(25)


翌日からは、サンデーは元親を起こしにこなかった。
狐神のほうも、元親の目に戻ってはきたものの、そっけない態度である。出会った当初のような感じになってしまっていて、元親はどうにもやるせなかった。
フラれちまったか?と考えては溜息をついて項垂れてしまい、野郎どもに心配されている。



その夜、いつものように鳥の声で合図がきた。
つかっている忍びのものと気付いて元親は縁側に出た。茂みの中に向かって、首尾はどうだ、と問う。
「やはり影武者のようです。殿のお考えどおりかと」
「・・・そっか。やっぱりな」
元親は、深い息をついた。
サンデーのことを調べさせていたのだった。ザビー城で名乗ったときの“毛利”という姓と、先日あらわれた別人格の男が口走った言葉。元親の、「元就」という呼びかけに、彼はこう答えた。
“貴様、何故我が諱を知っている?”
・・・もしやと思い、沈黙を守る中国の毛利を調べさせてみれば、当たりだったらしい。現当主は数カ月前から影武者に入れ替わっていた。
「本物は、行方不明か。そりゃ毛利が天下取りなんざ、できるわけねぇわなァ。しっかし当主の生死不明がよくバレてねぇな、よほどいい参謀がついてるのか、家中がまとまってやがるのか・・・」
「いえ、あの国は当主が参謀も兼ねていた由。外に情報が漏れていないのは、徹底して国外との接触を絶っているからかと」
「そっか。・・・ご苦労だったな」
元親は、見えない忍びに静かに笑顔と謝意を送った。
それから、腕組みをして考え込む。
「・・・てことは、・・・やっぱ、サンデーは、毛利の当主で間違ってねぇわけか・・・」
これまで元親が聞いた噂では、中国の当主は非情で冷徹で敵に対しては容赦ないということだった。あの夜、サンデーと入れ替わったあの男はそんな感じではあったと思う。
「つまり俺は、自分の手の中に敵国の当主を握ってるってわけだ。・・・こりゃァいい」
元親は、ふと、国主の顔になってくつくつと笑った。
忍びが、殺りますか、と一言尋ねる。
元親は、ひとしきり笑ったあと、首を横にふった。
「あいつは、自分がだれか知らねぇんだ。それなのに突然殺るのは卑怯ってもんだぜ。なぁ?」
「しかし・・・」
「まぁ、中国を手に入れられる絶好の機会であるのは間違いねぇんだがな。勿体ないには違いねぇってわかってる」
元親は、俺はやっぱ甘いのかね、と自分で言って今度は少しさびしそうに笑った。
サンデーに一言言えばいいのだ。俺がザビーの代わりになってやる。お前の主人になってやる、と。きっと、サンデーは元親の役にたつことに喜んで従うだろう。そのあとで毛利当主としての記憶を取り戻しても、それはどうとでも出来ることだろう。
けれど元親は、どうしてもその策に踏み出すことが出来なかった。



「しかし、・・・なんだって二人分の人間になってやがるんだァ?そういう病があるのは聞いたことはあるが」
元親は、呟いた。
「なんか、それに関して話はなかったか」
「特には・・・」
「当主本人についてほかには?」
「一族がすでに一人もいないため、傍系出身の現当主が担ぎあげられたようです。幼少時は食にも困るほど苦労していたとも聞きましたが、当主本人の話自体かなり規制されています。顔を知っている領民も少ないかと思われます」
「ふーん・・・」
先日対峙したときの、男の言葉を元親は記憶をたどった。
(担ぎあげられた、か。そういやそんなこと口走ってたっけなぁ)
元親は考え込む。
つらい思いをしたために自分で自分を拒否したのだろうか。背負わされて辛くて、誰かに依存したいと願ったのだろうか。
もしそうなら、その過程で出てきたサンデーが哀れだと思う。思うが、元親もそれはたどってきた道だった。完全に同意することはできなかった。
やがて元親は、忍びをねぎらって帰した。



「“元就”、か・・・」
元親は、狐神に名付けたときのことを考えた。何故自分はあの名前を選んだのだったか。
(たしかあの名前、反故になったもんだって和尚言ってたよなぁ?結局採用されたってことか?)
二人の顔・姿は同じである。
全くの偶然とは思えなかった。



元親は、少し躊躇したが、狐神を呼んだ。
元就は少し間をおいて、静かに現れた。
「よう」
「・・・何用だ」
「いつまでも拗ねんなよ。もうお前を困らせるようなこと、言わねぇよ」
元親がわざと明るく言うと、元就は少し眉をひそめ、ぷいと横を向いた。やっぱフラれちまったな、と元親は内心落胆したが、気を取り直して尋ねる。
「お前、何か知らねぇか?あのサンデーは、どうやら結構な身分の奴だったらしいんだ。お前と同じ名前の」
「・・・・・・」
「なんでもいい。気づいたこととか、ねぇか?」
元親は、実はうすうす、元就がサンデーと己のかかわりについて気付いていることがあるのではないかと思っていた。殺そうとしていたときの言葉の端々からそう感じる部分がたくさんあったから。
けれど、元就はただ不機嫌に表情を歪めただけだった。



「あのような輩が、それほどに気になるか。あの出来損ないが」
「・・・なぁ・・・なんでそんな非道いこと、言うんだよ。出来損ないとか、お前らしくねぇよ」
「・・・」
「・・・まぁ、好きってぇか、気になるんだよな。あれはあれで、ずれちゃいるが一生懸命だし、健気だしな。ほっとけねぇっていうか、可愛いってぇか・・・」
「・・・・・・」
「それに、なんたって、お前と、よく似てる」
元親はこっそり気持ちを含ませたつもりだったが、その言葉に、元就は急に眦をつりあげる。
「・・・・・・貴様のことを、伊羅に似てるから好きと言うと同じと?元親?気に入らぬか?」
怒りを含んだ声と剣幕に、元親は少し焦った。
「なに、そんな怒ってんだよ元就」
「気に入らぬであろうな。伊羅、ときさまを呼ぶことを」
「いや、・・・そりゃ・・・もう今は、そんな気にしてねぇよ」
「嘘をつけ。先日も言っていた。なるほどな、そのあたりはよくわかった。我は今、気に入らなかった。我に似ているから好きだというは、つまりはこの姿であれば誰であろうとよいということであろう?」
元親は、身を乗り出した。違う、と否定する。
「姿じゃねぇだろ。おい、元就、意固地になるなよ」
「我と似ているからか。ふん、所詮は我など貴様にとって妖怪風情にすぎぬからな。同じ姿ならば人のほうがよいであろう」
「・・・そんなわけ、ねぇだろうが。お前、なんだよそれ・・・もしかしてやきもちかよ」
この殺伐とした空気がいやで、元親は冗談めかして、言った。言ってからまた間違ったか?と首を竦めたが、今度は狐の反応にあっけにとられた。
元就の顔は、真っ赤になっていたのである。
「ば!馬鹿を・・・言うな!や、・・・やきもちなどでは、ないっ」
それから、元就は、俯いた。
「いや、違う・・・我は、どうしたのだ。どうしたいのだ?」
「おい、おい、元就?」
「我は、貴様など、ほんとうに、・・・我が待ち望んでいるのは、・・・あぁ、ちがう。わからぬ。なにかおかしい」
「・・・・・・なぁ」
しばらくその反応を見つめていた元親は、やがて元就ににじり寄った。元就はびくりと震えた。
「俺、ちょっとは、期待していいのかよ?元就?」
「―――ッ」
「伊羅じゃなくて、俺をちょっとは認めてくれてるって、思っていいのか?」
元親はゆっくり顔を近づける。元就も、見つめる。
唇の触れあうか触れないかというところで、けれど、元就はするりと元親の腕から逃げ出した。
「おい、元就―――」
「少し散歩に行って来る」
元就は、その声だけ残して消えた。
(・・・やっぱ、駄目か)
元親はその場に胡坐をかいて座り込むと、落ち込み項垂れた。
(・・・「俺」は、嫌われちまってるのか?)
(そりゃそうだよな。・・・似てるってだけで、俺はあいつの好きな伊羅じゃないもんなぁ・・・)



ふと、障子の外に人の気配がした。
「・・・誰だ!?」
咄嗟に脇差を構え障子を開け放つ。
廊下に、こわばった表情のサンデーが立っていた。元親は安堵のため息をついた。
「なんだ、あんたか。何か用か?」
「い、いや。・・・命令は、ないかと・・・思って」
「部屋抜け出してきたのか?あんま勝手に動くなよ、野郎どもが困っちまうだろ」
「・・・すまぬ」
サンデーは、頭を下げると、失礼すると言って踵を返した。床板のきしむ音は徐々に遠のく。
ふと、元親は気づいた。
(・・・あいつ。今の話聞いてやがったのか?)














元就は、巨木の梢の先で、瞬く星を見つめていた。
やがて、呟いた。
「仕方ないではないか、元親・・・我が貴様に何を言おうとも、貴様はそれを伊羅への言葉と取るだろうに・・・」
それから、泣き笑いの顔になった。誰も見ていないところだからできる表情だった。ずっと昔、元親と似た男にだけは見せたことがある・・・



「伊羅、すまぬ。我は、伊羅が好きなのか、元親がすきなのか、わからなくなってしまった」



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