(37)


破竹の勢いで進む毛利軍の噂は巷にも広がっていた。当然元親の使う忍びたちから詳細に報告は為されていた。
元親は、苦い思いでその報告を聞いていた、そのたびに何かに圧し潰されそうになった。
予測していたとおり毛利は着々と各地を転戦する。毛利と中国の安寧のため、という大義名分をかざして。しかしそれは各地の戦力を削ぐこと、ひいては兵士たちを「戦えなくする」「壊す」ことに違いなかった。天下を平定するならまだしも、それは微塵も毛利の中に、ない。
毛利元就に迷いはない、ようだった。少なくとも元親にはそう見えた。敵兵だけでなく自軍の兵士も駒と呼び、それどころか己すら盤上の駒と呼び。
己を滅却してまで、どうしてそれほどに、毛利は、毛利という家にこだわるのだろうと元親は考える。
いつだったか、一瞬だけ、今の「毛利元就」であろう人物と対峙したことがあった。・・・あのとき彼が口走った言葉を今も元親は、覚えている。



“利用価値がないと見るや捨てるか。貴様も同じよ、彼奴らと”
“対等だと?うわべだけの虫のいい言葉よな”
“己で考えろだと?己一人で背負えと?・・・童の頃より、誰もおらなんだ者はどうすればよい?”
“肉親を失い、頼る者もおらず。・・・家臣にすら裏切られ、一度は物乞い同然まで落ちぶれ、けれど必要となれば担ぎあげられ、望まぬ地位を押しつけられて。・・・そういう者は、・・・一度たりとも誰かを頼ってはならぬと申すか?己の力のみでなんとかせよと?”
“ならば、くだらぬ感情に押し流されていてはどうにもなるまい?毛利を守れと言うならば守ってみせようぞ。どんな犠牲を払っても、・・・すべては運命という名の盤上の駒・・・くくっ、そうとも、”
“・・・所詮は我も、駒のひとつ・・・”



(俺は、・・・手を離すべきじゃなかったってのか?“サンデー”の、・・・いや、“毛利元就”の)
元親は重いため息をつく。
そうやって個人的なこころを悩ませながら、同時に、国主として着々と、中国の一部に兵士を送り込んでいる自分がたまらなく嫌だった。
けれど、備えなければならない。
“うわべだけの―――”
毛利の言葉が、また心に刺さる。






・・・だから、その報せは、突然だったわけではない。
毛利軍は本州のあらかたの地域を蹂躙した後、予測以上の神速で瀬戸内に―――四国目指して急旋回してきたのだった。各地の軍を吸収し、その数は中国を出立した当初の何倍にも膨れ上がっていた。
元親は、報せを城の広間で聞いた。家臣たちは皆一様に、毛利は不可侵条約を破った、我らに攻め込もうとしているならば報復を!と叫ぶ。
元親が何をせずとも出陣は決まっていることだった。元親は当初の手筈どおり、部下全員にこれまでに行ってきた工作を知らせた。すなわち、先手をうって瀬戸海に進軍し、厳島を乗っ取る。毛利家の崇拝するいわば聖地である。毛利元就は、躍起になって取り戻しにかかるだろう。
「厳島には重機をありったけ配備しろ。毛利軍が戻ってきたところをたたく。奴らが腰抜かしたところで一気に挟撃する。すでに兵たちを、石見からまっすぐ進軍させ、伏せてある」
部下たちは気勢をあげて喜び、毛利何するものぞと勇み立った。
軍議は、元親がいなくとも問題なく進んでゆく。せいぜい先鋒を誰が務めるか、くらいの問題である。
元親はやがて、少し疲れたからと言い訳をして、席を外すと自室へ戻った。
ぼんやりと小机の前に正座すると、卓上に置かれた鏡を見つめる。眼帯をつけた自分は、ぼんやりとしかうつらない明度の低い鏡面の中で、憔悴しきって見えた。
やがて眼帯を外して鏡を覘く。見える、・・・しかし、顔の痣は薄れていないのだった。赤黒く文様のように描かれたそれは、伊羅への土着神からの呪いの具現か。それとも、―――
「・・・なぁ、“元就”。お前、まだ、実は消えてねぇんじゃねぇのか・・・」
ずっと昔、とある祓い師が、憑きものが消えればこの痣も消えると言っていた。もしもその言葉が本当ならば、あるいは―――?
「それとも、・・・やっぱ、あの男は、お前なのか。お前自身じゃなくったって、お前の願いが凝り固まったものなのか。だとしたら、・・・俺は、どうしたらいい?」
見えない相手に問い掛けながら、元親は知っている。
応えは、かえってこないこと。答えられるのは、自分だけしかいないこと。
四国は守らねばならない。よくわかっている。
でも、元親は、あの男を消したくないのだった。自分の知っている者と別人でも同一人物でも、もはやどうでもよかった。元親は、あの男を、・・・毛利元就を。
(俺は、あいつを。もっと、知りたい。)






毛利元就との再会は、互いの船の上だった。
接近した船同士の船縁に立つ互いの国主は、睨みあい、火花を散らす。
すでに元親の予測していないことが起こっていた。元親の軍の一部が、毛利の兵士に誘い込まれ大打撃を受けていたのである。戦場に選んだ厳島は狭く、また浅瀬多く、船は思うとおりに動けなかった。元親がこの戦場を選ぶことすら、毛利は読んでいたかのようだった。
報告から、毛利が自軍の兵士そのものを囮に使った事を知り、元親の怒りは周りの兵士たちも震えあがるほどだった。どう考えても、状況を整理すれば、その役目を担った者は死ぬしかなかったから。
「お前、・・・自分の部下を、囮にしたのかよ!?」
船の側面がぶつからんばかりの位置で、静かな波に揺られながら元親は叫ぶように言った。毛利は、口元に笑みを浮かべた。いつか見た禍々しい神の顔に、それは似ていて元親はぞっとした。
唇が動く・・・
“個を捨て策の礎となる。見事なものではないか?”
元親はその唇を読んで、激昂した。
「部下を見捨てたのか!?・・・俺には理解できねぇ・・・」
今度は毛利は、凛とした声を高らかに。元親を嘲笑う。
「敵に情けをかけるとは、甘い海賊もいたものよ!もはや貴様らに逃げ道はない、降伏せねば貴様の部下はすべて死ぬ」
爆発が起こる。重機のいくつかが破壊されていた。
“貴様の命は、美味であろうな”
幻の声が聴こえる・・・
元親は口元をゆがめて、苦しい胸のうちを隠すように、ことさらに相手を凝視する。
「るせぇ!俺らは鬼だ。鬼はよそもんの支配は受けねぇよ。ましてや、仲間の命すら喰らうようなあんたの支配はまっぴらごめんだぜ。あんたらこそ出ていきな!」
そして、叫ぶ。
「こいつらはこの俺が死なせやしねぇ!・・・いいか、野郎共!俺は誰も見捨てやしねぇ!俺を信じろ!ついて来い!!」
「信じる、だと・・・?長會我部元親・・・愚かな・・・!」
毛利は、哄笑しながら、元親を見た。
「・・・もはや話すことはないな。貴様はこの状況が見えぬか?」
冷静な声だった。
「せいぜい愚かしく足掻くがいい。我は貴様の大地を侵略に来た者。迎え撃たねば、貴様たちは死ぬ。貴様のような甘い考えの者に、守れるかどうかは甚だ疑問だな、長會我部?豊臣のときのように、助けは来ぬというに―――」



「豊臣?助け?・・・」



元親は、愕然と、毛利を凝視した。
言葉を発した毛利自身が、理解できなかったらしい。眉を顰めると視線を逸らす。
「・・・何故・・・何故知ってるんだ、あんた?そんなことを。もうずっと前の話だ、・・・“あいつ”が俺を助けたことなんか、誰も知るはずがねぇんだ、なのになんで、」
(まさか。まさか―――)



「・・・もとな、り?・・・お前、なのか?」



毛利は、苛々した様子で頭を左右に振る。
「知らぬ」
顔をそむける毛利。
元親はなおも叫んだ。船縁に足をかけ、身を乗り出す。アニキあぶねぇと部下たちが慌てて体を支える。
「元就なのか?俺と一緒にいた、お前なのか?なぁ、・・・消えたんじゃなかったのか?返事してくれ、俺は、お前が」
「・・・知らぬ!」
「もとなりだろ!?全部じゃなくたって、お前、そこにいるんだろ?なんでお前、消えてねぇならなんで、俺のとこに戻ってこねぇんだ?なんで、俺と、闘うようなまね、してやがんだ!!」
けれど、望む答えは、やはり来なかった。
「貴様は阿呆か?・・・我は他の誰でもない」
「―――」
「ゆけ、我が兵士たちよ」
怜悧な声が下知をくだす。一瞬元親の目にうつったかと思われた狐神の白金の光は、もうどこにもない。
一斉に射掛けられる、襲い掛かる矢の雨に、元親の乗る船はやむなく退却するしかなかった。






こうなることはわかっていた。
殺し合わなければならなかった。
圧倒的不利ながら、元親の、毛利殲滅の手筈はまだ生きている。伏兵には、さすがに毛利は気づいていないらしい。気づいていれば真っ先につぶされていただろう。
奇襲をかけ挟撃しようと思えばできる。ありったけの火力を注ぎ込めば、「毛利元就」を、毛利軍もろとも焼き払い殺してしまうことは、元親には可能だった。一言下知すればいい。毛利の水軍などすべて焼き払い海の藻屑とできるだろう。
それが四国の頭領としての元親の選ぶ道のはずだった、―――けれど。



(・・・俺は)
(俺は、どうしたい?どうすりゃいい?なにが、・・・なにが俺の欲しいものなんだ?天下か?四国の安寧か?それとも、―――それとも)



元親が迷ううちにも、次々と関門を突破され、部下が倒れていく。
元親は見えるはずのない、毛利のいるであろう場所を睨む。部下たちのために彼を止めなければならない。・・・そして元就自身のためにも。惨殺を表情ひとつ変えず行う彼が、どうしようもなく哀れだった。
けれど、殺したくない・・・



(・・・伊羅なら、どうする?)
彼は、一度も迷わなかったのだろうか。
言与主に片目をもがれ、一族への呪いも受けた。なおかつ、もうひとりの狐神に命も奪われた。
ほうっておけばよかったのに。“元就”も言っていた。捨て置けばよいと。己を犠牲にすることなどないと。自分と、一族のことだけ考えていればよかったのに・・・
(・・・状況は、同じってぇか、似てるわけだ・・・けど)
(今、この状況に向かい合ってるのは伊羅じゃねぇ。俺だ。・・・俺は、どうする?)
元親は、やがて俯いていた視線を上げた。



「――俺が行く」
(俺は、行かなくちゃならねぇ)



親衛隊の者たちが驚いて振り返る。
「アニキ!?一体なにを―――」
「いいか野郎ども。雑魚は蹴散らせ。毛利だけを、負けを装って誘い込むんだ。奴は慎重だ、簡単にはのってこないだろうが、・・・その隙に、すべての重機を起動させろ。そして、奥の、滅騎のある広場まで。あの場所までなんとか奴ひとりをおびきだせ」
「アニキ、まさか奴と・・・一騎打ちを?」
うろたえ慄く部下たちに、元親はにやりと笑ってみせた。
「おうよ。無理やりにでも受けさせてやるぜ。・・・いいか、これは俺と奴の戦いだ。邪魔は許さねぇ。」
元親の声は、毛利の兵士たちの鬨の声に消えることなく、その場に響き渡る。部下たちは固唾をのんで聞いている。
「・・・いいか野郎共、絶対に無理すんな。危ないと思ったら逃げろ。死ぬんじゃねぇぜ?」
「でも、アニキが―――」
泣きそうな部下の声に、元親は豪快に笑ってみせた。
「大丈夫だ、俺は死なねぇ。俺を信じろ。必ず俺は、あいつを説き伏せてみせるからよ!」
「説き伏せる・・・アニキは毛利をつぶす気はないんですかい?何故?あんな、人を人とも思わない奴に」
元親は、寂しそうに遠くを見た。
「・・・さぁ、なんでだろうなぁ。ただ俺は、・・・俺は、あいつに、あんな顔をずっとさせてるのは我慢ならねぇんだ。どうしたって言ってやりてぇことがある。・・・あいつが嫌だって言ったって、とっつかまえて言い聞かせてやるぜ、俺の声をな」
それから、ゆっくりと皆に頭を下げた。部下たちは慌て、驚き、口々に頭を上げてくださいと言うが、元親はそうしなかった。
「ほんとなら、俺は、・・・あいつ殺してお前らを守らなきゃならねぇのに。俺のわがままを許してくれよ。・・・だから、だれも死なないでくれ、たのむ。このとおりだ。」



(・・・待ってろよ、毛利元就。あんたが誰であろうと、・・・あいつであろうとなかろうと。俺は、あんたと、話に行く。そうしなきゃならない)


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