(23)


翌朝はいつもどおりに開けた。
サンデーは何事もなかったように、元親を起こしにきた、・・・いつもどおり、馬乗りになって。
また襲われるのかと、咄嗟に身構え、いつも以上にきつく元親に弾き飛ばされても、サンデーはむくりと起き上がるとさわやかな笑顔を送った。
「おはようございます。元親さま」
「・・・あぁ」
ほっとすると同時に元親は苦笑した。
「さま、は駄目だって言ったろうが」
「・・・あ。・・・元親、どの」
サンデーは、すっかり元に戻っているようで、元親は溜息をついた。
(・・・昨晩の・・・別人になっていたことは、全く覚えていないってのか?)
サンデーは、障子を順に開けていく。燦々と煌めく日輪へ拝謁すると、元親さまもいかがか、と問い掛け、それから元親どの、と慌てて言いなおす。
元親は、意を決して聞いてみた。
「なぁ、あんた。・・・覚えてねぇのかい?昨夜の・・・」
「うむ?昨夜?そなたに何か命令されていただろうか?」
きょとんと、首を傾げる。
「いや、そうじゃなくて・・・やっぱいいや」
元親は、布団から出ると書きもの用の小卓の前に座り、頬杖をついて考え込んだ。サンデーは、正座したままにじり寄ってくる。
「何か言いかけていたではないか。本当によいのか?我で役に立つことがあるなら遠慮はいらぬ、申してみよ」
上機嫌に言って、ふと何かに気づいたらしい。眉を顰めた。
「・・・そなた。その腕はどうしたのだ」
元親は、はっとした。夕べ側近たちに手当てしてもらって眠ったのだった。大仰すぎるくらいに包帯が巻かれていて、元親は慌てて背中に手に隠したが隠しきれるもののはずがない。
「ひどい怪我ではないか。一体どうしたのだ」
「いや、いや。大したこたねぇよ、野郎どもが心配して大げさに包帯巻いちまったから・・・」
「一体、何をしでかしてそのような怪我をしたのだ?」
「う・・・それは、その」
元親は困った。
少し考えてみる。隠しておくべきかとも思うのだが、もしもあの状態をサンデーが自覚していないのなら、言ってしまったほうが他者へ迷惑をかけることが減るのかもしれない。
散々躊躇して、結局元親は口を開いた。
「・・・あんたに、夕べ斬られた。覚えてねぇか?」
「・・・なんだと?我に?馬鹿を申すな」
「冗談とかじゃねぇよ。証人もいる。・・・あんた、本当に覚えてねぇのか?嘘ついてるのか?それとも―――」



サンデーは、事の重大さに気付いたらしい。みるみる真っ青になった。
「・・・ば、ばかな。そんなはずはない・・・我は、知らぬ。本当だ」
狼狽するサンデーの体は、小刻みに震えていた。元親はそれを見て、しまったと思ったがどうしようもない。
泣きそうに、表情が歪む。
「お、・・・おゆるしください。元親さま。我は本当に知らぬ、・・・知らない、のです」
ひれ伏さんばかりに頭を下げて言うので、元親は慌てた。
「いや、・・・そんな謝らなくっても。俺も疑ってすまなかった、・・・ただ、なぁ、サンデー」
サンデーは、呼ばれて顔を上げた。



元親は、サンデーを手招きした。サンデーは、少し躊躇しながら傍にさらににじり寄って、小さくなって座った。
「あんた、自分のほんとうの名前、覚えちゃいねぇのかい?」
「・・・ほんとうの名前?」
「サンデー、じゃなくて、あんたのもともとの名前さ。教えてくれねぇか」
サンデーは、しばらくじっと元親を見つめていたが、やがてぷいと横を向いた。
「・・・知らぬ。我が名は、サンデー。それでよい」
ぼそりと、小声でそれだけ返ってきて、元親は溜息をついた。
ほんとうに知らないのだろう。けれど知りたいとも思っていないらしい。
(あの昨夜の男はこのサンデーと同一人物なのに、何故こんなに違ってしまってるんだ?)
元親は、だんだんサンデーが哀れになってきた。
思わず手を伸ばすと、サンデーの頭を撫ぜた。サンデーが驚いた顔で元親を見たので、元親は肩をすくめて笑った。
「あぁ。すまねぇ・・・なんか、あんたってさ・・・ほうっておけねぇなぁと思っちまって」
「・・・これは。愛、か?」
サンデーは首を傾げておずおずと元親に問い掛けた。今度は元親がぽかんとした。
「・・・は?愛?」
「そなたから、我への。・・・ザビーさまが仰っていた、愛は偉大なり。親が子にかけるような無償のやさしさ、らしいが」
それを聞いて、元親は俯いて考えた。
「・・・・・・ちょっとだけ、違うかなぁ」
やがて結論づけて、元親はサンデーの頭をゆっくり撫ぜ続ける。
「俺のは、たぶん、大事なやつだけへの“愛”だと思うぜ?俺は、神さまじゃねぇ、わがままな一人の人間だからよ。えこひいきもしたくならぁな」
「大事な・・・やつ?」
「俺にとっての、な。家族とか、国とか、野郎どもとか・・・」
「・・・あの、狐もか」
サンデーは、俯いて問うた。
元親は、否定しない。あぁ、そうだな、とさらりと肯定して左目を掌で押さえた。夕べでてきたとはいえ、やはりまだ傷が癒えていないのか、今朝は呼んでも元就はでてこない。
「では、・・・我は?」
うつむいたままのサンデーの、小さなか細い声が元親に問い掛ける。
苦笑して、けれど元親ははっきりと言った。
「安心しろ。・・・あんたも、だぜ」











その日の夜から、元親は秘密裏にサンデーに監視をつけた。
知らないと必死にすがる彼に対して後ろ暗い思いでいっぱいだったが、自覚がないのが厄介だった。いつ何どき、誰かわからぬあの男に豹変するかもわからない。今度入れ替わったら、元親や部下たちが襲われないとは限らない。



なかなか寝つけないので、仕方なくたまった仕事を片付け始めたが、やがて元親はおもむろに立ち上がった。アニキどこへ行くんで?と側近の一人が声をかけたのを、ちょっとな、と誤魔化して、元親はサンデーにあてがってある部屋へ向かっていた。
監視役の部下は、元親を見ると丁寧に頭を下げた。なにも変わりはないという。
頷いて、元親はそっとサンデーの部屋に近づいた。
「・・・?」
そこで、違和感に気付いた。
(・・・元就?)
狐の気配だった。間違えるはずもない。
元親は、罪悪感を少し感じながら、障子の隙間からそっと中を覗いた。



「・・・!?」



元就は、確かにいた。
眠るサンデーを、傍らに座ってじっと、冷たい双眸で見下ろしている。
・・・やがて、元就の姿が光った。いつもと違う鈍く灰色に輝くそれは、いつか見た影と少し似ていた。
なにごとか、まるで呪を紡ぐように元就の唇が動いている。眠っているサンデーがほんの少し、呻いた。
やがて元就は馬乗りにサンデーに跨り覆いかぶさり、面を覗き込む。
土気色した元就の口元に微笑が浮かぶ、・・・元親は、総毛立った。
元就の指先がサンデーの喉元に添えられる。ゆるやかに、指先にこもる力が、まるで見えるようだ。元親は立ち尽くしたまま動けない。
凄惨さを湛えた微笑は、これから起こることを暗示しているのか。サンデーが、苦しそうに呻くと、二度、三度、頭を左右に振る。髪が狐の指にも絡まる。元就は力を緩めずさらに圧す。また、唇が動く。
貴様なぞいらぬ、と。
からからに乾いた喉に、元親は自分の片手の平を添えた。声を出さなければならなかった。二人のために―――
障子を、開け放ち、叫ぶと同時に部屋に飛び込んだ。



「・・・も、・・・元就ッ!なにしてやがる、やめろ!!!」


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