コイビトバトン
(2)
前日に早起きをし過ぎたせいか、寝る前の元就との微妙なやり取りが気になってすぐに寝つけなかったせいか。
翌日元親は有り得ないほどに寝過ごした。大慌てで仕度をし、マンションのエレベーターを待つのももどかしく階段を一気に駆け下りる。愛車のBIANCHIを飛ばした。BIANCHIには珍しいゴールドのそれは元親の気に入りだったけれど、バイクがあればこういうときラクだろうなぁとしみじみ思う(もっとも、中型を手に入れたとしても学校に乗っていくのはご法度だから意味ないのだが)。
ペダルをこぎながらふと、BIANCHIをもし次手に入れるならやっぱチェレステにすっかな、と思った。元就と知り合ってから買っていたなら、迷わずそちらの色にしていただろう。元就がグリーンを好むと知ったのはわりと最近だ。携帯を選ぶときに彼がそう、ぽつりと言ったのだった。
(・・・アイツ、今日、帰りどうすんのかなァ)
昨夜のやり取りを思い出して、元親はひとつ溜息をついた。
学校の門近くまで辿りついてやっとほっとしたとき、角から出てきた女生徒と危うくぶつかりそうになった。女生徒はきゃっと叫んで尻餅をついたので元親は慌てて自転車から飛び降りて駆け寄った。
「おい、大丈夫か!?」
「ご、ごめんなさい・・・大丈夫、ごめんなさい」
謝ってくる長い黒髪の少女は学園理事長の妹の市子だった。
「おい、なんであんたが謝るんだよ。俺が悪いんだから謝るな」
「ご、ごめんなさい・・・」
「だから謝るなって・・・」
「ごめ・・・あの・・・」
元親は思わず笑った。この娘はいつも俯いている。会話は大抵「ごめんなさい」から始まるのが常で、理事長の妹だとはとても思えない。遠戚だという同学年の浅井という男にいつも口幅ったく説教を受けている姿が印象的で、元親もクラスは違えど覚えていた。
(まぁ、浅井の場合は・・・あれは、好きな子イジメ、だよな)
少し余計なことを考えつつ、手を引いて市子を立ち上がらせる。
「とにかく、大丈夫ならよかった。ほら校門までもうちょい、急ごうぜ」
「あ、はい・・・ごめんなさい」
「あんたも、寝坊かい?」
「ううん・・・すこし、途中で足、痛くなって、ゆっくり歩いてきた、から」
「?足が痛い?それぁ、もしかしてさっき俺とぶつかりかけたせいか?大丈夫か?」
「ううん、違うの、これは――――」
「・・・遅刻だ、貴様ら」
元親が顔を市子から声のしたほうへ向けると、例の浅井が不機嫌と明らかにわかる表情でそこに立っている。これが噂をすれば影ってやつか?と元親は珍しそうに浅井を見た。同時にチャイムが鳴りはじめたので浅井を無視して市子の手を引いて自転車を押して校門をくぐろうとすると、あからさまに立ち塞がられる。元親はむっとして浅井を睨んだ。
「おい、浅井。お前、其処どけよ」
「・・・市。お前、なんでこんな時間に登校してきてるんだ?こいつとダラダラ一緒に来たのか?」
元親のことは完璧に無視して、浅井は市子を睨んでいる。その視線がちらちらと、元親が無理やり掴んでいる市子の手に注がれていて、あぁなるほどなと元親は考えた。さりげなく放す。市子は気づいていないのか、かばんを持ち直すと俯いた。
「ご、ごめんなさい、長政さま・・・あの、ちがうの、市は」
「何故こんな時間になった?いつもの電車に乗ってないから休みかと思ったが」
「ご、ごめんなさ・・・」
「めそめそするな!理由を言えを言っている!!」
「・・・・・・」
だんだん雰囲気が険悪、というよりは一方的に浅井が怒っている様子になってきて、元親はうんざりと彼を見た。頭もいいし正義感も強いし統率力もある。スポーツもそつなくこなす。ルックスだって悪くない。ただこの、市子に対する態度だけはどうにも納得いかねぇなぁといつも思う。浅井が市子を好きだということは多分誰にも丸わかりなのだが、本人がそれに気づいているのかは甚だ疑問だ。常に話しかける口調はきつく、内容はいわば詰問で、市子は浅井を見るたび本気でおびえているように元親には思えた。
今も、そうだ。
だから、黙っておられず助け舟を出した。
「なんか、足が痛くてゆっくり歩いてきたらしいぜ?なぁ?」
「え、あの・・・はい・・・ごめんなさい、あの・・・」
「足・・・?」
浅井は市子の足元を見て、さっと顔色を変えた。紅くなっているようにも、青ざめているようにも見えて、元親は首を傾げた。同時に市子が慌てたように声を上ずらせた。
「あ、あの、長政さま、ごめんなさ」
「・・・ふん。もういい!さっさと行け」
急に身を翻した浅井に元親が、おい、なんだよその態度は、とくってかかったが、市子が制したので黙った。浅井はさっさと立ち去ってゆく。最後のチャイムが鳴り終わる。元親はひとつ舌打ちをすると、大丈夫か?とびっこをひく市子をかばいながら一緒に門をくぐった。
前方に人影を感じて、視線を、市子からそちらへ向ける。
目の前に元就が立っていた。
「・・・よぅ・・・おはよ、毛利」
「・・・遅刻だな」
「・・・生徒会の仕事かよ、その腕章つけてるってことは?」
いまどきどうかと元親は思うが、この学校には月に一度、教師と生徒会の一部生徒が校門に立って遅刻と服装検査をする。どうやら今日がその日らしく、生徒会に名前を連ねている毛利も立っていたのだろう。あぁそれで浅井もいたのか、あいつも生徒会所属だったな、と元親はぼんやり考えた。
それにしても、浅井とのやりとりに気を取られて今まで元就に全く気づいていなかった自分を、元親は少し呪った。良くないことは続く、とはあまり考えたくなかったが。
「・・・織田は足を怪我しているとか?なれば仕方ないが、貴様は遅刻だな」
「おまっ、それは贔屓だろうが!!俺も一緒に校門くぐっただろうが!!」
「さて、知らぬ」
そっけない態度だったが、それはいつもの元就のものと特に変わりはなく、元親は昨夜のやり取りを思い出しながら、なんだアレは何もなかったのか?と少しほっとしていつものように元就に言った。
市子が横から、おどおどと声を出した。
「あ、あの・・・長曾我部さんは、私をかばってくれたの・・・だから、長曾我部さんが遅刻なら、市も遅刻で・・・」
「・・・・・・」
市子がそう言った途端、元就はきゅっと眉を顰めた。
不思議に思いながら、元親もそうそうと頷く。
「おい、毛利、お前、彼女がこう言ってんだからよ――――」
元就は、背を向けた。肩越しに振り返り、小声でぽつりと言い残した。
「・・・貴様が責任持って、そやつを保健室へ連れていくことだな。担任には話しておいてやる」
「あ、・・・おう!サンキュ、毛利」
思わず言った礼の言葉には振り返りもせず、元就は歩き去る。放課後一緒に帰れるか?とはこの状況では聞けなくて、元親は内心歯噛みしつつ、市子を保健室まで送っていくことにして元就と違う方向へ足を向けた。
一限の休み時間に、呼ばれてるぞと言われて廊下に出てみると果たしてそこにいたのは市子で、元親は吃驚した。
「どうした、あんた?足、大丈夫かよ」
「は、はい、ごめんなさい、大丈夫・・・あの、これ、今朝の御礼」
手に、小さな、いかにも女の子が好みそうな柄の紙包みが差し出される。なんだこれ?と少し開くと、きんつばなの、と言われて元親はぽかんとした。
「・・・あの、ごめんなさい。きんつば、嫌い?」
「嫌いじゃねぇけど・・・。遅刻して、学校に菓子持参だなんてよ、あんたらしくねぇんじゃねぇか?どうしたんだこれ」
「あ・・・あのね」
市子の話では、とある和菓子屋の前を通りかかったとき、運んでいたケース入りのきんつばを店員が落としかけて、それを受け止めてあげたらしかった。へぇ、あんた意外に敏捷なんだな、と元親が目を丸くすると市子は、少し顔を紅くして俯いた。
「でもね、市、そのとき足ひねってしまったから・・・」
「あぁ!それで、足首」
じゃあ別にすばしっこくはねぇな、と元親は笑った。市子も、ふふ、と笑っている。市子の右足首には白いテーピングが見えた。
「そう・・・なの。それで、御礼にきんつば、少しいただいたから、長曾我部さんにも。おやつに召し上がって?ね?」
「そうだったのか。でも俺、何もしてねぇ気がするけどなぁ。ま、有難くいただいとくか」
ありがとよ、と笑うと、市子は小さく頭を下げて戻っていった。
もう少し紙包みを開いてみる。きんつばが三個。包装の文字を追うと、それは先日バイト先の女の子たちが口にしていた店の名前で、元親は単純に喜んだ。
これは元就が、きっと喜ぶだろう。元就は甘党だ。
「Hey,why are you so glad?随分いい雰囲気じゃねぇかよ、元親サン?」
政宗が覗き込んできたのでがさがさと包みなおしてかばんに放り込む。
「いい雰囲気?・・・あぁ、織田か?手助けしたから礼もらっただけだよ、へんな勘ぐりすんな」
「Ah-ha? 織田を手助け?」
「足首ひねったとかでよ、朝保健室連れてった」
「・・・ふぅん。それでさっきから浅井がぴりぴりしてこっち見てんのか」
ニヤニヤ笑っている政宗に、えぇマジか?と元親は嫌そうな顔をした。クラス違うのに何処から覘いてるんだよと問うと、It's
a joke.とさらりと言われて元親はまただまされたと顔をしかめた。いいかげんにしろよと政宗を小突く。
「まぁ、アイツ、ほんっとわかりやすいよな・・・でもあんな上から命令口調で、絶対俺だったら嫌いになってるだろうな」
「他人の恋路に踏み込むのは粋じゃねぇぜ、元親」
で、アンタはアンタの執着してる相手とどうなんだよ、と。
すぐさま話題を振られて、元親は呆れた。
「・・・お前、自分で言った舌の根が乾かないうちにそれってどうなんだよ・・・」
「早起きご来光の話はちゃんとネタに出来たのか?」
「・・・したけどよ」
急に沈んだ元親の声に、政宗は首を傾げた。それから、猫のように急に目を光らせて身を乗り出す。
「なんだ。喧嘩でもしたのか?聞かせろよ」
「別に喧嘩とかじゃ・・・っつーかよ、お前、明らかに面白がってるだろ。言わねぇよ馬鹿馬鹿しい」
「なんだよ、ケチケチすんなよ」
「どうせ何かやらかして片倉さんに小言くらったんだろ。だからって人のことに首突っ込むな」
それは憶測だったが、図星だったらしい、政宗はさっと顔色を変えると、小十郎みたいな煩い奴知るか、とかえって捻くれている。あぁもういいから、と元親が手をしっしっと振ると、そこへ幸村が割り込んできた。政宗殿威勢がよろしいな、しかし今度の試合こそは某が大将をつとめるでござる!!といきなり部活の話をふってきて、後ろから幸村の従兄の佐助があんたそれより英語の追試の勉強しないと試合も出られないよ、と水を差す。あぁいつもの展開だ、と元親はうんざりするような、微笑ましいような気分で自分には些か小さい椅子にぎぃと凭れて伸びをした。
と、元親に向かって、長曾我部のダンナ、今日練習くる?と佐助が聞いた。佐助は元親のバスケのチームのポイントガードだ。
「・・・あぁ?だって、今日、練習ないだろ」
「次の練習試合近いからさぁ。ちょっとばかり自主練したいんだけど、相手してくんない?」
「うーん・・・」
言い淀む元親に、幸村とぎゃーぎゃー喚いていた政宗が口を挟んだ。
「無理無理。今日はデートだから、コイツ」
「は?デート?え、ダンナ、そうなの?」
「ば・・・・ッ、てめェ、政宗!そんなんじゃッ」
「ちょ・・・・ちょうそがべどの!?は、は、はれんちでござ・・・ッ」
「あーもー真田のダンナは黙ってて。要するに予定あるってことか。じゃ、しょーがない」
あっさりと佐助は引き下がって、そのまま幸村の耳をぐいと引っ張る。
「じゃましたね。じゃ」
「さ、佐助!!某はまだ政宗どのと話が」
「話は部活で竹刀交えながらやればいいっしょ。あんた取り敢えず黙って追試の勉強してよ、俺武田先生にも言われてんだよね」
「何!?武田先生がご期待くださるならば某、頑張ってみせようぞ!!」
「はいはい、再追試受けなくてすむように一回でちゃんと点数取ろうねダンナ」
幸村をひっぱりながら、途中で佐助はふと振り返った。
「デートってさぁ、織田さんと?」
「はぁ?・・・何言ってんだ猿飛?」
「あ、違うの?ならいいけど。浅井がなんか今朝不機嫌でさ、どーしたのよって聞いたら長曾我部はいつから織田と仲がいいんだ、なぁんて聞かれたから。」
「・・・おいおい、嘘だろ」
元親はがっくりと机に突っ伏した。なんで今日のあんな出来事で仲がいいとか、そういうふうに思えるのか。
「俺、織田とまともに話したの今日が初めてだぜ?」
「浅井、本気みたいだから、間違ってもあの娘に横恋慕なんかするんじゃないよって忠告しようと思ってたんだけどさぁ。だって鬱陶しいっしょ?」
「あーまぁ・・・」
「関係ないならいいや。でもダンナ、あんた日の丸みたいな人だからさ、気をつけないと誤解されるよ?」
「??日の丸???」
「ニッポンみたいに、八方美人で誰にでもいい顔して強く断れない優柔不断ってこと。」
佐助はさらっとそう言うと、幸村を引っ張って教室を出ていった。
「・・・俺、そんな誤解されるような態度とってるかなぁ?」
二人の後姿を見送ってから元親が政宗に聞くと、政宗は肩を大袈裟に竦めてみせた。
「よく言うぜ。アンタ、今朝織田の手引いてたろ?ほんとになんも思うところねぇのかよ、あれ見てしまえば、大抵のやつは猿飛みたく考えると思うぜ?」
「はぁ・・・そういうもんか?」
「・・・自覚ないのが一番困りモンだな」
政宗は面白そうにくつくつ笑っている。
どうせお前にとっちゃ他人事だよな、と元親はまた伸びをして、窓の外を見た。
中庭を挟んだ向こう側の棟に元就のクラスはある。元親の席から見えるのは廊下側だからよほどでないと元就の姿は見えない。それでも、ついつい目を凝らしてしまう。時々見かけると元親は手を振る。元就から振り返されたことは一度もないけれど、視線が一瞬まじわって、それから困ったように俯く彼の反応が楽しいので、いつも探してしまう。
まだ今日の帰りのことを言っていない。
いつもなら何も言わなくてもどちらかが校門近くで待っているのが常だったけれど、今日はちゃんと言っておかないと先に帰ってしまわれそうで、だから休み時間になるのを待っていたのに、結局この時間は潰れてしまった。チャイムが鳴って皆が席につきはじめる。
(俺が気に入って見ていたいのは毛利だけだってぇのに。誰が優柔不断だと?)
ふと、今朝方、それこそ市子と一緒の場を、元就本人に見られていたことを思い出した。あのときは全く気にしなかったが、先程の佐助の話を聞いた後では、もしや元就も彼らのように疑ったり勘ぐったりしているのだろうかと不安になった。
(俺は、誰にも、嘘なんざついてねぇ。だから、堂々としてりゃいい)
(それにあの毛利が、そんな細かいことを気にするはずもねぇ・・・よ、なァ?)
そう考えてみるものの、すぐに昨夜の沈んだ元就の声が耳元に蘇ってきて、元親は伸び上がって中庭の向こうを見つめる。
大事な人の姿は、一度も廊下に出てこない。
運がとことん悪いのか、休み時間になるたび教師に呼び出されたり次の時間の準備をしたり、慌てて出たせいで忘れ物をしていて隣のクラスに借りに行ったり・・・と、慌しくあっという間に半日が終わってしまった。元親はげっそりしながら購買に昼食を買いに出た。
「あ」
階段を下りたところで、まさに考えていた相手――――元就に出会って、元親は面食らった。咄嗟のことで何も言えないでじっと見つめてしまう。元就も何も言わないでじっと元親を見ている。
ややあって、ようやく我に返り、元親は口を開いた。
「あ、あのよ、毛利、今日帰り、」
「・・・我は今日、用がある。速やかに返らねばならぬ」
「え・・・・・・」
「だから我を待つ必要はない」
それだけ素っ気無く言って、元親の脇をすり抜けるようにして元就は階段を上がっていく。ぽかんとしていた元親は、数秒後に慌ててその背中を追った。
「おい!ちょっと待て、毛利!」
「・・・貴様、購買に行くのではないのか。昼食が売り切れるぞ」
「あ、そうだった・・・いや、そうじゃなくて!なんで、今日?帰れねぇんだ?」
「・・・話を聞いてなかったのか?用があると言ったであろう」
「だ、だってよ。俺、今日しか休みねぇんだぜ?来週末試合だし、明日からまたずっと部活だし」
「・・・せいぜい頑張ることだな」
「いや、だから、なんで今日。いっつも、用事あっても、換えてくれてたじゃねぇか。そんな大事な用なのか?」
「・・・別に、貴様のために用件を別の日にうつした覚えはないが」
言われて、元親は、え?と息を詰める。
「今日、用事が出来た。それだけのことだ」
「・・・なぁ、毛利」
ずっと昨夜から気になっていたことを、元親は口にした。
「あんた、何、怒ってんだよ?俺、何かお前にしたか?だったら謝るからよ――――」
耐え切れずそう言うと、元就は初めて感情を顕にした。
きっと元親を睨みつける。
「何故謝る?謝るということは、何かやましいことでもあるのか?」
「え?・・・いや、俺はなんにも思い当たることはねぇけど、あんたが何を怒ってんのか分からねぇから、」
「怒ってなぞおらぬ。我は普通だ」
「・・・普通じゃねぇだろ?昨日からなんか変だろ、なぁおい、一体」
元就の手を何気なく掴もうとした元親の手は、ぱしんといういっそ小気味よい音とともに弾かれた。
吃驚して手を引っ込めた元親に。
「自意識過剰だな、長曾我部。我はそこまで貴様のことで振り回されてはおらぬ」
「・・・あー、そうかよ。わかったもういい」
結局購買でパン二個しか買えず、元親は本気で泣きそうになりながら午後の授業を乗り切った。
朝、昇る日輪を見れば一日が良い、と元就は言ったというのに、そう実行した昨日からどうも何かがおかしい。自分は朝日とは相性が悪いのだろうかと教室を出て項垂れる。
「あー・・・俺、最悪だな」
眠いからだ。朝からずっとバタバタしていたせいだ。腹が減っていたせいだ。
いろんなもののせいにしてみるけれど、結局は自分が悪いのだと考えは其処に至って、何度目かの盛大な溜息を吐いた。
元親が「もういい」と言い放ったあと、元就はきゅっと、今朝と同じように眉を顰め唇を噛んだ、ように見えた。そのときに、自分はとんでもなくしまったことを―――――もっと言えば「取り返しのつかないこと」をしてしまったんじゃないか、と不安感が一気に背中に向かって押し寄せたけれど。一度言い放ってしまった言葉は引っ込められず、なおかつもう元就に背中を向けてしまっていたから後にも引けず。階段を下りる一足ごとに、このまままた前のように、廊下ですれ違っても挨拶すらしない間柄に戻るのだろうかと。
足元が奇妙にぐらついた。
(・・・なにが、どうなってんだ?)
色々思い返してみても、自分の行動で何か元就の機嫌を損ねたとは思えなかった。一昨日の夜までは、普通に携帯でやり取りしていたのだ。ちゃんと通話履歴だって残っている。
目の前に、校門。いつもならあの近くで元就は、ぼんやりと空を見上げて立っているのに。
今日は、いない。
元親は、しばらく他の生徒たちが通り過ぎるのを目で追っていたが、佐助が練習相手をしてほしいと言っていたのを思い出し、踵を返した。空腹だったけれど、そういえばかばんの中には市子にもらった菓子が入っていたっけ。元就と一緒に食べようと思ったんだが、とまた寂しくなって、けれどそのまままっすぐ体育館を目指して歩いた。ボールをさわれば、少しは気がまぎれるだろうかと淡い期待を抱いて。
(3)