名も姿も変わったとしても、本質は変わらないはずだった。
・・・けれど、途中でその本質すら変わってしまっていたとしたら?
変わる?・・・いや、「新しい」本質が定着していたとしたら。
変化は平等に誰にも訪れる。
よくも悪くも。照るも一日、湿るも一日。

でも、我が望んだわけではない。
だから、そんな未来は要らない。
誰が決めたのか。
あと六回月が満ちた、その先のことを。
それを我が見ることを。

知りたくなんか、なかった。












(6)


弥三郎の眼帯は数日のうちに出来上がった。
鞍作りの名人に父が作らせたというそれは、革を丁寧になめして弥三郎の顔形に沿うよう工夫されており、最初につけたときの違和感はじきにあまり感じなくなった。
どうにも不可思議な気分ではあったが、生来、鷹揚にものごとを捉える性質の弥三郎は、いつかなんとかなるだろうと思うようにして京での残りの日々を過ごした。
退屈凌ぎに伏見の社の謂れについてなど、昔の書物を色々調べてみた。
元就の言う秦氏の伊羅という人物は、おそらくこの者であろうとはめぼしはついたものの、結局よく分からなかった。それも詮無いことではある、なにせ都がこの土地にうつるか移らないかという遠い昔の話だ。
まして、長曾我部の者として生きる弥三郎と何百年も前の人物に、関係のあろうはずもない。



ようやく土佐に帰れる日が近づいて、弥三郎は―――否、このとき既に元親、は―――上機嫌だった。
帰る直前、弥三郎は正式に「秦元親」通り名を「長曾我部元親」と相成った。
和尚の命名を父の国親も喜んで受け入れ、弥三郎はどうせ屋敷の外には出られないのだからと、京に滞在している間に元服の式を済ませて欲しいと父にねだったのである。
帰りの船旅も、行きと同じく楽しいものだった。
弥三郎改め元親は、ものづくりが好きである。往路もそうだったのだが、機械と火薬と油の匂いにまみれてご機嫌だった。
元就は火薬の匂いが嫌いなのか、時折呼び出してもいないのに勝手に出てきては、眉を顰めて抗議した。
「愚劣なり。このようなものをつくってなんとするか」
元親は上機嫌なので答えてやる。
お前はずっと寝てて知らないだろうが、今はどこも戦続きの世の中なんだ。俺も、本当は気が乗らないが、いつかは初陣を飾らないといけない。俺は槍も今までろくにもったことないし、まして今は片目だから、勝てる算段はなんだって考えておかなくちゃ―――
そういう元親を少し哀しそうな目で、首をかしげて見つめ、元就は問いかける。
「浅ましいことよ。誰かをそれほどに征服したいと望むか。血を流したいか」
それを聞いて元親はきっ、と元就を睨んだ。
「それは違う。俺は、長會我部は、領土を広げたいとか、そんなんじゃない」
「では何ゆえ、このような武器を作る」
「・・・俺の大事な、家族とか、家臣とか、育った場所を守るために決まってる。ただ黙って攻められて潰されるのはごめんだ」
己自身に確かめるように元親はそう言った。
元就は、やはりあまり感慨も受けない様子でじっと元親を見つめていたが、やがて呟いた。
「・・・伊羅も、初め同じようなことを言ったが」
「そうだろう?誰だって、考えることは同じ―――」
「奴は最後は、剣を折った」
凛とした声に、元親は黙った。
「・・・屍の大地か。その凄まじさを貴様は知らぬのだろうな」
「・・・・・・」
「貴様もその屍のひとつにならぬという保証は無い。そこまで考えたことはあるのか」



元親が答えに窮していると、元就はすぅ、と元親の、胡坐をかいた膝の上に乗ってくる。ぎょっとしていると、金褐色にも見える瞳でしばし見つめられる。人形のように綺麗な朱色の唇に目がいってしまい、どぎまぎしていると、やがてにこりと微笑んで、最初に会ったときのように元親の唇に口付けた。
固まってしまった元親の胸に顔を埋めて、元就は小さく呟いている。
早く思い出してくれ、我は寂しい、と。
元親は、黙ったまま手にした火縄銃をじっと見つめた。
戦について語っていたかと思えば、まるで子供のように以前の飼い主を思い出して懐いてくる。
難儀な生き物を知ってしまったものだ、と、少しばかり頭痛を感じながら、それでも。
ふりほどけないで、ただ黙って、銃の手入れを続けた。



元親が不思議に思うのは、元就が「封印」されていた事実だった。
元就は、“伊羅”という人物をとてもとても慕っているように思える。ただの主従や、人と妖としての、契約者・被契約者としての関係とは思えない。
だからこそ、もし自分が“伊羅”で、元就を、彼が慕っているのと同じくらいに大事にしていたとしたら、封印なぞしないと思う。それはあやかしを閉じ込めて、場合によってはそのまま暗闇に葬り去ることだと聞く。
(・・・もしかしたら、“伊羅”は、元就をそれほど大切にはしていなかったのかもしれない)
或いは、疎ましく思って封印したとも考えられる。
(・・・こいつ、うまいこと“伊羅”にそそのかされてたんじゃないか?)
けれどもしそうならば、元就の伊羅への執着や信奉とも言えるほどの傾倒ぶりを考えると、どうにも元就の気持ちが哀れで仕方ないと思ってしまう。元親は少しばかり、正体の知れない自分の先祖を恨んだ。
人間の裏表については、まだ曖昧ではあるものの全く知らないというわけでもない。
元就は否定するだろうが、もしかして本当に“伊羅”が元就をだましていたのだとしたら、それはそれで気の重いことだ。
この外見のせいで陰口を叩かれたりあからさまに避けられたことも経験してきた。そういうときの辛さは誰よりもよく知っている。
だからこそ、なるべくなら他人を傷つけたりしたくはない。たとえそれが、人外の者であるとしても。
『そうやって、他人のことばかり先に考えるから、お前は総領として心配だ』
父によく言われる言葉が脳裏に浮かんで、元親は苦笑いした。
まったく、自分の左目を持っていかれ、揚げ句にこの身に棲まわせることになってしまったというのに、何故自分はその相手―――元就の心配をしているのか。



土佐の港に着いた途端、元就はまたしても勝手に元親の体から出てきて、とても嫌そうな顔をした。
「どうした。おとなしくしてろよ、元就」
「・・・此処は?何処だ?」
「俺の国だ。いいところだろ?あったかいし、海も山もあって、食べ物も旨い」
「・・・・・・」
「まぁ、京に比べりゃ、上品さとかそういうのは無いが・・・どうした?」
「・・・・・・」
ずっと元親の背後に隠れるようにして少し苦しそうに息をする元就に、元親は怪訝な表情を向けた。
「・・・この土地に、どうしても我は入らねばならぬか」
心底嫌そうなその様子に、元親は少し意地悪い気分になった。
「お前が、俺の目を返してくれて俺の体から出ていくってんなら、無理に入ることはないんだ。勝手に都へ・・・深草へ帰ればいい」
少し期待して、元親は身を乗り出した。
元就は、またいつもの哀しそうな顔をした。
それから、それはできぬ、と呟いた。
「・・・まぁよい。嫌な場所だが、我慢してやる」
「いやなら帰れ、京に。そんで俺の目、返せ」
「嫌だ」
貴様は阿呆か、何度も同じことを言わせるなと元就は、ふぅと大きな溜息をひとつ。
下船する元親の体に消える。
ふと、何故そんなにこの土佐が嫌なのだろうと元親は思ったが、出迎えの人々に気づいて大きく手を振ると、そのまま元就のことはとりあえず心の中にしまいこんだ。実際、その後は母や姉たちの、その顔はどうしたのだという悲鳴の混じった詰問にたじろぐ時間が続くのだが。
初陣まであと数年の頃だった。


(7)