コイビトバトン





(4)


あぁ、と。
見送る元親の視線の先で佐助の手を離れたボールが弧を描く。リングに何度かお手玉されながら、それでもネットに吸い込まれ。
「はァい、30ゴール目〜」
「・・・くっそ!」
「ね、長曾我部のダンナ?」
肩で息をしながら汗を拭う元親の背をぽん、と叩いて、佐助はさらりと笑顔を向けた。
「やる気ないならさぁ。帰ってくんない?むしろ邪魔」
「・・・・・・」
元親はげっそりと、更に肩を落とした。



元就と帰ることを諦めて体育館に来てみれば、朝言っていたとおり佐助は一人で練習していた。今度の対戦相手は因縁の相手で―――すでに何度も練習試合も組んでいるしお互いのチームの傾向も癖も知り尽くしている、はずであった。つい一ヶ月前までは確かにそうであった。
一ヶ月前に練習試合を組んだときいつの間にかメンバー補強がされていて、佐助は寡黙な同ポジションのPG(しかもどうやら佐助の昔馴染み?)に完全にスピードでのまれ、元親は長身のセンターにリバウンドをほぼ抑えられて結果は惨敗であった。だから飄々としているようで実は負けず嫌いの佐助にとっては、今の自分が傍にいるだけで苛苛していることだろうと元親は思った。
元親だって、試合に負けることは悔しい。前回の雪辱を晴らしたい。
それでも。どうしても精神的に参ってしまえば、集中力は欠ける。今が、そうだ。
「・・・お前はその、にこやかに毒を吐くのをどうにかできねぇのかよ猿飛・・・」
「お生憎様。こちとらこれが持ち味なんでね」
“真田のダンナの相手はこうじゃないとやってけないんだってば。”
そう呟いて佐助は余計なことを言ったか、と苦笑した。
そんなふうにいつも言うけれど。佐助は従兄である幸村のことを、呆れつつ面倒をみつつ、それでも実際はこれ以上ないくらいにその人物に惚れこんでいることを元親も知っている。本当は一緒の部活をしたかったといつだったか笑って言っていたのを元親は覚えている。ある意味馬鹿だし、夢中になったら見境ないし、でもどうしようもなくまっすぐで純粋で、何にも汚されず恐れを抱くこともなく、ほうっておけないのだとも言っていた。
ただの庇護欲かもしれないしおせっかいかもしれないけれど、見ていたいのだと。
佐助が幸村に懸けるその情熱のようなものは、もしかしたら少し、自分が元就に求めるものと似ているかもしれないな、と思って、元親は佐助の顔をそっと見上げる。佐助はきっと否定するだろうけれど。
独占したいような、彼の人の興味も視線も全部独り占めしたいような。それでいて違う方向を見ているその人を余さず見ていたいような、矛盾した思いだ。親友になってほしいというのは元親にしてみれば最大の譲歩のようで、それでいてひどく求める目的からは遠いようで。実際元就とどういう関係になりたいのかは、今もよく分かっていない。
彼を、例えば女の子の恋人のように扱いたいのかと問われれば、そうであるような、違うような。
ただ、知りたいし、見ていたいのだ。もっと純粋な想いではないかと思う。
・・・そのうちに、今以上に触れたくなるのだろうか、とはよく考えるけれど。



当の佐助は、傍にある跳び箱の上に腰掛けると、ボールを指先でくるくる回しながら足元に座り込んでいる元親を覗き込んで悪戯っぽく笑った。
「・・・で。なにがどーなってんのよ、長曾我部のダンナ?」
「・・・べつに」
「べつに、ですますつもりなら、ほんっとにさっさと帰ってくんないかな。俺様もう少し練習したいから」
「・・・・・・」
元親は困ったように前髪をかきあげる。
「わーったよ。・・・まぁアレだ、人間関係の悩み?ってやつでだな」
「あーあーあ。さーぁて、俺様練習戻るかな・・・っと」
「・・・おいコラ!ちょっと待て猿飛!!人が折角白状してんのにあからさまに無視すんなッ」
跳び箱から飛び降りてコートに戻ろうとしていた佐助の背中に悪態をつく。佐助は肩を竦めて振り返った。
「だってさぁ。ダンナと人間関係の悩み、って、なんか結びつかないし。似合わなすぎて嘘くさい」
「・・・そこまで言うかァ?俺だって悩むことくらいは」
「俺が思いつくのは、アンタ八方美人だからそっち関係の悩み、とか?だとしたら余計俺様にゃどーしよーもないっしょ?」
「・・・ほんっとに、笑顔で辛辣だよなお前・・・」
元親が呻くと、佐助は面白そうにくつくつと笑った。
「て、ことは、図星?」
「図星っつーか・・・」
「織田さんがらみ?」
また出てきたその名前に、いっそうんざりして元親は頭を振った。
「・・・あのさ、俺、そんなにあの子に思いいれてるように見えるかァ?多分、まともに喋ったの今日初めてだぜ?」
元親は目を瞬くと、片目に眼帯をかばんから取り出してつけた。元親の色素の抜けた左目が隠される、佐助はその慣れた手つきを別段気にもせず見ている。
「だって、手、つないでたよね」
「・・・伊達も言ってたけどよ。そんなに、手ェつなぐって、考えてやる行動か?相手はびっこひいてんだぜ?手助けすんのァ当然の行動じゃねぇのかよ」
「はぁ、なるほどね・・・流石、八方美人」
「おい、どういう意味だ?」
元親が口を尖らせると、佐助はハイハイとばかりに片手をひらひら振った。
「まぁ、そういう事情があるならしょーがないってのもあるんだけどさ。浅井がかわいそうだな〜と、俺は思ったんだけどね」
「・・・は?」
意外な言葉に、元親は佐助をぽかんと見つめる。やっぱ分かってないのか、と佐助は内心苦笑した。
「浅井?が、何?」
「だって、アイツ、あんだけ織田さんに必死なのに、ただ怖がられてるだけっしょ?本人は、親戚だからっていう大義名分で彼女の傍にいてプライド保ってるけど、実際は彼女と手なんか、きっと今までつないだことないと思うんだよね」
「・・・・・・」
「それが、アンタがいきなりアレだからさぁ。そりゃ、浅井にしたら面白くないし不安だと思うわけよ、俺はね」
「・・・そんなもんか?だったら、あんな頭ごなしじゃなくて、素直に好意伝えりゃいいだろうがよ」
元親は心底わからない、という顔をしていたらしい。佐助が、やれやれと、憐れむように元親を見た。
「まぁ、ダンナには難しいかもしれないね・・・そこらへんは、惚れた者の弱みっていうかさ。今のままだったら、取り敢えず保護者顔して傍にいることは可能じゃん」
「・・・・・・」
「でも、はっきり気持ち言っちゃったら、終わっちゃうかもしれないよね。わかる?」
市子に対して叱咤していた今朝の浅井を思い出して、あぁなるほど、と元親はやっと納得した。
「猿飛、お前。よっくいろんなこと見てんなぁ」
「周り見えてないとPGできないでしょーが。何を今更言ってんのダンナ」
「・・・すみません」
「それで、」
佐助は腰に手を当てて、床に胡坐をかく元親へ上体を折り、顔を近づける。
「核心突かせて貰うけど。なんで、溜息ずーと吐いてるわけ?あげくに全然集中しないで俺様の練習の邪魔してさ、今日のデートってやつがお流れになったからってのは分かってるんだけど、誰なのよ相手」
「え、・・・・・・えぇと・・・・・・デートじゃねぇぜ、言っとくけどよ」
「なんでもいいけど、だから、原因は誰」
「・・・・・・もう、り・・・」
流石に躊躇しながら元親はその名を小さな声で口にする。
佐助はというと、首を傾げた。
「・・・・・・はい?」
「だから、毛利。」
「・・・毛利?生徒会の?」
「・・・おう」
元親は一人赤面した。何度も言わせるなよと内心少し焦った。
佐助は、しばらく首を傾げたまま顎に手をあてて考えていたが。急に、「え?あれ?そうなの?」と、驚いたように目を見開いた。
「毛利?毛利さん?へえぇ!!?」
「な。なんだよ・・・そんな、へんかよ」
「ヘン」
はっきりそう言われて元親はがくりと項垂れた。
「・・・オイ!お前なぁ!!」
佐助はけれど、ひどく真面目な表情で言った。



「ヘンだね。ヘン。アンタとあの人、水と油みたいなもんでしょ。ていうかあの人は誰とも合わないしあわせる気もないよね?なんでそんな人を、アンタが相手にしてんの?最近ツーショットでよく見かけるとは思ってたけど、アンタ、どういうつもりなの。俺はてっきり、ただ面白がってからかってるか、気に入らなくてアンタがあの人につっかかってるか、どっちかだと思ってたんだけど。アンタらしくないね、逆に相手さんに失礼じゃないの、そういうふうに適当な興味で付き合うのって」



「は・・・・・・」





意外な言葉に、元親は驚いて佐助を見る。
「・・・おまっ、猿飛!前言撤回だ!!何を見てんだよお前は!?なんで俺と毛利が喧嘩?してるように見えるんだ、しかも、適当に付き合うって!!」
「だってさァ。考えてみなよダンナ」
佐助は温度の下がった、至極冷静な声音で言った。
「あの人、他人に興味ないでしょ。期待してないというかさぁ、あの人の半径1メートル周囲に見えない壁を感じるけどね、俺は」
「え・・・」
「それがいいとか悪いとかじゃなくて、壁があるのは事実でしょうが。ダンナは感じないわけ?そりゃ鈍いのも程があるんじゃないの?」
「そ、そりゃよぅ。アイツ無愛想だし、キツイし、いつも他人を馬鹿にしてるし、」
「ほら。俺の言ったまんまじゃん。そんで、生徒会役員でしょ。成績はたしか抜群にいいよね。でもあの人、高校生活なんかどーでもいい、単位取れて卒業できればいいっていうスタンスじゃん。ねぇ?アンタみたいに、日々を思いっきり満喫してる人とは、端っから違うし、合わないっしょ。なにやってんのさダンナ?」
「・・・で、でもよ!!俺も最初は、嫌な奴だって思ってたんだけどよ!!」
元親は、立ち上がった。
「確かに、最初は意見が全部食い違ってて、本気で相性悪いと思ってたんだがよ。でも、アイツ、ほっとけねぇんだよ。なんていうか、目が離せないってぇか・・・だんだんアイツ見てるの面白くなってきて、だから俺は、」



(何を言っているんだろう、俺は?)



「・・・なんてっかよ!上手く言えねぇけど、俺ァ、“見つけた!!”って思ったんだよ。いつの間にか気が合ってつるんでる伊達みたいのとか、クラブ同じのお前みたいのとか、クラス一緒の奴らとか・・・そういうんじゃなくて、全然接点も重なる部分も無いんだけど、俺は、アイツをもっと知りたいと思ったんだ。」



(何を、必死に、訴えているんだろう?)



「だから親友になりたいって、俺から、持ちかけたんだ。俺は、本気だ。適当なんかじゃねぇし、冗談でもねぇよ、俺は毛利が気に入ってる、ていうか、すき、てぇか・・・・・・」





「・・・・・・へえぇ!!?」
佐助は、ひとしきり目をぱちぱちさせながら聞いていたが、やがて口元を綻ばせて笑いながら。
「ちょっとちょっと、ダンナ・・・それって・・・つまり相手さんに一目ぼれってやつ!?」
「う・・・・・」
ひとめぼれ、という言葉にあからさまに反応して元親は紅くなった。
「・・・そ、・・・それは、俺にもよくわからな・・・・・・」
「おいおいアンタ!!何その反応、間違いなく本気だね!!?俺様びっくりー」
「う、うるせぇよ!!茶化すなッ」
佐助はけらけらと笑うと、自分よりかなり背の高い元親の肩をばしばしと叩いた。
「いやー、八方美人極まれりで、ついに雲泥万里の相手にまで手を出したかー」
「誤解を招くような言い方をすんなッ!!!俺は、本気で、毛利と親友になりてぇんだッ」
「うーん、親友ね?まぁものは言い様と申しますが」
「・・・なんだよその、奥歯にものが挟まったような言い方・・・」
「要するにさ」
佐助は、持っていたボールを元親に投げた。



「惚れてるってことでしょ?わかるわかる!!人が人に惹かれるのに理由なんか、関係ないってね!」





(・・・そうとも、惚れてる。俺ァ、本気、だ)





だから、理由がわからない。
どうして元就が急にそっぽを向いてしまったのか分からない。彼に対しては、たとえ意見がぶつかろうとも真正面から向き合うと決めて、そう実行してきたはずだ。それは絶対に嘘ではない。
何がいけなかったのか知りたいと思う。
何度か訪れた、元就の自宅を思い出した。広いマンションは家政婦によってこぎれいに片付けられていて、食事も美味しかった、けれどひどく白くて殺風景で。自分の部屋だと通してくれたその場所で、彼はぽつんと立ち尽くして途方にくれているように見えた。どうして一人で暮らしているのか、そんな話もまだしてもらっていない。余計な詮索はしたくないから尋ねたこともないけれど。
思わず抱きしめたことがある。そうせずにはいられなかったから。
それが、いけなかったのだろうか。
親友になりたい、お前が知りたい、一対一で付き合ってほしい。その表現は嘘ではない、けれど元就を実際どう扱いたいのかは元親にもわからないまま始まったのだ。興味本位だけではない、でも普通の友人とは違う、ような。
時折夢に元就が出てくる。
一度だけ、夢の中でキスをした。
刹那飛び起きて、その消えない現実味に恐ろしくて息が詰まった。馬鹿みたいに水を飲んだ。あぁ、俺はおかしくなっちまったのか?と自分を責めて、でも罪悪感と期待感も越えたところで高揚している自分に驚くしかなく。翌日普通に学校で挨拶をしてくる元就の姿を直視できなかった。意味も無く、すまねぇ、と謝って不思議な顔をされた。
認めてなかったから、苦しかったのだろうか。
佐助があっさりと口にしたその言葉を。



惚れているのだ。



彼の視線が、ようやく最近、自分にたくさん注がれていると自覚できてきたのに。





・・・結局元親は、だいたいの話を佐助に白状することになった。信頼のおける友人だからそのこと自体はよかったと思う。佐助は真摯に聞いてくれて、そうして、かえって呆れたというふうに大袈裟に腕を広げてみせた。
「ダンナらしくないっしょ、それ。堂々と、正面から、なんで怒ってるのかわからない、教えて欲しいって言えばいい」
ほんとうに、そのとおりだと思う。
でも。
怖いのだ。
(・・・なるほど、なァ)
浅井の顔がふいに浮かんで、元親は苦笑した。
元就は仕方なく、元親の求めに付き合ってくれているだけかもしれない。ほんとうは、もう元親のことを鬱陶しく思っているのかもしれない。これ以上自分のテリトリーにずかずかと踏み入るな、と。その合図かもしれないと思うと、誰と喧嘩したときよりも、試合でどんなミスをしたときよりも恐ろしい感覚に襲われた。
失うかもしれないとは、なんて怖いことだろう。
(・・・明日、浅井にちゃんと、弁明しておこう。)
そう考えて、元親は、佐助と一緒に体育館を片付けて帰途についた。空は何処までも綺麗な夕焼けで、藍色と橙色が見事にコントラストを描いている。
きっと明日も良い天気で、朝日がうつくしくみえることだろうと思い、元就を思い出してかばんを持つ指先が震えた。


(5)