(31)


憐れむような視線と、時折聞こえるすすり泣く声に、伊羅は優しく応えている。
「俺の左目ひとつで神が怒り鎮めてくれたんなら、安いもんだ。両目を奪われたわけじゃねぇんだ、本当は“あちら”の言ってることのほうが理屈が通ってるわけだし・・・」
そう言う伊羅の頭半分には、おびただしい包帯が巻かれていた。左目が、えぐり取られたようになくなっていたのだと言う。
他の者たちには、伊羅(と、元親)が聞いた声は聞こえていないのだろう。ただ、なにか得体のしれない力が作用したらしいことは分かるらしく、皆本当にこれでよかったのかと心配しているのだった。つまりは、元いた土着神を放逐し、新しい神を受け入れる選択が正しかったのか―――伊羅はそのことも承知のうえで、つとめて穏やかに言葉を選んで語っているらしかった。心配することはない、皆に祟りは起きないと。
けれど元親は、勝手に喋る“体”の言葉に呆れずにいられない。
元親には確かに聴こえた。伊羅の子孫への呪いの言葉。



「伊羅、すまぬ。我の力が足りないばかりに、そなたにつらい思いをさせた」
皆が帰った後、狐神の声が響いた。語る相手は当然伊羅であり、元親はこの場に存在しないもの・・・
「そもそも我が此処に来なければ、そなたも、言与主も、誰も傷つかずにすんでいたはずの・・・」
「おい、そこまでにしとけよ。それ以上言うんじゃねぇ。そもそもお前を受け入れると決めたのは神祇の俺だ」
姿を現した狐神に、伊羅は優しく笑いかける。
「気にすんな。元々、色違いの眼なんざ気味悪いって、ちっせぇ頃からからかわれてきてたんだし」
元親は、自分の幼少のころを思い出して、少し俯いた。伊羅も自分と同じように、白い髪と紅い眼を?
「・・・そなたこそ、そんなふうに言うな」
狐神は、伊羅(元親)の頭を静かに抱きしめた。
「寿がれた眼だ。その眼のおかげで我は貴様に見つけてもらえた。棲処も得た。・・・人の喜ぶ顔も知った。いらぬもののように言わないでくれ」
「―――そんなことより」
伊羅は、ふいにいっぱいの笑顔を浮かべると、狐神の体を両腕で抱きすくめた。狐神は驚いている。
「なっ。なにを?」
「なにを?じゃねぇだろ!いつもみたいに抱っこしてやってんじゃねぇか」
「な・・・っ。抱っこなぞ。もはや必要あるまい、今の我に」
「なんだよ、抱っこいらねぇってか?ったく、あーんなちっこいガキの姿だったってのに、いつの間にこんな育ったんだ?ん?」
「べ、べつに理由なぞ・・・なるべくしてこうなったまでのこと。そもそもの我の姿はこちらだ。あれは力を失っていた我の力の具現した姿だから」
「なるほど。てこたぁ、お前、だいぶ調子いいんだな?よかったよかった!」
伊羅は豪快に笑った。笑いをおさめると、少しさびしそうな顔をして、片手を伸ばして狐神の髪を撫ぜた。
「そうか。もう俺はお前を抱きあげる必要は、ないか・・・」
それを聞くと、狐神はものすごい勢いで顔を横に何度も振った。
「ひ、必要ないとは言っておらぬ!いや、言ったが、してほしくないという意味ではなく、もはや貴様には抱けぬ大きさだと言ったまでの―――」
「なんだよ。じゃあ、ほんとは、まだしてほしいんじゃねぇか」
「い、いや、その・・・」
恥ずかしいのか、目元を染めている狐神におかまいなしに、伊羅は自分の胡坐の上に抱きあげて抱きしめる。いつも自分が元就にやっていたのと一緒だと、元親は気づいた。
伊羅が、呟く。
「・・・お前が幸せだと感じていられるなら、俺はそれでいい。俺がどんな呪い受けようとも、罰を受けようとも。光をひとつ失っても。お前に対しての呪いも気になるが、お前が言与主の新しい棲処・・・二名島へ行かなければいいだけの話だ。わかったな?」
「・・・でも。“あれ”は、そなたの子孫にも呪いをかけた」
「お前が否定してくれたじゃねぇか?」
「効力を薄めただけだ。いつ効き目が顕れるか、我にもわからぬ。呪いの解けるが先か、そなたの子孫が途絶えるが先か・・・すまぬ、伊羅」
消え入りそうな謝罪の言葉に、伊羅はそれでも、笑顔を消さない。
「大丈夫だ。俺の子孫だったら、きっとどうにかするだろうぜ。俺はこう見えてけっこうしぶといんだ。本当なら神祇なんざやめてどっか遠い国に行きたかったんだが、やってみりゃこれはこれでなかなか面白いし」
「・・・すまぬ」
「だから、なんでお前が謝るんだ?神祇やめてなかったおかげで・・・いや、違うな。神祇のくせに神の姿が視えないのか、役立たずって、一族に言われてくさってたんだ、俺は、ずっと。ほんとに神がいるかどうかもすっかり疑ってた」
伊羅は懐かしそうに話す。元親は息をのんで聞きいっていた。いつか夢で視た気がする話・・・
「だから、神がいるなら祟りやがれと糯(あも)を射たんだぜ。そしたらお前に当たって。血溜りから金の稲穂が生えて。吃驚したなぁ!けど、本物の神が俺んとこにやってきた、って、ぞくぞくしたもんだ」
「・・・そうであったのか?」
狐神は、呆れたように笑っている。伊羅も、へへ、と白い髪をかき混ぜながら笑った。
「おう。だから俺は、元々罰あたりだ。なのにこんな綺麗な神さんが俺のところに来て、俺の一族に実りを呉れた。何を恨む必要がある?」
「・・・しかし。そなたの子孫には、なんの咎もないと言うのに」
「いいか、よっく聞け」
どこか謳うような言葉の響き。
「たとえ定められた未来がひとつだとしても・・・選んだ道が間違っていたとしても。途中で弛まず考え望めば結末は何かが違ってくるかもしれねぇだろ?ただそれを信じて最善を尽くせばいいんだ。・・・誰だって、それしか出来ねぇよ。呪いがあってもなくっても。・・・そうすれば、いつかきっと、何かは変わるんじゃねぇか、望む方角へ。俺はそう信じてる。俺の子孫を信じる」



(・・・何処かで聞いた言葉だな)
元親は、伊羅としてものごとを見聞きしながら、ぼんやりと思った。
サンデーに、自分が言った言葉だと気付いて、驚いた。
同じ姿の、同じ言葉を紡ぐ、自分と似たこの人物は、いったい誰なのだろう?ほんとうに、己自身なのだろうか―――



元親が物思いに耽る間に、少しだけ狐神は伊羅に寄り添っていた身を離した。
指先が、痛々しく巻かれた包帯を優しく伝う。
「・・・そなたは、どうしようもないおひとよしだな、伊羅。はぐれ者の我なぞを引き受けて、自分が傷ついても文句ひとつ言わず」
「俺がそうしたいと思ってやってるんだ。お前が気に病むこともないし、俺は誰かに詫びる必要もない。自分を誇れる」
「・・・そうか」
狐神は、優しく伊羅の、もう無い左目に口づけた。
「もしも、どこか違う世で会うことがあれば。・・・我がこの光取り戻してやろう。元通りの、綺麗な蒼い・・・我の生まれた、あの大河のような色のままに」





(――――蒼?)



元親は愕然とした。
元親の元の眼は、紅色だった。血の透けたような・・・事実そうだと医師にも言われていた。
蒼だとすれば。
(・・・“伊羅”は、・・・“俺”自身じゃない・・・!?)





「―――誰だ。貴様?」
急激に温度の下がった声で、狐神が伊羅の―――元親の眼を覗きこむ。
元親は、はっとした。
「先日より。伊羅の中に棲む者よ。誰だ。我の力求めに来たか?」
「お、・・・俺は」
元親は、思わず応えた。応えた声がそのまま“伊羅”の口から出た。
狐神は、ゆっくりと立ち上がると、口元を引き上げ冷たい笑みを浮かべた。
「やはり。・・・何者だ。我をの力を求めるか。・・・ならば相応の対価を支払ってもらわねばな」
「え・・・?」
元親は、茫然と元就そっくりの狐神を見つめる。
いつだったか。同じようなことがあった。あれは、半兵衛の命を救えないかと元親が頼んだときだった。
“対価”を支払えと・・・豹変した元就は元親に言った。元就の言った“対価”の内容も覚えている・・・



「簡単なことよ。貴様の心の臓を呉れればそれでよい。貴様が死んだ後―――」



そこまで言って、狐神は表情を変えた。
どこかさびしそうに、けれどふっきれたように笑う。
「・・・なぞと、言うと思うか?我はもはやかつての我ではない。豊穣神として蘇ったのだ。荼枳尼としての我を望んでも無駄なことよ。早々に立ち去れ」
元親はどこか安堵しつつ、けれど、この狐神が自分の「元就」なのだと気付いた。そうなると、どうしても自分を―――“元親”を認めて欲しくて、叫んでいた。
「違う。俺はそんなんじゃ―――なぁ、あんた。俺の話を」
「まだわからぬか。・・・伊羅の体より立ち去れ!!!」




狐神の手にいつの間にか握られていた采幣が振り翳され。
―――、ごうと風が吹いた。
元親はきつく眸を閉じた。



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