大きな男の背が見える。
頭巾を巻いて、背に弓矢。
男は矢を弓につがえると、狙いを定めたのかきりりと弦を引き絞る。
ひょう、と。空気を切り裂く音がして、何かの悲鳴が聞こえた。男は驚いたように頭巾を外した。
出てきたのは、よく見知った白い髪だった。
「これは異なことだ。俺が狙ったは獣ではないはず、なんに当たった?」
ひゅるり、とそこで、金の糸が振り子を吊るしたように大きく目の前を揺れた。
俺は手を伸ばして掴もうとしたんだが、そこで世界が回って―――




















(2)


目を覚ますと、弥三郎はごしごしと目元を擦り、辺りを見回した。
空の一番高いあたりに、日輪がある。
此処はどこだっけと考え、あぁそうだ親父どのと一緒に京(みやこ)に来ていたのだと思い出した。
一体何時の間に眠ってしまったのだろう。確か、父を見送って、一人で遊んで――ーあんまり陽だまりが暖かいからだろうか。
弥三郎が眠っていた板間は寺の客間の縁側の一部で、そこに面した立派な山水の庭にいた僧が気づいて、若、お目覚めですかと笑顔で声をかけた。
「親父どのは?」
「まだお帰りではありませぬ」
「そうか」
曖昧に頷きながら、掌を、握ったり閉じたりしてみる。
さっき、昨夜と同じ、金色の糸の夢を見た。
夜よりも、もっとはっきりしていた。白い髪の男の顔は見えなかったけれど。
(・・・誰だっけ?)



掃き清められた砂利の上に注意深く下りると、弥三郎はのびをした。空からはらはらと色づいた紅葉が落ちて、庭に鮮やかな紅い色溜りを作っている。
低めの土塀の向こうには参拝客らしい者たちの黒い頭がいくらか見えた。自分の白い髪を指先でくるくると弄って首を傾げると、弥三郎は僧に声をかけた。
「俺も出かけたい」
僧は困ったように、若、先ほど和尚さまに言われたでしょう、道に迷うと帰れなくなって妖(あやし)に食われるかもしれないと。大事な預かりもののあなた様を外に出せませぬ。そのように言って背中を向けてしまった。
弥三郎は仕方なく座敷に上がってそこらにあった絵草子を一人読み始めた。鬼やら狐やら天狗やらが出てくるものだ。京は百鬼夜行、おおいそがしだなと弥三郎は読みながら感心した。
しかしそれを読んでいると、怖いながらも好奇心でますます外へ行きたくなってしまう。
結局再び草履をはくと僧に気づかれないように庭の総門へ近づいた。
途中でふと気づいて、懐から手拭を取り出し頭に被った。
土佐では長曾我部の白い若子はわりと皆に知られているが(それはそれで弥三郎には迷惑なことであったが)、別の土地では何処へ行っても珍しがられ気味悪がられる。
それに、目だつ。土佐でさえ、今までに石を投げられたことも、何度かあったのだ。父や母には言っていないけれど。
(隠しておくに越したことはない。)
何食わぬ顔で、弥三郎は門を出た。僧は庭を清めることに夢中で気づかなかったのだろう、呼び止められはしなかった。
(なんと言ったっけ。―――深草?まぁいいや、きつねの社と言えばきっと教えてもらえるだろう)



日輪が西に傾いても、弥三郎はまだ道を歩いていた。
そういえば俺は方向音痴だと言われていたっけな。と、今更ながら思い出して肩を落とす。
聞いたとおりにやってきたはずが、それらしい社はわからなかった。京の碁盤状の道は、一本間違えれば全く違うところに出てしまう。そこからさらに間違えて、何時の間にやら景色はすっかり農村のものだ。
すでに都の中からは出てしまっているようだった。度重なる戦火で都を守るはずの羅城門も壁も焼け落ちており、どこまでが都なのかそうでないのかは子供の弥三郎にはもう全くわからなかった。
雀の鳴き声が妙に寂しかった。
「もうし、おきつねさまの社はこのへんにないだろうか」
もう何度目かの道案内を請う。呼び止められた女は、最初はいはいと親切に応対してくれていたが、風がびゅうと吹いて弥三郎の手拭が落ちた途端にきゃっと叫んで小走りに逃げてしまった。
弥三郎は悲しくなった。普段思わないようにしているが、こういうときは己の姿を呪わずにはいられない。
絵草子を思い出した。道端に佇む鬼の絵があったっけ。屍を喰らう―――きつねの神を思い出してしまった。
(きつねめ。怖くなんかないぞ)
直後に頭上で鴉が大群で飛び立ち、弥三郎は身を縮こめた。
空が橙色から紫色に変わっている。
さすがに焦ってきたとき、ぽつりとあかりが見えた。
弥三郎は慌ててそちらに向かって走り出した。すすきの原とゆるやかな丘陵をひとつ越えると、そこに幾重にも重なる大小さまざまな鳥居が現れた。
まるで洞道(トンネル)のように鳥居が連なり続いている。
此処だろうか。弥三郎は俄かに元気づいた。
走って近づくと、さてものすごい数の鳥居である。
しばらく立ち止まって眺めていたが、やがて面白くなってひとつくぐった。続けてどんどん駆け抜けていく。終わりがないかと思えるような鳥居の道を行く。階段や坂道を登り、ときには下って、やがてひとつの社にたどり着いた。
灯がともっている。弥三郎はほっとした。
「だれか、おられぬか」


(3)