悲しいネ・・・でもダイジョブ!ザビーがコレで」
蒼い目がぎらりと光った。腕のランチャーが回り出す。
「・・・愛教えてあげるネ!!!」
元親は、ふんと鼻で笑った。サンデーを床に寝かせると、元就をかばうように背後に隠す。
「・・・そうかい。だったら俺は・・・海賊の流儀ってやつ、教えてやるぜぇ!!!」



元親は凄まじい勢いで巨大な槍を振り回し、闘う。
しかし傷のせいでうまく体が動かない。ザビーは高らかに笑いながら攻撃を繰り出す。
「大事な狐神様、渡しませんノコトヨ!アニキはこいつの通力、わかってまセーン。もったいない!!」
「五月蝿ぇ!神通力だぁ?関係ねぇよ!こいつは俺のモンだ、人のモン勝手に自分のもの呼ばわりすんな!!!」
「アニキだって、海賊ネ。他人と闘ってオタカラ持っていきますネー。戦で敵のおサムライ、やっつけてるでショ?この前も豊臣、やっつけた聞いてるヨ、お宝持って帰りましたカー?」
「う・・・五月蝿ぇ!!てめぇにだけは言われたくねぇよ!!!」
しかし、ザビーの言葉はある意味真実ではあった。
元親とて今のところ守るばかりの戦をしているとは言え、将来もそうとはわからない。まして兵士たちを自軍敵軍関係なく死地に送っているところでは否定はできない。
痛いところを突かれて、元親は焦りながら、それでもやはりザビーの言葉には納得できるはずもなかった。自分が侵略者で海賊なら、奴は詐欺師で泥棒である。所詮同じ穴の狢かもしれない。それでも通すべき筋はあると思うし、何よりも元就に対してザビーがしたことを許すことはできなかった。
「狐の神通力も重機と同じく私がもらってあげマース。アニキのものはザビーのもの、ザビーのものはザビーのものデスネー」
「・・・ほざけ!!!」
元親は碇槍をぶん回した。槍は穂先から轟音とともに炎を吹き上げる。ザビーは巨体に似合わぬ敏捷さで避けると、離れた場所で大袈裟に拍手して褒め称えた。
「スバラシイ!その武器アニキのお手製ネ?アニキ、やっぱりザビー教の信者になりませんカ?アナタの能力も惜しいネ、ザビー欲しいデース」
「喧しい!さっさとくたばりやがれ!!」
しかし考える暇もなくザビーの攻撃が降ってくる。
元就の悲鳴が、元親を呼んでいる。受け止め、弾き返し、息をつく暇もない。血が足りないせいか、目が霞む。徐々に使い慣れた槍が重くなってくる。
「ち・・・くしょぉッ」
叫んだとき。
轟音がつんざき、見上げたザビーと元親の上で、美しいギヤマンの絵画が粉々に砕け散った。
バラバラと降りかかる色ガラスの欠片を浴びながら、元親は、富嶽の砲撃が始まったことを知った。



ほぼ同時に、大広間の扉から部下たちが数十人。
「アニキー!大丈夫ですか!」
「お・・・お前ら、・・・なんで此処に!?砲撃だけでいいって俺は言ったはずだ!!」
「でも、誰かがアニキが危ないって言ってて、皆が同じ声聞いたもんで・・・」
部下たちが、口々にそう言った。間に合ってよかった、とも。
(・・・元就?お前か?)
背後で座り込む狐の姿を振り返り、元親は、笑顔になった。前面で、ギヤマンの欠片が目に入ってしまってわめき泣くザビーを見据える。
「ありがてぇ。・・・いくぜ、野郎ども!!あいつを、ぶっ倒せ!!!」









火薬が仕込んであったのか。無駄な重機とからくりのせいか。ザビー城は、富嶽の砲撃だけの影響とは思えないほどに炎上した。
部下たちに導かれ、元親は元就とサンデーを抱えて、船へと脱出した。



船の甲板で、元親は呼吸を整えると、抱えていた二人をあらためて見つめた。元就はぐったりして青白い貌色で目を閉じたまま。サンデーも先程気を失ったときのままの状態だった。
見れば見るほど元就とサンデーは似ていた。
元親は急にどぎまぎすると、とりあえずサンデーを傍に寝かせ、元就を抱えてその場に胡坐をかいた。頬を軽く叩いてやる。
「元就?・・・大丈夫か?俺が分かるか?」
腕の中の元就がゆっくりと目を開く。紅い小さな唇から「元親」という声がこぼれたのを確認して、元親はようやく安堵した。
「元就、よかった、無事でよかった」
「・・・」
「心配、したんだぜ?」
「・・・心配・・・」
「おうよ。どうだ、ちゃんと俺、お前を助けられただろ?」
「・・・うむ」
抱きしめると、やがて元就はおずおずと元親の背へ腕を回し、きゅっと体を抱きしめ返した。と、いきなり体を離したかと思うと身を屈めて元親の、まだ血のにじむ脇腹へ唇をよせて傷を舐めた。気のせいではなく、出血が止まり傷が癒えるようだ。
元親は元就がそんなことをするのに驚いたが、その仕草がとても可愛くて嬉しくて、いとおしそうに元就の髪になんども何度も頬ずりした。けれどすぐに、もういいぜお前疲れてるんだからと元就をもう一度、顔を上げさせて抱きしめる。
「ちょっと寝ろよ、元就。」
安心したような吐息が元親の耳元に静かに聞こえた。そのまま、元就の姿はふわりと砂糖菓子が溶けるように元親の腕の中で消えた。
元親は左目を掌で押さえると、ひとつ頷く。
槍を支えに、傍でいつの間にか目覚め、放心したように座り込んでいるサンデーを怪我と反対の小脇に抱きかかえ、立ち上がった。
「よし野郎ども!とっととこんな非道い場所、おさらばするぜ。出航だ!!」
その声で我にかえったらしいサンデーは、はっと顔を上げると己の状況を理解したのだろう、猛烈な勢いで暴れ始めた。
「あぁ、ザビー様!ザビー様!!・・・はなせ貴様、我をどうするつもりぞ!?」
「痛ッ!サンデー、お前、いいから暴れんなって!・・・おい、誰かコイツ、暴れない程度に縛っとけよ」
「アニキ、コイツはあそこの信者だったんじゃ?なんで連れてきたんで?」
呆れたように聞く部下に、元親は困ったような表情になったが、やがて肩を竦めた。
「まぁ、あれだ。今回の戦利品、てこった」
「コイツが!?なんですかいそりゃ・・・」
「しょうがねぇだろ!・・・持ち帰るにも、重機はあれもこれも分解されて駄目になってやがったし。せめてなんかめぼしいもんでもと思ったが、輝石類はほとんどまがい物だったしよ。だいたいたとえ本物でもあの南蛮人の成金趣味は俺とは合わねぇ、反吐が出るぜ・・・それに」
船室に連れていかれるサンデーを見遣りつつ、元親は複雑な表情を浮かべた。
「それに・・・あの顔がな・・・ほっとけねぇよ」
元親はまた左目を押さえた。部下が、痛むんで?と心配して尋ねてくる。
笑って、大丈夫だと答えると元親はこっそりと溜息を吐いた。



サンデーを連れて帰ってどうしたらいいのかは、元親にもまだわからない。


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