「俺を形作るものは、俺が死んだ後ほどけて、
いつかまた俺という形を再び成すだろうか。
それとも全く別の何かになるのか。
そのとき在る俺は、ほんの少しでも、今の俺を
―――お前を、覚えているだろうか」

「・・・たとえ何も覚えていなくとも。どんな姿でも、きっとまた見つけ出す」



















(19)


土佐に戻ると、元親は傷を癒す間もなく当主としての仕事を再開した。
部下たちは相変わらず元親に心酔してよく働いてくれる。いつの間にこうなっちまったか、と、元親は苦笑しつつ不思議に思いつつ、勿論有り難くうれしく思っている。
左目は視えなくとも、かわりになってくれるものがたくさんいるのは心強い。
ひとつ気がかりは、その左目に棲む“元就”が、土佐に戻って以来起きる気配のないことだった。
これまでは元親が正しく呼びかければ、どこにいようときちんと応えあらわれていた。それが、無い。もしや消えてしまったかと何度かおそれたが、相変わらず左目は見えず、顔の痣も消えないので、ザビーから受けた傷をいやしているのだろうと元親は考え、心配ではあったが、そっとしておくことにした。
・・・そして、気がかりはこれだけではなかった。



早朝、元親は人の気配に、呻いた。
すでに戻ってきてからほぼ毎朝のことだ。
はっと瞼を開けると、自分の上に馬乗りに跨っている―――
「・・・サンデーッ!!!おま、それやめろって昨日言ったとこだろうが・・・ッ!!!朝からびっくりするんだよ!!!」
元親ははね起きると、部屋の隅に半分起きたままの体勢で後ずさった。
ころんと布団の上から転がった人物―――サンデーは、表情ひとつ変えず、四つ這いのかっこうで元親ににじり寄る。秀麗な面は、あまりに見慣れているものと同じで、だから余計に元親は焦ってしまう。
「おのれ、今朝はこのような場所に身を隠しおって・・・我から逃れられると思うてか?」
元親はうんざりと言い返した。
「お前、いいかげんにしろよ・・・じっとしてろ、なんもすんなって言ってるだろうが?こっちゃ迷惑してるんだよ!」
「貴様の寝所が移動したと我は聞いておらぬゆえ、今朝は探すのに手間取った。」
サンデーの返答に、元親は額に手を当て、呻いた。彼とは一事が万事、こうである。なにせ噛みあわない・・・会話が成立しないのだ。
「いや、そうじゃなくってよ・・・話聞いてくれよ。お前が煩いから俺のほうが移動してんだろうが・・・」
「知っているか。“求めよ、さらば与えられん”。ザビーさまの・・・いや、ザビーの有り難いお言葉だ」
「・・・お前、すでに敬語と尊称の使い方もちぐはぐになってんぞ・・・」
「貴様の命令を、我は実行しているだけのこと」
サンデーは、綺麗な顔を、ずいと元親に近づける。後ろは壁で、逃げられず、元親は真っ赤になったが、サンデーはおかまいなしである。
やがて、その顔が、満面の笑みにいろどられる。
「―――さて、今朝も命令を実行できたぞ。ほかに、我は、何をすればよい?ご命令を、元親さま」
元親は、盛大な溜息をついた。



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土佐について、数日は部下たちの進言もありサンデーは城に幽閉されていた。牢屋の中でサンデーはぼんやりと抜けがらのように過ごしていたらしい。元親が、腹の傷も少しよくなってから面会したとき、サンデーにこれからどうしたいと聞いたところ、彼は無表情のままザビー様のところに帰りたいと言った。
「・・・残念だが。あいつは、おそらくもう生きちゃいねぇよ」
「・・・ザビー城は」
「崩れた。あんたも、船から見たろ?」
「・・・貴様が、消したのか?ザビーさまも、ザビー城も・・・」
サンデーはうつむいたままだったが、声音で刺されて、元親は一瞬とまどった。
ややあって、そうだと、かすれた声で答えた。恨まれても仕方ないと覚悟はしていた。たとえ怪しい団体でも、サンデーにとって元親は暮らしていた場所や仲間を奪った相手なのだから。
「だからよぅ。俺らにかたき討ちするってんなら話は変わるが、そうでないならあんたがあすこに来る前にいた家に帰れよ。遠いってんなら送ってってやっから――」
けれど、サンデーは、顔を上げると首を傾げた。家なぞ知らぬ、という。元親は面食らった。
「いや・・・本当の名前があるだろ?まさか生まれたときからザビーと一緒だったわけでもないだろうし。本当の名前はなんてぇんだ?」
「知らぬ。我はサンデー。それしか名は無い」
(そういや、毛利って名乗ってやがったな)
ふと思い出して、もしかして中国の毛利となんかかかわりがあるのかと尋ねかけたとき、サンデーは元親を見て、唐突ににっこりとさわやかな笑顔を向けた。
「・・・うわっ」
元親は驚いてのけぞってしまい、背後に立っていた部下にぶつかる羽目になった。なにやってんですアニキ、とまわりの者にも笑われて、赤面しながら座りなおした。
しょうがねぇだろ、と口の中で呟いたことだ。同じ顔なのだから。
悶々とする元親にはおかまいなしに、サンデーは、にこにこと笑みを浮かべたまま、言った―――
「よかろう。ザビーさまを・・・いや、ザビーを倒したというからには、貴様、ザビーより強いのであろう。我はこれより貴様の僕となり働いてやる。ありがたく思え」
「・・・はぁ?あんた何言ってんだ・・・」
「安堵せよ。我がいるからにはこのような鄙びた国のあるじでは満足させまいぞ。侵略でも惨殺でも命ずるがよい。さて、手始めに我は何をすればよいか、元親“さま”?」
たたみかけるように花が開いたような笑顔を向けられて、なおかつ“様”づけで呼ばれて、元親は座っていた椅子からがたんと立ち上がった。
「あ・・・あんた、何言ってんだァ!?」
「?なにをそのように驚く?さぁ元親さま、我に命令を。我は何をすればよい?」
とうとう跪かれてしまった。
元親は、なにがなんだかわからなくなり、やってられるかと誰にともなく怒鳴って、牢を飛び出した。その日の面会はそれで終わった。
アニキ、何そんな怒ってるんで?と不審げに聞く部下に、元親は唸った。
「気味が悪ぃだけだ。なんだあいつ、俺をザビーのかわりにしようってのか?跪いたり、様づけで呼んだり、命令しろとか―――くそっ」
「いいじゃねぇですか。アニキに心酔してるのは俺らだっていっしょだし」
「・・・お前らと、あれは全然違う・・・気がするぜ」
自分で言って、元親は溜息をついた。部下たちは、やはりよくわからない顔をしている。逆らうならともかく、従うというものを怒るのは、それは確かに不思議ととられても当然だ。
何故こんなに腹立たしいのか、元親自身もよくわからない。
・・・わかっているのは、サンデーが、どこからどう見ても、狐神と同じ姿だということだった。
元親は、あの顔に弱い自分をあらためて自覚して呆れずにいられない。



翌日、さっそく見張り番からの泣きごとが元親に届いた。サンデーが一日中、元親“さま”からの命令を実行させろ、とうるさいという。筆と紙を差し入れよというので渡せば、へたくそな絵を描いて壁にはり、「元親さま・・・」と、うっとり見上げているというのである。
元親は頭を抱えた。
そもそも彼を連れ帰ったのは、あの“顔”のせいだ。狐神に似ていなければ見捨てていたに違いなく、元親は一抹の後ろ暗さがある。出自を聞いて、生まれ故郷に送ってやって幸せにしてやれればそれでよいと、簡単に考えていたのだが甘かったらしい。
(・・・あいつ、ザビーに心酔してたはずだが、・・・どうも、それだけじゃねぇ気がするな。絶対の服従をささげる相手がほしいとか・・・?)
あっさりとザビーを見切って、元親に尊崇の対象を移したように見える。もしかしたらなにか策があるのだろうかと警戒もしているが、今のところそういう感じではない。武器は取り上げてある。
結局、元親はサンデーをとりあえずは元親の屋敷内で自由に動けるようにしてやった。サンデーは喜んだ。
ところが、今度は元親から離れようとしない。
「命令を」
それが口癖である。元親のあとをついて歩く。それこそ、どこへでも。
狐神の“元就”が実体化したようなものだな、と、元親は内心複雑でもあるが、とにかく鬱陶しいことには違いない。部屋でじっとしてろ、と言うのだが、なにもするなという命令は受け付けぬと嘯く。勝手なものである。
それで、試しに(半分意地悪に)掃除をしろといいつけてやった。サンデーは嫌なかおひとつせず頷いた。
けれど一刻後、元親は自分の部屋の惨状に目を覆うことになった。前も散らかっていたは確かだが、よほど酷い。
「だいたい、俺の部屋だとは言ってねぇだろ!野郎どもに話聞いて、必要なとこ掃除しとけよッ」
怒ると、首を傾げて、申し訳なかったと読み上げるような謝罪がかえってきた。ほんとに悪いと思ってねぇだろ、と呻くと、我は貴様の命令しか聞けぬとさらりと言う。つまり、ほかの部下たちの命令は聞けないということらしい。
仕方なく、元親は考えて、言った。
「じゃあよ。日中はなにもしなくていいからよ、朝俺を起こしに来い。朝弱いんだ」
サンデーは、ぱっと笑顔になった。



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・・・結果が、今朝のありさまである。いや、今朝だけではないのだが。
何かすると言ってきかないので、元親は形ばかり着替えを手伝わせた。
「サンデーよぅ。いいかげん、俺をザビーのかわりにすんの、やめろや」
もう何度めかの言葉を、元親はサンデーにかけた。
胸紐と格闘していたサンデーは、顔を上げて元親を見上げた。首をかしげる。
その仕草は、“元就”とそっくりで、けれどやはり、どこか違うような気もするので、元親はいつも困ってしまう。
「命令、ってぇけどよ、・・・俺だって、そりゃ野郎どもに命令するぜ?けどなぁ、あいつらには、俺が間違ったこと言いだしたときには諌めろって言ってあるし、そういうの含めて、俺とあいつらの関係は成り立ってんだ。でも、あんたはそうじゃないだろ?命令されて実行するのを楽しんでるようにしか、俺には見えねぇんだがよ・・・」
サンデーとかかわってから、考えてきたことをゆっくり話してみた。
サンデーは、また首を傾げた。唇が開く。
「人の上に立ち責任を負う。それが出来るは神の愛に選ばれた一部の者だけである。・・・と、ザビーさまが言っていた」
「・・・いや・・・それはザビーの考え方だろ?俺は必ずしもそうとは」
「しかしそなたはザビーさまに勝った。そなたは人の上にたつ資格があるのであろう。よって、我はそなたに従う」
「・・・・・・」
相変わらずの調子である。論調に迷いがない。重症だぜ、と元親は思う。
自分で考える、ということを放棄しているようにしか思えないのだ。
「さあできた。さらなる命令を。元親さま」
胸紐は、とても「できた」という結び方ではなかったが、元親は苦笑して、さりげなく自分でそれを手直ししながら言った。
「ほんとによ、馬鹿な呼び方するもんじゃねぇよ!正直、俺ァあんたにそう呼ばれると寒気がしてくるぜ」
(・・・元就に、伊羅と呼ばれたときと、似ているようなそうでないような)
内心の愚痴は、もうずっと感じているものだ。
サンデーは、腑に落ちない様子だ。
「何故そのようなことを?・・・我の何が気に入らぬのだ?元親さま」
「あぁ、もう・・・やめろっつってんだろ!!よしわかった」
元親は、大仰に、上からサンデーを覗き込んだ。
「命令してやらぁ。金輪際俺のことを“さま”づけで呼ぶんじゃねぇ。わかったな?」
サンデーは、さすがに困った顔をした。
「では、なんと呼べばよいのだ」
「あぁ、面倒だな・・・元親、って、呼び捨てにしろ。もしくは長會我部」
「そ、そんなわけにはゆかぬ。命令を・・・受ける側ぞ、我は」
「なんで。これも立派な命令、だろうがよ」
「・・・・・・ッ」
はじめて、会話が正しく成立したように思えて、元親はふと楽しくなった。
「ほら呼んでみろよ、サンデー」
笑顔で言うと、サンデーは、困ったように眉をひそめていたが、やがて俯いた。
「・・・も・・・もとち、か・・・どの」
聞こえてきた声に、元親は思わず笑ってしまった。
“どの”という敬称を結局つけてしまってしゅんとするサンデーに、元親は苦笑しつつ手を伸ばした。
・・・いつの間にか、頭を撫ぜていた。
「よしよし、仕方ねぇよ。ちょっとずつ慣れろ」
褒め言葉と受け取ったのだろうか。サンデーは、ぱっと顔をほころばせる。
それを見て、元親は状況に気づくと、赤面した。
ひとつ咳払いをすると、あとはここで留守番してろよと少し抑えた声で言って部屋を出た。「留守番」という言い方に納得したのか、サンデーは追ってこない。
追ってこないことにほっとしつつも、少し拍子抜けして、元親はさらに赤面した。まるで追ってきてほしかったようではないか?
(調子狂うぜ、・・・くそっ)
白髪を、がしがしとかきまぜる。
(それに・・・結局俺は、あいつに命令して言いなりにしてしまった?のかよ?)
元親は、溜息をついた。
彼のことは、悩むことは多い。連れて帰らなければよかっただろうかと思いながら、絶対に自分にはそれができなかったことも知っている。
左目に触れた。心の中で呼びかける。
・・・元就の返事は、かえってこない。



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