(28)


「・・・元就?」



元親は辺りを見回す。
返事は戻ってこない。
・・・首をかしげた。
「おい、元就。・・・元就?何処だ?かくれんぼか?・・・疲れて、俺の中に戻ったのか?」
やはり、返事は無かった。
元親の体に戻るときとは様子がどこか違っていた。
元親は無言で庭を回った。足をのばし、城中も歩いた。―――元就は見つからない。
元親の歩調は次第に早くなり、やがて走り出していた。
探せども探せども、見つからない。
やがて日が暮れても、元就は戻らない。
不安を拭いきれないまま、元親は屋敷に戻った。その夜はまんじりとも出来ないまま、元親は朝を迎えた。
布団の中でぼんやりと天井を見つめる元親の部屋の、襖が、かたんと鳴った。
「―――元就?帰ったのかよ?」
飛び起きて勢いよく襖を開けた。誰もいない。焦って、続く間の襖、障子、板戸と次々に開けていく。
「・・・風が吹いただけ、ってか?」
元親はようやく気付くと、うなだれてまた部屋に戻り座った。
(あいつ・・・俺が、伊羅じゃないと知ってるって、言ってたな・・・)
以前怖れたように、自分が伊羅でないことがわかったから元就は去っていったのだろうか。
そう考えると胸がしめつけられた。
(・・・いや、そんなはずはねぇ)
最後、なんと言った?彼は、伊羅ではなく、この元親を好きだと言ってくれた。ならば去っていくなんて・・・



ふいに思いついて、元親は鏡を取りだした。
自分の顔のぼやけた輪郭が映る鈍い鉛色を食い入るように見つめながら、眼帯を捲った。なめらかにうねる鏡面に醜い痣が映し出される。
元親は、ほっとして、瞬きをした。
・・・そこで、違和感に気づいた。
「――――?」
右目を閉じても、盲いたはずの左目が、ぼんやりとではあるが光をとらえたのだった。何度も瞬きを繰り返して、そんな馬鹿なと元親は鏡をつかむ。
見える。
それが何を意味するのか―――



「おい・・・冗談、だろ?俺の目、返したってことは元就、まさか、ほんとに、・・・消えちまった、のか!?」



元親は外へ転がるように走りだす。昨日元就と喋っていた場所へ。
「元就!元就!?隠れてるだけなんだろ?」
「なんで・・・なんで、返事しねぇんだ?元就?」
「ふざけてんじゃねぇぞ・・・俺にとりついて、伊羅を起こすんだろ?出て来い、元就。元就、元就、もとなり!もとなり!!?何処へ行った・・・!!?」
「何処へ行った?俺を置いてどこへ・・・戻って・・・戻って来い!元就!元就!!」
(目なんか、もう、いらないから)
(いらないのに。それよりもずっと)
応える声はもはや無く、元親は呆然と、舞い上がる木の葉と高い空を見上げるしかできない。















人の気配に、自室ん縁側にぼんやりと座り込んでいた元親は、ふと顔を上げた。
ゆっくりと振り返ると、サンデーがいる。
「・・・誰も此処へ近寄るなって、言っといたはずなんだが」
「・・・す・・・すまぬ・・・」
「・・・もう遅いからよ。早く寝ろよ、“サンデー”」
元親は、力なく笑って、目を逸らした。俯くと、知らず奥歯を強く噛みしめてしまう。
この男は、“彼”と同じ顔なのに、別人なのだ。やりきれなかった。
もしかしたら、この男が現れたことで元就は消えたのかもしれない。そんなふうに考えてしまう身勝手な自分にも我慢ならず、けれどどうしても元親には納得がいかないのだった。なにもわからない、何も教えず、狐神は唐突にいなくなってしまった。他人の名前で呼ばれ続けて、最後にようやく“元親”を認めて、あっさりと消えた彼をずるいと思う。
同じ姿を自分の傍に残したから、いいとでも思ったのだろうか。そんなふうに思われるほど、自分はあの生き物に冷たくあたってきただろうか。正直になにもかも告げてきたのに―――
(・・・いや?ほんとうに?俺は、・・・あいつの本当の名前すら、最初っから聞きもしないで、勝手な呼び名つけて。興味ないって思われてたって、しょうがなかったんじゃないか・・・)
・・・サンデーはじっと懊悩する元親を見つめたまま、立ち去らない。
やがて、かすれた声がした。
「・・・命令、で、なければ」



元親は、ふと、顔を上げた。
・・・サンデーが、背後から元親を抱きしめる。
元親は驚いて、全身を硬直させた。
「・・・ッ、おい!そんなことすんなって、・・・したくもねぇこと、すんなって、前言っただろうが!!いいかげんに―――」
「違う!あのときとは違う!」
サンデーは訴えた。



「こ、・・・これは、我の“意思”だ、・・・我が、こうしたいと思っているのだ。だから、命令をきくのではない。我が、貴様に。前、我にしてくれたように。してやりたいと」



元親はしばらくそう言うサンデーの顔を見つめていたが、やがて長い吐息をついた。
それから、俯いて、自分の眼帯に手を添えた。戻らないはずのものが戻って、消えるはずがないと思っていたものが消えてしまったことを憂えた。どこにこの気持ちをぶつければよいのだろう。ぶつけることは、傲慢ではないのだろうか。
それでも。
「なぁ、サンデー。・・・俺、あんたに、甘えてもいいか」
そんなふうに、気付けば問うていた。
頷く気配が背中でして、元親はわずかに体をひねり、腕を伸ばすと、華奢な体を正面に抱き寄せる。
強く抱きしめながら、ごめんな、と呟いた。
誰に謝っているのかは、元親自身にもわからない。


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