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「―――元親」
呼びかけられて、元親は重い瞼を開いた。
鼻先を髪の毛がふわりとくすぐった。少し視線を動かすと、“元就”の顔がすぐそこにあってじっと見つめてくる。身動ぎしてみる、床の中で二人抱き合っているのだとわかった。二人とも着衣はほぼ肌蹴たままで、自分たちが何をした結果こうしているのか元親は思い出した。元親の脚に絡みついてくる脚の肌は、すこしばかりひやりと冷たく。
元親は、自分が現実に戻ってきたのだと知った。
「・・・あぁ、・・・“サンデー”?」
過たず相手に呼びかけると、夢の中と同じ顔した相手は、驚いたらしい、それでもほんの少し嬉しそうに瞬きをした。泣いているのか、と問われて、元親は、へへ、と照れ臭そうに笑うとごしごしと手の甲で顔を擦った。
「たっくさん、夢、見ちまってよぅ」
「・・・狐の?」
遠慮がちにサンデーは問う。元親は応えず、ただあらためて逞しい腕で傍にいる人物を抱き寄せた。頬ずりしてやるといやいやをするように顔を左右に振る、その様子が可愛いなと思う。同じ顔の他人だが、似ている部分もあり、違う部分もあり、重なる部分もある・・・
(外見じゃねぇんだろうな、・・・多分。人が人に惹かれるのは・・・)
元親、痛い、と抱きしめる相手から抗議が漏れて、元親は苦笑しつつ腕を緩めた。見上げて睨んでくるのが愛おしくて、再びあちらこちらへと羽の当たるような口づけをすると、困った奴よと小さな声が漏れた。
互いを食むような軽い口づけをかわしていると、ふとサンデーの動きが止まった。手を伸ばして元親の眼帯に触れる。元親も動きを止めた。
「・・・ずっと気になっておった。訊いてもよいだろうか」
「ん?何?」
「・・・この眼帯・・・は、」
「―――ああ」
元親は少し驚きながらも笑って、見たけりゃ見ていいぜと革の眼帯を捲った。サンデーは躊躇しながらも、じっと其処を見つめる。赤黒い痣の浮いた皮膚はそのままのはずだったが、彼の唇が開いたとき響いた言葉はそれについてではなかった。
「―――こちらの目は見えぬのか」
「・・・前はな。今は、ちっとなら見えるぜ」
「そうか」
元親は自嘲気味に言う。
「血が透けてて、紅くて気味悪ぃだろ」
「あか?」
サンデーは不思議そうな顔をした。
「綺麗な蒼色だ。日輪の昇る空のような。別段おかしくもない、・・・と、思う」
「―――」



元親の唇が歪む。



“もしも、どこか違う世で会うことがあれば。・・・我がこの光取り戻してやろう。元通りの、綺麗な蒼い・・・我の生まれた、あの大河のような色のままに“



「・・・あの野郎。そんな約束だけ、きっちり守ってやがるってか・・・ひとりで違うとこ行っちまったくせに」
元親は再び目を閉じた。掌で瞼を押さえたが、後からあとから涙が出た。傍らのサンデーがひどくうろたえてどうしたと縋りついてくるので抱きしめた。
嬉しいけれど哀しかった。
他人同士だけれどほんのすこし重なった時間が嬉しく、重なった気持ちも嬉しく、一方で手の中に残らなかったことが哀しく悔やまれる。自分にはあれ以上何もできなかったのだろうと元親は理解しているし、完全に満足の得られる結果なぞ存在しないのだとわかっていても、やはり、・・・悔しかった。
これからもたくさんの満足と後悔を織り交ぜて、喜んで哀しんで納得して後悔して、生きていくのだろう。それでも次は、今よりはもう少しだけよい選択を探すことができるようにと元親は願った。
元親の様子をじっと見つめていたサンデーが、やがてぽつりとつぶやいた。
「・・・あの狐めは幸せだな。そなたにこのように思ってもらえて」
「・・・馬鹿言うな。あんたのことも込みで俺は泣いてんだぜ、サンデー」
聴こえてきた言葉に、サンデーが今度は驚いて、元親の胸に埋めていた顔を上げる。
元親は、泣き笑いの顔をした。
「あんたのために、って言いながら、あんたに甘えちまった。あんた自身を認めるってさんざんに言っておきながら、身代わりにした。・・・すまなかったな、サンデー。けど、俺は、おかげで救われた気がする。・・・ありがとうよ」



サンデーは起き上がったまま、ひたすらに元親を見つめていたが、やがてゆっくりと俯いた。感謝されるのは不思議な気持ちだが悪くはない、とぽつりと呟きが聞こえて、元親は、そうか、と少し笑って頷いた。
「・・・我も、・・・そなたに感謝している。己が何故居るのか、考えるきっかけを呉れた」
そう言って、丁寧に頭を下げた。よせやい、と元親は慌てて言うと、またその体を引き寄せた。サンデーの体はぽすんと元親の逞しい胸に抱き取られる。元親はサンデーの額に口づけた。
そうして、また、哀しくなった。
ずっとこうやっていられないことを、今の元親は知っている。
サンデーという人格が、今後どうなるのか、誰にもわからない。彼は、まさに半分に千切れた狐神と同じだった。もとのひとつに戻ったときどうなるのか誰も知らない。もしかしたらすべて忘れてしまうのかもしれず―――でも、彼がどうしたいのか、どうするのかは元親には止める権利は無いのだった。狐神は元のひとつに戻ったのだろう。彼の願いの結晶かもしれないサンデーの体も、同じ道を辿るのだとしたら。
「・・・なぁ」
「なんだ」
「もっかい、抱いていいか。・・・今度は、“元就”じゃなくて、サンデー、あんたを」
サンデーは目を瞠った。
やがて、目元を染める。
「そなたの・・・思うとおりにすればよい」
「俺ぁ、あんたの気持を訊いてる」
「・・・構わぬ」
「構わないってのぁ、あきらめか。それとも、もっとこう―――積極的にか?」
少しばかり茶化すように言うと、元親はサンデーの耳朶をぺろりと嘗めた。サンデーは首を竦めると、きゅっと眉根を寄せ、元親を睨んだ。
「くどい!構わぬというは、・・・我がそうしたいということぞ」
それを聴くと、そっか、と元親は言って、安堵したように笑顔になった。耳朶を食み、息を吹きかけるとサンデーの体はそれだけで跳ね、ふぅと可愛い吐息が漏れた。もっと聴きたくて元親はサンデーの体のあちこちに、さっきよりもっときつく吸いついて痕を残していく。
(・・・ずっとこうしていられたらいいのに)
それが叶わないことも、知っている。






どれくらい時間が経ったか定かではない。
うとうととまどろむ元親を置いて、サンデーがそっと布団を抜け出す。元親は、なにげなく声をかけた。
「何処行くんだ」
サンデーは、肌蹴た着物の前をかきあわせながら、そっと元親を振り返った。
「・・・身を清めてくる」
「・・・そうか」
元親は、瞼を閉じた。
そっと障子が開けられ、閉まる。静かな足音が廊下をきしませ、徐々に遠ざかる。
―――また、元親の瞼を涙がぬらした。



サンデーは、元親のもとへ、二度と戻ってこなかった。






















数日後、元親のもとに忍びが知らせてきた。
毛利のあるじが見つかったらしいという。
予測していたが、元親は黙って唇をかみ、頷くしかできなかった。



サンデーは国へ戻ったのだった。
元親は命令しなかった。つまり彼は、自分の意思で戻ったことになる。
生まれて、在るべき場所に、ひとつになって戻ったのだった。
黙ったままの元親を訝しみ、側近が、殿、と声をかけた。元親はふと我に返ると苦笑した。
「あぁ、・・・中国を手に入れそこねちまったなぁ、ってよ」
誤魔化して、元親は寂しそうに笑った。



「・・・あぁ・・・あいつら、いなくなっちまったんだな・・・」



みんな、行ってしまった。



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