(26)


翌深夜、元親は障子の外から呼ぶ声で目を覚ました。
一瞬狐神かと思ったが、元親どの、という固い声と呼び方に気づいて、布団の上に起き上がる。
「・・・サンデーか?入れよ」
少しの間の後、遠慮がちに障子は開けられた。サンデーは緊張した面持ちで視線を伏せたまま、丁寧に礼をして作法通りに部屋に入ってくる。その所作をぼんやり見ながら、なるほど中国の当主であればこのいずまいや立ち居振る舞いも自然身についているため出るのだろう、と元親は思った。本人が覚えている覚えていないにかかわりなく。
「どうした?えらい真面目な顔して」
元親は、燭の火を増やして部屋を明るくしながら、つとめて穏やかに声をかけた。サンデーは、伏せていた視線を上げた。



「・・・先夜、狐が言うておった。我がそなたを傷つけたと」



「・・・思い出したのか?」
元親は、静かに問い返した。サンデーは唇をきゅっと噛んだ。
「覚えて、おらぬ。本当だ」
「・・・まぁ。そうだろうぜ。まるっきり、別人みたいな反応だったからなぁ。演技であんなふうにできるほど、あんた器用じゃないだろうし」
「・・・・・・」
「その話が本当かどうか、確かめにきたのかよ?・・・だとしたら、残念だが本当のことだと言うしか俺にはできねぇな。それであんたをどうこうしようってわけじゃねぇが」
「・・・・・・」
「で、それを確かめて、あんたはどうしたいんだ?」
サンデーの両手が、正座した膝の上できつく握りしめられる。



「・・・先日のそなたとの話の途中から記憶がない。気づけばいつもの部屋で寝ていた。・・・本当を言えば、これまでもそういうことは何度かあった。先ほどまでいた場所と違う場所にいたり、話していた相手が急にかわっていたり」
「・・・そっか」
自分がそうだったらそりゃ大混乱するだろうな、と想像して、元親はサンデーが哀れになった。サンデーは俯いたまま、いつになく聞き取りにくい小さな声で訥々としゃべり続ける。
「元親どの。・・・我は、どこにもおらぬ者なのか?居てはならぬものなのだろうか?」
「―――え」
元親は、驚いた。
「何言ってんだサンデー、・・・誰もそこまではあんたを責めてねぇよ。落ち着け」
「でも。我はザビーさまに出会ってからのことしか世の中を知らぬ。・・・いや、それ以前もたびたびこの世を見た覚えはあるが、ほんとうに断片的な記憶しかない。子供の頃のこともなにも覚えておらぬ。なんとなく、もうひとり違う我がいるのではないかと気づいていたが、知らぬふりをして生きてきた。・・・そちらの我がほんとうの我なのではないかと思う。そうなのだろう?」
「・・・それは」
元親は、困った。
同じ体にふたつ人格がある病について、元親はいろいろな医師や薬師などから意見も聞いてみたのだが、実際問題そういう事実はあるにせよ、どうやったら治るのか、治ったとしてどうなるのかはわからないと言われていた。元親が、今サンデーが発した質問に的確に応えられるわけがなかった。
・・・それでも、彼がどういう気持ちでその言葉を形にしたかは、わかる気がした。
「突然に現れた我は、いつか突然に消えてしまうのだろうか?我は、・・・狐めが言うたように、出来損ないか?」
「おい、何言ってんだ。そんなことねぇよ、・・・元就が言ったのはそういうんじゃ・・・」
元親はなんとかなだめようと言葉を選んでみるが、サンデーは少し興奮したようすで、自分の言葉を続ける。
「同じ質問を、以前ザビーさまにも聞いたことがある」
元親は、眉を顰めた。
「・・・あの野郎、なんて?」
「ザビーさまは、ザビーさまの下にいれば我は消えぬと。ずっとザビー教戦略情報部隊長でいれば大丈夫だと仰った。愛があるから、平気なのだと。だが・・・今ザビーさまはもう、おらぬ。愛はなにものより強いと言っていたザビーさまは、そなたに負けた。我は、愛ももう信じられぬ」
「・・・サンデー」
サンデーは、顔を上げた。つきつめた視線は少しばかりうるんでいて、元親はどきりとした。
「我は、怖い。元親どの、我は怖いのだ。消えたくない。誰にも求められず、誰も我を覚えておらぬまま、消えたくない」
「・・・・・・」
「そなたは、我はおらぬようになるが道理と思うか?そなたを傷つけたから?」
「ば、馬鹿言ってんじゃねぇよ!そんなこと思っちゃいねぇよ。ちっと落ち着け、サンデー」
元親はなんとかなだめようと膝をサンデーのほうにすすめ手を伸ばしたが、それと同時にサンデーの切れ長の双眸から大粒の涙がぽろぽろとこぼれたので、もうどうしたらいいのかわからなくなって固まった。
サンデーは、泣いている自覚もないのだろうか。同じ口調で、必死に続ける。
「でも、そなたを傷つけたは、我ではない!我はもはやそなたを傷つけようとはせぬ。だから、我は思うのだ、・・・寧ろもう一人の我が消えたほうがよいのではないだろうか?もうひとりの我がどういう者か具体的には知らぬ。けれど、我がザビーさまのためにしていたことを思えば、きっとそれなりに戦慣れした身分の者なのだろう。貴様を傷つけることができるならば尚更。・・・それならば、そやつが消えて、我が残ったほうが。そのほうが、誰も傷つかぬ。そうすれば、我はずっと、そなたの役に立ち、そなたと一緒にいられる。だから―――」
「待て、待て!サンデー」
元親は混乱しつつ、制止していた。サンデーの肩を両手でつかむと、しっかりしろよと揺さぶった。
「おかしいだろうが!どうして、どっちかが消えないといけねぇんだ?両方がいたっていいじゃねぇか。どっちも、あんたであることに変わりねぇだろうが!性急にそんな答え、出すもんじゃねぇぜ」
サンデーは、濡れた目で、じっと元親を見上げてくる。
「あんたよぅ。もうひとりのそいつ認識してるんなら、話とか出来ないのか?」
「・・・できぬ。」
サンデーは哀しそうに目を伏せる。
元親は困って、溜息をついた。どちらもこの体にいる一人の人物に違いない。でも、こんなにはっきりと分かたれてしまっているというのは、何か原因があるのだろうとはわかるが、それが何かは皆目見当もつかない。
けれど同時に二人が存在するのではなく、一緒に手をつなぐように、一人の人物になれたら一番いいのだと、それだけは、元親の中では決まりつつあった。多面性があって当たり前なのだから・・・
「俺はなぁ、サンデー。どっちがほんとうとか、思わないぜ?どっちも、その体にいる人格だろう?誰だって、多かれ少なかれ、そうだと思うぜ」
「・・・そうであろうか」
「そうだぜ。なんにせよ、俺と今こうやって話してるあんたは、たしかに此処にいるんだ。俺がちゃんと知ってる」
「・・・」
「だから、消えてしまったほうがいいとか、考えるなよ。俺、何ができるかわからねぇけど、一生懸命考えるからよ。ひとは、変われると思うぜ?俺だって、ちっせぇ頃はほんとに・・・自分に自信なくて、まぁ今だってねぇけどさ」
「―――そなたが?」
サンデーは、意外そうに瞬きをした。元親は、おうよと大きく頷いた。
「こんな形(なり)だからよ、石投げられたこともあるし、口聞いてもらえなかったことだってあるさ。でも、仕方ねぇよ、それも俺だからよ。それでも親父は、俺の好きなようにさせてくれたし、俺のこと期待して待っててくれたし・・・」
「・・・」
「俺、親父みたいにはできないかもしれねぇけど、あんたの助けになるようにがんばってみるからよ。な、だからそんなふうに言うな」
元就の、おひとよしめという声が聞こえたような気がして、元親は内心苦笑した。
考えてみれば、元親がここまでサンデーにしてやる義理はなにも無い。記憶がないとは言え、この体は毛利の当主であるには違いなく、いつか四国に仇為す可能性もある。国主としての元親がすべきことには、四国の安泰を考えたもっと近道が―――サンデー(毛利元就)を籠絡または排除するという―――あるはずだった。
実際、その方法を何度か考えたのは事実だ。
でも、実行はできなかった。
(俺は、つくづくおひとよしで、駄目な国主だな。野郎どもに顔向けできねぇ・・・でもまぁ、しょうがねぇや。国主である前に俺は俺なんだから・・・)
誰かを助けたいと願う重さは、野郎どもに対しても、家族に対しても、サンデーに対しても自分にとって同じなのだと元親は知っている。



サンデーは、やがてにこりと笑った。元親は、その笑顔を見て少しほっとした。
「・・・貴様、なかなか弁が立つな。ザビーさまの、愛云々より、わかりやすかった。あまり具体的ではないゆえ、結果がどうなるかはわからぬのが難点だが・・・」
「おいおい。なんだそりゃ!やってみなくちゃ、わからねぇだろうがよ。俺は口にしたことは遣り遂げる男だぜ?」
元親も、思わずつられて笑いながら言った。サンデーは、頷いた。
「確かにそうだ。期待しておこう」
「おう、期待してくれよ。・・・もう気はすんだかい」
「うむ。・・・礼を言う、・・・元親」
以前から“命令”しては拒絶されていた“諱の呼び捨て”をサンデーがしたので、元親は目を瞠った。
命令を実行したというよりは、彼からの親しみの発露なのだとやがて気づいて、元親は膝をうって笑った。
「ちゃあんと、言えるじゃねぇか。元親って」
褒めると、サンデーは笑顔でうなずき、そのまま、立ち上がった。
「深夜に長居したな。・・・失礼する」



部屋を出かけて、サンデーは下げかけた頭を戻して、元親を見つめた。
「・・・元親」
「ん?どうした?」
「その・・・ひとつ、いいだろうか」
「なんだ?俺にできることなら」
「・・・あやつ・・・に」
そこまで言って、押し黙る。
あやつというのがだれか、しばらく考えて、やがて理解して元親は少し頷いた。
「・・・元就か?」
サンデーは、こくりと頷いた。
「元就がどうした?あいつ、この前あんたに非道いことしてたけどよ、許してやってくれねぇか。あいつなりに俺のこと思ってしてくれてることだから―――なんかどうしても言いたいことあるんなら、俺が伝えておいてやるよ。」
「い、いや。そのことではない。そうではなくて―――」
サンデーは、赤面して俯いた。
続いた言葉に、元親は驚いた。
「あやつに、その・・・いつもやっているように。・・・我も、してもらって、よいか?貴様の膝に・・・」



「元就に?って・・・あぁ!」
元親は笑う。胡坐をかいた自分の脚をぱしんとたたくと、両腕を広げてやった。
「こいよ、サンデー」
サンデーは顔を紅くしながら、再度元親ににじり寄ると、そうっと元親の膝に腰かけた。
しばらく元親の胸元にすがりついて目をとじ、じっとしつづける・・・
抱いた感じやふわりとのぼる匂いまで元就そっくりで、元親は内心驚き狼狽していた。けれど、それは表に出さず、できるだけしっかり抱いて、静かにサンデーの背を撫ぜ、髪をすいてやる。互いの鼓動が同調していくのがわかって心地よかった。
以前元親に伽をしようとしたときのような、作ったような表情も妖艶な雰囲気も一切無い。寧ろ健気で可愛らしいと元親は思った。こどもが親に甘えてくるような。



―――やがて、
「・・・もういい」
言うと、立ち上がり、サンデーは部屋を出た。障子が閉まる寸前、
「・・・おやすみ、元親」
声が告げた。落ち着いた声音に、元親は安堵した。
「おう。おやすみ」
返答と同時に障子は閉まり、静かな足音は、夜の廊下へ消えていった。



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