(27)


アニキ、サンデーさんは大丈夫なんですかとサンデーの監視をしている部下数人に訊かれて、元親は小さなからくりを作っていた手を止めた。
「・・・大丈夫かって、なにがだ?」
問い返すと、困ったように顔を見合わせる。
・・・彼らが言うには、サンデーは最近、よく部屋の隅でぼんやりうずくまっていることが多いのだと。
「おまけに、一人でぶつぶつ言ってて。誰かとしゃべってるみたいに―――」
元親は、そりゃ気味悪いだろうな、と苦笑した。
自分もよく狐神と話しているとき、以前はそう言われたものだ。最近はうまくごまかせるようになっていたが。
(・・・さて、あいつは誰としゃべってんだろうなァ?)
あの夜現れた、サンデーと対になる毛利家当主なのか。それとも。



ある日、様子を見ようと手ずからサンデーに食事を運んだとき、元親は部下たちがまた遠巻きにそのことを話しているのに遭遇した。確かに、誰かと話すようなサンデーの声が途切れ途切れ、聞こえてくる。
元親は気づかないふりをして、開け放ってあった障子からひょいと顔を出した。
「おい、サンデー!食事持ってきてやったぜ―――」
けれど、野郎どもには見えないものが、元親には見えてしまった。
そこには狐の元就がいた。・・・どこか寂しそうな表情で、部屋の隅で膝抱いて蹲るサンデーと、向かい合って座って、まさに手を伸ばそうとしている。
「・・・!元就、お前、此処で何してやがんだッ」
またサンデーを殺そうとしているのではないかと元親は焦って大きな声を思わず出した、―――二人は驚いて振り返った。
―――ふいに狐の姿が揺らいだように見えて、元親は息をのんだ。二人の姿が二重に滲んでいる。
「・・・!?」
目を擦って再度見ると、振り返った狐はこれといって変わった様子もなく、いつもどおりに戻っていた。
「なんだ元親。・・・急に大声を出すな。何用ぞ」
「・・・い、いや・・・お前がサンデーにまたなんかしようとしてんのかと」
「・・・もうそんなことはせぬ。話をしていただけのこと」
元就は、ふいと顔を背けると、障子をすりぬけ外へ出ていった。サンデーは、少し困った表情で元親を見つめている。
「よう、・・・あいつと、話してたのかよ。いつの間に仲直りしたんだ?」
わざと明るく、元親は言って、食事の盛られた膳をサンデーの前に置いた。
サンデーは、丁寧に頭を下げ、食事に対して礼を述べた。けれど、狐とのことは、何も言わない。なぁおい、と促すと、これは我の問題だから、と曖昧に応えて、いただきますと小声で言うと箸を取ったので、元親はもう何も言えなくなってしまった。
・・・自分の知らないところで、何かが動き始めているようで、元親は最近どうにも不安で仕方ない。



それから何度か、夜が過ぎた。
元親はよく、宵の口に巨木の梢に立つ元就を見かけるようになっていた。
西の空を見つめて、ずっとそうして立っている。一度声をかけたが、月見をしているのだとそっけなく答えただけで、・・・その夜は、新月で月は出ていなかったというのに。
それからは訊いてはいけないような気がして、訊けないでいる。
「なんだよあいつら、・・・まるっきり、俺が仲間はずれみてぇじゃねぇかよ・・・」



秋が深まってきた日、元親は色づいた木の葉が舞い落ちるのを、ぼんやり縁側で眺めていた。
そういえば元就と出会ったのも秋だった、と思い出した。
無意識に左目に掌をあてて、彼を呼んでいたらしい。
「・・・何用か」
相変わらず、先日以来のそっけない態度で元就はふわりと目の前に現れた。元親は苦笑しながら、まぁ座れよと自分の隣を指し示した。元就は、黙って言われたとおりに座った。
「元就、これやるよ」
前々から用意していたものだったが、さりげなく、元親は手を差し出し元就の手に握らせた。元就は首を傾げた。手の中には小さなからくりがおさまっている。しばらくじっと見ていた元就は、やがて小さな声を上げた。
「象を模したか?これは」
「おう。よくわかったな。・・・木騎よりは、もうちょっと本物に似せられたと思うんだが」
言って、元親は元就の掌からそれを再び受け取ると、ネジを巻いて縁側に置いた。小さな木の象は、歯車の音をたてながら少しずつ元就のほうへ歩いたので、元就は眼を丸くした。
それから、袖で口元を隠しながら、ふふ、これは面白いと楽しそうに笑った。
「よしよし。久々に見たぜ、お前が笑うとこ。どうだ、気にいったか?」
元親が嬉しくなって言うと、元就ははっとしたようだった。
自分のところに来て動きをとめたからくりの象を、また手にとって元就はじっと見つめた。
「・・・そうだな。気に入った。まだまだ、本物とは微妙に違うが」
「そりゃな。俺は本物見たことねぇからよ。・・・ま、そのうちこの日の本の地図書いて、海図も書いて、船を出して明国の地図も書いて・・・いつか、天竺に行って本物を見てやるぜ。お前も一緒に行こうぜ。なぁ?」
ずいぶん前に言ったのと同じようなことを、元親は伝えた。半ば以上に本気なのだが、野郎どもにはいつもたしなめられる。
「・・・相変わらず身の程知らずの夢よな」
元就も呆れているのか、さらりと辛辣なことを言いながら笑っている。
「しかし、貴様らしい。いつか実現してしまいそうだ」
「勿論だぜ。俺はやると言ったらやる男だ。・・・な、お前も一緒に行ってくれるだろ?象見たことあるって言ってたし、天竺知ってんだろ?」
元就はそれを聞いて、からくりを見つめていた視線を、元親に向けた。
「無論。よう知っておる。・・・我の生まれた場所だからな」
元親はそれを聞いて息をのんだ。
初めて聞く話だった。今まで自分のことなどなにひとつ詳しく話さなかった元就である。何故今そんなことを話すのだろうと、話してくれてうれしいと思うより、元親は何か急激に不安になって元就の手を握った。
元親の表情に気づいて、狐は苦笑している。
「なんという顔をしているのだ。初陣前の若造ではあるまいに」
「・・・元就。お前、大丈夫なのか?どっか、具合でも悪いのか?」
元親は思わずそう尋ねていた。
元就は、小さく笑った。
それから、元親の手をひいて縁側を降りた。木の葉の舞い落ちるほうへ、二人で手をつないで歩き、高い木の梢を一緒に見上げた。



「・・・貴様と最初に会ったのも、秋であったな」



元親はそれを聞くと、我知らず元就の手を握るてのひらに力を籠めた。
なんでこんなに不安なんだ、と。不安というより、怖いような。
空から、あとからあとから、木の葉が舞い落ちる。手を握っているはずの、隣にいるはずの元就の姿が、木の葉に覆い隠されて見えなくなってしまいそうな錯覚に襲われ、元親は我慢できず元就を抱きしめた。
元親の不安を感じたのか、狐は柔らかく笑った。なにを甘えておるのだ、とからかうように問われて、うるせぇとぶっきらぼうに返したが、ほんとうに自分が子供に戻ってしまったようだと元親は思った。
「図体ばかり大きくなりおって。最初はほんの子供だったというのに」
「・・・うるせぇよ。お前、ちっと黙れよ」
「生意気にも、我に好きだなどとぬかしおったな。まだまだひよっこのくせに」
元就は静かに、元親の腕の中で笑っている。細い腕がいつの間にか元親の背に回されて、ぎゅっと、していた。
「・・・だが嬉しかった。礼を言う。・・・我も、好きだ」
その言葉に、元親は一瞬考え込んだ。
けれど、すぐに意味を理解すると、不安などいちどきに吹き飛んだように喜びが押し寄せた。
「お、おい、・・・それってどういう意味だ。・・・俺で、俺でも、いいのかよ。この俺で」
そう尋ねながら元就を見つめると、元就は少し目元を染めながら、頷いた。
「・・・ぃよォし!!!」
大喜びで片腕のこぶしを握り締める。
それから、元就の額に口づける。目元に、頬に、顎に―――最後に、ぱくりと小さな唇を食んだ。元就は、逆らわなかった。



長い幸せな口づけがようやく名残惜しいままに終わりをむかえた。
元親が、そわそわと自室を見たので、狐はなんとも可笑しそうに笑った。
「こんな昼下がりに、床入りしたいと?元気なことよ」
「い、いや、・・・そういうわけじゃ、」
元親は、言いあてられ赤面しながら、慌てて否定した。
「その、・・・嬉しくってよ。お前にゃ、わからないだろうぜ、何年分かの片思いが叶ったんだから」
元就は瞬きをして、頬を緩めた。
「・・・まこと、奇特な奴よ。貴様にとり憑いている我のような存在を。いつからそんなふうに思っていたのだ?」
「・・・さて?俺も覚えてねぇなあ。・・・けど、多分、ほとんど会った最初っからそうだったんだと思うぜ。もう色々だいぶ忘れちまってるが、こう・・・綺麗で身勝手で気まぐれで」
「・・・我を非難しておるのか」
「ちがうって!そういうお前が、いいってこった」
「―――貴様は、本当に物好きな男だ」
元就は楽しそうに微笑んだ。
それから、空を見上げて、静かに続けた。
「・・・此処にいる我は、人ではなかったが・・・貴様とはたしかに、幾年かをともに歩けたのだろうな」



元親は、じっと元就の横顔を見つめていたが、やがて遠慮がちに声をかけた。
「なぁ。・・・聞いてもいいかな?」
「・・・なんだ?」
ずっと、聞きたかったが聞けなかったことだ。生まれた土地を教えてくれた今なら、聞いてもいいような気がした。元親は、しばらく躊躇していたが、やがて切りだした。
「その、お前の・・・お前のほんとうの名前は、なんていうんだ?伊羅がお前につけた名は・・・あぁ、いや。言いたくなければ言わないでも」
それを聞いて元就は目を閉じる。
笑った。
「・・・なにを、今更。我は、そなたの“元就”であろうに。ほかの名などない」
それを聞いて、元親は眼を瞠った。
嬉しい。どうしようもなく、自分を認めてくれているのだと嬉しかった。
それなのに。
(・・・なんだ?この不安は・・・?)



落ち葉の舞うを見つめていた元就が、ふと指先を口元にあてて、考え込んだ。
「―――元親」
「ん?なんだ?」
「・・・縁側に。先ほどの象を、置いてきてしまった。取ってきてくれぬか」
元親はそれを聞くと、おういいぜと頷いた。
縁側へゆく広い背中を見つめて、元就はそっと手を胸の前で合わせた。両手の平の中、先ほど元親からもらった小さなからくりは大事そうに包まれている。



「・・・此処が、ここという場所でよかった。おかげで元親、そなたを殺さずにすんだ・・・」



元就の耳に声がこだまする。
遠い昔に聞いた声。



『・・・よかろう、吾を此処から追い出す者よ。ならば吾は吾が新たな地への貴様の出入りを禁ずる、この地にくろがねの橋かかるまで。もしこの禁破りこの地に足を踏み入れれば遠からぬ日やがて貴様は消滅するであろう』



「・・・言与主。貴様の執念深さには辟易する・・・いや、あの者が、覚醒したからか?」
元就は独り、言葉を紡ぐ。
「・・・甘んじて受けよう。我は貴様から大地と誇りを取り上げた。伊羅も、居場所も、人々からの信奉も愛情も、・・・今の我という人格も。多くのものを手に入れられた。もはや思い残すことは、―――」
手の中の小さなからくりを、元就は見詰めた。
「元親、そなたと、・・・旅を、してみたかったが」
肩が、震えた。
「そなたが、確かに好きだった。その姿ではなく、“魂”が。そなたが伊羅であろうがなかろうが関係ない。我は確かに“生きて”、此処に“い”た。対価を望まぬそなたの傍だったからこそ・・・」
一陣、小さく渦を巻いて落ち葉が舞い上がる。























「―――おい、元就!縁側にねぇぜ?お前、袂かどっかに入れてんじゃねぇのか?」
散々探して見つけられず、元親は訝しげな顔をして振り返った。
狐は、いなかった。
「―――元就?」
先ほどまで一緒にいた場所まで歩いて行くと、果たしてその地面に、小さな象はころんと転がっていた。
「なんだよ。此処にあるじゃねぇか・・・おい、元就?見つけたぜ!なぁおい―――」



元親の大事な狐神は、呼べども呼べども、二度と応えてくれなかった。



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