(24)


狐神は振り返った。
元親は二人に駆け寄ると、元就の手をサンデーの喉元から引き剥がした。サンデーの瞼が開く。
「・・・げほっ、う、ごほっ」
いったんむせた後、雑音は混じっていたが呼吸音が連続して響いた。元親はほっとして、彼の汗の滲んだ額を自分の掌で拭ってやった。
やがて元親は振り返り、背後で立ち尽くす元就を見遣った。
「・・・元就。一体なんのつもりだ?俺はこんなこと頼んだ覚えはねぇぞ!」
元就は、薄く笑った。
「すべて貴様のため。・・・このような輩に、貴様の命を取られるわけにいかぬ」
「俺の心配してくれるのは嬉しいが、やりすぎじゃねぇのか。お前、今、・・・本気でこいつ殺そうと」
「―――“貴様”の心配などしておらぬ。自惚れるな!」
元就は激しく叫ぶと、元親にすがるサンデーを睨みつけた。
「おのれ、・・・元親は、・・・その体は我のものだ。貴様ごとき、・・・己の居場所さえ見失う欠陥品の貴様ごときに渡すわけにいかぬ」
そうして、手を差し出す。元就の手に、武器が―――采幣が浮かび上がり現れる。サンデーは、それを見るとさらに元親にすがりついた。元親も、かばうようにサンデーを自分の背後に隠す。
「おい、元就ッ。いいかげんにしろ!」
「・・・そのような輩をかばいだてするとは、愚かな!そやつから離れろ、元親。いつまた昨晩のように変貌し貴様を襲うかわからぬ。所詮出来損ないだ、こやつは」
「・・・なっ・・・」
サンデーは、元就の言葉にあからさまに動揺した。
「わ、・・・我は知らぬ!昨晩、元親さまを襲ってなどおらぬ!いいかげんなことを言うな!しかも言うに事欠いて・・・出来損ないだと?おのれ調伏してくれるわ、妖怪風情が!」
元就は、冷笑した。
「我を調伏だと?・・・面白い、出来損ない風情にできるならしてもらおうではないか。あのザビーとかいう者の元ではその力あっただろうが、今はとてもそうは見えぬが?」
図星なのか、サンデーは唇を噛んで俯く。元就はたたみかけるように冷笑を浴びせかける。
「さても情けなし。己が誰かすらわからぬとは、・・・せっかく願い叶い、人として生まれてきた存在と命を無駄に使いおって・・・!!」
元就の激情と憤怒は尋常ではなく、元親はむしろあっけにとられた。何に怒っているのか。何を悲しんでいるのか。何故サンデーにここまで言うのか。
「貴様の存在は我には邪魔よ。・・・我を引き映したその姿、目にするも忌々しい。消えよ、目障りな輩―――」
「元就ッ!!!」



元親の腹から響き渡る怒声に、元就も、サンデーも固まった。障子の外から、アニキ、と部下のうろたえる声がする。大丈夫だ、と返答をしておいて、元親は狐神を片方の目だけで睨みつけた。



「いいかげんにしろ。もう黙れ」
「・・・貴様に“命令”される謂れはない。貴様はまだ、伊羅ではない」
前と同じ手は使えないぞ、ということらしい。
「・・・じゃあ、俺から、命令じゃなくて、“お願い”だ。もうやめてくれ」
元親は、両手を床についた。
元就はその姿を見てさらに逆上した。采幣を振りかざす。
「愚かな・・・そやつのために何故そこまでする!!それほどにそやつが気に入ったか!?」
「―――馬鹿野郎!そんなふうに、他者を悪しざまに言うお前を見たくねぇんだよ!!」



元就の動きが止まった。
頭を下げる元親の前から、狐の気配はいつしか消えていた。
元親はゆっくりと頭を上げると、息を吐き出した。
背後を振り返ると、サンデーが瞬きもせず青ざめた顔で元親を見つめていた。元親は、笑顔を見せてやった。
「大丈夫だぜ。とりあえず寝ろ。あんたに何かあったら、野郎どもが俺に知らせてくれるからよ」
サンデーはそれを聞いて、こくりと頷いた。















「・・・元就?」
気配を追って元親は屋敷の生け垣の外に出ていた。樹齢いかほどかという巨木が昏い影を落としている。
その根元で、狐はじっと月明かりに浮かぶ梢を見上げていた。
やがて、気配に気づいたのか、ゆっくりと元親を振り返った。



「・・・貴様はあやつを手なづけてどうするつもりなのだ」



元親は、それを聞いて苦笑した。
「てなづけるとか、人聞き悪いな。・・・あいつ、ほうっておけねぇ雰囲気なんだよ、ほんとにそれだけなんだ」
「お人よしめ。命を狙われたというに」
元就は吐き捨てるように言う。
それを聞いて元親は、元就だって俺の目を奪って俺自身をある意味狙っているってのに、と内心肩を竦めた。
「・・・だってよ。あいつ、夕べやったこと覚えてないわけだし、それに・・・」
(・・・お前と何か関係あるのか?なんであんなに怒るんだ、・・・)
黙ってしまった元親に、また元就は苛立っている様子だった。
「理解できぬ。・・・我は、・・・いや、我こそが欠陥品か?」
「なぁ、元就」
元親は、狐神の前に立つと、顔を近づけた。
少し、笑ってみせた。元就は、じっと至近距離の元親を見上げて見つめる。
「なぁ。・・・もういいかげん、伊羅じゃなくて、俺を見てくれねぇかい」
「・・・・・・」
「俺は俺だから、・・・生まれてから一度たりとも俺じゃない者になったことなんざ、ねぇんだから。どんなにお前が願ったって、伊羅は顕現しねぇよ。それは、俺が一番よっく知ってる」
元就は、いやいやをする子供のように激しく頭を振った。飴色の髪が揺れる。
「ちがう。ちがう!・・・貴様は伊羅だ。だから貴様と・・・我は・・・共にいる」
「じゃあ、俺が伊羅じゃねぇってはっきりしたら、お前は俺から去っていくのか」
「・・・ッ」
元就は応えず、顔を背けた。
元親は、元就の細い顎を指先でつまむと、自分のほうを無理に再度向かせた。
この先は、言ってはいけないことだと、ずっと言わずにきたけれど、止められなかった。
「・・・そんなに伊羅がいいのかよ。でもよく考えろ。なんでお前は封印されたんだ。伊羅が封印したんだろ、お前を」
元就の目がいっぱいに見開かれる。元親は、言葉をつづけた。
「ずっと一緒にいたかったんだろ。でもそう思ってたのはお前だけじゃねぇのか。伊羅がお前を封印したのはなんでだ。伊羅にはお前は必要なかったんじゃ―――」
「それ以上言うな!!!」



元親は、黙った。
ひとつ、深いため息をつくと、すまねぇと謝った。ざまぁねぇな、と自嘲する。
互いに他者を貶める発言を繰り返していることに気付いた。
「ちがうんだ。こんなことが言いたいわけじゃねぇんだ」
「・・・」
「俺は、代わりは、嫌なんだよ。似てたって、・・・万に一つ、俺が伊羅の生まれ変わりだとしたって、・・・俺は俺なんだ」
「・・・我も、嫌だ」
元就の震える声が響く。元親は俯いたままの元就を見つめる。震える声が呟く。
「・・・我の望みは、・・・永劫叶わぬのか。叶っても、我とは次元の違う場所で実現して、我は結局このままなのか。だとしたら我が我であるうちに、せめて伊羅に会いたいと願うは愚かなのか」
元親は、ゆっくりと顔をあげ、夜空を仰いだ。
「・・・いつも思うけどよ。お前の言うことは、断片的すぎて俺にはよくわからねぇんだ。・・・なぁ元就、ちゃんと話してくれねぇか。最初から」
無駄だと知りつつ、元親は言った。
「お前の、ほんとの名前とか、・・・なんであの場所で眠ってたのか、とか」
当然元就から返答はない。
ふと、サンデーにもつい最近同じ質問をしたことを元親は思い出した。
姿だけではなく、己が何者なのかわからない、もしくは教えたくないのは二人とも同じなのかもしれないと気付くと、二人がさらに哀れで愛おしいと思えた。
「わかった。・・・じゃあよ、俺の願いだけ、言うから、聞いてくれるか」
つとめて明るく、元親は言った。
元就が顔を上げる。



「・・・お前が好きだ」



口づけは、いつかよりも長かった。
拒否されるかと思ったのに、元親が元就の唇を舌でたどるとほんのわずか誘うように開いたので、元親は遠慮なく好きなだけ大好きな彼を貪った。
ずいぶん長い間そうしていた。



ようやくふたつの影に分かれて、狐神の顔を元親が覗き込むと、その目元は朱に染まり少し濡れていた。元親は、少し微笑んだ。
元就は、濡れた目で元親を睨み上げる。
「き、・・・貴様・・・ッ。あのサンデーだけでなく、貴様の体を狙う、貴様の目を奪いそこに棲む我にもこのような・・・。どこまでお人よしなのだ・・・!!」
「しょうがねぇだろ。ほんとのことなんだから」
元就は、いまにも泣き出しそうな顔をした。さらに問い掛ける。
「お前は?長會我部元親が好きか?」
「―――」



元就は黙りこむ。
次の瞬間、その姿は溶けるように消えた。
「・・・元就?」
慌てて元親はきょろきょろとあたりを見回す。ざ、と音がして梢を見上げると、木の頂上に狐の金色の尾がひらりと踊った。
「ちぇっ、・・・逃げやがった。結局なんもなしかよ。こっちゃ必死に言ってるってのに・・・」
元親は、白髪をかきまぜて、自分を哂った。



「・・・確かに俺ぁ、おひとよしかもしれねぇな」


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