白い鳥が飛び立った、と、付き従う者たちは口を揃え、空高くを指差した。
「ばかを言うな。・・・俺が射たのは、糯米で作った、あも(餅)だったはず」
うか(食)を粗末にしたから、見たくもない幻を見たのだろうか。
足元に、点々と血のようなものが落ちている。金色の糸の切れ端がふわふわと漂って俺の頬に張り付いた。
手に取り、きれいな糸だなァ。言うと、みなは顔見合わせて笑った。
「・・・、大丈夫か。何処にそんなものがある?」
(・・・皆には見えないのか?)
(あの白い獣も?)



見えるも真実、見えぬも真実。





















(3)


宮司の一人でもいないかと声をはりあげてみたが、誰も出てこない。しんとした空気がはりつめる。
しばらくたってもう一度声をかけたが、結果は同じだった。
灯がともされているのだから誰かいるだろうにと弥三郎は首をかしげた。
社殿を覗き込んでいるのに疲れて、境内をぐるりと一回りする。とても疲れていることに、そこでようやく気づいて正面の石段に座った。
また少し哀しくなったところで、一体の像に気づいた。
後姿では犬のようだが、その尾がふわりと大きい。真正面に回ってみる。
「・・・きつね?お前がきつねか?」
弥三郎は、へぇと呻って、ぐるぐるとその像の周りを回った。
誰が供えたのか足元には油揚げが置いてある。絵草子に書いてあった、きつねは油揚げが好物だと。
(和尚は、死肉を喰うと言っていたが。本当はどっちなんだ?)
ほっそりした体躯に細い目、細い面。白っぽい御影石は夕暮れの境内でぽかりと浮かんで見えた。
ふと、弥三郎は気づいた。
橙黄色の紐が、地中から出て揺れていた。先を辿ると狐の足に幾重にも絡んでいる。
境内でいつのまにか焚かれた篝火の光が当たって、金色に揺れている。
夢と同じだと気付いた。



「こんな夕暮れに、何か、御用か」
ようやく人の声がして、弥三郎は驚いて振り返った。宮司だろうか、神祇の衣装を着た老人が不審そうに弥三郎を見ている。
「申し訳ない。おきつねさまを見たいと思って、やって来た」
ぺこりと頭を下げると、弥三郎は手に握った金の紐を目の高さまで持ち上げた。
「これは、なんの糸か?」
ますます不審そうに、老人は弥三郎の顔を手を交互に見ている。何か悪いことを言っただろうかとどきどきしていると、何かの謎かけか悪戯か、とぶつぶつ言いながら老人は向こうへ行ってしまった。早く帰らねば日が暮れるぞと言い置いて。
弥三郎は糸を手にしたままぽかんとそこに立っていた。
(・・・見えなかった?のか?そんな暗かったか?それとも目が悪いのか・・・)



気を取り直して、弥三郎はその糸を改めて手繰り寄せた。
三連に結ばれたそれは、よく見れば不思議な結び方をしてあった。
京へ来る船の中で、船頭たちに艫綱(ともづな)の結び方を何種類か教えてもらったが、そのどれとも違う。
(もやいの結び方より、綺麗だなぁ)
固く結わえられた紐を、引き寄せられるように両手にとって弥三郎はほどいていった。複雑に結ばれていた紐は、最初ほどくのが大層てこずりそうな代物に見えたが、実際触れてみればするすると面白いようにほどけた。
弥三郎は無心にその紐をほどく。弥三郎の足元に金色がうねってとぐろを巻いていく。
繭だ。と、ふいに思った。
あぁこれも夢と似ている。誰かが喋っていた。あれは誰の夢だった?俺の夢ではない他人の夢だったか?



最後にするりと紐が外れた瞬間。
いきなりかっと手の中が熱くなって、うわっと叫んで弥三郎はしりもちをついた。
「い、いってぇ・・・」
「・・・久しいな、白い鬼よ」



無機質で、冷たい声がした。
弥三郎がはっと顔を上げると、緑の水干姿の青年がいる。
華奢な体、けれど凛とした表情の面、切れ長の目。先程の狐の像を思い出させる。
弥三郎ほどではないが光の透ける色素の薄い茶色い目と髪を持っている。あごのあたりで切り揃えたその髪をゆらりと揺らして、座り込む弥三郎を涼やかな一重の目で覗き込んでくる。
「懐かしや。貴様が我を解放したということは、我の願いは成就されるのか?」
青年はひたり、と不思議な歩き方で弥三郎に近寄る。
歩くたびに金色の光が糸くずのようにふわふわと彼の身の回りを舞った。弥三郎は茫然と見つめるしかない。
青年はやがてふわりと微笑むと顔を近づけ吐息をひとつ。
「・・・会いたかったぞ」
弥三郎にくちづけた。



弥三郎は固まった。
ただ押し当てるだけの口付けだったが、青年の小さな唇はなんともいえず優しく甘く切ないものであった。
何故だか、見知らぬ者、しかも同じ男にそうされているのに、不思議と嫌な感情は起こらない。
やがて押し当てられた唇が離れていくのを弥三郎は、少し名残惜しいような気分で見送った。


(4)