(22)


「朽ち倒れ傾きかけた家を守ることを至上命題として押し付けられ、他に己の存在意義など認められぬ状況が貴様にわかるか」



声は卑屈な笑いを含んでいたが、心底可笑しいわけではないとわかる。呆れ、あきらめているようなさびしい笑いと、声だった。
「誰も“我”を必要としたわけではない・・・“家”を守る“盾”となる者が必要だっただけのこと。されば我ができることはそれに従うのみよ。見えぬ意志の言うなりに」
「・・・サンデー、おい。あんた何言ってんだ」
元親が問いなおしたとき、サンデーの体はぐらりと揺らぎ、突如くずれるように床に蹲った。
「お、おい。大丈夫か―――」
元親は驚き、抱き起こそうと自分もしゃがんだ。サンデーの表情が苦しそうにゆがむ。瞼がきつく閉じられていて、元親は狼狽えた。
誰か呼んだほうがいいのだろうか、と思ったとき、空気が冷えた―――ように、元親は感じた。
「・・・サンデー?」
うっすらと、瞼が開く。



「・・・此処は何処だ。貴様は―――誰だ」



血の気のない白皙の面と、青褪めた唇から出た声音は、勿論これまでどおりサンデーや狐の元就と同じものだった。
けれど低く冷たく、全てを拒絶し圧倒する。
元親は混乱した。・・・その気配は、何故か狐の元就に似ていた。
「・・・おい?お前、・・・元就?」
思わずそう呼んでいた。
呼ばれた相手は、嫌悪を顕わに、眉宇を顰めると、元親を睨みつける。
「・・・貴様。何故我が諱を知っている?我は貴様を知らぬ」
「―――え、・・・知らないだと?おい、何言って」
(こいつは誰だ?サンデー・・・じゃ、ない・・・元就・・・でも、ないとしたら)
「貴様こそ、何者だ?我は何故此処に・・・我は、・・・」
刺すような攻撃的ななにか、元親は圧倒されて言葉をうまく返せない。サンデーは、―――否、男は、ゆっくりと視線を彷徨わせている。
「・・・確か。得体の知れぬ者どもに襲われ・・・城から出て・・・そうだ。思いだしたぞ」
彷徨っていた視線が、再び元親に、詰問するように厳しく据えられた。
「さては貴様も仲間か。我をかどわかしたのか?何が目的だ・・・」
「ち、違う!俺は、どっちかってぇとあんたを助けてやったんじゃねぇか!あのザビーたちから・・・まるっきり、覚えてねぇのかよ?」
「―――ザビー・・・だと!?」
男は、目を見張った。
次の瞬間、自分に添えられた元親の手を勢いよく払いのけた。
「虫唾が走るわ!・・・なるほどな。やはり貴様も仲間か、あ奴と。その貌(かお)、銀の髪」
細い指が元親をまっすぐに指差す。
「奴と、同じだ。南蛮の異相。鬼めが」
「い、いや、・・・俺は、ちがう!俺はっ」
自分の風貌を露骨に拒否されたのは久しぶりだった。元親は子供の頃に戻ったように、狼狽し、焦った。鬼子と呼ばれて石を投げられ、家中の者たちの冷たい視線にえぐられ、陰口と冷笑にさらされていた子供の頃が一気によみがえって、思わず頭を強くふった。
男から殺気が立ち上る。
あっと元親が気付いたときには、男は元親の腰にある脇差をすばやく抜き取っていた。
「やめろッ」
元親が叫びながら後ろに跳び退るより、男の斬撃のほうが早かった。ざくりと嫌な音がした。
「―――くっ」
元親は、痛みに呻いた。左の腕を斬りつけられてしまった。ぱくりと傷が開いて血が床板に滴る気配がした。
「・・・元就!やめろ」
声をかけたは、逆効果だったらしい。相手は激昂した。
「黙れ!その口を閉じろ。我が名を気安く呼ぶでないわ!!貴様は誰だ、我は何故貴様らごときに・・・くそっ・・・」
思い出せないのか、それとも痛みがあるのか。男は両手で側頭部をおさえ、激しく左右に振った。なおも、足が一歩前に出てくるのを見て、さらに攻撃されると気付くと元親は腕を押えたまま彼の体をかわし背後に回る。
「やめろって!おいっ元就っ」
「五月蠅い・・・黙れ!」
彼が振り向くより先に、元親はすばやく移動すると自由になる腕で背後から男の首に腕をまわし、締め上げた。男は呻いて、暴れた。ふりかざす脇差を持つ腕をなんとか抑え、耳元に叫ぶように言葉を叩きつける。
「聞いてくれ。俺を信じろ。俺は、あんたの敵じゃねぇよ、だから安心しろ、な?」
「・・・戯れ言を・・・言うでないわ・・・!!!おのれっ」
相手は手の中で脇差を裏返した。あっと元親は思ったが、逆手で刃が元親を襲う。



「―――ッ」
咄嗟に、避けきれないと悟って元親は男を羽交い絞めにしたまま床に転がった。
けれどそれより早く、何かが目の前で光った。顔を上げた元親の前に、見慣れた白と金の光があふれた。
「・・・も・・・と、なり」
気づけば、男は、意識を手放している。
「い・・・いてて・・・」
元親は起き上がった。男の体を抑えていた腕からべとりと血が出ている。傷を押さえて、大きく安堵の息をついた。
顔を上げた。
元就は、泣きそうな顔でそこに立っていた。元親は、恥ずかしそうに笑って、片手をあげた。
「・・・へへ・・・よう、元就」
狐は、口を開きかけた。名前を呼んでくれるのかと思ったが、それは阿呆めがという罵倒の言葉にしかならなくて、元親は苦笑した。
「この・・・阿呆めが!!何故早く我を呼ばぬ?このような輩、一撃でしとめてやるというに。何故貴様はそのように、いつも甘いのだ!己の身をもっと大事にせよ!!」
「・・・だってお前、ずっと眠ってたじゃねぇか元就・・・あぁ、お前、ほんとに元就か?目、覚めたのか?大丈夫か?」
「阿呆!我より、貴様の、傷が」
「大丈夫、大丈夫。・・・、元就、なぁ元就」
元親は、動くほうの腕を伸ばした。
狐神を抱きしめた。同じ匂いと感触に、ほっとして、笑った。
「よかった・・・もう目、覚まさねぇかと・・・俺ァずっと、心配してたんだぜ?」
元就は、身を固くした。
「・・・き・・・貴様に心配されるほど落ちぶれておらぬわ!我を誰だと」
「あぁ、はいはい。・・・ははっ、よかった。いつものお前だ」
元親は、彼の髪に顔を擦りつけた。
「よかったぜ。ほんとに・・・」
元就は、じっと、抱かれている。
阿呆めが、と、また声がした。言葉が続いた。
「・・・もう、腹の傷は、いいのか?」
控えめな問い掛けに、元親は嬉しくて、静かに笑った。
「おう。もうすっかり大丈夫だぜ、・・・心配してくれてたのか?」
「・・・」
元就は、うつむいたまま応えない。



やがて二人で、立ち上がると倒れたサンデーを見た。
「・・・こやつ、・・・ザビー教徒の輩とは別人格であろう」
元就が静かにそう言って、元親は自分のうすうす感じていたことがあたっていたのだと知った。
「サンデーと別人ってか、・・・そりゃ・・・」
「ひとつの体にふたつの別々の人格を飼っていると見える。ただ、さて・・・どちらが先にあった人格かはわからぬが・・・」
「しかし・・・よく、似てるよなぁ。お前に。サンデーより、今のやつのほうが、お前とは似てる気がするぜ、なんでだろうなぁ」
元就はそう元親に言われて、なにに驚いたのか目を瞠った。
元親は、気付かない。
そっと、眠ってしまったサンデーの傍らにしゃがみこみ、髪を撫ぜた。
知らず、先ほどこの男が発した言葉を思い出していた。
“誰も頼ってはならぬのか”
酷く悲痛な叫びだったと思う。



ふと気付いて、元就に向き直った。
「・・・なぁ。俺、外見、ザビーと似てるか?さっき、こいつに言われちまったんだが・・・」
元親が半ば苦笑しながら元就に尋ねると、元就はなにを馬鹿なと呆れたように言った。
「つくづく偏狭な意見よ。貴様のような風貌の者、この広い世にいくらでもあるというに。そやつが無知なだけ」
それを聞いて、元親はぱっと笑顔になった。
「そうか。・・・慰めてくれてんだな。ありがとな元就」
「―――べ、べつにそういうわけではない・・・本当のことを言っているまで」
狐は、焦っているのかそっぽを向いた。
元親は、再びゆっくりと片腕を伸ばして、元就を抱きしめた。



「なんでだろう。・・・可哀相になぁ、って。思うのも侮辱かもしれねぇが。・・・こいつ、ひとりぼっちだったのか、なぁ・・・そんな気がする」



(かわいそうに)



・・・元就は、やはり、応えない。



(23)