コイビトバトン
(11)
病院の空気は嫌いだ。いつも何処かそれは「終わり」を感じさせるから。
父のときも兄のときも、周りは白い壁だった・・・
元就が佐助に言われたとおり医療センターに着いたとき、救急外来の入り口には救急車が停まっていて、元就は後部ハッチが開いていないのを確認しつつ目が離せなかった。電話を受けてからさえ随分時間が経っているから、その救急車が元親を運んできたものかどうかは定かではない。それでも、もしかしてあの中にいたのだろうかと思うと血の気が引くとはこういうことかと思い知るには十分な切っ掛けではあった。傍らに立つ救急隊員たちと目をあわせないようにしながら受付に近づくと、職員へ元就は恐る恐る尋ねた。
「先程、此処に高校生が運ばれませんでしたか。交通事故で」
守衛は元就の制服を見て合点がいった、という顔をした。名前は?と問われて、長曾我部です、と元就はぼそぼそと答えた。珍しい名前のせいか、それとも元就の声が小さかったせいか、守衛に不審げに問い返された。再び、長曾我部です、とさっきよりは少し大きい声で言ったが、守衛はやはり首を傾げている。
元就は焦った。こうしている間に元親が。
(・・・もう二度と我の声に応えてくれなくなったら)
考えただけで目の前が昏く翳った。捨てた揃いの携帯、突っ返した見舞いの品、寂しそうに曇った元親の表情。ぐるぐると脳裏をよぎり、回る。どうして、どうして、どうして。何故聞けなかった?たった一言、我が嫌いになったか、何故嫌いになったかと、何故。きっとあの誠実な男なら、事情があるなら説明してくれたはずなのだ。そうでないなら、笑い飛ばしてそんなこたぁねぇよ、と言ってくれたに違いない。どんな答えでもいいから、同じ別れるなら元就は生きている元親と別れたいと思った。
焦る気持ちを抑えねばと思いながらも、元就はやがて顔を上げて息を吸い込んだ。
「ちょう、そが、べ。・・・長曾我部、元親、です、探しているのです。友人です、会いたいのです。何処に」
「・・・毛利?」
すぐ後ろから聞きなれた声がして、元就は振り返った。
白髪に眼帯をつけた背の高い、いつもと何も変わらない様子で元親は驚いた表情で立っている。シャツはところどころ汚れていて元親の顔や袖口から覘く腕には何箇所か絆創膏や白いガーゼが貼られていた。ボトムの右足の裾が少し折り返したようにめくれていて、そこから白い包帯が見える。
けれどそれ以外は何も変わらない。・・・何も。
と、元親の背後から、毛利殿、と幸村の弾んだ声が響いた。同時に佐助もその後ろの廊下の角からひょこりと顔を出す。
「あぁ!毛利さん、着いたんだ。ちょーどよかった、今治療終わったとこで」
「なんだ猿飛、お前が呼んだのかよ、毛利。別によかったのに」
「何強がってんのアンタ?嬉しいくせにさ」
佐助は呆れたように元親を下から睨みつけた。元親はたじろいで、それから長身を少し屈めて頭をかいた。佐助は大袈裟に腕を広げた。
「ったくさァ。さんざん人のこと心配させて振り回しといて、挙句に捻挫で安静一週間ってどーいうことよ?明後日の試合どーしてくれるわけキャプテン」
「う、・・・・・・面目ねぇ」
「はぁ。・・・まぁ、仕方ないよね、事故だし、大事なくてよかったけどさ」
でも、と佐助は腕組みをして肩を竦める。
「別にアンタが悪いわけじゃないんだけど、・・・ほんっと、間が悪いったらないね!あーもう俺様疲れた。」
佐助のぼやきに、元親は両手を合わせて、ほんとすまねぇ今回のことは、と頭を下げている。幸村はそれを見てにこにこ笑っていた。
元就はぼんやりと黙ったまま三人を見比べていた。
「・・・怪我、は、」
ようやく声を出すと、元親が「ん?」と顔を元就のほうに向けた。
「捻挫だけだぜ。トラックが突っ込んできやがったんだが、咄嗟にこう、上手く避けられて」
「何言ってんの?ほんっとに偶然じゃん助かったの。アンタの愛車が身代わりになってくれたんでしょうが!」
「はは・・・あぁ、うん。感謝しねぇとな、助かったこと・・・」
「・・・なんとも、ないのか」
また尋ねた元就に、元親は、大丈夫だぜ猿飛がなんて言ったかしらねぇけど、と明るく告げて元就に近づいた。呆然と見上げてくる元就の顔を覗き込んで、元親は照れたように笑った。
「心配してくれたのか?・・・すまねぇな毛利、でも嬉しい、ありがとよ」
「あぁ、そうそう!」
唐突にわざと割り込むように佐助は二人の間に入った。かばんを開けてしばらく探して、やがて見つけたのか「はい!」と殊更に大きな声とともに元就に手渡した。
「毛利さんのでしょ、これ」
「・・・・・・」
つい数時間前に捨てた、緑色の携帯。
「悪いと思ったんだけど、持ち主確認のためにちょっと中身見せてもらったから。あと、真田のダンナが」
「某が見つけたのだ」
幸村は嬉しそうににこにこと元就を見ている。そういえば貴様日直だったな、よく見つけたなと元就がのろのろと答えると、幸村は褒められたと思ったのかさらに嬉しそうに胸を張った。そうして。
「毛利殿、バトンが欲しかったか?」
「・・・・・・え、?」
「某の携帯からこっそり送ったであろう?でもそれは長曾我部殿の回答だし、最後の部分が足りておらぬ。そのままでは破廉恥な内容になってしまう」
したり顔で真面目に説明する幸村に佐助が横で吹き出したが、元就は食い入るように幸村を見ていた。
「だから、今から某の回答を送ってさしあげよう。まだ5人には送れていなかったのだ」
幸村は自分の携帯を取り出すと、元就の手から緑色のそれを取り、赤外線でさっさとアドレスを交換する。やがて元就の携帯が歌い出した。元就が画面を開くと。
「・・・恋人・・・バトン・・・」
「大丈夫!最後まで読むとオチがあるのだ、だから安心して読まれよ。なぁ佐助?」
自慢げな幸村に、まだ笑いを噛み殺していた佐助は、やがて本格的に笑い出した。
「?佐助、何がおかしいのだ?」
「いやー!ダンナ、あんた最強!!やっぱ俺が惚れるだけのことはあるね!!」
佐助は幸村の頭をがしがしと猫か犬の子にするようにかき混ぜた。何をするか佐助、子供扱いするなと憤慨する幸村の肩を抱くと、佐助はそのまま救急外来の扉へ向かって歩き出す。元親と元就が呆気に取られて見送っていると、佐助は外へ出かけて振り返った。
「アンタたちさぁ。ちゃんと話し合いなよ?これで明日になってもまだ喧嘩してたら、俺様悪いけどもう付き合いきれないからね!」
「・・・・・・」
「長曾我部のダンナ、アンタはちゃんと怪我治して、次の試合は万全で臨むこと。俺様、負けるのはごめんだから」
「・・・おぅ。ありがとよ!」
「ちょっと、座るか」
携帯を握り締めたまま立ち尽くす元就に、元親が声をかけた。元就は強張った表情で黙って頷くと、廊下の一番隅の長いすに二人で腰掛けるため近づいた。座るときに元親が足をかばう仕草をしたので、元就は咄嗟に肩を貸した。元親は驚いたように目を瞠ったが、すまねぇと照れたように言って素直に元就の肩を借りた。
「・・・痛むか」
「ん?いや、それほどには。どっちかってぇと吹っ飛ばされたときに打った肩のほうが痛いくらいなんだが、レントゲン取ってもなんともねぇって。丈夫だって呆れられちまった、ハハ」
「・・・・・・、だ」
「ん?何だ?」
元就が発した小さな声に、元親は耳を近づける。
「すまねぇ、聞こえなかった。もう一回」
「何故、怒らぬのだ」
今度ははっきりと元就は告げた。元親は黙った。
元就の手の中で携帯のディスプレイは無邪気な幸村そのままに光っている。送られてきたメールをスクロールさせる元就の手が震えていることに気づいて、元親は黙って元就の肩にそうっと腕を回した。元就は、拒まなかった。ただ、携帯を睨んだまま顔を上げない。元就の見ているメールを元親も覗き込む。
あの「バトン」の、最後の補足部分がそこに書かれていた。
『 ※注意※ この「恋人」とは【携帯電話】の事です』
(長曾我部は、我を騙してなどいなかったのだ)
(我が勝手に思い込みで勘違いして)
(あれは、新しい携帯のことだった、のに)
「・・・・・・我が。我が、勝手に一人で勘違いして、怒って、貴様にはまるで身に覚えのないことで中傷して。何故、なのに、怒らぬのだ」
「・・・・・・」
「そもそも、我は、貴様の何だ。恋人だなぞと一言も言われておらぬに、勝手にあてはめて、勝手に人のメールを見て、勝手に怒って、我は」
「・・・あのよ、毛利」
「何故、何も言わぬ。我を詰ればいい。阿呆と蔑めばいい。我を――――」
「毛利、毛利。俺、だいたいの事情は猿飛から聞いたんだけどよ」
元親は先程より強く元就を抱く腕に力を入れた。ふと、今までのどのときよりも互いの顔が近い位置にあることに気づいて元親の心臓は跳ね上がったが、強張ったままの元就に気づくと可哀相で、嬉しくて。どうしようもなく嬉しくて。慈しむようにそっと息を吐き出して、その細い肩を擦った。
「・・・なんかもう、どうでもいいや。あんた、こうやって、俺のこと心配して来てくれたじゃねぇか。なぁ?」
「どうでもいいわけが、ある、まい。我が貴様にここ数日何をしたか」
「どうでもいいさ。あんたが、俺のこと嫌いになってないってんなら、それで十分」
「・・・・・・」
黙したままの元就を気遣って顔を覗き込むと、彼の白い頬は濡れていて、元親は焦った。
「おいおい、泣くなよ。俺、別になんともなかっただろうが」
わざとおどけたように言ってみせる。
普段の元就なら、泣いてなぞおらぬ、と強く言い返すだろうと思っていたのに、帰ってきたのはひどく弱弱しい掠れた声だった。
「・・・、かと、」
「?え?」
「死んだ、かと」
「・・・・・・」
「もう、会えぬかと。貴様に」
「毛利」
「嫌われてもよい、貴様が生きていれば」
「・・・馬ッ鹿野郎!嫌いになるわけねぇだろ、あんたのこと!!」
思わず語気が荒くなった。
声が大きかったのか、他の見舞い客の視線が一斉に二人に向かって、元親は首を竦めた。慌てて自分の体で、壁際のほうに座る元就を隠すようにする。
顔が近づく。
「・・・・・・嫌いになるわけ、ねぇだろうが。」
もう一度元就の至近距離で言うと、元親は背後を気にしつつ、掠めるように元就の額に唇をおしあてた。
「俺こそ、ほんとにあんたに嫌われたと思って、・・・俺、色々気づかねぇからよ。なんか知らねぇうちに非道いことしちまってたんじゃねぇかって、心配してた」
「・・・・・・」
「ありがとな、毛利。俺、ほんとに嬉しかったんだぜ、さっきあんたがあそこで俺の名前呼んでくれてたとき」
「長曾我部。・・・我は、貴様の、何だ?」
搾り出すような声に、元親はじっと腕の中の元就を見た。
「貴様は我に、親友になれと言った。だが一方で一番大事な者になってほしいという言い方もしたな。我はその言葉を、取り違えていたのか?貴様は我に何を望んだのだ・・・?」
「あんたに、俺は」
元親は声を落とした。
誰にも聞かれないように、元就以外の誰の耳にも届かないように。二人だけの。
「恋人、に、なってもらいたいんだ。毛利」
「好きだ」
(12)